ノート:親鸞/過去ログ3

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親鸞の幼名「日野忠範」について[編集]

追加情報が必要です

IPユーザー203.175.19.224に、親鸞の幼名「日野忠範」の名が追記されました。

質問
五木寛之の小説『親鸞』以外に「日野忠範」の幼名を検証可能な情報源は存在するのでしょうか?
もしくは小説『親鸞』にその幼名の出典が明記されているのでしょうか?
それともフィクションとしての幼名なのでしょうか?

とりあえず「日野忠範」に「Template:要出典範囲」を貼り付けました。

確認できる方はコメントをお願いします。Wikipedia:検証可能性「出典を示す責任は掲載を希望する側に」に「信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」とあります。一週間ほど様子を見ても小説『親鸞』以外に出典が提供されない場合は、信頼できる情報源が存在しないものと考え、削除します。--Resto1578 2009年8月21日 (金) 12:34 (UTC)

報告

Template:Infobox Buddhistの幼名の欄から「日野忠範」を削除しました。

歴史小説のセクションの五木寛之『親鸞』の脚注に、「五木寛之『親鸞』では、親鸞の幼名を「日野忠範」としている。」と追記しました。

同様に「吉川英治『親鸞』では、親鸞の幼名を「十八公麿」(まつまろ)としている。」と追記しました。--Resto1578 2009年8月30日 (日) 19:56 (UTC)

六角堂夢告の意訳について[編集]

大谷派から出版されている書を典拠とされていますが、これはあまりに超訳、ないしは教義臭が強い現代語訳ではないでしょうか? 「行者宿報設女犯」を「伝統の戒律を、今こそ破らねばなりません」とは取れません。それに個人的には、これが大谷派の統一見解だとも思えません(宗務部から出版されているようですが)。そもそも意訳を試みること自体がPOVの規定に触れるのでは?210.174.33.98 2010年3月16日 (火) 20:38 (UTC)

コメント
意訳については、「女犯」・「被犯」という語について誤解を招きやすく、「戒」であるということを説明する上でも必要であると考えます。
「独自研究は載せない」(WP:NOR)からも二次資料からの引用に頼らざるえないと考えます。しかし高松信英氏の現代語訳は、高松氏自身の見解を多分に含めた意訳であり、賛否があると思います。
また、一次資料である『御伝鈔』は、伝記というよりも教化を重視して書かれた書であるため、内容の奥に教義的な面があります。教義的には、僧俗(道俗)という立場の違いによる、救済の非平等性についての問題などを指摘している事柄です。
そこで、現代語訳がある書籍を列挙してみました。
  1. 瓜生津隆真・細川行信 編『真宗小事典』法藏館、2000年、新装版。P.189「六角夢告」
    「修行者が前世の因縁によって女性と一緒になるならば、私が女性となりましょう。そして清らかな生涯を全うし、命が終わるときは導いて極楽に生まれさせよう。」
  2. 本多弘之 監修『知識ゼロからの親鸞』幻冬舎、2009年。P.29「六角堂夢告の内容」
    「もし、修行者が過去の行いによって不淫戒を破り、女性と関係しなければならないなら、私が玉女となって現れて関係を持ちましょう。そして、生涯修行者の人生を飾り、一生を添い遂げ、臨終の際は極楽に導きましょう
  3. 千葉乗隆『浄土真宗』 ナツメ社〈図解雑学〉、2005年。P.50「親鸞の結婚」
    「仏道を修行する者が、何かの縁によって、女性と結ばれることがあるばらば、わたくし(救世観音)がその女性になりかわり、一生の間、仲よくし、臨終には極楽浄土へ一緒に参りましょう」
「中立的な観点」(WP:NPOV)の上で問題となる記述については、「検証可能性」(WP:V)を満たす情報源による「Aという見解」と「Bという見解」を併記する形式にするのが、NPOVに沿う記述であると考えます。(詳細は、こちらを参照してください。)
上記の書籍の中一点を選ぶのであれば、NPOVの点を踏まえると、編者が本願寺派・大谷派の僧侶である『真宗小事典』から引用するのが好ましいと私は考えます。
最後にお願いですが、ガイドライン「Wikipedia:説明責任」にあるよう、ログインしてコメントしていただきたく存じます。--Resto1578 2010年3月17日 (水) 17:07 (UTC)
レスポンスありがとうございます。上記発言のIPです。
「女犯」という仏教用語が現代においては誤解を招きやすい、という配慮には同意します。しかし、戒律を破る事に積極性を見出そうとするもの、とは少なくとも漢文自体からは読めませんので、敢えて宗教的情熱の篤い現代語訳を選択している点を問題視しました。
個人の意見としては、現代語訳としてWikipediaが採用するならば、宗派の手によるものよりも、仏教学か宗教学か、親鸞を客観視しうる分野の先達のものが本来好ましいとも思うのですが、学者の場合はこれくらいの偈なら一々現代語に訳さないかも知れませんね(^^;
私の発した疑問に対して、代替の現代語訳を示して頂いて、誠に恐縮です。
提示頂いた3つの現代語訳のうち、漢文の直訳に最も近いのは2.)のように思います。しかし「宿報」を「過去の行い」としている点が不十分に思います。
3.)の訳からは不犯の戒律を破ってしまうことになる、というような危機意識が読み取りがたいですね。
我々素人集団のWikipediaの場合、所詮は権威説に準拠するのが無難かもしれません。
ですので1.)を採用することに賛成します。
「女犯」の語から予想される誤解に対しては、「一生之間能荘厳」とあることから、この夢告が一過性の性的交渉を指すのではなく、妻帯について問題にしている点は明らかでしょうから、この夢告が親鸞の公式妻帯に帰結したこと、妻の恵信尼にもその内容を伝えていたことを加筆すればよろしいと思います。
以下のような文でいかがでしょうか。
『日本霊異記』の景戒が告白するように、既に平安時代初期から僧侶の妻帯は黙認される傾向にあったが、それでも異性との性的関係を禁止する戒律に対しての背徳観は存在した。親鸞はこの夢告によってはじめて公式に妻帯し、恵信尼にもその内容を伝えている。--まごまご 2010年3月18日 (木) 09:17 (UTC)
コメント
まごまごさん、こんにちは。ログインしていただき有難うございます。
私も「1.」に変更する事に賛成します。
「2.」の意訳の中でまごまごさんが問題にされた、「宿報」を「過去の行い」とするのは、前世の存在に否定的な大谷派の宗風によるものですね。
「前世の因縁によって」とあるように「宿業」は、前世の存在を肯定的に捉えられる表現なので、脚注に大谷派系の見解を追記するのがいいかもしれません。
他にコメントが無いか、3月25日くらいまで様子を見てから、意訳文を入替えたいと思います。
僧侶の非公式の妻帯については、検証可能性を満たす資料を(持っているはずなのに…)見つけられずに苦慮していました。
まごまごさんに、非公式の妻帯についての記述と出典の明示をお願いしてもよろしいでしょうか?--Resto1578 2010年3月19日 (金) 22:13 (UTC)

Resto1578さん、回答ありがとうございます。話題が一部変わりますのでインデントを戻させて頂きます。
親鸞以前の非公式妻帯に関する資料について、私もあたってみますが、Restoさんに指摘されて、「妻帯は黙認される傾向にあった」という私の文章に問題が多いと気がつきました。

『日本霊異記』を挙げたのは、妻帯者自身が妻帯の事実を告白している資料が他に思い浮かばなかったからです。

ざっとアタリをつけてみた所、国文・歴史畑では『本朝文粋』に収録されている三善清行の「意見十二箇条」(延暦十四年)などが著名なようです。岩本裕『佛教入門』(中公新書)などで紹介されているようで、ネットで調べる限り先ずこれが出ます。しかし、これも「そういう風潮がある」という政治官僚の上奏なので、「黙認・容認」の証拠としては弱く二次的です。

『今昔物語』や『今物語』に収められているエピソードも参考として有力でしょうが、この種の文献は「そういう奴がいた」という説話であって、それが黙認されていた...という文章の典拠となるか、それがWikipediaではどうなのか、新参なので判断できません。

INBUDSで論文を検索してみた所、時宗の一遍に関して妻帯説があるようで、幸いPDFで公開されているものを目にできましたが、「当時はそういう風潮だったんだから、一遍もそうだったろう(資料に出てくるこの女性は妻だろう)」という学説に対する批判でした。どうも学問畑でも、非公式妻帯の容認・黙認については、厳密な実証・検証によるというより、理解の範疇のようです。素人の手に余ります。広く破戒の許容という視点に立てば、『末法灯明記』を挙げればよいのでしょうが、そういう論法はいただけないでしょうね(^^;

親鸞以前にも僧侶妻帯の事実はあったが」という文章に推敲しなおせば、Wikipedia的には『岩波仏教辞典』の「妻帯」の項目、

(中略)日本では早くからこの原則が崩れ、沙弥・聖などと呼ばれる半僧半俗の宗教者が活躍し、平安時代後期には僧でも妻帯する者が多く現れた。親鸞の非僧非俗はこれを公然と表明したものである。

で十分なのだろうと思います。

この点について、Restoさんはじめ皆様のご意見をお伺いしたいのですが、「公式妻帯」と仮に表現してしまう場合、親鸞は在世時は無名に近い存在で、法然門下の浄土宗も親鸞の系譜(浄土真宗)の存在を認めた時期は室町時代まで下がるのであって、「公式」といっても大々的に宣言して当時の仏教界全体の知る所となった訳ではない...というようなニュアンスをどう表現したらよいでしょうか?まごまご 2010年3月20日 (土) 14:33 (UTC)

コメント
まごまごさん、建設的な議論をしてくださり、ありがとうございます。
「在世時は無名に近い存在で、」について
元久元年(1204年)の「七箇条制誡」を叡山に送る際は、百数十番目に署名されているので、無名であったかもしれません。
しかし、元久2年(1205年)4月14日には、『選択本願念仏集』(『選択集』)の書写と、法然の肖像画の制作を許されています。(『教行信証』「後序」)
そして、建永2年(1207年)2月28日には、親鸞聖人は越後への流罪に処されています。
よって、当時無名であったとは考えにくいと思います。僧侶4人が死罪になっている事件ですから、当然流罪に処された親鸞聖人も洛中で名の通った人物と推測できます。
また、親鸞聖人を法然上人の門弟の1人と浄土宗が認めなかったのは、浄土教についての解釈が異なったためと考えます。
本願寺教団が、蓮如上人よって再興されるまでは青蓮院の末寺であったため、室町時代まで無名に近い存在だと考えます。
しかし佛光寺は、元応2年(1320年)に京都渋谷に寺基を移し、隆盛を極めています。覚如上人による本願寺の成立は、一年後の元亨元年(1321年)です。
よって、「在世時は無名に近い存在で」という表現については反対です。
『岩波仏教辞典』P.365「妻帯」を参考文献とすることについては、賛成します。また、同P.800「女犯」興福寺奏状の引用は参考になると思います。
彼岸会法要の手伝い等で忙しく、草案作りまで及ばず反論のみ申して、誠に申し訳ありません。--Resto1578 2010年3月21日 (日) 16:21 (UTC)
Resto1578さん、お手数をかけて申し訳ありません。
どうも、私とRestoさんとでは、親鸞聖人の在世時の知名度とその後の評価の歴史理解にズレがあるようです。これはこれで意義ある議論が可能ですが、このノートの場で拘るべきではないものです。祖師の評価の難しさを象徴するものですね。
現在の「六角夢告」の記述は、この夢告を受けたのちに法然を訪った...というように書かれていますが(伝記そのままな訳ですが)、これでは何のことやら意味が分からないだろう、と思うのです。一宗の祖師としての親鸞、真摯な仏教者としての親鸞、近代的個としての親鸞、いずれの面から見ても親鸞は偉大な巨人ですが、Wikipediaのような場での統一的な合意は難しい。ですので、親鸞の思想面の記述の現状は貧困です。
ノート中段あたりでRestoさんはOkidokiさんと教義面の解釈で長い議論をされていますが、Okidokiさんが「十劫秘事」という歴史的異端解釈に通じる記述になっているのではないか?と問題提起されたのに対して、RestoさんはOkidokiさんを親鸞会の主張(平生業成に関する独特な解釈)を採る方と誤認されて、議論がこじれたようです。
この種の宗教論争を上手に回避しながら、親鸞の記述を充実させていくためには、「少なくとも、このようには言いうる」という抑制的記述を積み重ねてゆく他にない、と私は考えます。女犯偈の現代語訳についてケチをつけてみたのは、そのような意識からでした。
一方でWikipedia利用者は、とくに親鸞のような著名な人物の場合、おそらく小中高校生のような若年層が多いでしょう。妻帯についての記述を特に注意せねばならない、と思った次第です。親鸞はある種の快楽主義者ではあっても、「享楽」主義者ではない、という点を誤解なく表現しなければならない、と私は思います。この点はRestoさんとも合意できるのではないか、と考えます。
さて、それで「僧侶の非公式妻帯」についての草稿ですが、
僧侶の妻帯について、親鸞以前にも『日本霊異記』の景戒などが自身の妻帯の事実を告白しているが、異性との性的関係を禁止する出家者の戒律が厳然と存在する以上、妻帯する僧侶には破戒者としての罪の意識が存在した。最澄が採用した比叡山延暦寺の大乗戒(『梵網経』に基づく)は、戒律としては寛容に過ぎると南都の諸宗から批判されたものだが、それでも『梵網経』は「すべての女性を自身の母や姉妹親族のように思う慈悲の心がなければ罪となる」とし、妻帯畜妾のような個人的関係を禁止している。
法然の専修念仏を明恵は「菩提心を放棄した」と批判したが、これは仏教の救済的側面の当事者であることを断念し、僧侶みずから救済される側に立つことを弾劾したもので、親鸞の六角堂夢告と公式妻帯は、教理面のみならず、実際面からも浄土教の救済の宗教としての特徴を鮮明にするものである。親鸞は妻の恵信尼にもこの夢告の内容を伝えた。
全体の出典としては末木文美士『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』第4章鎌倉新仏教の諸相。親鸞が救済者側であることを放棄した、ととれる箇所については平川彰『仏教通史』(春秋社)のp.257「僧の立場を拒否した親鸞も云々」、村上重良『日本宗教事典』(講談社学術文庫)p138 「非僧非俗とは、出家者としての戒律からも在俗者としての戒律からもみずから離れ去ったという意味であり、仏教本来の思想からすれば、これはすでに仏教者ではないことになる」。梵網経の「」部分は、すいません手前味噌です(^^;
明恵の『摧邪輪』の意義をまとめた部分は、出典を示せと言われると弱る、と言いますか、私にはこのようにまとめる事しか出来ません(^^;皆様のご意見を賜りたく思います。まごまご 2010年3月23日 (火) 12:48 (UTC)
コメント
コメントが、遅くなりすみません。
「僧侶の非公式妻帯」についての草稿について
Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に当ると思います。
もう少し論点を分けた方が良いと思います。あまり1つの文章にまとめ過ぎない方が良いのではないでしょうか?
また、ある種の「快楽」主義者であるということについても、検証可能性を満たす情報源の明示をお願いします。
「Okidokiさんと教義面の解釈で長い議論をされていますが」について
私としては、教義面の解釈の議論ではありません。Okidokiさんの記述についての検証を求めました。
Okidokiさんは、教義論争を求められていたようですが、私は、検証可能性について出典を求めました。確認が出来る出典に基づく記述であれば併記すれば良いと考えます。
その辺を誤解されないようお願い致します。--Resto1578 2010年3月24日 (水) 09:28 (UTC)
Resto1578さん、お返事ありがとうございます。
草稿について、ご指摘のWikipediaルールに抵触する点、これ以上の表現を生むことは私の力量では不可能ですので、私からの提言はここまでが限度です。後は皆様に委ねたいと思います。一応の試案、ということで構いません。
「ある種の快楽主義者」云々について、「女犯」の語が生む誤解を防ぐ、という配慮についての、ノート上での言葉ですので。これについては資料提示の必要を認めません。現状の現代語訳のような形をとるよりも、なぜ僧侶の妻帯が重大な問題となるのかについてバックボーンを記述した方が良い、とそれだけの意味です。これについてさえ資料提示を求められると、議論ができません。文意としては、宿題の調べごとをWikiで済ませようとするような子供に、親鸞はだらしない自分を弁護しようとしただけじゃないよ、と注意すべし、です。親鸞のような著名人の場合、大人はWikipediaなど大して信用しないでしょうから。
なかなか難しく、本文の充実に貢献することが出来ませんが、女犯偈の現代語訳差し替えについて合意が得られたことを喜ばしく思います。まごまご 2010年3月24日 (水) 14:30 (UTC)
報告
他にコメントが無いようなので、意訳を入替えました。
また、本多弘之 監修『知識ゼロからの親鸞』幻冬舎、2009年。P.42「肉食妻帯」に、「妻帯は親鸞が最初ではない!!」、「妻帯は意味のあること」という項目があり、それを出典として追記が出来ればと思います。(他にも出典となるような書籍を探してからになると思います。)--Resto1578 2010年3月25日 (木) 11:34 (UTC)