ノート:稲作

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日本への伝来ルートについて[編集]

稲作の日本への伝来ルートについて、半年以上も編集合戦が続いております。 改めて、青鬼よしからの合意形成に向けた案を提示いたします。最終的な目的は、この案を記事に反映させることになりますので、記載された内容に問題がないか、皆様のご意見を賜りたく。(過去の提案 ノート:稲作#「水稲の伝来」節の構成について)

今回の案についての特徴は以下の通り (敬称略) 【2016年3月27日に追記】 「よしのぶ」さんが、議論に応じない理由として、敬称を略す行為が失礼にあたることを挙げているため、「よしのぶ」さんだけ敬称をつけました。[3]

  • 1 編集合戦の当事者である「青鬼よし」「よしのぶ」さんの記述ではなく、「Dwy」が2016年2月6日に再編した記述を基本とする。[4]
  • 2 伝来ルートは「よしのぶ」さんが持論の根拠とする「佐藤洋一郎」と「池橋宏」から引用し、『朝鮮半島経由説』、『江南説(直接ルート)』『南方経由説』の3ルートとする。
    • 池橋宏「20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していた」池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62
    • 佐藤洋一郎「イネのきた道について過去に出された仮説は、朝鮮半島経由説、江南説(直接ルート)および南方説の三つにまとめることができよう」「日本のイネの伝播経路」 (佐藤洋一郎) [5]
  • 3 初期の状態は『朝鮮半島経由説』は「よしのぶ」さんの記述を採用する。『江南説(直接ルート)』『南方経由説』は「青鬼よし」の記述を採用する。
  • 4 伝来ルートの表記順は「よしのぶ」さんによる記述を最優先とし『朝鮮半島経由説』を最初に記載する。
  • 補記 「青鬼よしさんが編集したいことを書いているだけのこの文章には明確に反対いたします」などの意見が前回の合意失敗の一端となっていることを反省し、以下の事項を補記として掲載する。
    • 補記1 問題解決に向けて建設的な会話をするため、賛成できない箇所がある場合は具体的な代替案を提示し、第三者が青鬼よしの提示した案と比較検討できるようにする。また、今回の解決方法に賛同できない場合は、具体的な解決案を提示する。
    • 補記2 この項目は稲作の伝来ルートについての合意形成を目的とする。編集に参加するWikipediaユーザーに関する話題を行いたい場合は、別途で項目を設けて、そちらで行う。


=== 日本への伝来 ===

==== 伝来ルート ====

イネ(水稲および陸稲)の日本本土への伝来に関しては、『朝鮮半島経由説』、『江南説(直接ルート)』『南方経由説』の3説がある[1][2]

===== 朝鮮半島経由説 =====

池橋宏は、長江流域に起源がある水稲稲作は、紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上し、朝鮮半島から日本へと達したとしており[2]、20世紀中ごろから南島経由説、長江下流域から九州方面への直接渡来説、朝鮮半島経由説の3ルートの説が存在していたが、21世紀になり、考古学上の膨大な成果が積み重ねと朝鮮半島の考古学的進歩により、「日本への稲作渡来民が朝鮮半島南部から来たことはほとんど議論の余地がないほど明らかになっている」と述べている[2]。これについて広瀬和雄は、「中国大陸から戦乱に巻き込まれた人達が渡来した」というような説は水田稲作が紀元前8世紀には渡来したのであれば「もう成立しない」としている[3]。一方で、藤尾慎一郎は、これまでの前4,5世紀頃伝来説が、新年代説(前10世紀頃)になったとしても、朝鮮半島から水田稲作が来たことには変わりないとしている[4]。また山崎純男は、朝鮮半島から最初に水田稲作を伴って渡来したのは支石墓を伴った全羅南道の小さな集団であり、遅れて支石墓を持たない慶尚道の人が組織的に来て「かなり大規模な工事を伴っている」としている[5]佐藤洋一郎によると風張遺跡(八戸)から発見された2,800年前の米粒は「熱帯ジャポニカ(陸稲)」であり、「温帯ジャポニカ(水稲)は、弥生時代頃に水田耕作技術を持った人々が朝鮮半島から日本列島に持ってきた」と言う[6]。ただし、佐藤洋一郎埴原和郎が『日本人2重構造説』で唱えた稲作が大きな人類集団の渡来を伴ったという説には否定的であり、稲の小さな集団が渡来したと考えている[7]。日本の温帯ジャポニカは中国や朝鮮半島に比べて遺伝的多様性が失われているが、これは渡来時の稲が極少数だったことによるボトルネック効果と推測している[8]。また、池上曽根遺跡唐古・鍵遺跡から出土した弥生米のDNA分析して朝鮮半島には存在しない中国固有の品種が混ざっている事から、朝鮮半島を経由しないルートがあった根拠の一つとしている[9]

趙法鐘は、弥生早期の稲作は松菊里文化に由来し「水稲農耕、灌漑農耕技術、農耕道具、米の粒形、作物組成および文化要素全般において」韓半島南部から伝来したとしており、「日本の稲作は韓半島から伝来したという見解は韓日両国に共通した見解である」と書いている。[10]

===== 江南説(直接ルート) =====

農学者の安藤広太郎によって提唱された長江下流域から直接に稲作が日本に伝播されたとする説[11][12][13]である。考古学者の八幡一郎は「稲作と弥生文化」(1982年)で「呉楚七国の乱の避難民が、江南から対馬海流に沿って北九州に渡来したことにより伝播した可能性を述べている[14]。佐藤洋一郎は、中国・朝鮮・日本の水稲(温帯ジャポニカ)のSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域に存在するRM1-aからhの8種類のDNA多型を調査し、中国にはRM1-a~hの8種類があり、bが多く、aがそれに続く、朝鮮半島はbを除いた7種類が存在し、aがもっとも多い。 日本にはa、b、cの3種類が存在し、bが最も多い。aは東北も含めた全域で、bは西日本が中心であることを発見し、稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になるとしている[15][16][17][18][19]

===== 南方経由説 =====

柳田國男の最後の著書「海上の道[20]」で提唱された中国南部揚子江河口域(江南)からの南西諸島を経由して稲作が日本に伝播されたとする説である。石田英一郎可児弘明安田喜憲梅原猛などの民俗学者に支持されている[21][22]。北部琉球での稲作を示す考古学的資料が出ていないため関心が薄かったが、遺伝子学の発展に伴って、佐藤洋一郎らによって陸稲(熱帯じジャポニカ)の伝来ルートとして再評価されており[1][23]、2008年には、農業生物資源研究所がイネの粒幅を決める遺伝子「qSW5」を用いてジャポニカ品種日本晴とインディカ品種カサラスの遺伝子情報の解析を行い、温帯ジャポニカイネが東南アジアから中国を経由して日本に伝播したとする論文をネイチャー ジェネティクスに発表している[24][25]

脚注
  1. ^ a b 佐藤洋一郎:日本のイネの伝播経路 日本醸造協会誌 Vol.87 (1992) No.10 P732-738, doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.87.732
  2. ^ a b c 池橋 宏『稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 』p62、講談社選書
  3. ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p169
  4. ^ 藤尾慎一郎『<新>弥生時代 500年早かった水田稲作』p34
  5. ^ 広瀬和雄『弥生時代はどう変わるか 歴博フォーラム 炭素14年代と新しい古代像を求めて』p172
  6. ^ 逆転の日本史編集部『日本のルーツがわかる本』p84、p88、佐藤洋一郎「米 日本列島に最初に稲作を持ち込んだのは縄文人だった」
  7. ^ 佐藤洋一郎、イネにおける栽培と栽培化 (PDF)  山本紀夫編『ドメスティケーション―その民族生物学的研究』 国立民族学博物館調査報告 84:119-136(2009), p134
  8. ^ 佐藤洋一郎 『稲の日本史』2002, pp=104-109, ISBN 4-04-703337-5
  9. ^ 佐藤洋一郎、稲のたどってきた道 2001年9月
  10. ^ 趙法鐘ྂ『古代韓日関係の成立 -弥生文化の主体研究についての検討』p55 、[1]
  11. ^ 蔡 鳳書、「山東省の古代文化と日本弥生文化の源流 : 考古学資料を中心として」 日本研究 25, 263-277, 2002-04
  12. ^ 今西 一 「稲作文化と日本人-日本史雑記貼1-」 (PDF) 小樽商科大学 大学進学研究(1984-07) 8巻 2号, p.58 - 61, hdl:10252/5129
  13. ^ 「稲の日本史」著:佐藤洋一郎 角川選書 2002/6 ISBN 978-4047033375, p99
  14. ^ 賀川光夫、『西日本の土偶出現期と土偶の祭式』 別府大学紀要 (Memoirs of Beppu University). No.31 (1990. 1) ,p.1- 10
  15. ^ 平野 智之、飛奈 宏幸、佐藤 洋一郎、『日中韓の水稲品種のマイクロサテライト多型』 育種学研究 Breeding research 2(2), 233, 2000-09-25, NAID 10006112180
  16. ^ 佐藤洋一郎、稲のたどってきた道 at home 教授対談シリーズ 2001年9月号
  17. ^ 「稲の日本史」著:佐藤洋一郎 角川選書 2002/6 ISBN 978-4047033375, P104~p106
  18. ^ 大越昌子、胡景杰、石川隆二、藤村達人、「マイクロサテライトマーカーを用いた日本の在来イネの分類」育種学研究 Vol.6 (2004) No.3 P.125-133, doi:10.1270/jsbbr.6.125, p126
  19. ^ >井澤毅、正村純彦、小西左江子、江花薫子、矢野昌裕、コメの粒幅を大きくしたDNA変異の同定とイネ栽培化における役割の解明 (平成20年度の主な研究成果) 農業生物試験研究所 (PDF)
  20. ^ 『海上の道』 著:柳田國男 岩波文庫 1978/10 ISBN 978-4003313862
  21. ^ 佐々木高明、戦後の日本民族文化起源論―その回顧と展望― 国立民族学博物館研究報告34(2): 211–228 (2009)
  22. ^ 『森の思想が人類を救う』 著:梅原猛 小学館 (1995/03), ISBN 978-4094600704, p178
  23. ^ 東南アジア研究 29巻 3号 田中耕司 マレー型稲作とその広がり[2]358-359ページ
  24. ^ コメの大きさを決める遺伝子を発見!日本のお米の起源に新説! 農業生物資源研究所
  25. ^ Ayahiko Shomura, Takeshi Izawa, Kaworu Ebana, Takeshi Ebitani, Hiromi Kanegae, Saeko Konishi & Masahiro Yano, Deletion in a gene associated with grain size increased yields during rice domestication. Nature Genetics 40, 1023 - 1028 (2008)Published online: 6 July 2008 ,doi:10.1038/ng.169

コメント[編集]

コメント 補記2に関する話題[編集]

何度も言いますが私を呼び捨てにするのは止めてください。「他の人に説明するため」であろうがなかろうが、そのようなやり方は認められません。内容以前の問題です。青鬼よしさんには礼儀を守るようにお願いします。--よしのぶ会話) 2016年3月27日 (日) 00:43 (UTC)

ここは『稲作の日本への伝来ルート』についての合意形成をするためのコメント欄です(補記2に明記)。円滑な議事進行のため、よしのぶさんが問題視している「敬称略」の対象から「よしのぶ」さんを外しましたが、この会話の続きをしたい場合を含め、今後は『稲作の日本への伝来ルート』と関係のない話題は別な場所に記載してください。上記の案につきまして、代替案などがないようでしたら、無理にコメントしていただかなくても問題ありません。--青鬼よし会話) 2016年3月27日 (日) 08:27 (UTC)

青鬼よしさんは、私を「よしのぶ」と呼び捨てにしている事についてまず謝罪すべきです。それからの問題であって、「無理にコメントしていただかなくても問題ありません」などと開き直るような問題ではありません。すでに何度か、呼び捨てにしないように述べており、それをまるで聞かずに何度も繰り返すのは改善の余地が無いということでしょうか?--よしのぶ会話) 2016年3月27日 (日) 12:52 (UTC)

コメント 過去に敬称をつけなかったということで1日ブロックされた利用者がいましたが、ブロックを実施した管理者が解任されたという事例が有ったことをお知らせしておきます。--Vigorous actionTalk/History) 2016年3月27日 (日) 12:59 (UTC)
この件でブロック依頼する事は考えておりません。求めているのは謝罪であり、青鬼よしさんには礼儀を守るようにお願いたいと思います。--よしのぶ会話) 2016年4月12日 (火) 02:31 (UTC)

コメント  ここは、記事の記載内容の検討の場であるので、敬称のあるなしを批判するばではありません。敬称云々のお願いなどは、利用者ページ・ノートでお願いいたします。議論の展開に有意義なコメントではなく、議論の確認にも手間がかかりますので。--Koshi2016会話) 2016年4月13日 (水) 07:25 (UTC)

結審[編集]

第三者へのコメント依頼、および、関係者への告知を行って2か月が経過しましたが、内容についての意義はございませんでした。そのため、提案内容を記事に反映させていたします。--青鬼よし会話) 2016年5月28日 (土) 08:09 (UTC)

他人に対して、嫌がらせのように「呼び捨て」にして、それに対して何度も訂正をお願いしましたが聞いていただけませんでした。そのようなやり方をしながら、「意義はないから」というのは有り得ない話です。それにしても「結審」とは何かの裁判のおつもりなのでしょうか?--よしのぶ会話) 2016年7月4日 (月) 15:51 (UTC)

要検証箇所_20160924[編集]

利用者:Wikinick777会話 / 投稿記録 / 記録さんにより2016年8月29日 (月) 14:02 (UTC)に除去された記述[6]は、有効な出典が明示されている記述と考えられました。このため私の方で検証は必要であることを明示した上で記述を復帰いたしました[7]。記述を除去する際はノートでの議論をお願い致します。--Damena会話) 2016年9月24日 (土) 12:45 (UTC)

Damenaさんの反証をお示しください。科学的な根拠を無視した思想はおかしいと考えております。今の学会の主流でもある朝鮮半島経由で水稲が伝わった形跡がないという内容を歪曲し、朝鮮半島から伝来したという根拠をお示しください。遺伝子的にも、地形学的(2000年前の半島は寒く、土地が痩せこけていたため水稲不可だった。)にもご説明ください。--Wikinick777会話) 2016年9月25日 (日) 07:08 (UTC)

Wikinick777さん、ご返答ありがとうございます。私個人として「稲作は朝鮮半島から伝来した」という思想を持っているわけではありませんが、ウィキペディアでは出典のある記載は可能な限り両論併記するが原則です。もしWikinick777さんが除去した記述を強力に否定する文献があるのであれば、それを明示したいただくことが望ましいと思います。特に「2000年前の半島は寒く、土地が痩せこけていたため水稲不可だった」というのは興味深いです。これの出典があればぜひご提示いただけましたら幸いです。加えて「韓国国内で通説となっていた従来の半島経由での伝播が否定されるため、自尊心が傷つけられるといった影響もあるとみられる」[8]という一文も出典があれば明示すべきと考えます。以上、よろしくお願い申し上げます。--Damena会話) 2016年9月25日 (日) 07:16 (UTC)一部修正--Damena会話) 2016年9月25日 (日) 07:18 (UTC)
記述をコメントアウト内に復帰させた上で、コメント依頼に提出いたしました[9]。コメントアウト内なら問題の記述は表示されないので、無用な編集合戦は防げるかと思います。本項目の現在の記述は長大な議論の上に成り立っていますことをご配慮いただけましたら幸いです。--Damena会話) 2016年9月25日 (日) 22:32 (UTC)

こんばんは。青鬼よしと申します。以下につきましては、独自研究として削除でよろしいかと思います。稲作の伝播の各論の根拠につきましては、上記の議論([10])をご覧ください。提示された学術論文に儒教思想を根拠としたものはございません。以上、宜しくお願いします。--青鬼よし会話) 2016年10月14日 (金) 18:35 (UTC)

しかしながら、これらの反論は主に朝鮮半島から水稲が伝来したことにしたい儒教思想が含まれており、炭素年代測定や遺伝子からも認められている結果を人間の勝手な思想で覆すという危険性もある。近年、このような説が強力に否定される背景には、韓国学者の儒教思想の影響または、韓国国内で通説となっていた従来の半島経由での伝播が否定されるため、自尊心が傷つけられるといった影響もあるとみられる。
青鬼よしさん、貴重なコメントありがとうございます。さらに1週間ほど待って、Wikinick777さんより反論がなければ、コメントアウト部分の復帰と、独自研究部分の除去を実施したいと思います。--Damena会話) 2016年10月16日 (日) 14:44 (UTC)
コメントアウト部分の復帰と、独自研究部分の除去を実施いたしました[11]。--Damena会話) 2016年10月23日 (日) 15:08 (UTC)