ピーター・オニール
ピーター・オニール Peter O'Neill | |
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2013年10月 | |
生年月日 | 1965年2月13日(59歳) |
出生地 | パプアニューギニア 南部山岳州イアリブ=パンギア地区 |
出身校 | パプアニューギニア大学 |
所属政党 | 人民国家会議 |
称号 | 聖マイケル・聖ジョージ勲章三等 |
配偶者 | リンダ・マイ・ババオ[1] |
在任期間 | 2011年8月2日 - 2019年5月30日 |
国王 総督 |
エリザベス2世 マイケル・オギオ テオ・ズレヌオック(代行) ボブ・ダダイ |
在任期間 |
2010年7月 - 2011年7月 2012年2月27日 - 2012年8月6日 |
首相 |
マイケル・ソマレ サム・アバル ピーター・オニール |
ピーター・チャールズ・ペア・オニール(英語: Peter Charles Paire O'Neill、1965年2月13日 - )は、パプアニューギニアの政治家[2][3]。イアリブ=パンギア選挙区選出の国会議員で、人民国家会議の党代表を務める。2011年から2019年まで12代目パプアニューギニア首相を務めたが、そのうち2011年12月14日から2012年8月3日までは正当な首相であると主張するマイケル・ソマレとの二重政府状態であった。
人物
[編集]1965年2月13日に南部山岳州イアリブ=パンギア地区に誕生する。父のブライアン・オニールはオーストラリア出身で、父方がアイルランド系の行政官[4]。母のアワンボ・ヤリは南部高地出身のパプアニューギニア人だった。ブライアンはオーストラリア政府の佐官としてパプアニューギニアに赴任した1949年以来、キアップ(パプアニューギニアの独立前、広範な権限を持って各地を巡回したイギリスおよびオーストラリア政府の代理人)の職業柄トクピシンを習得し、1982年に死去するまでゴロカで行政官を務め続けた[2][5]。
オニールはパンギア小学校・イアリブ高校・ゴロカ高校で教育を受けた。その後パプアニューギニア大学に進み、1986年に会計学と商学の学位を得て卒業した[2][6]。
政界に入る前のオニールは実業家だった[6]。2011年現在で妻のリンダとポートモレスビーに居住し、2男3女の5人の子供がいる。トラビスとパトリックはパプアニューギニアにいるが、ブライアンはオーストラリアの寄宿学校に入っている。ロリスとジョアンはともにオーストラリアのクイーンズランド州にある大学に通っている。
政治経歴
[編集]オニールは2002年の国会議員選挙で当選し、同年大臣に抜擢された[6]。2004年に野党の院内総務に就任し、2007年にはマイケル・ソマレ首相の政府に出納係として加わった[2]。
ソマレが病気療養を理由に政務から退いているあいだ、オニールはサム・アバル首相代行のもとで労働相を務めた。2011年8月、彼はアバルを権力の座から引きずり下ろすため、野党陣営に与した。2011年8月2日、オニールは国会における投票で首相代行に選出され、後日、総督の立ち合いのもと宣誓を行った[7][8]。
8月にオニールが首相として初めて、民間企業相のメケレ・モラウタとともに講じた処置のひとつに、国有企業のインディペンデンス・パブリック・ビジネス・コーポレーション (IPBC) で社長を務めていたグレン・ブレイクの解任があった。政府はブレイクを職権乱用、つまり資金を違法ならびに無分別に使用したかどで告発した。モラウタはIPBCは「秘密の厚いベール」のもと経営されてきたとし、オニール政権は「開かれた公正なIPBCの経営管理が回復される」ことを望むと述べた[9]。
また、オニールは8月26日を「悔恨の日」という新しい国民の休日に定めた。この発表は8月26日のわずか11日前に、最小限の情報をもってなされたに過ぎなかった。「悔恨の日」はアバルが失職する直前にも、同様の考えを持ってアバルに接近していた「教会のグループ」の要望により制定された[10]。
2011年12月12日にパプアニューギニアの最高裁判所が2011年8月にソマレ首相が解任されたことは違法との裁定を下すと、オニールの首相としての地位に疑いが呈された。オニールは正当な首相であることを裏付けてもらうため、総督邸に出向いたが、武装した複数の警察官に阻まれた。国会議長のジェフリー・ナペは、ソマレは「一般人」であって国会議員ではなく、オニールが正当な首相となる状況にあると述べたと報じられた[11]。このためパプアニューギニアはソマレとの二重政府状態となったが、2012年8月3日にソマレがオニール政府を認めたため、二重政府状態は解消された。
2012年2月、オニールは連立パートナーのドン・ポリェ財相を解任した[12]。
2017年8月2日に議会により首相に再任された。
しかし政権運営をめぐって与党内から離反が相次ぐようになり、2019年5月26日に首相を辞任し、ジュリアス・チャン元首相に首相の座を譲る意向を表明した[13]。5月29日、ボブ・ダダイ総督に辞表を提出[14]。5月30日、パプアニューギニア議会はジェームズ・マラペ前金融相を新首相に選出[15]。
2020年5月23日、汚職の疑いで逮捕された。首相在任中にイスラエル製の発電機を不正に調達した疑いがあり、警察は声明で「横領と職権乱用の証拠がある」と説明している[16]。
脚注
[編集]- ^ Essoyan, Susan (2011年11月13日). “First Lady shows off Hawaii's beauty and food at Kualoa lunch”. Honolulu Star Advertiser 2011年11月13日閲覧。
- ^ a b c d Callick, Rowan (3 August 2011). “PNG vote weakens link to Michael Somare era”. The Australian 2 August 2011閲覧。
- ^ Michael Somare's struggle to regain PNG leadership not over, says daughter
- ^ “Muddy succession: An ousting of the grand chief”. The Economist. (6 August 2011) 2011年8月4日閲覧。
- ^ “Service delivery on way”. Highlands Post. (15 February 2006). オリジナルの2012年3月23日時点におけるアーカイブ。 4 August 2011閲覧。
- ^ a b c “Bio-Data - Minister O'Neill”. Papua New Guinea Department of Treasury. 3 August 2011閲覧。
- ^ Blackwell, Eoin (2 August 2011). “PNG chooses new prime minister”. Sydney Morning Herald 2 August 2011閲覧。
- ^ Nicholas, Isaac (3 August 2011). “O'Neill is PM”. The National (Port Moresby) 4 August 2011閲覧。
- ^ "PM cracks whip", The National, 25 August 2011
- ^ "Day of Repentance puzzles Papua New Guinea", Australian Broadcasting Corporation, 26 August 2011
- ^ Rival prime ministers square off in PNG, Australian Broadcasting Corporation, 13 December 2011
- ^ http://www.thenational.com.pg/?q=node/29601
- ^ “パプアニューギニア首相が辞意 閣僚、与党議員離反相次ぐ”. 共同通信社. (2019年5月26日) 2019年5月27日閲覧。
- ^ “Papua New Guinea PM Peter O'Neill formally resigns”. Al Jazeera English. アルジャジーラ. (2019年5月29日) 2019年5月30日閲覧。
- ^ “パプアニューギニア議会、マラぺ前金融相を次期首相に選出”. AFPBB News. フランス通信社. (2019年5月30日) 2019年6月8日閲覧。
- ^ “パプアニューギニア前首相、汚職で逮捕 APRC議長、コロナ保釈へ”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2020年5月23日) 2020年5月24日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 サム・アバル (代行) |
パプアニューギニア独立国首相 2011年 - 2019年 |
次代 ジェームズ・マラペ |