ノート:真田昌幸

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


戦国大名か?[編集]

少々気になるのですが、真田昌幸を戦国大名と定義してしまうのは適当なのでしょうか?真田氏が大名化を果たすのは豊臣政権時代であって、豊臣大名であっても果たして「戦国大名」であろうかと疑問が残るのですが。--でここ 2006年10月2日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

上田領及び依田氏について[編集]

本文中に依田氏が真田氏の与力であったような記述がありますが、少なくとも天正壬午の乱以前に依田氏が真田の与力であったことはない筈です。与力になったのだとしたら、徳川に従った時期に調略したときです。また、上田を真田が切り取ったような記述がありますが、武田期より真田の領地として認められていました。また武藤家の養子になったのも、真田が準譜代としての扱いを受けていたこと(上野国箕輪城代に父・幸綱がなっている)や、有力国人の子弟を旗本に召して中央集権化を目指した信玄の方針によるもので(例として山県、馬場、土屋等)個人的籠愛等の理由というのはいささか俗説的だと思います。Nubolari 2006年10月16日 (月) 14:53 (UTC)[返信]

「我が目」と寵愛したというエピソードの部分ですが、わたしが加筆した際にも典拠を調べたのですが、見つからなかったのでそのままにしておきました。どうも人物伝記事、それも戦国時代となると著名なエピソードがただ加筆されてしまう傾向にあって、それが同時代のものなのか後世の説話なのか吟味がされていないように思われます。--でここ 2006年10月20日 (金) 06:27 (UTC)[返信]

編集合戦について[編集]

どうやら編集合戦が起こっているようですが、ノートで少し話し合われてみてはいかがでしょうか?--でここ 2007年2月6日 (火) 07:08 (UTC)[返信]

私は石田三成のノートなどでも、私の書き込みに対する勝手な削除はやめて、議論なら受けて立つと明言しています。しかし、一切返事がなく、他の関係する人物すべてにおいて実力行使で私の書き込みを勝手に削除するという暴挙に出ており、それを私が元に戻している状態です。これは編集合戦ではなく、相手側の一方的な荒らし行為、削除行為です。なぜなら、私の書き込みが歴史的な真実であるということについてはその論拠となる史料に十分な自信がありますし、議論もするとこちらは言っているのですから。このことは管理人さんにも訴えています。これ以上何の返事もないなら、相手の方が俗説を盲信している荒らしと見ていいと思います。

勝手に削除されている方たちへ。自分の不勉強をたなにあげて自分の思い込みと違うからといって勝手に削除しないでください。私の書き込みはすでに白川亨さんが主張しているところです。反論があるならいくらでも議論としてこのノートで受けて立ちます。--歴史研究家 2007年2月14日 (水) 14:49 (UTC)[返信]

素直に歴史研究家氏が出典を明記すればいいのでは?また、百科事典に「自然であろう」という主観に基づいた憶測を書くのはどうかと。------以上の署名のないコメントは、M.souma会話投稿記録)さんが 2007年8月6日 (月) 12:32 (UTC) に投稿したものです。[返信]

憶測ではありません。誰でも知っている歴史的事実をつなげば普通に誰でもそう思うことじゃないですか。それを憶測というなら、史料に明記されていないことはすべて憶測ですか?また、具体的な出典を示せというなら、どの部分についてかを書いてください。まあ、何を書いても、自分の妄想と違うことはすぐに削除する人がいるんで、私の書き込みが残るかどうかは疑問ですけどね。事実、そうなってますし。--以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月7日 (火) 01:41 (UTC) に投稿したものです。[返信]

漬けマグロさんの投稿履歴を拝見しても、削除された記述は見当たりませんが? -- NiKe 2007年8月7日 (火) 01:46 (UTC)[返信]

私は歴史研究家です。IPアドレスを変えたので。-- 利用者:漬けマグロ

は?「誰でも知っている歴史的事実をつなげば普通に誰でもそう思うこと」を、世間では憶測と言うんですが。そもそも、小学生じゃあるまいし「誰でも知っている歴史的事実」「誰でもそう思う」はどう定義するんでしょうか。編集合戦のときは史料がどうこう言っておいて、この件だけは「誰でもそう思う」からOKなんですか?自分のブログならまだしも、百科事典で採るべき姿勢ではありません。逆に史実だという論拠があるのなら、憶測はやめて断定すればいいことです。「~であろう」は推測・憶測・想像の類ですから。--M.souma 2007年8月8日 (水) 21:29 (UTC)[返信]

は?史料で断定形で明記されていること以外はあなたの判断ではすべて憶測なんですか?もちろん明記されていることもありますし、すべてがあなたのいう憶測で書いていることではありません。私がここで書いたことはすべて史料に明記された歴史的事実なんですよ。その上で、そこから導き出されたことについて書いた部分が憶測だというなら、その部分だけは撤回しましょう。そんなのは私が書いたうちの1割もないですけどね。しかし、それなら三成を奸臣だと書くようなことも憶測なんですべて消してもらいたいものですね。あなたがそこまで偉そうに厳正な態度を主張するなら、まず現在書かれている内容にがかなり憶測や誤り(たとえば福島正則や加藤清正と高台院が親密だとか)が含まれていることを認識していただきたいですね。それに、私の書いた事実を執拗に消すという行為が編集合戦とは私は認識しておりません。ただの荒らしですよ。事実、一度も内容について反論なんか受けたことはありませんしね。反論のしようもない事実ばかりですから。ただ単に、昌幸と三成の関係が深かったことや、三成が悪人とされている数々の事件において彼が無実であること、彼らが悪人呼ばわりされるのは家康を正当化する上での江戸時代の捏造であることを事実と史料に基づいて指摘しただけですよ。よっぽど三成=悪人と思い込んでいる人が、反論できないで黙って消し続けていたとしか思えませんよ。こっちは議論なら受けて立つと何度も明言しています。なのに反論できないんだから。

横から失礼します。思うのですけど、「事実」というのは「史料に明記されている」までですよね。史料に明記されていることを「歴史的事実」と判断するにはワンクッションあるわけでして、その価値判断は誰がしたものであるのかを記す必要があるのだと思います。--でここ 2007年8月9日

(木) 15:44 (UTC)

偉そうに厳正な態度を主張してるのは、歴史研究家とかいう輩では?つーか論点がずれてますけど、うやむやにするのが目的なんでしょうか。アナタの語学力では「~だろう」は事実を明示するときに使うんですか?日本語では、推測・憶測の品詞なんですけど。「史料に明記された歴史的事実」だと主張するなら、それについて議論や削除があった際に、主張する側に証明義務があるのは常識です。荒らしたいのが目的なら現状のままで構いませんが、基づいた史料の提示があれば、第三者にも精査が可能になりますし、そうなれば削除されてもリバートしてくれる賛同者も増えるでしょう。私は、三成の人間性や昌幸の関係が史実かどうかなんて論じていません。単にWikipediaのルールに則っていない部分を指摘しているに過ぎません。削除しているのは私ではありませんが、少なくとも百科事典で「だろう」とか書いてある内は、私も削除する側に回ります。「自然であろう」は、単にアナタの個人的な分析に過ぎません。そんなのはブログにでも書き殴って下さい。--M.souma 2007年8月10日 (金) 23:14 (UTC)[返信]

偉そうに「輩」なんて言葉を連ねている人の方が論点をずらしているようにしか思えませんね。誰がうやむやにしているんですか?議論をしようではないか、とこっちは何度も言っているのに。私の書いたことが史実かどうかが最大の論点でしょう。常識を偉そうに説く前に日本語を学んでくださいよ。そんな論点のずれたレベルの低い発言をする人は相手にする気がありません。一回「自然であろう」という表現を使ったことをそんなに偉そうにあげつらうなんて笑っちゃいます。------以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月11日 (土) 10:14 (UTC) に投稿したものです。[返信]

もう一つ書いておきますが、私が出典を書くことを怠っているように書くのはあなたの認識が間違っています。私が出典を示して書いても、黙って削除される行為が過去にあったということを付け加えておきます。だからこそ、私が今後出典を示して記事を書いても、それが保護される保障がない限り、また削除されて徒労に終わる可能性が高いから、その保障が先だと発言しているんです。認識不足もはなはだしいのに、こっちを批判しないで貰いたいですね。------以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月11日 (土) 13:31 (UTC) に投稿したものです。[返信]

何度も書いている通り、史料の明記を求めるなら、私の記事の保護と対になっていなければおかしいです。事実、私の書いた記事のほとんどが愚かな人のせいで勝手に抹消されていますし。保護してくれるならいくらでも明記した上で書きますよ。------以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月10日 (金) 15:01 (UTC) に投稿したものです。[返信]

まず、歴史研究家さん(=漬けマグロさん)の書かれた内容に対して、差し戻しをする人がいる。歴史研究家さんはこれを荒らし行為とおっしゃっていますが、事実の解釈の部分できちんと出典(白川さん?)が明示されていたのか。歴史研究家さんは事実を普通に解釈すれば誰でも至る結論に対しては出典無用と思われているのかもしれませんが、わたしも歴史記事の書き手として思うのは、これには人によって塩梅が異なりそうです。数多くの文献にあたって、どうやら「自明」として扱われているのであれば無用かとも思いますが、定説化していなかったり、異説もあるのであれば、出典明記+両論併記は必要な措置であるかと思います。
わたしも、白川さん(?)の御説に関しては不勉強なので呑み込めない部分もあるのですが、どうも歴史研究家さんは「三成悪人派」が記述を差し戻していると認識されているようですが、M.soumaの応対を見る限りは、事実(史料)の解釈の部分で出典が不明瞭であることを指摘しておられるように思えますし、どうも認識のずれを感じます。上述の論点と、三成悪人説に関する妥当性(?)の議論を分けて考えるべきかと思うのですが、いかがでしょうか?
それと、互いに中傷文句がとびかっていて良く無いですね。まず、これ以上不毛なやり取りが続かないよう、お二方ともWikipedia:論争の解決のステップ2「礼儀を忘れず、冷静に、個人攻撃はしない」あたりを参照されたほうが宜しいかと思われます。それから上記の論点を分離して、しきり直すのが問題解決の路かと思いますが、いかがでしょ。--でここ 2007年8月11日 (土) 14:50 (UTC)[返信]
でここさんの指摘の通りで、私は内容になど言及しておりません。単に「百科事典」を著す者の姿勢を問うているだけです。第三者から見て、動機の違いはあるかも知れませんが、「消されるのも当然」と感じたからこそ、ノートに口出しした次第です。また、中傷したつもりはさらさらありませんが、不快に感じる文言があったのであればお詫び致します。でここさんも、呼び捨てには気をつけましょう。--M.souma 2007年8月11日 (土) 16:50 (UTC)[返信]
あ、ホントだ。「さん」付けがぬけておりました。--でここ 2007年8月12日 (日) 21:09 (UTC)[返信]

でここさんのご指摘についてですが、まず、1、私の書き込みに対して、石田三成と高台院、孝蔵主、真田昌幸らの関係の深さ、逆に高台院と加藤清正一派が疎遠であること、三成が蒲生氏郷を毒殺したとか浅野長政と犬猿の仲だとか、蒲生騒動に関与したとかが誤りであることなど、三成悪人説の間違いを指摘した記事が集中的に削除されており、それ以外の記事はあまり削除されていないことから、私は削除している人は三成悪人説に固執している人だと判断している次第です。2、m.soumaさんが書いた百科事典を著す姿勢についてですが、私は百科事典を著す上において、ハッキリと史料に明記されていること以外書くべきでないというのは単なる個人的意見だと思っております。むろん、厳正な態度であるべきですが、私は人に言われるまでもなく厳正な態度を取っていますし、複数の歴史的事実を結びつければそう結論付けざるを得ないことを書くことが妥当でないとは思いません。そこのところの考え方の違いについてもっと冷静に話し合うべきだと思いますが、「小学生じゃあるまいし」「憶測」「という輩」「ブログにでも書き殴ってください」など、中傷そのものの感情的な書かれ方をされております。また、ましてやそれを「中傷したつもりはない」と言われるのはどうかなと。3、こっちも感情的になったのは反省しておりますが、あくまでも一方的な中傷を受けたことに対抗したものであって、私の方が先に彼を罵るようなことは一度もしておりません。問題点を指摘せずに黙って削除する行為を批判したことはありますが、それで急に感情的になって罵られるとm.soumaさんが削除した人の一人(IPから判断すると、削除していたのは2,3人のようです)なのかなとも思いますし、事実「削除する側に回ります」なんて言われて、なんでこっちが削除から保護される保障もなしに記事を書かなければならないのでしょうか。何度も書いている通り、削除から保護していただくことを保障されるなら、m.soumaさんの望むように出典を明記した記事、当然の結論であろうとも史料に明記されていないことは控える記事を書きます。ただ、当然の結論を書くことを憶測などと決め付けられるのは甚だ心外ですね。史料に明記されてなくても「当然の結論」として学界からも支持されたようなことはいくらでもありますから。4、以上の理由により、現在私は記事を書くこと自体を控えている次第です。--以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月12日 (日) 6:20 (UTC) に投稿したものです(Coleusによる付記)。

「憶測」の何処が中傷ですか?「自然であろう」という日本語は、個人の主観に過ぎません。喩え様々な史料を分析した上であっても、それは「一研究者(自称)がそう判断した」だけです。「史料に明記されていること以外書くべきでない」なんて言っていません。一個人の見解を書くから削除されると言っているだけです。この程度の文意すら読めないから、口汚い言葉を選ばせて頂きました。尚、私は削除したことなどありません。この記事を最初に目にしたのは、ノートに最初に書き込んだ日です。「削除する側に回る」に関しても、「自然であろう」という憶測を続けるなら、と断っております。視野狭窄に陥っていらっしゃるようなので、目に入らなかったのだと思いますが。第三者の私には「当然の結論」とは見えませんし、学会で支持されたから何?って感じですが、消されたくないなら「岳父尾藤頼忠が仲介した。」と記載すればいいのでは?消された状態で保護されてるので、私は現状に満足してますが。--以上の署名のないコメントは、M.souma会話投稿記録)さんが 2007年8月12日 (日) 18:28 (UTC) に投稿したものです(Coleusによる付記)。[返信]

まず、中傷文句は応報を含めどのような場合であれ、控えるべきかと思われます。ノートページは記事内容に関する議論のみを扱う場所であると思いますので。

で、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないあたりの公式方針を参照してみてください。典拠の提示が求められるのは事実(史料)のみではありませんし、史料に何らかの(たとえばそれを事実と判断する)価値判断が加えられた「見解」に対しても典拠が求められるのは、公式な方針であります。これを、あまりに自明のことにまで求めるのとか一文単位での典拠提示が必要であるのかなど、程度に関しては個人的意見の余地があると思いますけどね。

「自然であろう」の表現は限りなくグレーであると感じますが、とにかく読み手から見て、まるで記事を書いた執筆者の見解であるようなニュアンスを感じさせてはまずいわけですよね。事実を記して、誰々によればと誰が事実に関して価値判断を下したのかを明示しておかないと、上記の条件を満たせないであろうかと思われます。歴史研究家さんはご自身の執筆内容には自身を持っておられるようですが、もう一度上記の公式方針に照らし合わせてみてはいかがでしょうか?

これらの諸条件を満たしている記事であれば、削除する理由は記事の内容のみです。まずノートで削除理由を問いかけてみて、それでも削除行為を繰り返すのであれば、ここで荒らし行為と判断して宜しいのかと思われますし、しかるべき場所に報告すれば、適切な対応をしてくれるのであると思いますよ。--でここ 2007年8月12日 (日) 21:09 (UTC)[返信]

(追記)歴史研究家さんのほうの会話ページを拝読しましたが、これらの会話は過去に行われていたのですね。失礼ながら公式方針をご存知ないように思われたのでご忠告と仲裁を試みてみたのですが、どうも同じことを繰り返していた様子。

個人的にちょっと感じましたのが、現実世界といっしょで正しいこと言うのにも穏健でないと反発買ってしまうのですよね。歴史研究家さんは俗説が流布していることに問題意識を持っておられるようですが、Wikipedia:中立的な観点とも関わりますが、例え自分から見て旧説に妥当性を認められなくても、あくまでどちらが妥当であるかを判断するのは利用者なのでありますから、いかにも通説打破を意気込んで書いているような文章であると、反発を受けるんじゃないかと思います。

新説が世間に浸透していくまでは、異説として従に甘んじるくらいの謙虚さが必要なんじゃないでしょうか。世間に受け入れられれば、将来的には堂々と定説として書けるわけですし。--でここ 2007年8月12日 (日) 21:37 (UTC)[返信]

m.soumaさんへ。憶測していないのに私の発言を憶測と断ずること、こっちはあなたの言っていることは理解しているのに、「文意すら読めない」と断ずることがすでに傲慢な中傷なんですよ。「自然であろうというのは憶測なのかと勘違いさせるので、断定調で書いたらいかがでしょう」ぐらいの穏やかな書き方ができないんですか?あなたの言うとおりにしない人はみんなあなたの文意を読めていないとでも言うんですか? でここさんへ。私は中傷されない限り、できるだけ発言を控えたいと思っております。ウィキペディアというところは自分の見解と異なる書き込みは削除することが許されているのですから。m・soumaさんのように自分の考えに反する書き込みなら削除する側に回りますと発言する方がいるところですから。これでは俗説に反することは異説扱いされてしまうだけですね。 俗説の流布に問題意識を持っているというのはその通りです。三成や昌幸に限らず、歴史上の人物が虚像で伝えられることには私は嫌悪感すら持っております。謙虚さが必要というご忠告には感謝いたしますが、私は自分の発言内容が真実であることに自信を持っておりますし、その根拠である史料についても明記したことが何度もあります。反対意見があるなら議論しようではないか、と何度も発言しているのは自信があるからです。内容以前の問題で書き方が断定調でないから云々と言われていますが、そういう書き方は穏健でないと判断したからであって、それがいかんというなら、もし今後発言することがあったら断定調で書きます。--以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月12日 (日) 23:48 (UTC) に投稿したものです(Coleusによる付記)。[返信]

アナタがどう感じようと、中傷じゃありませんよ。アナタの発言から、客観的に文意を読めていないと判断した為、そう書いた次第です。「あなたの言うとおりにしない人はみんなあなたの文意を読めていない」という発言をしてることからも、それが判ります。私の言う通りにしろなんて言ってませんし、でここさんは「私の言う通り」にしてませんが「文意を読めていない」なんて思ってもいません。「自分の考えに反するから削除する」とも言っていません。これも文意を読めていない証拠ですね。でここさんの言う通り、「Wikipediaに反するから」です。「ブログにでも書き殴って下さい」と先述したのは、このことを指しています。演繹過ぎて理解できなかったようですが。--以上の署名のないコメントは、M.souma会話投稿記録)さんが 2007年8月14日 (火) 01:42 (UTC) に投稿したものです(Coleusによる付記)。[返信]

文意が読めていないと偉そうに断定するのがすでに私に読解力がないと中傷していることになるんですよ。私の書き込みにwikipediaに反することなどがあるとすれば「断定調で書いていなかった」「出典を記していない書き込みがあった」の2点でしょ。それについてはもう答えているじゃないですか。文意を理解していますけどね。自分を批判されるとそうやって逃げて堂々巡りにするんだから。あなたの理解力がないだけで、全然客観的じゃないですよ。主観でしょ。全然私の答えになってないし。内容の議論ならともかく、先に進まない話はもう相手にしません。--以上の署名のないコメントは、漬けマグロ会話投稿記録)さんが 2007年8月14日 (火) 06:21 (UTC) に投稿したものです(Coleusによる付記)。[返信]

まずは落ち着いて、ノートの議論に必ず署名するようにお願いします。コメント依頼を見て来ましたが、議論の流れが分かりませんでした。--Coleus 2007年8月17日 (金) 04:14 (UTC)[返信]


署名を追加して、皆さんの議論を読み直してみました。私には、漬けマグロさんとM.soumaさんがお互いに傷つけ合っているようで、この状態では合意形成は難しいと感じました。この状態で割り込んで、解決の手助けになるかわかりませんが、ちょっと整理するのに付き合っていただけませんか?まず現状を確認すると:

  • 漬けマグロさんの加筆に関して編集合戦となり、現状は削除された状態で保護になっている。
  • 加筆内容に対して、①出典がない、②「自然であろう」という表現がおかしい、との指摘があった。
  • 漬けマグロさんは、別記事で編集合戦となったとき、「出典を示した」にも関らず結局は対立した人に強引に削除された(と漬けマグロさんが感じた)経験がある。今回も同じようになることを危惧していて、「出典を示せば削除から保護される」という保障がない限り、出典を示す記事を書くこと自体を控えている。

ということでよろしいでしょうか? さて、ウィキペディアのシステム上、漬けマグロさんが望むような「削除から保護される」というような保障は難しいと感じます。保障できないことを前提にすると、保護解除のための妥協の可能性としては

  1. 漬けマグロさんが加筆自体を控える。
  2. このノート上で、漬けマグロさんに出典を示していただいたうえで、編集合戦の対象となった文章の表現方法について合意形成をはかる。

のどちらかに思えます。漬けマグロさんとしては、どちらを望まれますか? --Coleus 2007年8月17日 (金) 07:36 (UTC)[返信]

coleusさんへ。問題点を客観的に整理していただき、ありがとうございます。1、まず、私は編集合戦とは思っておりません。ただの荒らし行為だと認識しております。なぜなら、私の書き込みに対して何の問題点や理由を示すことなく、終始黙って削除するという行為は卑怯極まりないことであり、ウィキペディアにおいても許されない行為だと思っているからです。私自身に限らず、誰かのコメントが一方的に黙って削除され、それを書き込み主が元に戻すという行為が繰り返された場合、削除する方に非があると思います。削除するからには、理由をきちんと発言するべきですし、それをウィキペディアが是とするなら、それは間違いであると思いますし、結果的にそれが許されている現状に失望しております。2、私の言っている保護というのは、「黙って削除することを禁じる」、言い換えれば「削除するならちゃんと反論を行い、議論をする」ということです。理由を示さずに削除されたのでは、反論のしようがないですし、何度も「内容に不満があるなら議論をしよう」と呼びかけても、黙って削除という行為がなくなることはなく、そのため私も元に戻す行為をしたのです。その点については、過去の履歴でわかるでしょうし、私が人の書き込みを削除する時には必ず理由を書いていることは、例として豊臣秀次のノートを読んでいただければわかると思います。3、以上により、「黙って削除することを禁じる」措置を行わない限り、私としては新たな書き込みに消極的です。あまりにひどい俗説に対して訂正するとかの一部は別ですが(真実に程遠い俗説は真の歴史理解のために葬るべきだと私は思っています。どれほど俗説のために正当な評価を受けない歴史上の人物が多いことか。誤解のないように断っておきますが、ウソであると認められた状態で俗説が存在することは否定しませんし、その俗説が後世に与えた影響まで否定する気もありません)。4、ただし私は自分の書き込みの内容が正しいということについては十分な史料的、過去に発表されていた研究などの裏づけもあり、自信を持っておりますし、私の書き込み内容についての議論を挑まれるなら、それは受けて立ちます。ただし内容以外のことについてはもうあまり書きたくないです。m・souma氏に合わせてしまったレベルの低い言い合いはもうしたくないですし、ウィキペディアで書いても書いても削除されるのにまだ黙って一から書き直すほど暇じゃないですし、自分の研究を加えた本でも別に書いて発表した方がマシだと思っております。以上、長文失礼しました。漬けマグロより。
それでは、乱暴な解決策ですが、このページへの加筆を取り止めませんか?漬けマグロさんに「加筆を止める」とハッキリ宣言していただければ、この項目の議論はストップできます。合意形成したということで、保護も解除できます。
これは「私が間違っていた」と宣言して欲しいわけではありません。漬けマグロさんも書かれているように「レベルの低い言い争い」を止めるベストの手段に思えます。
なお、ウィキペディアでは「対話拒否」する人は「荒し」です。そんな人の編集から記事を守るために、投稿ブロックやページの半保護・保護などの対策が準備されています。この対策を使えば、漬けマグロさんのご希望は適うと思います。ただし、この対策を発動するためには、当事者ではない第三者にも誰が対話拒否しているか分かるように、非常に丁寧に対話を呼びかけたり説明したりする努力が必要です。このページの議論を見ていると、それだけの努力を重ねるよりも、書き込み自体を止めるほうが、漬けマグロさんに溜まるストレスが少ないように想像しました(勝手な想像で気に障ったらすみません)。--Coleus 2007年8月17日 (金) 10:48 (UTC)[返信]

加筆を取りやめることには同意しますが、それにはいくつかの誤解を解いてほしいと思います。1、私は丁寧に対話を呼びかける行動を十分すぎるほど繰り返しました。直接削除した人のマイトークやノートにまで「勝手に削除しないでください。記事の内容に異議があるなら議論しましょう」という書き込みを10回以上行っていますが、一度も返事が来たことはありませんでした。その意味で、私の努力不足ではないということを主張しておきます。おそらく、興味を持った方が履歴をさかのぼって調べていただければ、これがウソではないことが証明されるはずです。2、私は自分の書き込みを荒らし行為から保護してもらえるよう、投稿ブロックなどで訴えましたが、編集合戦という喧嘩両成敗のような愚劣きわまる裁定を受け、それが私のウィキペディアおよび管理人の方々に対する信頼を決定的に損ねたという事実を指摘しておきます。3、このまま三成悪人説や真田昌幸が向背常なき小悪党だとか伊東甲子太郎が新撰組から薩摩へ裏切ったなどの俗説が流布され続けるような現状に深い危機感を抱いている私としては、ウィキペディアが多くの人に読まれ、その記事内容が信頼されがちであることを考えると、失望の一方で、真実を載せることでそれが多くの人に認知され同時にその記事が削除されない方法がないものかとも思っており、このページでの加筆取りやめ宣言が決して永久にウィキペディアで書き込みを行わないということではないことをお断りしておきたいと思います。漬けマグロ。

了解しました。いろいろお考えがあるとは思いますが、ひとまずこのページの議論は区切りをつけましょう。これから7日ほど様子見して、実際に落ち着いた状態が続けば、私から保護解除を依頼するつもりです。--Coleus 2007年8月19日 (日) 23:36 (UTC)[返信]
保護解除の依頼を出しました。--Coleus 2007年8月27日 (月) 23:17 (UTC)[返信]

正室について[編集]

昌幸正室について、柴辻俊六『真田昌幸』を見てみました。昌幸の正室については確実なことは言えないと前置きされているのですが、まず諸説として菊亭晴季娘説、宇田頼忠娘説を紹介し、柴辻氏はどちらも否定的な見解を示しています。その次に確実性の高い説として、『沼田記』に拠る武田家臣遠山右馬助娘説を挙げています。この遠山右馬助という人物自体が未詳であるらしいのですが『軍鑑』に数カ所登場する記述からは昌幸にもっとも近しい立場であり、柴辻氏はもっとも可能性が高い説として推しています。本文のテンプレでは宇田頼忠娘説を主として菊亭晴季娘説を補助的に紹介していますが、柴辻氏の見解とは相違がありますよね。正室の問題について、他の研究者の指摘はありますでしょうか?真田・長野県地方史はわたしにとって手薄なので、ご存じの方がおられましたら、情報をお寄せください。--でここ 2009年3月25日 (水) 15:17 (UTC)[返信]

「尾張藩石河系図」には、昌幸と石田三成と石川一宗の正室が宇多頼忠の娘であることが明記されています。三成の三女の辰姫が津軽信牧の妻となり津軽信義を産んでいること、三成の次男重成の子孫杉山家が津軽家の家老になっていることから、津軽家には相当詳しい史料が残っています。これらについて意図的にウソを書くメリットがないこと、一方それ以外の説は江戸時代に書かれた真田家関係の史料であることから見て、他の説は真田家が徳川家の敵だった三成の縁戚であることを隠すために書かれたウソである可能性が高いのではないでしょうか。なお、菊亭晴季の娘説が誤りであることは晴季と真田信之の年齢から見ても、結婚当時の昌幸の身分から見ても明らかです。--漬けマグロ 2009年3月30日 (月) 12:23 (UTC)[返信]

漬けマグロ様。宇多頼忠娘説の根拠情報、ありがとうございます。ただ、具体的にそれを指摘している文献情報であるとか、真田氏研究の側からその指摘を受けた研究があるかどうかなどの情報はありますでしょうか。私の挙げている柴辻文献は96年の出版ですが、それ以降で昌幸の妻妾関係に言及している論考があるのかどうか、私のほうでも把握できておりません。

いちおう断っておきますが、この議論は昌幸正室についてどの説が最も妥当とするべきかを議論するものではありません。あくまで典拠文献を提示して情報を寄せ合って、研究史を把握した上でそれぞれの説をどう扱うかを考えていく議論にするべきであると考えます。

柴辻文献の宇田頼忠娘説のほうを見ますと、典拠には近江の「石田氏系図」を挙げ、昌幸正室が宇多氏娘であることは確定できないものの、慶長5年の石田三成文書に、真田氏と石田氏、それを介在した宇多氏の交流があったことを紹介しています。ただ、柴辻氏は婚姻時期を考えると昌幸と宇多氏の間に接点が見出せないという点を指摘し、この説に否定的な考えを示しています。

柴辻氏は上記の通り、あくまで可能性の話として控え目に遠山氏娘説がもっとも自然であるとしています。柴辻氏は信頼の置ける武田氏研究者であると思いますし、柴辻文献は昌幸評伝や真田氏文献において定本の位置を占めているとは思うのですが、ただ私自身が周辺文献を参照できていない状態なので、遠山氏娘説を主として、宇多氏娘説、菊亭晴季娘説を従として扱うべきであるのかどうか思いとどまっている状態です。

というわけで、漬けマグロ様には宇多氏娘説の典拠文献を、もし真田研究に詳しい方がおられましたら、柴辻文献以降で妻妾関係に言及している論考があるのかどうか、伺いたいです。--でここ 2009年3月30日 (月) 14:58 (UTC)[返信]

「津軽家旧記伝類」に載っているのは三成の妻が宇多頼忠の娘であることであって、私の記憶違いです。昌幸の妻がそうであることの典拠は「尾張藩石河系図」の方でした。石河(石川)家は真田家とは縁戚で、そのために内部文書である同書に記録が残っていたものです。それが書かれているのは白川亨氏の「石田三成とその一族」(新人物往来者刊)です。したがって私の上の書き込みも訂正しておきます。白川氏は、真田家の公式系図に客観的理由であり得ない菊亭晴季の娘説を書いた根拠は三成と縁戚であることを書きたくなかったからという以外に理由が考えられないことを主張しており、私も同感です。遠山氏の娘ならそう書けばいいのですから。たしかに「石田氏系図」にも書いてありますね。私は真田家にも興味があって詳しく調べたことがあるのですが、学習研究社の歴史群像シリーズの昌幸や信繁をとりあげた回などにも昌幸の妻(信繁の母)についての論考があります。それの中に、宇多頼次を頼忠の息子という誤認をしているために真田昌幸の娘お菊が宇多頼次の妻になったのを、もし山手殿が頼忠の娘なら頼次とお菊は伯父姪の関係になってしまうから山手殿は頼忠の娘ではないという誤った結論を出しているものがありました。実際には頼次は頼忠の甥(尾藤知宣の息子)であり、お菊との結婚が、たとえお菊が宇多頼忠の外孫だとしても異常な近親婚ではないということも付記しておきます。--漬けマグロ 2009年3月31日 (火) 03:51 (UTC)[返信]

漬けマグロ様。詳細な出典情報の提供、ありがとうございます。ただ、お話を伺っても宇多氏娘説を最有力とするには、やや疑問が残るのように考えます。たとえば、柴辻氏の指摘している婚姻時期に宇多氏と真田の間に接点はあったのかなど点は説明されているのでしょうか。また、白川氏の論考を受けた真田研究側の反応があるのかどうかも、気になるところです。

私の印象としては、昌幸正室の問題に関しては研究動向が流動的でどの説を最有力とするべきかと判断できる段階ではないと思います。とりあえずテンプレ上では「山之手殿」であるとだけ記して、脚注として宇多氏娘説以下を列記する状態が適当であるものと考えますが、いかがでしょうか?--でここ 2009年3月31日 (火) 14:49 (UTC)[返信]

このウィキペディアの宇多頼忠の項をごらんください。もともと頼忠は遠江の豪族で、武田信玄、勝頼の支配を受けており、婚姻時期の接点についても詳しく書いてあります。私は全く流動的ではないと思っております。どうも学者は学者以外の著書を読まない傾向が強く、白川氏の研究についてもご存じない方が多すぎます。おそらく柴辻氏もご存じないのではないでしょうか。でここさんも他の方も一度白川氏の著書を読んでみてから信頼できる著述かどうかお決めください。

--漬けマグロ 2009年4月1日 (水) 19:12 (UTC)[返信]

なるほど、婚姻時期の接点についても、白川説ではきちんと説明できるのですね。

ただ、相も変わらず私は白川説を主としてしまうことには問題が残るのではないかと考えます。私は冒頭でこの議論は昌幸正室の問題についてどの説が妥当であるのかを判断するものではないと言いましたけど、私が知りたいのは白川説の妥当性ではなく、それが定説となっているかどうかの点です。白川氏の著作を読めば宇多氏娘説が妥当だと思うのかも知れませんけど、白川説を定説とする理由が、個人的にもっとも妥当だと思ったから、ではまずいわけですよね。

おそらく白川説が知られていないというのは、たとえば『信濃』であるとか、専門の長野地域史や真田研究の論考が発表される場に出された論考ではないからではないでしょうか。私はけして白川説の妥当性に問題をもっているわけではなく、白川説が定説として受け入れられていることが確認できないかぎりは、たとえばテンプレでそれを主として扱うのはどうだろうか、と考えているわけです。

90年代初頭くらいの古い話ですが、武田氏研究において武田氏の姓「武田」はそれまで山梨県韮崎市の地名に由来するとされていたのですが、90年くらいに茨城県の研究者からそうではなく茨城県勝田市の武田郷に由来するものであるという新説を提唱しました。これは『勝田市史』において発表されたもので、現在山梨県史研究においても定説として受け入れられているのですが、私がもし90年の段階で新説に触れていたら、どんなに確信を持とうと旧説が定説である状況が続いている限りでは、「武田の姓名は茨城県の武田郷」に由来するものである」と断定的には書けません。その後、山梨県の市町村史や武田関係の諸本で定説として扱われていることが確認できてはじめて、現在ではこれが定説として扱われている、と書けるわけです。

同様に昌幸正室の問題についても、たとえ白川説がもっとも妥当性があり定説として扱われるべきものであるとしても、まだそれをwikipediaにおいて書くには時期尚早であると私は考えるのですが・・--でここ 2009年4月2日 (木) 07:55 (UTC)[返信]

定説化していることでないと書くのは時期尚早というのは異論があります(学者が興味を持つこと以外は定説であるかどうかが論議されることがそもそもほとんどありませんから定説が定まることがないですし、どんなに妥当性が高くても定説化されていないものは断定的に載せるべきではないというのは納得できません)。念のために書いておきますが、私が個人的に興味を持っていることかどうか、どう考えているかというのとは別の話です。個人的な意見でいうと、私は誰の意見でも妥当性があれば認めます。だから他人の意見や記述に対して肯定する時も否定する時も論拠はきちんと述べているつもりですし、意見が違う方とはいくらでも議論をするつもりでいます。またどちらとも言い切れないと判断した時には沈黙して特に人の意見に異を唱えたりはしない主義です。でここさんの態度は異論のあることは定説として書くべきでないという厳正な考え方なのかもしれませんね。ただ、そうなると実は定説化していることって全ての記述の中の割合としてかなり少ないと思うのです。このウィキペディアの他の事項の記述全てにそこまで厳正な考えが貫かれているのかは疑問があるのですが。それでももしでここさんが書き直すとおっしゃるなら、せめて「宇多頼忠の娘説が最有力である」ぐらいの書き方は最低でもして欲しいと思います。--漬けマグロ 2009年4月4日 (土) 01:38 (UTC)[返信]

おそらく、以前に指摘したことがあると思うのですが、wikipediaは必ずしも正しいことを書ける場ではなくて、独自研究不可や出典明記、検証可能性など諸条件を満たしていないといけません。ですから私は冒頭でこの議論は昌幸正室の問題について妥当性を論じるものではないと断っておきましたし、我々wikipedianに求められるのは諸説のうちどれが妥当であるかを判断することではなく、研究動向を見渡してみて、どの説が「妥当とされている」かどうかを判定することです。

漬けマグロ様からは白川説の情報をいただき同書では問題なく宇多説が妥当で「あること」が説明されているのだと思いますが、白川説が問題なく受け入れられているのかどうかは不明です。白川氏につて調べてみましたが、専門研究者とは若干立場の異なる人であるようですし、だから信頼できないとは思いませんが、氏の言説について信頼性を確認できる情報があるのでしょうか。昌幸の妻妾問題を扱っているのはまず専門の真田氏研究であるとか長野県地方史の学界であるでしょうし、まず参照すべきなのはその世界の文献であるべきでしょう。白川氏が長野県地方史研究に関する何かしかの研究誌に論文を発表されていて評価されている人物であれば御説に関しても信頼性がおけるであろうと判断できますけど、現時点では白川氏の言説についてそこまでの信頼はおけないのではないでしょうか。

漬けマグロ様はもしかしたらアカデミズムに対して批判的であるのかもしれませんけど、たとえば柴辻氏などは早稲田図書館で古文書整理を長年に行っておられた人物で武田氏研究はあくまでライフワークとして行っていたわけで、「学者」さんであるとは言い難いでしょう。氏が武田研究について研究史をまとめている文章を読んだことがありますが、専門文献や論文だけではなく、大河ドラマ便乗本のような雑書もちゃんとフォローしています。実証的ではなく特筆すべきものは少ない、と書いておられましたが。

わたしは山梨県地方史記事の執筆のため地方史研究の世界を見渡していますが、漬けマグロ様のおっしゃられるような閉鎖的な雰囲気を感じることは少ないです。郷土研究誌に発表される論考というものも玉石混淆ですし。わたしには、アカデミズムが在野の研究者の見解を無視しているのではなく、白川氏が専門学界に所属して論考を発表しを査読を経ていない(のかどうか知りませんけど)ことが問題であるように思えるのですが・・--でここ 2009年4月5日 (日) 12:01 (UTC)[返信]

アカデミズムに批判的というか、専門学界に所属していないと問題だという考え方に批判的ですね。そういう考え方があるから専門外の学者が優れた研究を発表したり、作家などが妥当性が高い説を唱えたりしても締め出されてしまう(なかなか認められない)傾向があるのです。でここさんの周辺には幸いそのような雰囲気はないのかもしれませんが、たとえば戦国時代の研究でも、横山住雄氏や藤本正行氏の研究が認められるには長い年月がかかりました。ずるいことに、反論の余地がない研究に対しても、それが専門の学者でない人から出されると、最初は無視しておいて、何年も経ってから自分の論文の中にそれを取り込むという形で認めていくのです。すぐに「誰々の研究に賛成である」というような肯定的な反応が出ることはまずありません。真田氏関係で言えば隆清院の存在と経歴についてなどがそうです。学者全体を批判しているのではなく、そういう視野の狭い(在野の研究家などから自分の専門分野に口を出されることを嫌う)学者が多いということです。
もう一度書きますが、もし学界から認められたこと以外は定説化して書くべきでない(あるいは全ての説または有力な説を並列して書くべき)というなら、他の分野のことはいざ知らず、ウィキペディアの全ての歴史関係の記述のかなりのパーセンテージを削るか直さなければならないでしょう。このことだけそこまで厳正な態度にするというのはすでに公平でないと思うのですが。追記:柴辻氏の経歴は存じませんでしたが、武田信玄関係の論考を以前読んだことがあります。学芸員とか、広い意味での学界に属する方だと思っておりました。柴辻氏個人に対して批判する気は毛頭ありませんが念のため。--漬けマグロ 2009年4月7日 (火) 13:23 (UTC)[返信]

漬けマグロ様。わたしは白川氏の研究スタイル自体には問題を感じておりません。氏が在野の研究者として活動なされていて、発表されている諸論考に対して漬けマグロ様が「優れた研究」と判断なされていることには何ら問題は無いと思うのですが、それをwikipediaにおいて最有力として扱うべきかどうかには、問題があるものと考えています。

なぜならばwikipediaの原則のひとつには「検証可能性」があります。漬けマグロ様の提示なされている白川文献を用いれば、昌幸正室の問題について宇多氏娘説を最も妥当であるべきとする説が存在することは確認できますが、宇多氏娘説が最有力と考えられているかどうかまでは、検証できないのではないでしょうか。宇多氏娘説を最有力と言い切るためには、白川説が真田研究において受け入れられている評価情報が必要であると考えます。対して私の提示している柴辻文献を用いれば(本当はもっと文献採集しないといけませんけど)、94年時点ではありますが昌幸正室の問題について「定説は存在しない」ということは検証可能です。

私はアカデミズムを信奉しているわけでもないとは思うのですけど、しかし専門研究の世界のほうが研究者や言説の信頼性に関しても担保できるし、wikipediaにおいて扱い易い構造にはなっていると考えます。在野の研究は扱っていく場合に信頼性を担保できる情報がなく、「そういう説がある」としか記せないと思いますし、やっぱり在野研究者の人たちも専門学会で発表して査読を受けてくれれば、wikipediaにおいても扱いやすいのに、と考えるわけです。

漬けマグロ様にお伺いしたいのですが、白川氏の研究について、それが信頼に足るものであるかどうかを検証しようとした場合に出典情報が出せますでしょうか。自分がそう思ったとか読めばわかるではなく、評価情報が拾いにくい在野の研究について、客観的に信頼性を担保できる方法がなければ、白川説については扱いにくいものであると考えます。もちろん、将来的に専門研究においても妥当性が認められてくれば、何の問題も無いのですが。

「学界から認められたこと以外は定説化して書くべきでない」とは、その通りなのではないでしょうか。何か記事を執筆する場合に文献収集を行いますが、情報を総合していく課程で優先順位が高いのは、やはり信頼性が担保されている専門文献になるでしょう。個人的に正しいと思ったし、読めばわかるはずといった視点は独自研究に抵触するものであると考えます。

「学界から認められたこと以外は定説化して書くべきでない」とは、本来的にはそうあるべきでしょうか。どうしてこの記事だけそこまで精査するのかと、漬けマグロ様のおっしゃられる不公平感は、そういう風に考えられることもあるのかと衝撃でもあるのですが、それは、記事が一通り出そろった印象のある日本史分野において、次に目指すべき段階ではないのでしょうか。--でここ 2009年4月7日 (火) 16:22 (UTC)[返信]

客観的に信頼性を表すために、私は白川氏が論拠として挙げた一級史料(当代記、言継卿記、梵舜日記など)についても書きました。ちなみに国立国会図書館などでそれらの原典も読みました(もちろん全部ではなく、特に関心を持った部分についてだけですが)。私自身、すぐに白川説を受け入れられなかったですからね。ところが私が読んだ限りでは、白川氏の指摘に誤りはありませんでした。だから信頼できると思いましたし、自信を持って奨めることもできるのです。事実として学界や研究者から白川氏の説に対する否定意見は一つも出たことがありません。その説を全く知らないか無視しているような記述なら山ほどありますが。
不公平感は当然あります。有名な歴史小説や「名将言行録」あたりから引っ張ってきたような信頼できる史料による裏付けがない記述とか、テレビ番組の珍説を受け売りしたような記述(たとえば大谷吉継が秀吉の隠し子だとか)が、結構削除もされずに残っているのもありますからね。それに山手殿=宇多氏説は全く何もないところから白川氏が最初に言い始めたわけではなく、このことに関心がある人なら皆その説があること自体は知っているはずで、独自研究には当たらないでしょう。
私はアカデミズム全体に批判的なわけではありません。しかし白川氏だけに限ったことではなく、たとえば古代史における梅原猛氏のように、遥かに専門の学者より説得力がある説に対して学界が否定する理由も挙げずに単なる異説扱いしている現状には非常な不満を持っています。
ここまで話してきて、このことに関しては正直私とでここさんの考え方は平行線だと思います。あまりノートページのスペースを取り過ぎるのも申し訳ないので、この辺でいったんピリオドにしませんか。もしでここさんがご自分の考え方に基づき、書き直すというならよほどどうしても納得できない記述がない限りそれを尊重します。ただ、もしできることなら白川氏が指摘した論拠について、備考の形でもいいので書いておいて頂きたく存じます。--漬けマグロ 2009年4月7日 (火) 19:08 (UTC)[返信]

寺島隆史「昌幸の妻妾」『真田昌幸のすべて』(1999年)を見てみました。寺島氏は上田市立博物館館長で真田氏研究者でありますね。寺島氏によれば、昌幸正室の諸説は江戸時代に真田家家臣河原氏によってまとめられた『寒松院殿御事蹟稿』に拠るものであるようです。真田家では菊亭氏娘説を採っているので『御事蹟稿』でもそれを第一にし、ほかに正親町家娘説、宇多氏娘説を挙げている、とのことです。寺島氏は菊亭晴季娘説は否定していますが、菊亭家、正親町家に関係する娘が信玄養女を経て昌幸正室になっていた可能性を考え、信玄養女の候補者選定に晴季が関わっていたため誤伝が生じたのではないか、と推測しています。柴辻氏と同じく、不確定な状況のなかで強いて有力な説として挙げるのであれば、というニュアンスですけど。

宇多氏娘説については関ヶ原における昌幸と三成の関係から生じた誤伝であとうと退けていますし、やはり白川氏説のみをもって宇多氏娘説を妥当とするのは無理があるように思います。--でここ 2009年4月22日 (水) 04:42 (UTC)[返信]

1999年の刊行では、白川氏の発表以前ですから、そういう結論なのかもしれません。2009年現在、少なくともこの1,2年ぐらいに発表された本でないと、「無理がある」という結論を出す参考にするのは不公平だと思います。--漬けマグロ 2009年4月22日 (水) 07:21 (UTC)[返信]

この議論に関して、私はもう「定説は無い」ものとして記述することが最も妥当であると結論に至っています。真田氏の専門研究者二名が、昌幸正室の問題について明確な定説を出せない状態である見解を示していることは、非常に重いものと受け止めます。白川氏の説はおそらく三成研究の付編というかたちでしょうし、白川氏の諸説についても、私は客観的評価が未確定であると考えています。漬けマグロ様、「個人的に信頼に足るものであると思った」では客観的な信頼性は確保できるものではないと考えます。

漬けマグロ様のもっておられる問題意識はとても重要なものであると考えますが、問題意識をもったままwikipediaの編集に参加されてしまうと、問題があるように思います。我々wikipedianがどのような問題意識を持つのも自由であると思いますが、いざ編集に参加する場合は諸原則に基づかなければならないわけですし、抱いている問題意識と折り合いを付けなければなりません。漬けマグロ様が白川氏の見解を世に広めたい意志をもっておられるのであれば、wikipediaはあまり適さない媒体のように思えます。wikipediaは、厳密に言えば「真実」や「事実」を書ける場所ではありません。あくまで諸条件に基づいて、「事実、真実とされている」ことを検討して記述していくわけですから。

もし我々が神の視座を持っていて、白川氏説がもっとも妥当であるという真実に迫れるのだとしても、それを記述するには時期尚早であると考えます。「定説が無い」ものとして扱うのはいちばん無難な線であると考えるからで、研究動向が更新されれば、すぐにでも検討し直されてしかるべきであると考えます。漬けマグロ様、真田研究の進捗を待ちましょう。これで納得していただきたいのですが、いかがでしょうか。--でここ 2009年4月22日 (水) 11:25 (UTC)[返信]

定説がないという結論には全く納得はできません(最新の研究で定説がどうなっているかを10年も前の著書で判断されるのはやはり間違っていると思います)が、でここさんのお考えは尊重します。上でも書いた通り、宇多氏説の根拠などについて備考という形でもちゃんと載せて頂ければそれでかまいません。また私は白川氏や他の人の見解を世に広めるという意図で編集をしているわけではありません。どこかの人が私を罵って書いたような三成信者などでもないですし。俗説で不当に扱われている人に公平な評価を与えて欲しいと思っている、それだけです。それを信者というならある意味で私は江藤新平や伊東甲子太郎や中岡慎太郎や真田昌幸に対しても信者かもしれませんが、彼らを絶対的な正義などとするつもりは毛頭ないですし、短所に目をつぶるつもりもありません。また自分の独断で偏った意見だけを取り上げているということもありません。史料に裏打ちされたことだけを取り上げています。その辺は誤解しないで下さい。上でも書いた通り、納得はしていませんが、これ以上ノートページのスペースをとるのはやめましょう。--漬けマグロ 2009年4月22日 (水)

漬けマグロ様。私は最新の定説がどうなっているのかを結論づけたわけではありませんよ。最新の定説は、文献収集を引き続き行う必要性はあるでしょうけど、現在のところ我々の間では把握できておりません。昌幸の妻妾というテーマは、地方史研究の末端のようなものですし、そうコンスタントに研究が更新されるものではないでしょう。ただ、10年前の典拠情報であっても、わたしは十分「近年」のものであると思いますが。ですからwikipediaにおいて採用すべき妥当な線はどこか考えると、90年代段階の定説はないものとして扱うのが適当であると思います。ここ10年くらいの真田氏研究における諸論考で昌幸妻妾に関して触れられているものをご存じであれば、情報をお寄せください。

漬けマグロ様は白川氏の説を紹介するという条件で手を打たれるとのこですけど、正直言いまして、私は白川氏に対して海のものとも山のものとも知れない印象を持っています。まず著作を読んでみろと思われるでしょうけど、読んでいない人間に対しても信頼に足るべきかどうかを判断できる材料が、客観的評価であると思います。柴辻氏や寺島氏だったら、専門学界で発表された論文がこれだけあるとか、学術系出版社から著作を出しているとか、これだけ引用されているとか、そういう実績を挙げることが可能でしょうけど、在野の三成研究者が発表した三成研究の付編というかたちでは、私は採用するのは慎重であるべきと思います。

漬けマグロ様の編集姿勢について言及したのは少々失礼でしたが、漬けマグロ様の編集がちこちで議論を及ぼしている原因はここにあるだろうと考えて、敢えて指摘させていただきました。--でここ 2009年4月22日 (水) 20:02 (UTC)[返信]

その程度の引用すら認めないというなら、断固抗議します。あと、読まないうちに海のものとも云々というのはあまりにも一方的かつ独善的だと思いますが。白川氏の論文は学習研究社の「歴史群像シリーズ」などにも論考が載っていますし、それなりの実績はあります。他にも反論したいことは山ほどありますが、これ以上スペースを取るべきではないと思うので遠慮します。--漬けマグロ 2009年4月24日 (金) 08:20 (UTC)[返信]

漬けマグロ様。もし本項の執筆がわたしと漬けマグロ様の個人的な事業であるのなら漬けマグロ様のおっしゃる線で手を打ちましょうとも言えるのですが、わたしはwikipediaの執筆とは極めて公的なものであると考えています。ですから、いくらスペースを取ろうが合意に至るまで議論は続けるべきであるし、私的な感情で特定の説に拘泥すべきではない。また、どちらか譲歩するとか、そういう解決の仕方も好ましく無いように思います。

漬けマグロ様。「歴史群像」や新人物往来社の本が玉石混淆であることは、改めて説明する必要も無いと思います。両者の出版物にはきちんとした経歴を持つ研究者も執筆していますが、有象無象の歴史研究家、作家、ライターなども共同執筆していて、出典情報のとして用いるにはかなりグレーゾーンに属すると思いますし、本当に信頼に足るかどうか、著作を「読まなくても判断できる」ような客観的評価情報が必要であると考えるわけです。

白川氏の説を扱うかどうかですが、取りあえず漬けマグロ様との間では「白川説の宇多氏娘説が定説であるとは言い難い」ところまでは合意が得られていると思いますし、私の方では宇多氏娘説を最有力として扱う記述を改めて、諸説を並列化する編集までを行うことにします。白川説を紹介するか否かですが、私は白川氏は少なくとも長野県地域史・真田氏研究の範疇外の人で信頼性も不明という認識ですから、宇多氏娘説の代表的論者を白川氏であるとする説明は記述できません。あくまで90年代段階の研究史を基点とする編集を行います。

ですから、その上で漬けマグロ様が白川説を記述したいのであれば、合意段階を崩さないことを前提で編集を行ってください。個人的には、それは諸原則に当てはめて問題を内包しているだろうなと思いますし、もし疑問が発生した場合は漬けマグロ様が責任を持って、対応なさってください。このあたりを、この議論の幕にしたいと思います。

ところで、wikipediaにおいては問題が発生したら「記事を分離する」という解決方法があるようです。漬けマグロ様も、個々の記事に白川説の断片を織り込むことにこだわるよりは、「白川亨」を記事として立項なされてみてはどうでしょうか。--でここ 2009年4月26日 (日) 22:26 (UTC)[返信]

玉石混淆というならでここさん自身が認めているように、長野県地域史についても、同じことが言えると思います。また、並列するだけというのは合意しておりません。あくまでも「宇多氏説が有力」という記述が条件です。その点から編集させていただきます。--漬けマグロ 2009年4月27日 (月) 08:24 (UTC)[返信]

漬けマグロ様。この期に及んでこれまでの議論をひっくり返す発言、行動をなされていることに、卒倒する思いです。いったい何のために今までこの問題を考えてきたのでしょうか。正直、わたしはもう疲れてしまいました。この件につきましては手を引かせていただきます。--でここ 2009年4月27日 (月) 10:25 (UTC)[返信]

私の言っていることは首尾一貫しています。1、山手殿=宇多氏説は白川氏の独自研究ではなく、史料的裏付けや証拠も充分で、特に異論を唱える余地がない。2、学界的に定説化はされていないかもしれないので、他の説を紹介することには反対しないが、「宇多氏説が最有力である」という記述と、その論拠、出典などについても明記して欲しい。3、そのことさえクリアするものであるなら、誰の編集に対してもこの点については同意する。以上です。でここさんの編集は最有力であるという記述がないのでその点について編集した次第です。--漬けマグロ 2009年4月28日 (火) 06:40 (UTC)[返信]

この問題について、Wikipedia:コメント依頼でコメントを仰いでみました。--でここ 2009年5月5日 (火) 01:44 (UTC)[返信]

コメントノートを一通り読みましたが、長すぎる上にアカデミズム云々まで議題が拡散しては応じきれないというのが、率直な感想です。現在の記事本文に絞って意見を言います。

  • 「宇多頼忠の娘が最有力」とは、誰による見解ですか。現在の記述だと、柴辻・寺島両氏が宇多氏説を最有力とみなしているように読めます。そうでないのなら「宇多氏説最有力」の出典を添えて書き直して下さい。記述に疑問を寄せられてからノートに出典情報を明かすのではなく、最初から、記事本文に出典を書いて下さい。出典を明記するをもう一度読み返すことをお勧めします。
  • 現状の書き方では、宇多氏説が学界で最も広範な支持を得ているかのように読めます。逆の言い方をすると、宇多氏説が学界の主流でないのなら現在のような書き方は不適当です。現在の記述を維持するなら、真田昌幸の正室に言及する最近の書籍や論文の少なくとも過半において宇多氏説が支持されていることが、必要と思います。それを示せないなら書き換えが必要でしょう。

ノートを読んだ限りでは、諸説を並列に解説するのが現状最も妥当な気がします。その際に諸説の論拠を出典に基づいて述べ、どれが説得力を持つかは読者に任せるのがよいと思います。白川亨氏については、その著作を出典として提示することに特に不都合は感じません。ただし白川氏の著作のみをもって「宇多氏説最有力」と書くことには反対です。--Arawodas 2009年5月5日 (火) 16:32 (UTC)[返信]

Arawodas様、ご意見ありがとうございます。白川氏についてですが、たとえばプロの武田氏研究者である丸島和洋さんのHPにある文献目録を見ても論文や著作が収録されていませんし、柴辻論文・寺島論文はじめ白川説を意義あるものとして引用している文献を確認できず、わたしは正直海のものとも山のものとも知れない印象をぬぐい切れません。宇多娘説は白川説に触れなくても芝辻・寺島論文で確認できますから、あえて触れる必要もないだろうと考えます。

さて、この件については、わたしはもう議論の余地はなく、漬けマグロ様が納得なされるかどうかであると考えます。コミュニティに訴えれば、ブロック措置など強硬な手段で漬けマグロ様の見解を退けることもおそらく可能であると思うのですが、そういうことはしたくないので何とか漬けマグロ様のご理解を得られることを祈るばかりです。もうしばらくしたら、記述を戻そうかと思います。--でここ 2009年5月29日 (金) 16:27 (UTC)[返信]

「海のものとも」云々という記述をろくに読まずに一方的に断定しているでここさんの見解には全く納得できません。丸島さんという人は単に存在を知らない(または白川氏の著作が武田氏とは直接関係ないと思っている)だけではないですか。プロの研究家でも、戦国時代の全ての著作に目を通すというのはかなり難しいでしょう。でここさんに再三言っている事ですが、でここさんもArawodasさんもまず読んでからその内容の信憑性についてお決めいただきたいと思います。このことに限らず、私は充分な史料的な裏づけがあるものであれば、学界で認められている、いないにかかわらず載せる価値はあると考えます。逆に学界で認められていようとも史料的な裏づけがないこと(たとえば、かつて桶狭間の戦いが奇襲戦だったことが充分な検討もないまま定説化されていましたが、信長公記の記述に基づく藤本正行氏の指摘によって覆されたことがあります。これは信長を研究するプロの学者が信長公記をちゃんと読んでいなかったとしか考えられず、こういう点からも、学界の定説というのは小説などの影響が無批判に受け入れられていて、意外と当てにならないケースがあります。三成で言えば高台院や淀殿との関係がそれでしょうし、昌幸もその信義に厚いところがあまり描かれず、一般的なイメージとして利害に敏感で狡猾な人物という描かれ方がされているケースが目につきます)は載せるべきではないと思います。もう一度書きますが、白川氏の主張について、きちんと論拠を書いてくだされば、並列化することに反対はしません(学界的に定説化されていないという点においては私の最有力という書き方が適当でなかったかもしれませんが、でここさんの書き方では、白川氏の論拠が文献的に非常に信憑性が高いことが全く伝わらないので、編集させていただいた次第です。海のものとも云々というのではトンデモ説扱いではないでしょうか)。また、宇多氏説自体は白川氏の指摘を除いても非常に有力であり、遠山氏説の方が有力と考える論拠となる文献的な裏付けは非常に乏しいと思います。これで単純に並列化するべきという考えが私には理解できません。編集されるなら、でここさんには記述を単純に元に戻すのではなく、その点についてご配慮願います。

漬けマグロ様、ご指摘の諸点はすでに過去に反論を行っています。
>このことに限らず、私は充分な史料的な裏づけがあるものであれば、学界で認められている、いないにかかわらず載せる価値はあると考えます。

けっきょく、この部分がわたしが漬けマグロ様の見解を認めがたい根本的な要因であるようです。「十分な資料的裏付けがあるかどうか」を我々が判断してしまえば、それは独自研究に抵触します。漬けマグロ様は系譜資料について一次資料であるから問題無いだろうとおっしゃられますが、系譜資料は一次資料ではありませんよね。武田氏だと近年系譜資料研究が行われていますけど、系譜資料は基になった諸資料があって、何かしかの意図があって成立した編纂物ですから、記載内容をどう理解するかは誰かの判断を経なければなりません。誰が見ても同じ結論に至る自明の理というわけではないと思います。

白川氏の説については、漬けマグロ様もご不快でしょうから、あまり繰り返しません。ただ、「宇多氏娘説が白川氏の指摘を除いても非常に有力である」については、まったく事実と異なります。柴辻・寺島両説を総合して、昌幸正室の問題についてはどれが有力であるという見解は存在しません。
これは強調しておきたいところなのですが、わたしの編集した記述は、あくまで最も安全だと柴辻・寺島両説の90年代後半以降ラインです。それ以降の研究については未把握な状態ですし、白川氏が成立する余地だって残されています。漬けマグロ様はご不快に思われるだろうなと思いつつも「海のものとの山のもとも知れない」と記しましたが、白川説が十分に受け入れられて、宇多氏娘説が有力であると確認できれば、記述を改めるか検討する余地があるものと考えます。ただ、現状ではそうではありませんよね。けっきょくのところ「自分で読んで判断する」以外に白川説の妥当性を検証する方法がありませんし、それは独自研究です。認められるものとは思えません。--でここ 2009年5月30日 (土) 02:43 (UTC)[返信]
白川氏の著作を読んでみました。確かに時間軸としては一応説明が付いています(やや断定的な気もしますが、個人の書き方の問題でしょう)。その一方、正室に関して高野山蓮華定院に残る記録の「武田信玄公養女」とされた点に関してノータッチ(名門武田氏が宇田氏の娘を養女とする理由がない)・『小県郡御図帳』にある寒松院の領地が「京之御前」と記された点にも記述がないなど、信濃史学会に認められるためにはまだ論拠が不足しているようにも思えます。
また、現時点では寺島氏らが『石田系図』や『滝川十郎家記』を元にした「宇田頼次に昌幸の娘が嫁いでおり、頼次の姉妹が石田三成に嫁いでいると言う関係のため、真田氏との関係が混乱したが、三成の手紙も昌幸の娘婿である『宇田河内守頼次』を主題としたものは現存するが(正室宇田説なら昌幸の義父となるはずの)『下野守頼忠』に関しては付記に近い」「正室宇田氏なら頼忠は初代松代藩主信之の祖父になるはずだが、頼忠が自害した事に関して真田家の反応・記述がまったくない。一方、頼次に嫁いだ昌幸の娘については再婚の記録がある」と言う点に関しても合理的な反論とはなりえません。
これは個人的な感想ですが、漬けマグロさんが“プロの研究家でも、戦国時代の全ての著作に目を通すというのはかなり難しいでしょう。”と言うのは白川氏にも当てはまりそうです。石田氏や津軽氏に関する研究はすばらしいと素直に感服いたしますが、真田氏に関する史料はどこまで読まれたのかに多少の疑念が残る著述内容でした(もっとも、主題とはなれた真田氏に関してそこまで調べる理由もないわけですが・・・)。
結論として、「近年白川亨により~と言う説が提出され、いくつかの疑問について合理的な説明は付いた」と言う程度なら問題ないと思いますが、「宇多氏説が最有力」とするのは『信濃史料』も含め、上記史料などと照らし合わせてみても反対です。--210.132.173.231 2009年5月30日 (土) 06:21 (UTC)[返信]

でここさんが、再三私が一読を奨めているにもかかわらず、私が不愉快になることを百も承知の上で「海のものとも」云々という言葉を使うのは、白川氏の著作を全く読みもしないで故意に無視しているということであり、私に対する意図的な挑発行為です。それでどうして納得してほしいと言っているのか、理解に苦しみます。それはでここさんの勝手な判断基準で編集しているということであり、公平な態度ではありませんよ。せめて210.132.173.231さんのように一読してから発言されるなり編集することを再度強く希望します。210.132.173.231さん、私には論拠が不足しているという指摘がわかりませんが、おっしゃる通り「戦国時代の全ての著作に目を通すのは難しい」というのは誰についても言えることです。だからこそ、互いに説を知らないということがありますから、我々が勝手に「誰も白川氏の説を相手にしていない」などと考えるべきではありません。事実として誰も真っ向から白川氏の説を否定していない以上、でここさんの「海のものとも」などと勝手に信頼性を否定するようなことは間違っています。仰る通り、「近年白川亨により~と言う説が提出され、いくつかの疑問について合理的な説明は付いた」という記述があれば私も納得できます。ただ、何もそういう記述がないまま、ただ並列させるというのは反対なのです。--漬けマグロ 2009年6月1日 (月) 02:38 (UTC)[返信]

漬けマグロ様。わたしが白川氏について「海のものとも・・」と記したのは正直な印象ですから、漬けマグロ様がご不快に思われてもこの点は弁明の仕様がないのですが、ただ、わたしはけして白川氏について否定的なわけではありませんし、挑発的意図など毛頭ありません。わたしが問題視しているのは、白川説について価値あるものであるかどうかは客観的に把握することができないこと。たとえば丸島さんの目録を提示したのも、白川氏の御説が価値あるものであるとすれば専門研究者の目録に引っかかっているであろうと思いますし、真田関係の専門論考などで引用されていてしかるべきです。

これも挑発的意図ではないことをお断りしておきますが、わたしは相変わらず白川氏の著作について、目を通しておく必然性を感じません。もし、白川氏の著作を読んで、わたしがこれが妥当な見解だと思ったとしましょう。しかし、それでもその見解が問題無く受け入れられているかどうかが不明な状態では、少なくとも「最有力」として扱うことには賛成できないでしょう。その理由が独自研究への抵触であることは、前述しました。

話は変わりますけど、わたしが携わっている山梨県地方史の世界でも、こういうことはありますよ。新説が提示されてはいるものの受け入れられているかどうかが不明な状態であったり、そもそも文献化すらされておらず、「確認待ち」の状態で記事に反映させられない情報というのが結構あります。

210.132.173.231様には白川説について確認された上での検討をしていただいて恐縮なのですが、210.132.173.231様のおっしゃられるように白川説が合理的説明のつく価値あるものであるとすれば、いずれどこかで引用されることがあるでしょうから、わたしとしてはそれが確認できてから特筆すべきものとして本文に反映させるべきである、が本心で相変わらず諸説を並列に扱い典拠情報は柴辻・寺島論文のみとすべきだと思っていますが、漬けマグロ様が白川説を紹介することを条件に宇多氏娘説を「最有力」とする点に固執しないとおっしゃられてくれるのであれば、今回はその線で手を打とうと思います。本当はこういう妥協の仕方はすべきではないですけど。--でここ 2009年6月1日 (月) 06:47 (UTC)[返信]