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ノート:親鸞/過去ログ1

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Adacomさんのコメント(2003年7月9日 (水) 00:06‎ 投稿分)[編集]

基本の内容として完璧です!Adacom 00:06 2003年7月9日 (UTC)

マイコン坊主さんのコメント(2003年7月11日 (金) 22:42‎ 投稿分)[編集]

インド・中国・日本の仏教へリンクを張りなおしました。booze 22:42 2003年7月11日 (UTC)

浄土真宗では、第十八願にある「五逆(極悪人)を除く」の但書きを削除している?[編集]

浄土真宗では、第十八願にある「五逆(極悪人)を除く」の但書きを削除している。」などの記述は、いいかげん書き込むのをやめましょう。たぶん他宗の法話などで話を聞いて書き込むとは思われますが、完全に間違った記述です。 間違った記述と断定する理由は、本願寺派の聖典である(本願寺派『浄土真宗聖典』(本願寺出版社)大谷派『真宗聖典』(東本願寺出版部)の『仏説無量寿経』に「唯除五逆 誹謗正法」は明記されています。--210.147.5.196 2008年2月12日 (火) 18:00 (UTC)

  • 『浄土真宗聖典(原典版)』P-22より、「設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法」。
  • 『浄土真宗聖典(註釈版)第二版』P-18より、「(18) たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
  • 『真宗聖典』P-18より、(漢文)「設我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃至十念。若不生者、不取正覺。唯除五逆 誹謗正法。
  • 『同』P-18より、(延書)「十八 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。
上記の聖典は、下記のホームページにて確認できます。
  • 上記の聖典を確認しないで、「唯除五逆誹謗正法」の句を浄土真宗は、削除または隠蔽している等の記述はしないようにしてください!反対の意見がある場合は、出典を明記の上、このノートに記述してください。出典を明記しない場合は、編集合戦ではなく、荒らし行為です。--210.147.5.193 2008年2月28日 (木) 20:44 (UTC)

親鸞の生涯‐誕生[編集]

出典の詳細を記入しました。(脚注表示になってます。) Shinsokenさんと干連快さんが、次に編集する時に、出典を明示してください。 「十八公麿(まつまろ)」の幼名は、たしか吉川英治の小説『親鸞』に出てきた名前だと思います。この作品はフィクションが多分に含まれていて検証性の面で疑問があります。--210.147.5.195 2008年2月29日 (金) 20:35 (UTC)

「十八公麿」は、『親鸞聖人正明傳』巻一上に記載されている幼名です。国立国会図書館・近代デジタルライブラリー、佐々木月樵編『親鸞伝叢書』の「30/369」で確認できます。--Resto1578 2010年1月12日 (火) 16:19 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝) に従い、西暦を再編集。脚注を編集。[編集]

Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝) 導入部に従い、西暦を再び明記しました。注意事項・他説など煩雑になったので、それを脚注にしてレイアウトを大幅に編集しました。脚注は推奨されている「脚注の作成方法1」を用いました。--Resto1578 2008年3月6日 (木) 16:32 (UTC)

享年について[編集]

一般に親鸞の享年は90とされる。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#に基づき、グレゴリオ暦の実施日(1582年10月15日)以前はユリウス暦で計算し、日付は1902年12月22日の「年齢計算ニ関スル法律(年齢計算法)」施行以前は日本では満年齢を用いておらず、旧暦で計算しないと正確な享年が得られない為、旧暦による計算としました。--Resto1578 2008年3月27日 (木) 18:13 (UTC) Template:享年を削除しました。--Resto1578 2008年4月7日 (月) 13:12 (UTC)

他のホームページから転載の疑い、この項に直接関係ないと思われる記述[編集]

親鸞をたたえる人々」(現在の節は「著名人の評価」に変更されています)の節は、下記のホームページから転載の疑いがあります。
また下記の記述は、直接「親鸞」に限って評価しているとは思われない記述の為、削除すべきと考えます。
  • 「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ自分というものは、なんという無力なものか何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします。」

棟方志功『板極道』

  • 「私は、ここから浄土真宗的に 国家というものを考え得るかと思う。国家とは、この世において浄土を映すものでなければならない。」

西田幾多郎『場所的論理と宗教的世界観』

  • 「最近の禅の流行にもかかわらず、私にはやはりこの平民的な浄土真宗がありがたい。おそらく私はその信仰によって死んでゆくのではないかと思う。」

三木清『わが青春』

以上の提案に、賛否の意見をお持ちでしたらコメントして下さい。--Resto1578 2008年4月19日 (土) 19:09 (UTC)

    • 上記三点は、上記の理由により削除しました。
    • 内村鑑三の記述は、引用文が改変されていて、異なった内容にされていたので、原文に修正し、注意点を追記しました。--Resto1578 2008年4月30日 (水) 06:32 (UTC)

検証可能性・著作権の問題による、「著名人の評価」の節、削除の提案。[編集]

親鸞をたたえる人々」(現在の節は「著名人の評価」に変更されています)の節は、下記の理由により、検証可能性と著作権に問題があると考えます。
  • 吉川英治の記述は、『蓮如に思う』からの引用とされるが、上記ホームページ以外では、その書籍(もしくは論文)が見つからない。Wikipedia:検証可能性の点から問題がある。
  • 同様に、『讃歌・親鸞』井上靖 も同様に上記ホームページ以外では、検証できない。
  • 杉本苑子・三國連太郎・長島茂雄の記述は、出典元がわからない。
    • 上記の部分は、検証可能性に問題がある。
    • また上記のホームページは、特定の宗派関係のページであり、中立性にも問題があると考えます。引用文も改変されている部分もあり、問題があると考えます。
そもそも、この節自体が「引用先が「主」、引用部分が「従」の関係にない状態であり(引用の要件を参照)、現在の状態(引用文の羅列)では、著作権を侵害している恐れがあるので、節自体の削除をすべきと考えます。

以上の提案に、賛否の意見をお持ちでしたらコメントして下さい。--Resto1578 2008年4月30日 (水) 06:34 (UTC)

 IPユーザー 218.137.224.47の記述は、上記の通り、検証可能性・著作権の問題により削除しました。差し戻す場合は、ノートに正当な意見を記述してください。--Resto1578 2008年5月16日 (金) 19:30 (UTC)

関連項目の編集について[編集]

「関連項目」のセクションから「親鸞学徒」を削除しました。
理由の詳細は、Wikipedia:関連項目を参照のこと。--Resto1578 2009年2月4日 (水) 19:01 (UTC)

「恵信尼との結婚など」のセクションの削除について[編集]

利用者:寂華さんの加筆分を可能な限り残しつつ、「恵信尼との結婚など」のセクションを削除しました。

また、親鸞の生涯については、不明な点が多く研究中であり、断定的表現を箇条書きに改めました。

セクション削除についての理由
セクション「恵信尼との結婚など」として独立させるよりも、セクション「生涯」のサブセクション「妻帯」として記述するほうが、時系列に沿って表記できるため。
今後、その他の事柄が追記された場合も、「妻帯」の前後に起きた事柄を参照できる。
断定的表現の修正
「帰京の理由」、「妻・恵信尼の動向」は、「確証となる書籍・消息などが無く、諸説あり推論である。」と注意書きを付した上で、箇条書きに改めました。また、箇条書きにした諸説について、問題点・注目点を追記しました。
これらの記述は、検証可能性中立的な観点独自研究は載せないの三つの方針を踏まえると、「~の説が有力である」・「~の説が強い」・「そのため、~である(になる)。」などの表現は、避けて記述すべきと考えます。
箇条書きにし、その説の問題点・注目点などを列挙すればよいと考えます。
提案
「肉食妻帯」について、セクションとして新規加筆する場合は、その時期などは「妻帯」のサブセクションにリンクさせて、「肉食妻帯」のセクションは、親鸞がその行動を起こした意義を中心に記述すべきと考えます。

この修正に、疑問・提案・反論がありましたら、以下にお願いします。--Resto1578 2009年2月23日 (月) 19:41 (UTC)

コメント2009年3月1日 (日) 01:19 時点における版の編集に対して、

寂華さんの編集に対する反論。
寂華さんの編集は、この学説の意図(「時間的超越」)を削除したものなので、削除しました。

コメント2009年2月28日 (土) 06:48 時点における版の編集に対して、

法名の名告り
「(法名)と称して」とは、一般に真宗では表記しません。
法名の「釋」の字は、「釈尊の弟子」であることを意味します。よって法名は、弟子になったことを告げる名です。
伝統的にも、「法名を名告る」と言い表します。「名乗る」や「称する」では、法名の意義を考えると問題があります。

重ねてお願いします。この修正に、疑問・提案・反論がありましたら、以下に問題箇所・その理由を記入してください。よろしくお願いします。--Resto1578 2009年3月1日 (日) 18:20 (UTC)

Restoさんの修正、おおむね同意いたします。

しかし「当時のトレンドの伝達時間を踏まえると、東国から京都へ戻ることは、「時代の超越」(東国を現在とみると、京都へ時間が進む事になる)したことになる。その京都の趨勢を確認する事は、著作が後世で通用するか確認できる。そのために帰京したと言う学説です。(大谷大学 准教授 一楽 真の学説)」の表現は、これは宗教用語なのかも知れませんが、私には何のことか全く意味が読み取れません。分かりやすい表現でよろしく修正お願いします。--寂華 2009年3月2日 (月) 00:52 (UTC)

コメントこんにちは、寂華さん。

ノートページでは、他の利用者のコメントの削除はルール違反です。(Help:ノートページ#他の利用者のコメントを参照して下さい。)よろしくお願いします。

寂華さんの質問の回答
当時の政治の中心は、鎌倉ですが、経済・文化の中心地は、京都です。(京都#鎌倉幕府の設置を参照してください。)以下に例を示して説明します。
例 - 言語の伝播
言語の伝播の仕方は、経済・文化の中心地である京都において用いられる言葉が、近隣の地に伝播し、時間をかけ地方に伝わります。その伝播の速度は、機械的伝達手段(テレビ・ラジオなど通信装置)が無い当時は極めて遅く、東国などの地方に到達する時には、中心地の京都ではすでに言葉が変化し、新しい言葉が生まれています。つまり東国で用いられる言葉は、京都で用いられる言葉に対して、古い言葉になります。(柳田國男提唱の「蝸牛考」を参照してください。)
そのことは言語のみならず、思想・経済などのトレンド(傾向、趨勢)にも当てはまります。

よって、東国における思想・経済感覚を「現在」と考えると、京都は「未来都市」です。親鸞が東国から京都へ行くことは、「時代の超越」になります。東国で執筆した『教行信証』が、京都の民衆の思想・経済感覚とずれが無いか確認し、問題点を見つけだして修正すれは、後世にも通用する書物になりうると考え、親鸞は帰京したとする学説です。

上記の説明の疑問点があれば、下記にお願いします。

「分かりやすい表現」による修正は、近日中に行いたいと思います。--Resto1578 2009年3月2日 (月) 21:27 (UTC)

ご説明有り難うございます。「未来都市」「時代の超越」などの表現を使わずに、分かりやすい表現に書き直していただいたらそれで十分です。よろしくお願いいたします。--寂華 2009年3月3日 (火) 09:08 (UTC)

報告 寂華さんのご意見をふまえ、なるべく分かりやすい表現に改めました。

今回の変更に疑問点などのご意見があれば、下記にお願いします。--Resto1578 2009年3月4日 (水) 16:55 (UTC)

分かりやすい表現になりました。有り難うございました。--寂華 2009年3月5日 (木) 10:29 (UTC)

報告 議論の終了にともない、「Template:告知(議論)」を削除しました。--Resto1578 2009年3月10日 (火) 11:17 (UTC)