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ハリー・ポウレット (第4代クリーヴランド公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第4代クリーヴランド公爵
ハリー・ポウレット
Harry Powlett, 4th Duke of Cleveland
第4代クリーヴランド公爵、1862年3月。
生年月日 1803年4月19日
没年月日 1891年8月21日 (満88歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリスロンドンウェストミンスターセント・ジェイムズ・スクエア
出身校 オックスフォード大学オリオル・カレッジ
所属政党 ホイッグ党自由党
称号 ガーター勲章勲爵士 (KG)
配偶者 キャサリン・スタンホープ
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第4代クリーヴランド公爵ハリー・ジョージ・ポウレット: Harry George Powlett, 4th Duke of Cleveland KG1803年4月19日 - 1891年8月21日)は、イギリスの貴族、政治家。ガーター勲章勲爵士(KG)。

出生時の名前はハリー・ジョージ・ヴェイン (Harry George Vane) であり、1827年から1864年まではハリー・ジョージ・ヴェイン卿Lord Harry George Vane)の儀礼称号を称した。

生涯

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1803年4月19日、ハリー・ヴェインは第3代ダーリントン伯爵英語版ウィリアム・ヴェインの3男として誕生した。父のウィリアム・ヴェインは1827年にクリーヴランド侯爵、1833年にクリーヴランド公爵に叙された。

ハリー・ヴェインは1821年にオックスフォード大学オリオル・カレッジへ入学、1829年に学士号(B.A.)を授与された[1][2]。卒業後は外交官となり、1829年に大使館員(Attaché)としてパリへ、1839年から41年まで公使館書記官(Secretary of Legation)としてストックホルムへ赴任した[1][2]。その後1841年から1859年まで南ダラム州選挙区選出の、1859年から襲爵する1864年までサセックスヘースティングズ選挙区選出の自由党所属庶民院議員を務めた[1][2]

1864年、兄の第3代クリーヴランド公爵ウィリアム・ヴェインが死去すると、ヴェインは兄からクリーヴランド公爵・クリーヴランド侯爵・ダーリントン伯爵・バーナード子爵・バーナード男爵英語版などの爵位を継承した[1][2][3]。また同年勅許を得て母方の姓であるポウレットへと改姓し[4]、第4代クリーヴランド公爵ハリー・ジョージ・ポウレットと称した。

クリーヴランドは1865年にガーター勲章を授けられた[5]1866年に初代ラッセル伯爵ジョン・ラッセル第2次内閣第二回選挙法改正をめぐる質疑で崩壊の危機に陥ると、彼は自由党ホイッグ党)と保守党トーリー党)による反改革派の連立政権における首相候補として挙げられた[6]

1891年にクリーヴランドが死去すると、クリーヴランド公爵位をはじめほとんどの爵位は断絶した[1]。ただし従属称号であったバーナード男爵については、遠戚のヘンリー・ヴェイン英語版へと継承された。

家族

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ハリー・ヴェインは1854年8月2日に第4代スタンホープ伯爵フィリップ・ヘンリー・スタンホープ英語版の娘であるキャサリンとケントシェベニング英語版で結婚した[1][3]。二人の間に子供はなかった。

なお彼女は第4代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズの長男であるダルメニー卿アーチボルド・プリムローズ英語版と結婚したが、夫に先立たれていた[1][2][3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward [in 英語], ed. (1913). "CLEVELAND". The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain, and the United Kingdom Extant, Extinct, or Dormant (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, ltd. p. 286. 2012年8月29日閲覧
  2. ^ a b c d e Doyle, James William Edmund [in 英語], ed. (1886). "CLEVELAND.". The Official Baronage of England: Showing the Succession, Dignities, and Offices of Every Peer from 1066 to 1885 (英語). Vol. 1. London: Longmans, Green & Co. pp. 416–417. 2012年8月29日閲覧
  3. ^ a b c Burke, Bernard, Sir [in 英語], ed. (1869). "CLEVELAND.". A genealogical and heraldic dictionary of the peerage and baronetage of the British Empire (英語) (31st ed.). London: Harrison. pp. 236–238. 2012年8月29日閲覧
  4. ^ "No. 22915". The London Gazette (英語). 25 November 1864. p. 5797. 2012年8月29日閲覧
  5. ^ "No. 22958". The London Gazette (英語). 14 April 1865. p. 2040. 2012年8月29日閲覧
  6. ^ Blake, Robert (1966) (英語). Disraeli. New York: St. Martin's Press. p. 439. ISBN 0-19-832903-2. https://books.google.co.jp/books?id=hjUOAAAAQAAJ&pg=PA439#v=onepage&q&f=false 2012年8月29日閲覧。 

外部リンク

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グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
ジョン・ボウズ英語版
ジョセフ・ピース英語版
庶民院議員
南ダラム選挙区英語版選出

1841–1859
同職:ジョン・ボウズ英語版 1841–1847
ジェームズ・ファーラー英語版 1847–1857
ヘンリー・ピース英語版 1857–1859
次代
ヘンリー・ピース英語版
ジェームズ・ファーラー英語版
先代
フレデリック・ノース英語版
P.F.ロビンソン英語版
庶民院議員
ヘイスティングズ選挙区英語版選出

1859-1864
同職:フレデリック・ノース英語版
次代
フレデリック・ノース英語版
G.ウォルドグレイヴ=レズリー英語版
イギリスの爵位
先代
ウィリアム・ヴェイン
クリーブランド公爵
1864–1891
廃絶
イングランドの爵位
先代
ウィリアム・ヴェイン
バーナード男爵英語版
1864–1891
次代
ヘンリー・ヴェイン英語版