フェラン・スニェール

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はスニェール第二姓(母方の)はバラゲールです。
フェラン・スニェール・イ・バラゲール
Ferran Sunyer Balaguer.jpg
生誕 Ferran Sunyer i Balaguer
1912年
フィゲラス
死没 1967年12月27日(54歳または55歳)
バルセロナ
国籍 スペインの旗 スペイン
教育 家庭教育
職業 数学者

フェラン・スニェール・イ・バラゲール(Ferran Sunyer i Balaguer, 1912年 - 1967年12月27日)は、スペインフィゲラス出身の数学者

経歴[編集]

1912年にカタルーニャ地方ジローナ県フィゲラスに生まれた[1]。重度の身体障害を持って生まれ、常に車いすに乗って生活した[1]。父親はバラゲールが2歳の時に亡くなっている[1]。バラゲールと母親はやがてバルセロナに移り住んだ[1]。主治医はバラゲールを過度のストレスにさらすべきでないと助言したため、学校に通ったことはなく、家庭で母親から教育を受けて育った[1]。まずは天文学物理学に興味を示し、やがて数学に熱中するようになった[1]

バラゲールは自力で論文を執筆することができず、バラゲールが口述したものを母親が聞きとって論文を作成した[1]。1938年にはフランス人数学者のジャック・アダマールとコンタクトを取り、バラゲールが執筆した論文が世に送り出された[1]。1955年には母親が死去したため、今度はバラゲールが口述したものをいとこが聞きとって論文を作成した[1]。1960年には修士号を取得し、2年間の学生生活の後に博士号を取得した[1]

その身体的制約のために、その業績に見合った社会的地位(職業)に就くことは困難であり、経済的に苦しい時期もあった[1]。数理科学・医学・自然科学評議会が彼を会員に加えたのは、死去の18日前である1967年12月9日のことだった[2]。同年12月27日に死去した。

死後[編集]

いとこのマリア・イ・マリア・ダルス・アンジャルス・カルボナ・イ・バラゲールは、1983年にフェラン・スニェール・イ・バラゲール財団を設立した。この財団は1991年にカタルーニャ研究院英語版に統合された。1993年には数学界に重要な貢献をした数学者に与えられるフェラン・スニェール・イ・バラゲール賞フランス語版が設立され、第1回授賞式ではイスラエル人数学者のアレクサンダー・ルボツキー英語版が受賞した。

受賞[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k Biography of Ferran Sunyer i Balaguer フェラン・スニェール・イ・バラゲール財団
  2. ^ The Foundation フェラン・スニェール・イ・バラゲール財団

外部リンク[編集]