ベルリン空襲
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概要
[編集]第二次世界大戦開戦後ドイツ本土に対する空襲はほとんど皆無だったが、バトル・オブ・ブリテンでドイツ空軍がロンドンを誤爆すると報復としてベルリンが空襲され以降ロンドンとベルリンへの報復爆撃合戦となっていった。
戦争初期はドイツ空軍が優れた防空戦術でイギリス空軍を迎撃していたが、1943年以降はイギリス空軍が夜間爆撃を、アメリカ陸軍航空軍が昼間爆撃を行いB-17、B-24などの強力な爆撃機を大量に投入し東部戦線の消耗もあって徐々にドイツ空軍の勢いは衰退していった。
1944年のノルマンディー上陸作戦以降は、さらに爆撃が激化しドイツ国内が廃墟となった。
1945年には空襲は日常的なものになった。ベルリンの戦いの頃にはソ連軍の砲撃も加わり市民に多数の死者が出た。
→詳細は「ベルリンの戦い」を参照
年表
[編集]1939年
[編集]- 9月1日 - ドイツ軍ポーランドに侵攻(第二次世界大戦開戦)
1940年
[編集]1941年
[編集]1943年
[編集]- 3月27日 - イギリス空軍によるベルリン大規模爆撃。投弾量900トン。
- 8月23日夜 - イギリス空軍がベルリンを中心にドイツ北部の都市に対して大規模爆撃。投弾量1500トン-2000トン[2]。
- 11月18日夜 - イギリス空軍約400機の編隊によるベルリン大規模爆撃。87回目の空襲[3]。
- 11月22日夜から26日夜 - 22日夜の空襲では、2,000人が死亡、17万5,000人が家を失った[4]。この空襲で、カイザー・ヴィルヘルム記念教会も破壊された。5日間にわたる連続爆撃(実質的な爆撃は22日、23日、26日)の激しい空爆で、ベルリンの姿が一変した。満州国公使館、在ドイツ日本国大使館、日本陸軍武官官邸、朝日新聞ベルリン支局などが破壊もしくは炎上[5]。
脚注
[編集]- ↑ 【歴史群像】欧州戦史シリーズ各巻
- ↑ 英空軍、ベルリンを大規模爆撃『朝日新聞』昭和18年8月25日(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p409-p410 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ↑ 英空軍、ベルリンを夜間猛爆撃『朝日新聞』昭和18年11月20日(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p410)
- ↑ “The battle of Berlin”. Australian War Memorial (2017年3月20日). 2025年11月22日閲覧。
- ↑ 五日間の連続空爆でベルリンの様相一変『朝日新聞』昭和18年12月1日(『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p410)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Bomber Command Battle of Berlin - RAF Memorial Flight Club