バイオレット・タウン鉄道事故

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バイオレット・タウン鉄道事故
発生日 1969年2月7日
オーストラリアの旗 オーストラリア
場所 ビクトリア州バイオレット・タウン英語版
メルボルンから173km
路線 北東線英語版
運行者 ビクトリア鉄道英語版
事故種類 列車衝突事故
原因 運転士の心臓発作
統計
列車数 2本
乗客数 190人
死者 9人
負傷者 40人
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バイオレット・タウン鉄道事故: Violet Town rail accident)またはサザン・オーロラ英語版の惨事(: Southern Aurora disaster)とは1969年2月7日オーストラリアビクトリア州バイオレット・タウン英語版の約1km南にあるマクダーミズ・ロード・クロッシング (McDiarmids Road crossing) 付近で発生した鉄道事故である。

事故の経過[編集]

南行き旅客列車「サザン・オーロラ英語版」と北行き貨物列車がシドニー - メルボルン間の本線上の新しい単線標準軌英語版区間(事故の7年前に開通)で正面衝突英語版した。この事故で北行き貨物列車の運転士のローレンス・ローズヴェア (Lawrence Rosevear) を含む9人が死亡した。

両列車はバイオレット・タウンの列車交換設備(ここは複線)で行き違いをすることになっていたが、見たところでは旅客列車の運転士が 心臓発作により信号場の5-6km北で死亡したため、旅客列車は停止信号で停止できなかった。旅客列車はそのまま進み続け貨物列車と衝突した。事故当時、両列車の機関車にはATCAWSATPのどれも搭載されていなかったが、vigilance control system[訳語疑問点]は搭載されていた。この装置は列車の乗務員に60-70秒毎にボタンを押すよう要求していた。なお、運転士か火夫/第二者がこのボタンを押すことができた。

事故についての死因審問によると、「サザン・オーロラ」の火夫のM・クルサード (M. Coulthard) は列車が列車交換設備の停止信号を通過する中、緊急操作のボタンを押したとハスラー回転計英語版に記録されていた。

北行き貨物列車の乗務員は接近する旅客列車を見て速度を落とし、接近する「サザン・オーロラ」の乗務員に警告するために前照灯を点滅させた。貨物列車の火夫のアーンフライド・ブレンデック[読み疑問点] (Arnfreid Brendecke) は衝突の数秒前に運転席から飛び降りた。a burning car missed him by approximately one metre.[訳語疑問点]北行き列車の運転士は機関室の中で安全な場所を探した。しかし、彼は火災と爆発で死亡した。

事故の結果、火夫も運転士も警戒心を維持することを保証するよう改良されたvigilance controlが搭載されたが、その後1996年に発生したビアズフィールド鉄道事故英語版が示すように確実 (foolproof) ではなかった。

事故現場では事故後40年経った今でも「サザン・オーロラ」のiconic green windows[訳語疑問点]の破片を築堤に見つけることができる。

事故で大破した2編成 (S314、S316) はどちらもビクトリア鉄道S型英語版ブルドッグスタイル英語版ディーゼル機関車であった。

記念碑[編集]

石のケルンが事故現場に建立されている。

関連書[編集]

外部リンク[編集]

座標: 南緯36度38分00秒 東経145度43分59秒 / 南緯36.6333度 東経145.733度 / -36.6333; 145.733