フェルッチョ・スカーリャ

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フェルッチョ・スカーリア
基本情報
生誕 (1921-02-20) 1921年2月20日
出身地 イタリアの旗 イタリア トリノ
死没 (1979-06-25) 1979年6月25日(58歳没)
学歴 トリノ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

フェルッチョ・スカーリア(Ferruccio Scaglia, 1921年2月20日 - 1979年6月25日)は、イタリア指揮者ヴァイオリン奏者[1]

経歴[編集]

1921年、トリノ生まれ。1936年にトリノ音楽院でヴァイオリンの、1939年にはピアノと指揮でディプロマを受けた。指揮のディプロマを受けた年には、リッカルド・ブレンゴーラ等と一緒にキジアーナ弦楽四重奏団を結成し、アリゴ・セラートの下でヴァイオリンの腕を磨いた。1940年からヴェラ・フランチェスキとデュオを組んでいる。また第二次世界大戦中に指揮者のアキーユ・コンソーリの娘と結婚した。

第二次世界大戦後の1948年にフェニーチェ座でのイーゴリ・ストラヴィンスキーの《オルフェウス》等の上演に参加して指揮活動に興味をもつようになり、1950年から1955年までフェルナンド・プレヴィターリのアシスタントとなった。1959年から1965年までマッシモ・フレッチャと共にローマ・イタリア放送交響楽団の首席指揮者を務めた。

1979年、ローマにて没。

脚注[編集]

  1. ^ [1]