ノート:美濃白鳥駅

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話題[編集]

長良川鉄道の駅であることと隣の駅を紹介したのみでは、情報を得るために来訪する人が気の毒。路線記事とたいして内容が変わらないようなので、リダイレクトとする。藤井三方 2005年12月26日 (月) 15:54 (UTC)[返信]

書いてみたのですが、このくらいあれば項目として立っていてもかまいませんか。藤井三方さん(小浜線ですか?)がリダイレクトを作成なさった各駅の中にはかなり項目として成立するか微妙なものがあるようですがこの美濃白鳥駅については明らかに単独記事を立てるべきと判断いたしました。如何でしょう。
なお成立が微妙な項目についてなのですが、駅記事というものは、仮に目を覆うようなスタブであっても置いておけばだれかが加筆をしてくれるという性質が確かにあると私は思います。たとえば、私は[1]このような加筆がされたときに大変驚いたのですがこれも記事がそこにあったからなされた加筆ではないかと思うのです。有間川駅はある程度の歴史がある駅でかなり項目として成立しやすい部類に入る駅だとは思うのですが、しかし記事が無くこのIPさんが加筆を考えなかったらきっと永久的にこのような記述はウィキペディアには載らなかったものと思われます。ですから、たとえ書くことのなさそうな駅でもこのようなびっくりするような加筆を期待して一応記事をおいておくというのも一つの手ではないかと思うのです。--Kouchiumi 2006年1月12日 (木) 14:40 (UTC)[返信]

 毎度ご心配をおかけします。美濃白鳥駅については役に立ちそうなページになりましたね。ここまでお調べいただいてありがとうございます。一度見に行って調べて書かないといけないかと思っていましたが、素晴らしい出来で一安心いたしました。  こういうことをやれば、いろいろ波風は立ちますね。ですから、Kouchiumiさんのご意見に納得して矛を収めるべきでしょう。ただ、後の方にはいまいち同意できないのです。奇跡の加筆は、準備なり土台があって起きることだと思うんですよ。その土台がない所まで奇跡を信じるというのもどうかと思います。藤井三方 2006年1月12日 (木) 16:19 (UTC)[返信]

確かにびっくりするような加筆を期待するというのは大変甘い予測の上に立ったことで、藤井さんの仰るとおりですね。
ただ、分量のあまりに少ない駅記事は藤井さんの仰るとおり大変気持ちが悪いので、「早く加筆をしないと閲覧者をがっかりさせかねない」と、そう思うことが確かにあると思うのです。今回の件でも、リダイレクトであった時には投稿しなかった文章であったのを、スタブになった途端に早く加筆をせねば成らない気になって投稿したのでありまして、この点は如何お考えでしょうか。--Kouchiumi 2006年1月13日 (金) 07:59 (UTC)[返信]
読者が求めているであろう情報が百科事典には記してあってほしいと思いますよね。ただ、読者とて他でもいろいろ調べてから百科事典にたどりつくかと思いますので、このような方に相対する執筆者としても事前に十分な加筆の準備が必要ではないでしょうか。しかし、「スタブ」が作成されたことに触発されて、誰かが加筆したとしても、彼が焦るあまりじっくり調査研究をしないままで加筆をするとしたら、むしろその結果は、定義文と隣の駅だけ等というレベルの記事を作った人とほぼ同じということになりませんか。それなら加筆まで間をおいてもいいと思いますよ。藤井三方
定義文と隣の駅だけ等というレベルであっても駅記事は放置しておくと誰かがさまざまな情報を書き込みますよね。それはまさに玉石混淆というか、まあさまざまな情報なのですが、それをいつか誰かが取捨選択してまとめないと記事としての有用性は高くはなりません。
駅記事を執筆しようとする際藤井さんの仰るように多くの準備をしてもそれは一人のすることですからどうしても限りというものが出てしまいます。しかし、先ほどのさまざまな情報の中には稀にではありますが、執筆しようとする人の見逃していた調べなければ成らないこと、それに関するヒントがまざっていることがあるのです。
未完成の駅記事を大量に放置している状況はそれらの情報を待っている状況と言えるかも知れませんが、確かに藤井さんの仰るとおり読み手をがっかりさせてしまうかもしれないというのは大きな問題ですね。読み手をがっかりさせてしまうかも知れないということと有用なヒントが書き込まれるかもしれないということとそれを秤にかけたときどちらが重いものとなるかというのが問題だと思うのですが藤井さんはこれはどのようにお考えでしょうか(たずねてばかりで申し訳ありません)。--Kouchiumi 2006年1月17日 (火) 08:01 (UTC)[返信]
以前とにかく何でも執筆の見込みがあるからということでひたすら削除依頼に反対され続けた方がいましたが、そういうことは、どこかで諦めをつけないといけないと私は思います。一人で準備して記した場合でも、それからどんどん有益な情報が加わっていくのであり、それで私も自分の立てた記事の変化を楽しませてもらっています。

読み手をがっかりさせるかもしれないということを重きを置くかと思いますね。読み手をがっかりさせるというより執筆者があまりに無責任ではないか。自分でそれなりのことをした上で他人に頼るのは仕方ないことですが、情報提供を最初から他人にまる投げしているようなかっこうのページだと、加筆したら前の執筆者の罠にはめられたようで嫌です。藤井三方 2006年1月17日 (火) 16:34 (UTC)[返信]

罠にはめられたようで嫌というのは確かにそうかもしれませんね。
しかしウィキペディアの常に発展していくという性格を考慮すると最初からある程度の完成形を示す必要がそこまであるとも考えられないのです。わずかな情報しか記載されていなくとも「よくない項目」ではなく「未完成の項目」と見るべきだと思うのです(何も記されていない駅記事は「手の付けられていない項目」といったところでしょうか)。
ある程度の読者であればウィキペディアのこの性格についてもきっと判っているに違いないと思いますから未完成の項目があってもそれがウィキペディアなのだと思っていただけるのではないでしょうか。--Kouchiumi 2006年1月18日 (水) 08:54 (UTC)[返信]