ファドゥーツ大聖堂
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ファドゥーツ大聖堂 Kathedrale St. Florin in Vaduz | |
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北側の外観 | |
基本情報 | |
所在地 | リヒテンシュタインファドゥーツ |
座標 | 北緯47度08分10秒 東経9度31分22秒 / 北緯47.1362度 東経9.5227度座標: 北緯47度08分10秒 東経9度31分22秒 / 北緯47.1362度 東経9.5227度 |
宗教 | カトリック教会 |
礼拝 | Roman |
奉献年 | 1873年 |
教会的現況 | 大聖堂 |
管理者 | ヴォルフガング・ハース大司教 |
ウェブサイト | www.erzbistum-vaduz.li |
建設 | |
建築家 | フリードリヒ・フォン・シュミット |
形式 | 大聖堂 |
様式 | ゴシック建築 |
着工 | 1869年 |
完成 | 1874年 |
正面 | 西 |
ファドゥーツ大聖堂(ファドゥーツだいせいどう、ドイツ語: Florinskirche in Vaduz)または聖フローリン大聖堂 (せいフローリンだいせいどう、ドイツ語: Kathedrale St. Florin)は、リヒテンシュタインのファドゥーツにあるネオゴシック建築の教会[1]。ファドゥーツ大司教区の中心的な教会である。教区教会として設立し、1997年に大聖堂となった[1]。
中世初期の教会跡を基礎としてフリードリヒ・フォン・シュミットによって1874年に建設された。守護聖人は9世紀のヴィンシュガウの聖人・レミュスのフローリヌス(フローリン)。
ファドゥーツの教区は使徒憲章Ad satius consulendumの中でヨハネ・パウロ2世によって1997年12月2日に設立された。それまではスイスのクール管区リヒテンシュタイン司教地方代理であった。厳粛な儀式が1997年12月12日に執り行われ、ファドゥーツ教区教会はファドゥーツ大聖堂に昇格した。
フランツ・ヨーゼフ2世と妻・ゲオルギーナ・フォン・ヴィルツェクはどちらも1989年にこの大聖堂に埋葬された[2]。エルザ・フォン・グートマンもここに眠っている。
隣家に生まれたヨーゼフ・ラインベルガーが7歳から12歳にかけてオルガニストを務めていた。また聖堂内のオルガン(スタインメイヤー製)は1873/74にかけてラインベルガーによってデザインされた。またラインベルガーの生家は国立音楽学校となっている[3]
脚注
[編集]- ^ a b “Things To Do In Vaduz - Lifestyle Lounge”. Iloveindia. 2013年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月6日閲覧。
- ^ “富豪王族が君主、小さく豊かな国リヒテンシュタイン”. TABIZINE. 2018年5月20日閲覧。
- ^ 『Josef Gabriel Rheinberger Leben und Werk in Bilden』、Carus-Verlag。