ベルリン・フィルハーモニー
ベルリン・フィルハーモニー Berliner Philharmonie | |
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![]() ベルリン・フィルハーモニー | |
情報 | |
開館 | 1963年 |
用途 | コンサートホール |
所在地 |
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位置 | 北緯52度30分36秒 東経13度22分12秒 / 北緯52.51000度 東経13.37000度座標: 北緯52度30分36秒 東経13度22分12秒 / 北緯52.51000度 東経13.37000度 |
最寄駅 |
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外部リンク | ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団公式サイトより"Philharmonie Berlin" |
特記事項 | 設計:ハンス・シャロウン |
ベルリン・フィルハーモニー(ドイツ語: Berliner Philharmonie)は、ドイツのベルリンにあるコンサートホール。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である。
概要
[編集]ハンス・シャロウンによる設計で、1963年に竣工した[2]。ホールは五角形の建物で、ヴィンヤード型[3]の大ホールの収容人数は2,440席、室内楽ホールは1,180席である。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会だけでなく、ジルベスターコンサートなどの特別演奏会も開催される。
当該施設は、ナチス・ドイツ時代にT4作戦を実行した「安楽死管理局」が置かれた場所に所在する。敷地内のティーアガルテン通り4番地[4]には犠牲者慰霊と記念のためのガラス碑が設置されている。
ステージに向かって上手側(右側)の上方にパイプオルガンが設置されている。ホールを設計した当初、オルガンのことが考慮されていなかったため、途中で設計に加えられた時には、ここしか設置できる場所がなかった。これについて、設計に参画したヘルベルト・フォン・カラヤンは、使いづらくて仕方がないと語っている[5]。
ステージの雛壇はパンタグラフ方式で上昇する。最近のホールはエレベーター式となっているものが多いが、このホールでは開館後にこの装置を設けたため舞台下に充分な空間がなく、この方式が採用された[5]。
2008年5月20日に、改修工事中の屋根から出火し、6時間にわたって燃え続けた。死者・負傷者やホール内部への損害、楽器への被害などはなかったが、修復のためしばらく閉鎖されることになった[6]。この影響により、5月29日から31日にかけて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がテンペルホーフ空港の格納庫で演奏会を開催した。
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大ホール 内観
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室内楽ホール 内観
旧フィルハーモニー
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かつてのフィルハーモニーは、ベルンブルガー通にあり、外観から内部まで全く異なる構造だった(当時記録された写真や演奏会の映像などで見ることができる)。この建物は、現在のフィルハーモニーとの混同を避けるため「旧フィルハーモニー」と呼称されることがある。
旧フィルハーモニーは、1882年に、当時としては世界最大のローラースケート場を改装して誕生した。19世紀のヨーロッパにおける代表的なシューボックス(靴箱)形式のコンサートホールの一つとして高い評価を得ていた。戦時中も演奏会用ホールとして使用されていたが、連合国軍による1944年1月30日のベルリン空襲に巻き込まれ、崩壊した。その後は使用することができず廃墟と化し、戦後になって解体された。
跡地は、現在公園となっているが、その入り口には旧フィルハーモニーがあったことを記念するプレートが埋め込まれている。
映画
[編集]- ヴィム・ベンダース監督「ベルリン・フィルハーモニー」(2014年) - オムニバスのドキュメンタリー3D映画『もしも建物が話せたら』の一話。
脚注
[編集]注釈・出典
[編集]- ^ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団公式サイトより"Kontakt"
- ^ “ベルリン・フィルハーモニー”. All About. 2018年8月11日閲覧。
- ^ ベルリン・フィルの常任指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンのアドバイスを受けた、東京のサントリーホールなども、この形態である。
- ^ T4作戦の名称は安楽死管理局の所在地であるティーアガルテン通り4番地(Tiergartenstraße 4)に由来する。
- ^ a b 眞鍋圭子「素顔のカラヤン」幻冬舎新書
- ^ ベルリン・フィル:拠点ホールの屋根など火災 当面閉鎖へ(毎日新聞 2008年5月21日(日本時間)配信)
関連項目
[編集]- ベルリン放送交響楽団 - 当ホールを演奏会場の一つとするオーケストラ