フォールリベルテ
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フォーリベーテ Fòlibète | |
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南から見た要塞 | |
位置 | |
座標 : 北緯19度40分4秒 西経71度50分23秒 / 北緯19.66778度 西経71.83972度 | |
行政 | |
国 | ハイチ |
県 | 北東県 |
郡 | フォーリベーテ郡 |
市 | フォーリベーテ |
地理 | |
面積 | |
市域 | 240.28 km2 |
人口 | |
人口 | (2015年現在) |
市域 | 34,434人 |
人口密度 | 143人/km2 |
備考 | [1] |
フォールリベルテ(仏: Fort-Liberté, ハイチ語: Fòlibète)はハイチ北東部の港湾都市。北東県の県庁所在地。フォールリベルテ湾に突出した岬の付け根にある。人口は34,434人(2015年推計[1])。
イスパニョーラ島のタイノ族の土地バヤハ (Bayaha) に1578年にスペインの植民地として建設され、フランス領とされた際にフォール=ドーファン (Fort-Dauphin, 王太子の砦) に改名された。フォール=ドーファンは1732年に岬に造られた城塞の名前でもある。ヴァンサン=マリ・ヴィエノは著名な入植者である。フランス植民地時代は砂糖の積出し港の一つ、後もコーヒーなどの輸出港の一つである。
ハイチ革命では元総督で地主であったロシャンボー将軍が1802年2月2日の再上陸の際に住民を殺戮し、シャルル・ルクレールの死後ナポレオンのハイチ遠征軍を引継いだが、その後ハイチ独立に伴いフォールリベルテ(自由の砦)に改名された。アンリ1世の時代にはフォール=ロワヤル (Fort-Royal, 王の砦) と改名されたが死後に戻された。
1895年3月にはホセ・マルティがキューバに戻る途上で立ち寄った。
1930年にはアメリカ海兵隊による占領に対する反乱がフォーリベーテでも行われた。
脚注
[編集]- ^ a b “Haiti: administrative units, extended”. geoHive. 2016年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月13日閲覧。