ノート:栄養素/Meltbeen氏の議論

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投票がWP:NPOVを覆しているか[編集]

ノート:栄養素#採決に関して で提案された投票が Wikipedia:中立的な観点 に反しているかどうかご意見を募ります。

明確となった対立点
健康科学・栄養学に立脚した編集方針と生物学的に立脚した編集方針。前者はヒト中心の編集における取捨選択を含むのにたいして、他の利用者の健康科学・栄養学以外の観点での編集方針とが決定的な対立点となっている。
相互に妥協の見込みがないこと:相互の提案に関して編集方法に関して、上記の審議で合意点が見いだされず時間切れとなった。
投票内容
選択肢として記事「栄養素」の編集方針を募り、多数決投票で決する。最も多数の支持を得た編集方針を対立点解消の為の合意事項として遵守することといたします。
最多表となった選択肢
選択肢3 「健康科学・栄養学を中心とした内容は(仮称)栄養素 (栄養学)に分割する。したがって、健康科学・栄養学を中心とした栄養素のトピックスは原則として分割した記事に統合するものとする。仮称については投票後に決定する予定とする。」

コメント者に予断を与えないために詳細な背景説明は省きます。よろしくお願いします。

この下にコメントをお願いします[編集]

えーと、昔九州王朝説で議論をしたことがあるのですが、その時のポイントは非主流学説をどのように扱うかということで、当初は九州王朝説を排除しようという意見もありましたが、とりあえず九州王朝説はそれなりに知名度もある俗説であるため、本文中に「学問的には主流ではない」と明記し、九州王朝説にリンクを張り、詳細はそちらで記述するという方向でまとまりました。ただ、あくまで学問上は相手にされていない説であり、「中立的な観点」は対等に扱わねばならないことまで要求していないということで合意したはずです。
今回に関しては、私は栄養学には疎いので何とも言えませんが、まあ栄養学が学問ではないという気はないにせよ、こちらの文献(ISBN 978-4774500973)の内容は論文が査読を経ている生物学や医学の知識とおそらく矛盾しているにもかかわらず、査読を経ていないので、生物学・医学的議論と同等に扱う必要は必ずしも無いのではないかと思います。まあ、トンデモが学会を作って査読付き雑誌を発行したら一体どう解決すべきなのかという話もありますが。というわけで、投票の結果、生物学的・医学的議論と栄養学的議論を同等に扱わないというのは、中立的観点に反しているわけではないと考えます。
ところで、本題とは外れますが、栄養学・健康科学の分野は医学と密接な関係を持っているでしょうから、査読付き雑誌はあるはずですよね。そのような雑誌に酵素=栄養素というのが掲載されているのでしょうか? もしそのような言説が掲載されていなければ、これは生物学・医学と栄養学・健康科学の分離というよりは、現代科学と俗説である「酵素栄養説」の分離とする方が正しい気もします。--spirituelle 2008年3月21日 (金) 16:05 (UTC)
spirituelleさんのコメントを踏まえて。一般的な栄養学を専門としているユーザーさんのご意見や、栄養学の辞典や事典多数にアクセスできるユーザーさんの調査があればよいなあと思います。「栄養学的機能」を持つ物質は全て「栄養素」と考える立場があり、それは栄養学では一般的なのか、「栄養学的機能」を持つ「非栄養素」はあるとされていて、栄養学関連の辞典などで述べられているのか、栄養学の辞典・事典の「栄養素」の項目をサーベイしてそのようなところが分かればよいなあと思います。--スのG 2008年3月31日 (月) 13:08 (UTC)
先ほど、コメント依頼者利用者:Meltbeen氏にコメント依頼掲示期間切れ+α経過したのでコメントの総括のご依頼を本人ページに投稿しました。少なくとも、このノートの投稿ブロック解除の合意条件に関して反対を唱えられているのは同氏だけなので、二週間以内に合意形成に向けて建設的な提案を期待します。--あら金 2008年5月28日 (水) 03:00 (UTC)
  • 初めまして、大学院の在籍時に栄養学をかじっていましたウィキブッキアンのかげろんです。spirituelleさんが仰られている学会は日本栄養・食糧学会のことでしょう。日本栄養・食糧学会は査読付きの雑誌を発行していますが、雑誌に収録されているタイトルの抄録を見ても酵素=栄養素と考えている文章は見られないです。利用者:Meltbeenさんには申し訳ないですが、酵素は医学・栄養学関連の研究者からは、単独の栄養素とはみなされてないでしょう(みなされるのならば、食事摂取基準の目安量などの設定・管理栄養士課程の教材・成分表にも記載されるでしょう)。酵素栄養学も拝見しましたが、「生の食物中の失活してない酵素による自己消化のことかー。」という実感しかありません。酵素栄養説を記述すること自体は、出典がある以上構いませんが俗説である旨を明記するべきでしょうね。ただし、個人の希望としては酵素栄養説は酵素栄養学の方のみでやってほしいです。
あと、投票で方針が決まった以上は、利用者:Meltbeenさんも投票で合意された方針に則って活動して頂きたいものです。あまり、度が過ぎると「自説の押し付けによるコミュニティの疲弊」とかうんたらかんたら言われかねませんので--かげろん 2008年5月29日 (木) 14:11 (UTC)

皆さん、百科事典であるWikipediaの基本的なルールを読んだ上で発言してほしいのですが。 もっとも基本的なルールであるWikipedia:中立的な観点において、科学と疑似科学を対等に記述することは「議論の余地がない」決定であるので、上記に出ているような「ある時代のある学問分野とは矛盾している」だとか、「関係学会の査読された論文である必要がある」ということはWikipediaのルールになっていないですよね。また、ある学問が正当であると主張することも単に特定の観点に過ぎないと思います。つまり、何が科学であるかというようなことは個人的な信念による特定の解釈や観点に過ぎません。また、「Wikipediaにおける査読」というのは、書籍や論文や新聞の発行に際して出版社の編集者が介在しているということを意味しています。

  • Wikipediaの掲載基準は、学問として認識されていることが必要というような掲載基準はない。これは基本ルールです。

ということで上記に出ているような「酵素について記述することは科学や学問ではない」というような典拠を挙げていない主観的な持論を主張することは、Wikipediaの基本的なルールを度外視し、「自説の押し付けによるコミュニティが疲弊するような議論」を長期的に継続させているので、却下されるというのが妥当かと思われますが。--Meltbeen 2008年5月29日 (木) 14:35 (UTC)

科学と疑似科学が対等に記述することなんてことは書いて無いですよ。少数意見は少数意見として取り扱わなければ、逆に中立性は保てませんよ。
信頼できる情報源における、査読というのは出版社が編集を介在するという意味ではないですよ。
コミュニティを疲弊させるユーザーのブロックは、既に何例も実績があります。--背番号9 2008年5月29日 (木) 15:10 (UTC)
平等性ということに関しては、例えば、Wikipedia:基本方針とガイドラインに、すなわち、異なった観点について公平に好意的に表現しなければなりません。とあります。もし何かが疑似科学と呼ばれているのであれば、出典を示すことで説明するという点でフェアに扱われるかと思います。何が科学ではないのかという個人的な信念に大きく左右されていますからね。
査読についてもどこかで同じ説明不足をしましたが、Wikipedia:検証可能性に、要するに、査読に相当する機能はウィキペディアの外部に求めよということ とありますがこの意味です。--Meltbeen 2008年5月29日 (木) 15:22 (UTC)
貴方の提示した中立性に書いてあることを読み返しただけです。少数意見は少数意見として取り扱うと。公平というのは、イコールに書くということではありません。フェアという意味で、5%の意見しかないものは、50%として扱いなさいという意味ではありません。
査読の解釈は単純すぎで盲目的すぎます。その一点のみで解釈して、なぜ出版社が見れば査読OKと解釈できるのか不思議です。--背番号9 2008年5月29日 (木) 15:28 (UTC)
当方は、「公平というのは、イコールに書く」とは言っていません。むしろ、5%の意見しかないものは、5%の意見であるという典拠を示すべきだとは解釈できるかと思います。
Wikipedia:検証可能性に関しても、特定学会の学術論文がWikipediaの掲載基準であるかのような発言に対して、それに反論するためのWikipediaのルールの一部を再掲しているだけです。その一点のみで解釈しているということはありません。
中心的な主張は、「ある観点こそが科学的であり、その科学的な観点を採用すべきだという独善的な自説の押し付け」は、もっとも基本的なルールであるWikipedia:中立的な観点において否定されているということです。--Meltbeen 2008年5月29日 (木) 15:43 (UTC)

論点が大分ずれて酵素と学問との関係といった感じなっています。しかし、ここでなされるべきなのは「健康科学・栄養学に立脚した編集方針と生物学的に立脚した編集方針に分離すると多数決で決定したこと」が、「Wikipedia:中立的な観点を覆しているか」です。「生化学的、生物学的な観点から逸脱した観点を排除するという決定」を「多数決を根拠に採用し、中立的な観点を無視し記事を分割する」ことが、Wikipediaのルールに則っているかということです。--Meltbeen 2008年5月29日 (木) 15:54 (UTC)

疑似科学と科学が対等と言われれば、オイオイオイオイって突っ込みを入れたくなります。で、もう一つ何を信頼の置ける検証可能な情報源とするかは、関連のガイドラインに繰り返し述べられています。ですが、さらに何が信頼性が置けるかを検証しろ、何が科学的か一々検証しろというのは、証明の証明の…を繰り返していくばかりで愚行です。
仮に、「とんでも学会」という学会があって、そこの論文では認められた文献だから信頼がおける。または「Nature」にかかれた論文と対等だとされても違うでしょう。「芸能週刊誌」のつちのこ騒動とかでもいいです。インパクトファクターとか、実績とかで、両論文の検証可能かもしれませんが、ではインパクトファクターは信頼がおけるのかとか問い出せます。どこまでいってもキリがありません。
かげろんさんの意見が、Meltbeenさんがそこまで噛みつくほど的外れとは思えません。
投票が中立的な観点を無視して行われたのなら、偏った投票でしょうが、投票者が中立的な観点を無視しているとは思えません。そういう投票者のある程度の賢明さまで疑うのであれば、合意による決定も無効となってしまいます。
少なくとも貴方一人が押している視点が、中立的とは思えません。--背番号9 2008年5月30日 (金) 01:39 (UTC)
(追記)Wikipedia:Do not disrupt Wikipedia to illustrate a point#いつまでも「納得」しない Refusal to 'get the point'の意図するところを、ご一考下さい。--背番号9 2008年5月30日 (金) 04:20 (UTC)

私は再三、「このノートでの議論の進め方が『Wikipeida:中立的な観点』を損なうものだという見解を申し述べているのはMeltbeen氏だけですよ」と申し上げてまいりました。さて2月から今まで4ヶ月間にわたり井戸端とコメント依頼の二か所においてこの議論展開とWikipeida:中立的な観点との間で支障を生じるものがあったかを二度コメント募集をしたことになります。また、その両方についてMeltbeen氏は議論の履歴から見てもご存じと考えます。二度目のコメント依頼はMeltbeen氏の求めにおいて開催されたのですから、Meltbeen氏はコメント依頼依頼者の責任において結論を出す必要があります。今から二週間というのは結論をまとめるのには十分な時間と考えます。 翻ってみれば、二月の投票時点において議論の進め方についてMeltbeen氏が建設的なご提案を投票の案でご提示いただきコンセンサス形成していただくように勧告しております。したがって期限内にコメント依頼を総括し、建設的なご提案をいただけない場合は、二度にわたり議論進行に必要な提案をしなかったことになります。二度目ということはうっかりではなく、恣意的に提案を回避することによって「意図的なノートでの議論妨害を図った」と私は判断いたします。そしてその判断に基づいて合意系形成に必要であり且つWikipediaのルールに適合した申し立てを講じますので、皆様ともご周知いただくようご依頼申し上げます。--あら金 2008年5月30日 (金) 03:52 (UTC)

今回の投票はWikipedia:中立的な観点には違反していないと考えられますし、「このノートでの議論の進め方が『Wikipeida:中立的な観点』を損なうものだという見解を申し述べているのはMeltbeen氏だけですよ」というあら金さんの意見に同意します。よく、Meltbeenさんが持ち出されるWikipedia:中立的な観点には、「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、~」と記されています。正直に申し上げて、現状では、酵素栄養説は栄養学の研究者の間でも少数派でしょう。ですから、「記述する際には俗説or少数派であることを記載するべきだ」、と書いたわけですけどねえ。その点はご理解頂けてるのでしょうか?
それと、現在、栄養素の研究者の主流派は生命科学(栄養学・生化学・生物学などなど)をベースに科学的な研究を行っていますよ。あと、背番号9さんも触れられていますが、編集者のチェックを査読とは言いません。単なる校正です。他の研究者による論文の原稿か校正紙による内容のチェックを査読と言います。
あと、これは私見ですが、Meltbeenさんは、記事をよくしていこうという考えはお持ちだと思いますが、このノートの文面からその気持ちが私にはあまり伝わってきません。むしろ、何かあるたびに基本方針を持ち出して、肝心のことに触れようとしていないように感じられます。--かげろん 2008年5月30日 (金) 11:32 (UTC)
強調させていただきます。酵素については、分割されれば分割先で議論される事項ですよね。この節では、当初からそのような議論へと脱線しっぱなしです。この節での本来の論点は、「栄養学などは生化学的や生物学的な観点から逸脱した観点であるので排除するという決定」を「多数決を根拠に採用し、中立的な観点を無視し記事を分割する」ことが、Wikipediaのルールに則っているかということです。「栄養学と生化学などのように編集の観点が対立した場合、多数決で記事を分割することを決定する」とWikipedia:中立的な観点のノートに提案できるかどうかですよ。酵素やほかの論点については別の節を作ってください。つくりました--Meltbeen 2008年6月1日 (日) 20:04 (UTC)
分割に賛成する場合、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述と何が違うのかの説明も頂きたいです。--Meltbeen 2008年6月1日 (日) 20:56 (UTC)
Meltbeen氏にご質問いたしますこのブロック解除の合意案をまとめる為の建設的な提案をされておりますでしょうか?ノートの議論に投稿された各項目に自己の見解をコメントすることは単なる論評です。期限までは間がありますのでよくお考えいただくよう勧告申し上げます。(わたしを含めて)べつにあなたの思想信条を変えたいという人はいないと考えますので自己の思想信条やそれに基づく解釈を演説され、みずからの解釈について議論を求めても、当初から見解が異なっているのは明白ですからあなたの見解をいくら議論しても他者の説得にはならないと考えます。つまり「貴方だけの見解とその他多数の見解が違うのは4か月まえから知っているけど、結局自分のことしか要求しないあなたは他者と共同作業するつもりは無いということでいいのですね」という点だけ確認させてください。共同作業するつもりがあれば何らかの建設的な提案があると存じます。--あら金 2008年6月2日 (月) 00:12 (UTC)
背番号9氏を始め他の人への勧告ですがMeltbeen氏が「投票と関係ない」と言っておられる事項ですし、Meltbeen氏の疑問への返答は同氏の解釈の高度化につながるかもしれませんがブロック解除の合意とは直接関係しません。つまりMeltbeen氏が建設的な提案をするのに「中立性対等の解釈」や「査読の定義」は不要と考えますので『ノートでの合意案作成を優先する為に、議論を合意案ができるまで保留する』ことをお勧めします。--あら金 2008年6月2日 (月) 00:27 (UTC)
あと、「Wikipedia:中立的な観点のノートに提案できるかどうかですよ」である議論は、コメント依頼の結果を総括してWikipedia‐ノート:中立的な観点に持って行き、サブページでもつくって議論するのが筋と存じます。(もちろん、「対等の解釈」や「査読の定義」の定義は「中立性と多数決」とは無関係です。なので下の議論は合意案への寄与もなく、中立的な観点の改正への寄与もなくどのような目的で質問されているのかは理解に苦しみます)--あら金 2008年6月2日 (月) 02:55 (UTC)
議論が議論として進行し、また投票やコメント依頼によって期間が延びているというのが現実ですので、一方的にこちらだけを断罪することはおやめ下さい。そうでなければ、つまり「自分自身は正しいがMeltbeenは間違っている、妨害している」という態度では共同作業でも、議論でもありません。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 19:00 (UTC)

Calveroさんの参加[編集]

(追記)Calveloさんの議論が長いので、利便性のため、ここに節を入れます。--Meltbeen 2008年6月10日 (火) 21:45 (UTC)

遅ればせながら「投票が Wikipedia:中立的な観点に反しているか」については否と考えます。いかなる項目もそれを対象とする内容の円滑な理解を目的とするものですから、それを達成するために吟味検討を行うのは当然であり、結果として文章がどのように配置されようと、それは本質的には「中立的な観点」とは無関係な事象であると思います。つまり普通は大きく取り扱われない、あるいは重要であると考えられていない事象を、「中立的な観点」を理由に本文中の主要な場所に置く必要はないということです。余分な情報が目に入りやすい場所にあれば、項目の主題の円滑な理解を妨げるためであるから、と表現することもできます。
そもそも誘導等を行わず一切の記述を排除するというのであればまだしも、別な項目への転記を禁止あるいは抑制するような内容は Wikipedia:中立的な観点 には含まれておらず、同方針を持って分割ができないとするのは適用の誤謬でると思います。実際、他の項目、例えばアメリカ同時多発テロ事件アメリカ同時多発テロ事件陰謀説麻雀の役一覧麻雀のローカル役のように住み分けしている事例も見られます。
また中立的な観点からの議論に関し、これはウィキペディアの編集者間での観点の衝突ではなく、議題となる事象で一般的に論争が起こっている場合について指針を示すものであることを指摘しておきたいと思います。
なお単なる感想ですが、Meltbeenさんは自ら「皆さん、百科事典であるWikipediaの~」と水を向けておきながら、不備を指摘されると「論点が大分ずれて~」とあたかも他者の責任であるかのように振舞うのは不誠実な対応であったと感じます。さらに Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述 に関して、議論を自らの有利に展開させるため逆説的な提案を自ら行い、混乱を誘うためのものであったのではないかとみられても仕方がないのではないかと感じます。
一般論として、方針のみにとらわれ、方針さえ守っていれば何をしてもよいのだという考えは危険なものであると思います。--Calvero 2008年6月4日 (水) 15:41 (UTC)
  • 論点は「医学と栄養学(ほかに学問以外のものも)は生化学的や生物学的な観点から逸脱した観点であるので排除するという決定」を「多数決で記事を分割することを決定する」とWikipedia:中立的な観点のノートに提案できるかどうかです。
Calveroさんの意見は「栄養学は栄養素の記事の本文中の主要な場所に置く必要はないということです」ですね。それには反対しています。
「論点が大分ずれて」いることはあら金さんが同意してくださっています。明らかに論点がずれていると思いますが、一度もコメント依頼の質問どおりの返答がないことが認識されてないでしょうか?
また、わたしは「方針のみにとらわれ、方針さえ守っていれば何をしてもよいのだ」とは言っていませんね。方針の重要性は認識し、方針に逆らってまで編集しようとは思いませんが、方針さえ守っていれば何をやって良いとも思っていません。
何か、一方的に私が誤りであるという主張を行っているだけで根拠が伴っていない発言が多いように思います。
自分は正しい相手が悪いという態度は議論ではないですよ。双方ともに、意見は修正される可能性があるということが議論であり、それぞれの意見が根拠に基づく必要があります。議論自体を行ってくださいますようよろしくお願いします。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 19:13 (UTC)
誤解があるというのであれば、行動で示していただければよろしいかと存じます。別に単なる感想ですから、私がどのような見解を持っているかが伝わればよいので、これ以上その部分についてここでは言及しません。「議論自体を行ってほしい」ということですしね。
私は「栄養学は栄養素の記事の本文中の主要な場所に置く必要はないということです」のように具体的に投票結果に立ち入った意見を上で示したわけではありません。ちょっと先走りすぎなんじゃないでしょうか。投票の過程および結果・内容について、方針「中立的な観点」に反した部分はない、と申し上げております。仮に他の選択肢が採択されていたとしても、同様なコメントをしたでしょう。
それから、さすがにノートぐらいは読んでいますからMeltbeenさんが上記の内容に反対している、ということぐらいは存じております。どういうことをおっしゃりたいのかよくわからないのですが…。議論がまとまらないので投票を行い、結果が出たけれどもなお反対であるという姿勢は変えていない、もしくは今回の投票は無効であると主張している、ということでよろしいですか。
なお論点について、「ノート:栄養素#採決に関して で提案された投票が Wikipedia:中立的な観点 に反しているかどうかご意見を募ります」と書いてあるのですが、あたかも反していることが前提であるように「Wikipedia:中立的な観点のノートに提案できるかどうか」となっているのはなぜでしょうか。これは決定が方針に反しており、決定内容と方針を一致させるには方針のほうを変更すべきであるという論旨に見えるのですが。--Calvero 2008年6月6日 (金) 13:58 (UTC)
Calveroさんは、投票結果に立ち入った意見を上で示したわけではありません。ちょっと先走りすぎなんじゃないでしょうか。と述べ、若干こちらに非があるような論調ですが、一度で意見がすべて正確に伝わることは無理な要求であるので、もう少し丁寧なやり取りをお願いします。
また、つまり普通は大きく取り扱われない、あるいは重要であると考えられていない事象を、「中立的な観点」を理由に本文中の主要な場所に置く必要はないということです。と発言している以上、「栄養学は栄養素の記事の本文中の主要な場所に置く必要はないということです」ということの指摘も妥当かと思われます。栄養素は栄養学の主要概念の一つであり、生物学においては栄養素よりも肥料とでも呼ぶほうが主流ですからね。
Calveroさんは、これは決定が方針に反しており、決定内容と方針を一致させるには方針のほうを変更すべきであるという論旨に見えるのですが。、とありますが、こちらは何度もその論旨で話している通りです。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 21:23 (UTC)
(インデント戻す)分離して考えていただきたいのですが。「仮に他の選択肢が採択されていたとしても、同様なコメントをしたでしょう」と申し上げているとおり、例えば別の選択肢があってそれが採択されたとすれば、「生物学は栄養素の記事の本文中の主要な場所に置く必要はないということです」という論にも置き換わりうるということです。
また私自身の論旨はすでにご理解いただいていると承知しておりますが、これに対する反論は必要ないとのお考えでしょうか。私の理解に誤謬があれば、些事は措いてまずそこを指摘していただくほうが早いと思います。投票を行うことの是非、およびその方法・過程等については問題ない(なかった)とお考えなのでしょうか。結論だけ述べられても困りますので、議論をお願いします。--Calvero 2008年6月7日 (土) 07:12 (UTC)
すみませんが、これに対する反論の「これ」が具体的になんであるか分からないので説明をお願いします。
ですから、現在の選択肢では「栄養素は栄養学の主要な概念」であって、普通は大きく取り扱われない、あるいは重要であると考えられていない事象ではないわけですので、Calveroさんの意見は適用できないんじゃないですか?と言ってるんですね。
投票を行うことの是非、およびその方法・過程等については問題ない(なかった)とお考えなのでしょうか。については、ログを読めば問題提起していることが確認できます。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 07:35 (UTC)
具体的には私の 2008年6月4日 (水) 15:41 (UTC) のコメントである「いかなる項目もそれを~」に始まり「~事例も見られます」までです。期待申し上げているとおり、ご理解はいただいているように思われます。
私としては「栄養素は栄養学の主要な概念」であるかどうかは今は判断ができかねますので、そのこと自体というより、投票手法については問題あるまい、という判断を申し上げているに留まります。本文中でどの箇所が栄養学に関するものであるのか、明示されているわけではないですし。もしかして「ノート:栄養素#採決に関して で提案された投票が Wikipedia:中立的な観点 に反しているかどうか」というよりもむしろ「投票の結果採択された選択肢の内容が Wikipedia:中立的な観点 に反しているかどうか」ということでしょうか? そうであればそのように書いておいていただかないとわかりづらいです。的確なコメントが得られないのも、コメント募集の意図がわかりにくいからではないでしょうか。
投票について、確かに #分割とその方法、あるいは併記か では投票は正しくない、とおっしゃっていますが #投票の終了に際して では同意いただいているようでもあり、よくわからないです。--Calvero 2008年6月7日 (土) 08:18 (UTC)
現在の選択肢では「栄養素は栄養学の主要な概念」であって、普通は大きく取り扱われない、あるいは重要であると考えられていない事象ではないわけですので、Calveroさんの意見は適用できないんじゃないですか?と言ってるんですね。
と、返答していますよね。
投票手法について自体、観点の対立を根拠に投票するということ自体が、中立的な観点を軽視していますよね。またログを読んでちらほら感想を書くというのはやめてください。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 08:31 (UTC)
ご返答いただいていることは、さすがに読めばわかりますよ…。「投票の結果採択された選択肢の内容が Wikipedia:中立的な観点 に反しているかどうか」に関するコメントが欲しいということでよろしいのですね? また感想ではなく、誤解を避けるために丁寧に議論の設計・進行をしてほしいというお願いです。「決定に従います。当方がルールに対して無知であったことをお詫び申し上げます。--Meltbeen 2008年2月29日 (金) 06:47 (UTC)」は既に撤回なさっているということでよろしいのですね? --Calvero 2008年6月7日 (土) 09:25 (UTC)
決定はWikipediaのルールであるという主張なので、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述に提案した結果、スのGさんとあら金さんが提案を否定したのでコメント依頼となったという流れですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 09:35 (UTC)
その点についてはわかりました。「方針と採択内容は合致するものと期待するが、方針の変更は認められないようなので、採択内容のほうを修整する必要がある」ということですね。既にまとめに入っているようなので、そちらで具体的にどのような内容にするのかご提案くださればコメントいたします。しかし、ただこれだけのことを確認するのに長大な議論を要し、しかも議論の出発点となんら変化がない、というのはいかがなものかと思います。
例え自らの意図したものと違うコメントが付けられても、文意を理解し適切にフォローする必要があるということについては、#解決案の提示 において「Meltbeenは返答しているのに関わらず、「Calveroさんの希望したような返答がなかった」のでMeltbeenは返答していないと述べていますよね。独自ルールによる一方的な非難ですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 08:45 (UTC)」とのことですので同意いただいていると存じます。
それから「つまり普通は大きく取り扱われない、あるいは重要であると考えられていない事象を、「中立的な観点」を理由に本文中の主要な場所に置く必要はないということです」自体に関しては同意いただけるのでしょうか。ここでは「栄養学」を当てはめた場合に不適当であるから認められないというご主張ですが、それを抜いて考えた場合です。議論を行ったところで何も実りがないというのでは不毛ですからね。--Calvero 2008年6月7日 (土) 10:31 (UTC)
長大な議論となっている理由は、この節を見ても分かるように節に関係のない発言が長文で投稿されるので長大な議論となっているということですよね。
議論の出発点となんら変化がない、というのはいかがなものかと思います。
と述べていますが、どういうことでしょうか?根拠を述べた上で非難を行ってください。一方的な非難では理解不可能です。
「Calveroさんの希望したような返答がなかった」ならばそれをMeltbeen当方に言葉で話すことでしか伝わりませんよね。何か一方的な思い込みよりも、やはりコミュニケーションをとっていただけるようにお願いします。ましてや突然、根拠を明らかにせず非難を繰り返すのはお止め下さい。
重要であると考えられていないような事象は、本文中の主要な場所に置く必要はないという主張ですが、「Wikipedia:中立的な観点」というWikipediaの基本方針に従えば、「むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアに説明するという任務の一部です。」「少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。」「競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。」「どれかひとつを正しい観点として主張するようなことのないようにすべきです」「競合する観点についてそれぞれの支持者にとって多かれ少なかれ納得がいくような形で記述すれば事足りることがほとんどです。」「どれか特定の観点を採用するように要求したりしない記事は、読者を解放する効果があります。中立性は独断主義を倒すのです。」などなどの基本方針を考慮します。これによれば、確かに重要な概念ではないと書くことはWikipediaの基本方針ですが、しかし本文中の主要な場所に書いてあってはいけないとは受け取れません。どういったことが根拠になっていますでしょうか?--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 17:54 (UTC)
結局のところ、Meltbeenさんが「方針と採択内容は合致するものと期待するが、方針の変更は認められないようなので、採択内容のほうを修整する必要がある」と主張なさっているということを確認したに過ぎないので、「議論の出発点となんら変化がない」と申し上げております。「節に関係のない発言が(長文で投稿される)」のは、コメント依頼提出の際とこの節の冒頭における文言が、あまり適切ではなかったためではないか、という趣旨のことを申し上げました(2008年6月7日 (土) 08:18 (UTC))。既にコメント(2008年5月29日 (木) 15:54 (UTC)、2008年6月5日 (木) 19:13 (UTC) など)で対応されているということは承知しておりますが、それでは不十分であったのではないか、ということです。
「重要であると考えられていないような事象は~」について、ご提示のとおり方針中での言及はありません。従って編集者による任意ということになります。さて、なぜ「本文中の主要な場所に書いてあってはいけない」と考えるのか、についてですが、私は既に「余分な情報が目に入りやすい場所にあれば、項目の主題の円滑な理解を妨げるためであるから」(2008年6月4日 (水) 15:41 (UTC))と申し上げております。さらに補足すれば、重要ではない(と考えられている)事象を本文中の主要な場所に置くのは記事体裁として不自然だからです。重要ではない(と考えられている)事象を本文中の主要な場所に置く、つまり優先的に取り扱う必要はあるのでしょうか。--Calvero 2008年6月8日 (日) 16:00 (UTC)
繰り返しますが、栄養素は栄養学の主要概念であるので、生物学が栄養素にきて栄養学が栄養素(栄養学)に行くのが変ではないかということにはCalveroさんも同意するであろから、Calveroさんは今回の投票には反対するでしょう。
「話が脱線するのは、冒頭における文言があまり適切ではなかったためか、読者が丁寧に読んでいないのか」そのような主観を突き詰めてもこの節での結論には関係がないので(Calveroさんは議論を脱線させる利用者-管理者であるのだが-であるという自覚はしていただきたい)
重要ではない(事象を本文中の主要な場所に置く」事に関しては、主要な場所に、主要な見解・マイナーな見解を簡単に併記して、後述で詳細を語るというような場合とかもあるので、そのようなことはいちがいに結論が出せないです。--Meltbeen 2008年6月10日 (火) 21:45 (UTC)
それをいうなら(栄養学は栄養素の主要な事項として位置づけるべきであるという主張であるなら)「栄養学は栄養素の主要な概念である」というべきではないでしょうか。他の点に関し、Meltbeenさんのお考えはわかりました。--Calvero 2008年6月16日 (月) 15:16 (UTC)
わたしMeltbeenは以下の方針を支持し、「観点を選択する投票」と「多数決で中立的な観点を覆したこと」と「特定の観点の選択」に反対します。
  • Wikipediaは百科事典である
  • 中立的な観点 (NPOV, Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズの言葉によれば、中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」“です。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • 議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • 激しい論争が繰り広げられているような事柄においては、論争の一方の当事者の見解のみを喧伝するような記述は避け、両論を併記するバランスのとれた記述を心がけてください (Wikipedia:ウィキペディアへようこそ)
  • すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • どれかひとつを正しい観点として主張するようなことのないようにすべきです (Wikipedia:中立的な観点)
  • 一部のウィキペディアンはこの点について非常に強い思いを抱いており、「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • どれか特定の観点を採用するように要求したりしない記事は、読者を解放する効果があります。中立性は独断主義を倒すのです。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアに説明するという任務の一部です。 (Wikipedia:中立的な観点)
  • 「公式な方針」は全員が従うべき (Wikipedia:ウィキペディアへようこそ)
  • 重要な公式方針としては、中立的な観点から記事を書くべきだという強い方針があります。 (Wikipedia:ウィキペディアへようこそ)--Meltbeen 2008年6月10日 (火) 23:42 (UTC)

科学と疑似科学の対等の議論[編集]

#投票がWP:NPOVを覆しているかという節で、当初からまったく関係のない話へと脱線しっぱなしですので分割します。酵素栄養学がマイナーだとかいう話は、現在行われている記事の分割の提案や投票と関係がないので話が脱線しています。Wikipediaの基準は日本栄養・食糧学会が認定しているかというようなことではなく、中立的な観点です。--Meltbeen 2008年6月1日 (日) 20:49 (UTC)

重要な追記をしておきます酵素の件は「Wikipediaのルールに則って検証可能性を満たした」のでいったん当事者間では議論が停止しています。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 19:40 (UTC)

対等に関する議論[編集]

対等に関する議論が派生しています。

  • 背番号9氏による「公平というのは、イコールに書くということではありません。フェアという意味で、5%の意見しかないものは、50%として扱いなさいという意味ではありません。」
  • Meltbeenによる、「公平というのは、イコールに書く」とは言っていません。むしろ、5%の意見しかないものは、5%の意見であるという典拠を示すべきだとは解釈できるかと思います。

と、単なる表現上の齟齬が、上記のように合意に近くなっていますね。

次は、文献の信頼性ですね。「Nature」に信頼性があるので「大衆週刊誌」に載っていた出来事は別の記事項目へ分割して書くなどというのは、百科事典であるWikipediaの掲載基準ではありません。--Meltbeen 2008年6月1日 (日) 20:49 (UTC)

(コメント、提案)信頼できる情報源があり、一定の著名性があり、かつ法的に問題がない事柄について、どこにも書いてはだめだと主張することは方針に反します。しかし別の記事へ分割すれば別の記事に掲載されているわけですから、特定の記事にだけ書かないことが直接方針に反するわけではありません。「酵素は栄養素ではないという見方が一般的である」という趣旨の典拠が複数得られるまで平等性を留保する目的で、仮に 栄養素 (自然科学)栄養素 (酵素栄養学) を立てることにして、栄養素 を曖昧さ回避にする枠組みであればMeltbeenさんとしては保護解除へ向けた解決となりますか? --Su-no-G 2008年6月2日 (月) 08:40 (UTC)
自論を補強する文献が得られないからそのような保留をするという必要は無いと思います。
酵素ではなく、食物繊維の件であら金さんと対立し、
  • 栄養学では国策によって食物繊維は栄養素である文献がある
  • 生物学では食物繊維は栄養素ではない
  • ヒトの記述が多い
という対立が主になっていると思います。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:11 (UTC)
繰り返しになりますが「信頼できる情報源があり、一定の著名性があり、かつ法的に問題がない事柄について、どこにも書いてはだめだと主張することは方針に反します。しかし別の記事へ分割すれば別の記事に掲載されているわけですから、特定の記事にだけ書かないことが直接方針に反するわけではありません。」についてご納得いただければ幸いです。枠組みの話はその点納得していただいた後の相談でしょうね。--Su-no-G 2008年6月6日 (金) 17:02 (UTC)
スのGさんの主張は分かります。「信頼できる情報源があり、一定の著名性があり、かつ法的に問題がない事柄について、どこにも書いてはだめだと主張することは方針に反します。」ですね。
しかし、さらに「特定の記事にだけ書かないことを要求する」のは、独自ルールかの押し付けではないのかということを検討は必要かと思います。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 21:23 (UTC)
(コメント)もうひとつパーセントの話題がでていますので、Meltbeenさんの心持ちとして、酵素は栄養素として取り扱われるべきという考え方は栄養学の分野で何パーセントぐらいの支持率を得られると感じていらっしゃいますか?(むろんそれを本文中に書くわけではありません) --Su-no-G 2008年6月2日 (月) 08:40 (UTC)
文献が必要かと思いますが、雑誌の特集で酵素栄養学などはたびたび載っていますので、「栄養学の分野で何パーセント」ということは必要なく、ある程度の大衆的な支持率はあると思います。これはWikipediaの掲載基準にはなりませんでしょうか?--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:11 (UTC)
(コメント、提案)Su-no-Gさんの案もひとつかとは思いますが、現実的な案としては、「酵素を単独で栄養素と解釈する研究者もいるが、少数にとどまっている。詳しくは酵素栄養学を参照」の一文を入れて、詳細は酵素栄養学に任せるのが一番手っ取り早いと思いますが。その方が双方のページをうまく活かせるはずです。ただし、Meltbeenさんやほかの皆さんが納得して下さるかどうかはわかりませんが。--かげろん 2008年6月2日 (月) 12:11 (UTC)
出典のない記述は独自研究になりますが妥当な記述かと思います。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:11 (UTC)
投票は合意案を絞り込む方法にすぎないので、由来が投票選択肢であろうと、投票後の後の提案であろうと編集合戦が再発しないという案でそれを順守するというコンセンサスとして一本にまとまれば合意なので方法・由来に固執する理由はないと考えます。投票で決まった編集合戦停止の合意案より良い案であると皆が考える案が存在するとかんがえるのであればMeltbeen氏もぜひ提案すべきです。--あら金 2008年6月4日 (水) 14:53 (UTC)
(コメント)Wikipedia:中立的な観点には、『われわれに課せられた任務は、その疑似科学が科学的な見方とあたかも平等に張り合うような説であるがごとく紹介するという何かインチキな「フェア」の概念に基づいて論争をフェアに描写することではありません。むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアに説明するという任務の一部です。』と書いていますよね。Meltbeenさん、Wikipedia:中立的な観点をきちんと読み込んでいるのならば、上で仰ってた「もっとも基本的なルールであるWikipedia:中立的な観点において、科学と疑似科学を対等に記述することは「議論の余地がない」決定であるので~」などとは言えないはずですよね?--かげろん 2008年6月2日 (月) 12:11 (UTC)
それは解決済みです。表現上の齟齬であったので、すでに#対等に関する議論にてかげろんさんと同じような合意に達しています。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:11 (UTC)
(コメント)疑似科学と科学的真理とが観点として対等である無しにかかわらず、疑似科学の項目を科学的真理の項目と誤解するように(あるいは科学的真理の項目を疑似科学の項目と誤解するように)併記すべきではありません。分離するのは観点として対等ではないからではなく、相互の観点であると誤解するからです。分離の方法はいろいろありますが(たとえば疑似科学という節をつくっても良いですが)記事を変え分離すればどのような読者であっても誤解する余地がないので私は投票選択肢として提案しました。
少なくとも「酵素栄養学では酵素も栄養素である」という記述を「タンパク質は栄養素であるという」文と併記したのでは誤解を解消できるようには観点が分離されていません。なぜならば一般の読者には酵素栄養学が科学的真理であるか疑似科学であるかは漢字を見ただけでは識別できないからです
繰り返しますが、観点の中立を保つ為に観点の誤解を生むような記述にしなくてはならないというのは百科事典の目的からすれば本末転倒です。したがって、観点の誤解が無いように両者の観点の記述は明確に記事構成として分離されなくてはなりません。科学的真理であるか疑似科学であるかは多数決で決定するわけではないですし、「Nature」にのったことで科学的真理になるわけでもありません。なので情報源の信頼性の有無で記事構成を分離しようと提案しているわけでもありません情報の内容に関する観点の誤解を生じないようにするための分離の提案です。
観点の誤解を解くという立場からすると、Meltbeen氏のこの対等に関する議論は合意形成とは無関係であることは明白です。--あら金 2008年6月4日 (水) 15:49 (UTC)
ご確認いただきたいのですが、今回のあら金氏の投票の提案は、科学と科学の分離です。もちろん酵素栄養学が主流の学問ではないということを書くことは中立的な観点であって、反対していません。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:11 (UTC)

査読[編集]

2度目の説明になりますが、Wikipedia:検証可能性に、要するに、査読に相当する機能はウィキペディアの外部に求めよ、とあり、わたしは通常の査読の意味ではなく、「Wikipediaで考慮される査読機能」として査読という単語を使ってしまいました。Wikipediaにおける掲載基準は「通常の意味での査読が行われている文献」ではなく「Wikipediaで考慮される査読機能を経た文献」です。--Meltbeen 2008年6月1日 (日) 21:03 (UTC)

(コメント)意味がとりにくいです。「Wikipediaで考慮される査読機能を経た文献」を安易な表現にしていただければ助かります。また、査読という言葉にWikipedia独自の意味を持たせるべき理由がよくわかりません。できれば今後は「査読」は通常の査読の意味に統一していただければこれも助かります。--Su-no-G 2008年6月2日 (月) 08:40 (UTC)
(コメント)Meltbeenさんは、何を仰りたいのかさっぱりわかりません。Su-no-Gさんの仰る通りで、独自の意味を持たせることの必要性がない。Wikipedia:検証可能性にも「その情報をウィキペディアに載せてよいものにするには、まず、広く信頼されている報道機関を説得してあなたの話を発表してもらわなければなりません。それは、査読を受けるのと同様の過程を経ることになります。つまり、まず記者、次に編集者、そしておそらくは事実調査員にチェックされるでしょう。もし問題があれば、さらに弁護士、そして編集長にチェックされるかもしれません。このような事実確認とその評価のしくみがあるのは、新聞に正確で公正な記事を載せるためです。」と書いてある通り、専門の知識を持っている人にチェックしてもらうことが肝要なわけです。なぜ、通常の定義の査読と区別されるのでしょうか?読んでみた限り、「Wikipediaで考慮される査読=通常の査読」じゃないですか。
(追伸)もう少しでいいから、平易な文章を書くように心がけてはいかがでしょうか?伝えたいことも伝わりませんよ?--かげろん 2008年6月2日 (月) 11:13 (UTC)
Wikipedia:信頼できる情報源 のことを言っているのかな? と思いました。--Calvero 2008年6月4日 (水) 15:44 (UTC)
(コメント)酵素栄養学が科学的真理か疑似科学かは外部に任せるとしても新聞や「Nature」に載ったからと言って科学的真理と認定されるわけではないので査読が通っているかいないかではなく、どの機関が査読したかを問題にしないと記述が科学的真理とは認定できません。つまりWikipediaの規程ではどのPOVであるかを決定しえないのでこの議論は無意味です。POVが異なるのであればタンパク質など科学的真理と酵素とが同一のPOVであると誤解しないように分離して記述されるべきです。--あら金 2008年6月4日 (水) 16:04 (UTC)
議論が錯綜してますが論点を絞ってみます。
1 基本的に言葉というものの意味は限定されるものではないということもご理解下さい。しかし「査読」を「Wikipediaで考慮される査読機能を経た文献」として突然使ったのは明らかなこちらのミスです。申し訳ありません。従って、説明を何度もしていますのでご理解はいただけたかと思います。今後は「Wikipediaで考慮される査読機能を経た文献」を使おうと思います。
2 「Wikipediaで考慮される査読機能を経た文献」は通常の意味の査読ではありません。通常の査読の「ピアレビュー」では学術的に高度なレベルで承認された文献というような意味がありますが、そこまでWikipediaは要求していません。
3 あら金さんの提案には共感できます。POVを提示した上で「何が科学的か」はさらに他の文献による評価や読者自体に委ねるというのが中立的な観点の理想像であると考えています。私こそが科学的であるというような態度はWikpediaの共同作業において衝突をもたらします。それよりも知識の総体を記述できることが大切だと思います。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 19:28 (UTC)
(追伸)かげろんさんによる、「平易な文章」が「査読」に関してのことでしたら大分摩擦が薄れたかと思いますが、それ以外の意図があるのでしたら詳しくご説明下さい。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 19:30 (UTC)
ウィキペディア自身への引用は信頼できる情報源として認めないことはルールより明確です。ならば外部の信頼できる査読機関の下した「査読に関する評価」を学問上の見解についての信頼できる情報と判断することに不合理は存在しません。--あら金 2008年6月11日 (水) 02:17 (UTC)

まとめ(2008年6月初頭)[編集]

(追記)この節は、中途参加者がいるので論点のまとめと、早急な解決を要求している利用者も多いので、#投票がWP:NPOVを覆しているかの議論を進行することなく合意形成されるのではないかという意図においてつくりました。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 21:43 (UTC)

今回の編集合戦(2008年1月23日に保護)の原因
ルールの把握が浅かったと思われるMeltbeen(私)が新しい栄養学的な知識や俗的な知識を追記し、利用者:えくりぷすさんが検証可能性を認めず、生化学以外の観点を認めないため編集合戦となったということが発端になっています。利用者:NEONさんは議論に参加していませんが、NEONさんもまた生化学以外の観点を認めなかったという部分が発端になっています。また論点の一つであった「酵素」については検証可能性を満たしたので、一たん当初居た関係者の議論は停止しています。保護解除に向けて#えくりぷすさんに確認ですという節で「編集合戦当事者間」で議論というか、それぞれの観点で「検証可能性を満たしていますか?」「えくりぷすさんは編集合戦をやめていただけますか?」という交渉を行っています。このあたりを満たせば、投票も分割も行わずとも保護解除に向かいますよね。ですが、あら金さんが投票をするという話を介入して行っています。
あら金さんによる投票の提案
投票と保護とは関係していません。論旨は、編集方針の対立のため記事「栄養素」には生物学・生化学によって記述し、栄養学・医学の知識は記事「栄養素(栄養学-仮名)」に分割して記述すると多数決をとったということです。中立的な観点検証可能性などは軽視し、生化学の科学常識と合致しない考えは記述したくないので記事を分割して対応するのが多数決による解決策だから受理すべきであり、受理しないのは共同作業の妨害だ。という主張があるとわたしは感じております(正確な同意が得られないので類推です)
あら金さんとの対立点は、
・栄養学では国策によって食物繊維は栄養素であるという文献がある
・生物学では食物繊維は栄養素ではない
・ヒトの記述が多い
ということです。そして、諸々と生化学と栄養学が対立しているというような主張になりました。したがって、医学・栄養学を生物学・生化学から記事を分割するために投票をしようという対立が主になっていると思います。これは中立的な観点を侵害していないかということです。これは議論中の観点です。(本来、Wikipedia:中立的な観点には、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。'とあるのだけれど。えくりぷすさんの件は分割後に継続されます。
Melntbeenの主張は、「Wikipedia:ウィキペディアへようこそ」にあるとおり、「公式な方針」は全員が従うべきであり、また論争の一方の当事者の見解のみを喧伝するような記述は避け、両論を併記するバランスのとれた記述を心がけてください。重要な公式方針としては、中立的な観点から記事を書くべきだという強い方針があります。激しい論争が繰り広げられているような事柄においては、論争の一方の当事者の見解のみを喧伝するような記述は避け、両論を併記するバランスのとれた記述を心がけてください。という、Wikipediaの基本中の基本である方針に従おうとしているということだけです。
スのGさん
酵素の記述に対して?でしょうか、スのG氏は「Wikipedia的に書いてはだめだということはない」けど「スのG氏による主観的な科学的な良心に反する」と言っています。Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述において、火消し・消防士と自称しています。しかし、これはWikipedia:中立的な観点に、「「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています」とあるとおり、科学的な観点より中立的な観点が採用されるべき観点です。したがって科学的な観点を重視し火消しを行うのは独善的です。このような科学的な良心よりも、百科事典として知識の総体をとっていただきたいということで解決するのではないでしょうか?

第三者が酵素についてぶりかえす

酵素については、検証可能性を満たしたので当初の議論メンバーからの反論はなくなっています。
第三者が介入し、酵素について当初のメンバーは検証可能性を満たすことを確認したのに議論をぶり返しているということですね。(再び議論をぶり返すのは自由ですが、勘違いでしたら無用な議論です。)科学がどうという主観的価値観を強調しているが、Wikipedia:中立的な観点に、「「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています」とあるとおり、科学的な観点よりも中立的な観点が採用されるべき観点です。
考察
A 本来、Meltbenn(私)とNEONさんとえくりぷすさんがノートで議論を行うということが本来の保護の解決条件であるが、それがほとんどうまくいっていない。これが編集保護の直接的な原因である。私は議論を継続しています。
B 次に、あら金氏による中立的観点に疑問が残る形の投票による分割が提案された。これは主要な点は「酵素」の件ではなく、食物繊維やヒト中心に偏っているといったことが大きい。しかし、投票とコメント依頼に時間が浪費されているというのが現実です。私は頻繁に議論を継続しています。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:46 (UTC)

2月から6月(4ヶ月間経過の要旨)[編集]

  • 2008年2月7日 あら金氏の参加
  • 2008年2月11日 あら金氏による投票の提案 当方Meltbeenは反対する。
  • 2008年2月29日 投票終了 投票のため議論の軽視というか、進展がない。
Meltbeen(当方)は「#投票の終了に際して」という節で、「観点が対立したので多数決をとり、中立的な観点ではなく生物学の観点を選択すること」はWikipediaのルールであると受け取った。また、編集合戦の直接的な当事者である利用者:えくりぷすが頻繁に発言していただけない、なかなか基本方針をご理解いただけないため交渉に時間がかかっています。
  • 2008年3月3日
投票の決定は基本方針の通りであると受け取ったので、このような投票についてWikipedia:中立的な観点へ記載するよう提案する。しかし、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述に提案した結果、スのGさんとあら金さんが提案を否定したのでコメント依頼となった。
  • 2008年3月6日 中立的な観点について
コメントがほとんどつかないのでまるまる3ヶ月ぐらい進展なし
  • 2008年5月28日 議論再開コメント依頼の回答ではほとんど解決はのぞめなかった。

以上のように、頻繁に登場しない利用者との交渉や投票などの時間のかかる適切なやりとり、3ヶ月のブランクがあります。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 18:41 (UTC)

補綴[編集]

  • 2008年2月26日 (火) 利用者:背番号9氏により投票の是非に関してコメント収集(Wikipedia:井戸端/subj/投票と合意形成)が図られた(以下に引用する)
    「投票そのものに反対する参加者がいても、投票の実施とその結果は有効かどうか?」に対して以下のコメントが寄せられた。
    1. 『結論としては「投票するという合意がとれてない投票結果は議論の結果とは呼べない(参考にすることは可)」』
    2. 『「投票の合意は議論の流れから自然でありかつ妥当なものであり、投票結果は議論の結果として扱うに等しい」』
    3. 『合意形成が得られない場合の投票は、その投票を批判する場合は 「本来あるべき投票選択肢が無いしているため、その選択肢を追加しない限り投票は認められない」という理由しかない。』 (尚、Meltbeen氏の要求に相当する。『選択肢1 「投票を打ち切り、議論を継続する」』は存在している)
    尚、このコメントは2008年2月29日 (金) 10:21 (UTC)にノート:栄養素に通知される。

--あら金 2008年6月7日 (土) 20:10 (UTC)

--あら金 2008年6月7日 (土) 20:10 (UTC)

あら金氏の主張の分析(他者の動向含む)[編集]

あら金氏の対話拒否が起こっているので、早急な解決に向け分析をしてみます。--Meltbeen 2008年6月10日 (火) 22:56 (UTC)

2月7日に登場したあら金氏は、翌日、急遽、多数決を要求する。 これは、Wikipedia:中立的な観点どれかひとつを正しい観点として主張するようなことのないようにすべきですWikipedia:検証可能性を無視し、Wikipedia:合意形成Wikipedia:投票の指針などにある合意形成プロセスを考慮していない。

私は異議を提起して、合意していません。多数決を請求します。--あら金 2008年2月8日 (金) 19:10 (UTC)
ヒトに関する応用科学である農芸化学・食品化学・健康科学・栄養学上の概念は一つに纏めて整理し、栄養素 (栄養学)移動していただければ結構です。--あら金 2008年2月9日 (土) 03:57 (UTC)

そして、投票の結果、投票者には生化学の人間が多く、Wikipedia:ウィキペディアへようこそにある激しい論争が繰り広げられているような事柄においては、論争の一方の当事者の見解のみを喧伝するような記述は避け、両論を併記するバランスのとれた記述を心がけてくださいなどは無視され、生化学の観点で多数決が取られた。

また、あら金氏は、以下のような見解を述べ、議論(談合=合意形成?)の拒否を開始し続ける。 「ウィキペディアは民主制ではありません」し、多数決より合意形成である。このようなWikipediaの基本方針を考慮せず、誤論を拒否して「世論を取り付けてくだされば従います」という独自ルール宣言を続ける。 これは、「Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応じないにも該当する。

ここでMeltbeen氏と私とで談合して私の発言を翻したとあっては、その一貫性の無い行動により私の信用は地に落ちます。なので私は投票により判明する多数意見に従うという点を宣言しておきます。以上 --あら金 2008年2月11日 (月)
選択肢をご提案いただき世論の支持を取り付けてください。宣言したとおり多数意見に従います。--あら金 2008年2月12日 (火) 15:45 (UTC)
三度目なので次回からは指摘するつもりはないです。次回は「談合はしません」としか書きません。。--あら金 2008年3月4日 (火) 10:33 (UTC)

しかし、観点を選択するための投票をWikipedia:中立的な観点に記述できるか提案した。Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述では、あら金氏はそれには反対している。

コメント依頼のため議論にまるまる3ヶ月ほどブランクができる。そしてあら金氏が、「建設的な提案」を期待し、再び議論拒否も開始する。

投稿ブロック解除の合意条件に関して反対を唱えられているのは同氏だけなので、二週間以内に合意形成に向けて建設的な提案を期待します。--あら金 2008年5月28日 (水) 03:00 (UTC)
期限内にコメント依頼を総括し、建設的なご提案をいただけない場合は、二度にわたり議論進行に必要な提案をしなかったことになります。二度目ということはうっかりではなく、恣意的に提案を回避することによって「意図的なノートでの議論妨害を図った」と私は判断いたします。そしてその判断に基づいて合意系形成に必要であり且つWikipediaのルールに適合した申し立てを講じますので、皆様ともご周知いただくようご依頼申し上げます。--あら金 2008年5月30日 (金) 03:52 (UTC)
Meltbeen氏にご質問いたしますこのブロック解除の合意案をまとめる為の建設的な提案をされておりますでしょうか?共同作業するつもりがあれば何らかの建設的な提案があると存じます。--あら金 2008年6月2日 (月) 00:12 (UTC)

meltbeenは、6月5日に提案として「#まとめ(2008年6月初頭)節」を作成するが、あら金氏は以下のように評価し始める。

具体的・直接的に「この様にする」ということではないので、どこまで行っても建設的な提案ではないです)。--あら金 2008年6月5日 (木) 23:07 (UTC)
ここでの議論はMeltbeen氏の論が正しいかどうかの評決ではありません。「どうしたら編集合戦の原因が除去されたとコミュニティの総意として納得できるか」ということが議論の目的です。同氏の意見には納得されない人がまだまだ沢山いるということを示しているだけと存じます。--あら金 2008年6月5日 (木) 23:07 (UTC)
私の案は二月の投票の時点で選択肢として提示済みです。またその案について複数の方が同意を示されていますので、特に案を変更する理由もないと考えております。逆に、一人の者の歓心を引くためにコロコロと案を変えては先に同意された方に失礼ですから私はそのようなことは致しません。つまり、前にも指摘しましたように「私は交渉はしない」ということです。--あら金 2008年6月5日 (木) 23:33 (UTC)

世論性・多数決制の独自ルールを要求し続け、上記の発言を再び強調すれば議論を明確に拒否しているということです。

私は交渉はしない」ということです。--あら金 2008年6月5日 (木) 23:33 (UTC)

6月11日現時点では、世論性・多数決制の独自ルールを要求し続け、Wikipediaの基本方針に合致しているのかといったことを確認するための議論を拒否している。「Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応じないが続いている。

--Meltbeen 2008年6月10日 (火) 23:25 (UTC)

どのような分析といっておられますが、文脈の前後を引用は正確にしていただきたいものですね。結局、他者の発言の一部の意味を再定義する行為は情報の合成に過ぎず、他者の発言の改ざんです。正式に抗議いたします。--あら金 2008年6月11日 (水) 01:44 (UTC)
文脈の前後は全文のログが読めるので問題がないかと思いますが。独自ルールの宣言と、明確な対話拒否が行われていることは確認できました。--Meltbeen 2008年6月11日 (水) 11:33 (UTC)

解決案の提示[編集]

保護解決に向けての議論であるという主張が繰り返されていますので、批判や賞賛なしで解決策をいろいろ提示してみるのもどうでしょうか?--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:58 (UTC)

えくりぷすさんによる委任は「編集方針について、以降えくりぷすは、特段発言しない限り、スのGさん、あら金さんの意見と同じと思ってください。万一、スのGさんとあら金さんの間に意見の対立がある場合にはその件に関しては中立です。一種の委任だと思ってください。良いですねMeltbeenさん。えくりぷす 2008年3月2日 (日) 14:10 (UTC)」という発言がありますので、生物学・生化学あるいは科学的な観点ではなく、中立的な観点を採用し、検証可能性をみたすという基本的な編集方針を採用すれば保護解除の合意が形成されませんでしょうか?これがもっともWikpediaのルールに則っており、基本的な流れかと思います。ひとまず、スのG氏による「科学的な観点が採用されるべきだという中立的な観点で否定されている個人的な主張」を退ければ、無用な議論が減りますね。さらにえくりぷすさんの委任に共有されます。その後に、投票はどうであるのかを話し合えば速いかと思います。その点は、スのG氏もあら金氏もWikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述にてこのような投票を否定されていますが。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 21:30 (UTC)
結局のところ、Meltbeen氏が納得することが合意なのではありません。、Meltbeen氏の提示した具体案が、「誤解することなく全員が理解し同意することが合意」です。Meltbeen氏は他者の見解は否定はされますし、自論による解釈を演説はされますが具体案の提示はされていません(「…などとは言っていない。…に近い気がする」というのは抽象的・間接的な発言であり、具体的・直接的に「この様にする」ということではないので、どこまで行っても建設的な提案ではないです)。
このように、今回の列挙も具体案ではなくこれまでの議論に関してMeltbeen氏が自己の見解について正当性を述べているだけと存じます。ここでの議論はMeltbeen氏の論が正しいかどうかの評決ではありません。「どうしたら編集合戦の原因が除去されたとコミュニティの総意として納得できるか」ということが議論の目的です。
最後に重要なことを書きますが、合意形成されたかどうかは管理者の判断です。そして議論にわざわざ口をはさまなかった他の人も全員納得することが合意です。その為には提案を他者の案と比較可能な形式で明確に提示して一定期間反論がつかないことを待つ必要があります。Meltbeen氏の論に異を唱える方が次々新規参入する方が絶えないのは、同氏の意見には納得されない人がまだまだ沢山いるということを示しているだけと存じます。
つまり「そんなことを言っているのは貴方だけですよ」ということです。その様な状態では、編集合戦が起こらないと管理者が納得することは困難と考えます。--あら金 2008年6月5日 (木) 23:07 (UTC)
当方はWikipediaの基本的なルールを重視しているだけです。もし多数がWikipediaのルールに反するならば、協調性を保持するためにそのルールを採用すべきだということは「ウィキペディアは民主制ではありません」で否定されていますよね。
Wikipediaのルールに反する活動を否定しているだけですよね。当方は、中立的な観点を採用しようと主張しているだけですよね。
一方的な断罪ではなく、根拠に基づいた具体的な意見を提示してください。またできれば、この節では具体的な解決案を提示してください。
議論にわざわざ口をはさまなかった他の人も全員納得することが合意です。」これは現実的な発言ではないですよね。現在参加していない他者の意見までもが全員合致することは現実的に考えておかしいですよね。
一方的に断罪するのではなく、納得できる理由を提示してください。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 23:10 (UTC)
「そんなことをいっているは貴方だけですよ」というのは一連の事実の総括であり、少数意見であることが理由で邪であるなどと発言されている方も私を含めておられないと存じます。したがって「少数意見が断罪されている」とお考えになるのは杞憂にすぎないと存じます。
Meltbeen氏は私が解決案を提示していないと事実誤認されているようですが、私の案は二月の投票の時点で選択肢として提示済みです。またその案について複数の方が同意を示されていますので、特に案を変更する理由もないと考えております。逆に、一人の者の歓心を引くためにコロコロと案を変えては先に同意された方に失礼ですから私はそのようなことは致しません。つまり、前にも指摘しましたように「私は交渉はしない」ということです。--あら金 2008年6月5日 (木) 23:33 (UTC)
当方は、中立的な観点の採用を主張しているだけです。科学的な観点の主張は明確に否定されるべきですし、観点の分割には異論を唱えます。ウィキペディアは民主制ではありませんもご理解下さい。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 23:39 (UTC)
「科学的な観点の主張は明確に否定されるべきですし」という発言は訂正されますか?公式見解ですか?--あら金 2008年6月5日 (木) 23:44 (UTC)
Wikipedia:中立的な観点しかしながら、一部のウィキペディアンはこの点について非常に強い思いを抱いており、「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じていますのことですね。WIkipediaの基本方針ですね。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 23:47 (UTC)
事実確認できたので、OKです。--あら金 2008年6月6日 (金) 00:02 (UTC)
議論もどって、ウィキペディアは民主制ではありませんは理解しています。したがって、「コミュニティの合意がとられたと管理者が判断する」と書いているではないですか。管理者は議論を尊重しますが、管理者自身の判断に基づいて投稿プロックの可否を判断します。これは民主制ではありません。
また、私はMeltbeen氏に思想信条を変えてくれと依頼したことはありませんし、どのような見解を演説されても止めなかったと考えます。しかし、Wikipediaの執筆は共同作業ですから個々人の思想信条とは別に共同作業上の支障についてはルールに則って申告したいと考えております。--あら金 2008年6月6日 (金) 00:02 (UTC)
少数が「中立的な観点」を主張し、多数が「科学的な観点」を主張したとき、この少数派はWikipediaの共同作業の妨害しているという主張でしょうか?断罪のみが続き、具体的な問題の指摘がなされていませんがWikipediaのルールに則っての説明を行ってください。そのような断罪が共同作業でしょうか?何を問題にされているのか分かりません。Meltbennが記事を分割することに賛成しないということでしょうか?--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 00:09 (UTC)
この版で宣言していたと記憶しています。したがって「具体的な問題の指摘がなされていませんが」というMeltbeen氏の指摘は事実誤認です。また先日の宣言の記述からは「思想信条を主張すること自体を問題視している」わけでもないことは明白です。--あら金 2008年6月6日 (金) 00:20 (UTC)
現在、何を問題にしているかというようなことが、過去に話したものとまったく同じであるかどうかということは分からないので随時ご説明下さい。Meltbeenのみを断罪して、2週間という期間を決定してということは共同作業でも、合意のあるコミュニケーションでも議論でも何でもありませんので、再三お願いしますが、Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論をお願いします。
Meltbeenは、ウィキペディアを利用するにあたって一番目に重要とされる「中立的な観点」という重要な方針について十分な理解を示し、中立的観点を放棄するための多数決投票に反対し、自らの投票も拒否し、コミュニティが変な方向へ行くことを回避しようとしました。しかし、活動期間が長期のユーザーは、対立を根拠に投票で決定した以外の学術観点について記述を許さないというルールを他者に要求しました。これは基本方針を理解していないばかりか侵害している。基本方針が把握ができていないと気づいた時点で投票が重大な方針を無視しているために無効であるという解説を早期に行なった上で、基本方針熟読期間として投稿ブロック依頼を依頼できなかったことについて、民主制ではなく自発的に責任を取るというようなことでしょうか?
あら金氏の発言に具体性がかけていて意図が取れません。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 00:27 (UTC)
Wikipedia:中立的な観点」に従えば、「むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアに説明するという任務の一部です。」とあるので、「ある利用者の常識から逸脱している観点は、多数決によって中立的な観点を無視し特定の観点を採用し、記事を分割する」という主張は「Wikipedia:中立的な観点」と矛盾しています。
Wikipedia:中立的な観点」に従えば、「しかしながら、一部のウィキペディアンはこの点について非常に強い思いを抱いており、「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています」とありますので、「科学的な観点」より「中立的な観点」を採用すべきです。
Wikipedia:完璧な記事に、「読者がその主題の解説に欠かせない部分を見るために他のページを訪れなくてもいいようにすべきです。他の同種の記事にもあるような基本的な情報を含んでいます。」とあるように記事を分割した後、似た内容は他の記事には書けないということもありません。
以上のようなWikipediaの基本ルールを受理しないことが共同作業の妨害であると考えますがいかがでしょうか?--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 00:51 (UTC)
なるほど、そういう動機だったのですね。じつに分かりやすく総括されています。ただし「むしろわれわれの任務」という部分は、是非同意者の存在が提示されてほしいところですね。四か月で二回コメント依頼して一人も賛同者が表れないのでMeltbeen氏はもっと賛同者の発掘に力を尽くすべきです。
自ら他人を説得する権利放棄はその人の自由意思に基づくものですからそれに対してはコメントすべき点は皆無です(思想信条を変えるつもり意図ははじめからないですから)。だからといって、一連の既成事実がコミュニティがどう判断するかの意味合いを変えるわる根拠になるわけでもないです。つまり私がどう判断するかということは些細なことですよ。--あら金 2008年6月6日 (金) 01:05 (UTC)
「動機」ではなくて、「Wikipediaのルールが何であるかの説明」ですよ。ルールに従ってくださいというとき、Wikipedia上のルールも提示せずに共同作業を妨害しているなどと指摘すれば、単なる独自のルールを押し付ける利用者であって、それこそ共同作業の妨害者ですからね。このため、Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論が行われる必要がありますよね。
賛同者を求めよといいますが、少数が「中立的な観点」を主張し、多数が「科学的な観点」を主張したとき、この少数派はWikipediaの共同作業の妨害しているという主張でしょうか?わたしは、Wikipediaの基本ルールを受理せず独自ルールで多数派をつくることこそ共同作業の妨害であると考えますがいかがでしょうか?
中立的な観点をはじめとするWikipediaのルールには、記事ごとに多数決などによって独自ルールによってくつがえす「余地がある」という主張ですか?
しかし、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述を否定されていますが。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 02:11 (UTC)
いずれのMeltbeen氏の持論も、「そんな解釈しているのがMeltbeen氏だけでない」という根拠があったら説得力があるのかも知れません。また、彼の持論は私の発言からの引用ではなく、彼が類推・想像した感想なので私が意見すべきものではないことも明白です。説得力が無い上に自己の発言とは異なるので私はMeltbeen氏の感想については支持しない点だけ明確にすることとします。まあ、私の見解自体は些細なことです。しかし他の方の見解やあるいはコミュニティの総意がどのようであるかはそれぞれ明白になると存じます。(Wikipedia‐ノート:中立的な観点の反対コメントの理由も当時と同様修正すべき点は皆無です)--以上の署名の無いコメントは、あら金(会話履歴)さんによるものです。 2008年6月6日 (金) 02:36 (UTC)
あら金さん、何度でも申し上げることになりますが、Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論を行ってください。主張の根拠が欠けていますよ。
選択肢は二つですね。
選択肢1 中立的な観点を採用する案
わたしが常に主張している案ですよね。
根拠A Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述をスのG氏・あら金氏、両者ともに否定されていますよね。しかし、ここで行った投票はなぜか否定していない。矛盾した独自ルールの押し付けではないのかということです。
根拠B 編集合戦の当事者であるえくりぷすさんは決定をスのG氏とあら金氏に委譲している。(これが有効なのかどうかは知りませんが)「編集方針について、以降えくりぷすは、特段発言しない限り、スのGさん、あら金さんの意見と同じと思ってください。万一、スのGさんとあら金さんの間に意見の対立がある場合にはその件に関しては中立です。一種の委任だと思ってください。良いですねMeltbeenさん。えくりぷす 2008年3月2日 (日) 14:10 (UTC)」。保護の解決は、スのG氏とあら金氏との合意形成に委譲・移行したということでしょうか。
根拠C スのG氏による「私の科学的良心にも反します」「個人的には、新 栄養素の関連項目 の節で酵素栄養学に触れる程度なら反対はいたしませんけれど。」などという主張は「Wikipedia:中立的な観点」に従って否定されているので、これを他人に強要はできませんよね。つまり、「しかしながら、一部のウィキペディアンはこの点について非常に強い思いを抱いており、「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています」とありますので、「科学的な観点」より「中立的な観点」を採用すべきです。
ほかには、むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。
Wikipedia:完璧な記事に、「読者がその主題の解説に欠かせない部分を見るために他のページを訪れなくてもいいようにすべきです。他の同種の記事にもあるような基本的な情報を含んでいます。」似た内容は他の記事には書けるというのがWikipediaである。
以上の理由により、中立的な観点を採用することが妥当かと、私は思います。
選択肢2 編集方針が「対立」したため生物学・生化学の観点を採用し、医学・栄養学の観点の記事を分割する案
スのG氏とあら金氏のとっている案ですね。記事の分割です。独自ルールはこうなりますよね。この記事は、編集方針の対立のため検証可能性中立的な観点の方針よりも、生物学・生化学による視点を優先することが多数決で合意形成されました。生物学・生化学で言及されないことは、ヒトの健康科学・栄養学を主とした「栄養素 (○○○)」において取り扱うこと。
したがって、やはり「医学と栄養学(ほかに学問以外のものも)は生化学的や生物学的な観点から逸脱した観点であるので排除する」ことがしたいので「多数決で記事の分割を決定する」というようなこともあるとWikipedia:中立的な観点のノートに提案し採用できないということであれば、そんな独自ルールは通らないということですよね。この点、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述をスのG氏・あら金氏、両者ともに否定されていますが。
選択肢2を主張するということは、基本的な方針を十分に理解していない、あるいは理解しようとしないのではないのかと思いますが、いかがなものでしょうか?Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論を求めます。
--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 05:57 (UTC)
加筆ありがとうございます。さて、Meltbeen氏は解決案として提示した案は私、あら金Su-no-Gさん、えくりぷすさんは提案を撤回し、投票で同意を表明したものも、同意を撤回しろという趣旨と存じます。まあ、何であれMeltbeen氏が自分で決めた提案なので案の内容を弄るつもりは全くありません。ただ、他の方とではなく自分ひとりで共同作業するつもりであることは明確になりました。また、三月の主張と同一なので建設的な提案ではなく昔の提案を引っ張り出してきたということで解釈いたします。
私はMeltbeen氏の解決案は同意しないことを正式に表明します。その根拠は、Meltbeen氏がルールの解釈を誤認識しているからです。文章解釈を誤認識しているかどうかは複数人によって解釈を相互比較することで検証は可能です。いままで多くのルールの解釈をこのノートや他のノートで拝見していますが、ついぞMeltbeen氏の解釈と同じと思える解釈には出くわしたことがありません。それ故、「そんなことを言っているのは貴方だけですよ」と申し上げました。他の人はMeltbeen氏(の意見が正しい間違っているではなく)ルール文章の解釈は正しいとおもっておられるのでしょうか?また、あるいはなぜ同氏の解釈に関して四か月の二回のコメント依頼の間にMeltbeen氏の解釈を賛同するコメントがなかったのでしょうか?
まぁ、さて、私の見解は些細なことです。他の方はどうおもわれているのでしょうか?--あら金 2008年6月6日 (金) 06:49 (UTC)
「そんなことを言っているのは貴方だけですよ」との評、まったくもってそのとおり。--えくりぷす 2008年6月12日 (木) 16:21 (UTC)
上の #投票がWP:NPOVを覆しているか の節で、私は「投票の決定は中立的な観点に反していない」という趣旨のコメントをしました。これはMeltbeenさんのルール解釈とは異なっているところでしょうから、議論の必要があるのでしょうけれど、それへの直接的な回答はなく、Meltbeenさんご自身のルール解釈に基づいた主張を繰り返されるコメントをなさっています。コメント依頼に投稿された文がどのようなものであったか存じないのですが、とりあえず上節にある「ノート:栄養素#採決に関して で提案された投票が Wikipedia:中立的な観点 に反しているかどうかご意見を募ります」に基づいたコメントだったわけで、これにお答えいただけないままこの「まとめ」の節を作成なさったのはどのようなご意思なのか、よくわかりません。
なお「方針さえ守っていれば何をやって良いとも思っていません」とのことですので、仮にご自身が方針を遵守なさっている場合で不測の事態が起こっても納得してくださるような気がします。--Calvero 2008年6月6日 (金) 14:23 (UTC)
Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論を再三にわたって要求していますが、「ごく少数の多数決に従わないので妨害だ!」という主張が繰り返されていますね。
ウィキペディアは民主制ではありませんし、したがって多数決より合意形成が重視されますよね。
したがって、多数決による独自ルールの押し付けにならないように、Wikipediaのどの基本的ルールに則っているのかという説明を求めています。
あるいは、少数が「中立的な観点」を主張し、多数が「科学的な観点」を主張したとき、この少数派はWikipediaの共同作業の妨害しているという主張でしょうか?再三要求していますが、通常の議論を求めます。
あら金氏は、ルールの解釈を誤認識しているからですと述べますが、多数決が根拠になっていますよね。
Calveroさんも、こちらへの一方的な主観による非難「議論せずコメントをしている」「不測の事態が起こっても納得してくださるような気がします」ではなく、やはり批判にしてもWikipediaのルール根拠に基づいた議論を求めます。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 21:43 (UTC)
別にMeltbeenさんが私のコメントについて議論したくないのであれば、それは自由であると思います。私とMeltbeenさんが一対一で議論しているわけでもないですしね。そのことに起因してどのような結果が与えられるかについてはわかりませんけれど。「Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論」を私は既に行っていますが、それに関する直接的な返答はなかった。これは事実であって、主観ではないと思いますがいかがでしょうか。これを方針に即しているかどうか示すとすれば、そのような行為は Wikipedia:投稿ブロックの方針#8.1項 議論の拒否や妨害 で解説されている「~また、編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも~」のうち「話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合」に該当する可能性があると考えますがいかがでしょうか。--Calvero 2008年6月7日 (土) 07:34 (UTC)
すみませんが、どこでどのような返答がなかったのか明示して返答を求めた上でそのような発言をしていただきたいのですが、そうでなければ一方的な非難・個人攻撃ですよ。質問や根拠の明示が必要なわけですよね。
現状のままでは「Calveroさんのある発言に対して、Meltbeenにこのようなに返答を求めていたが返答しなかった」という独自ルールによる一方的な非難ですよ。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 07:44 (UTC)
2008年6月6日 (金) 14:23 (UTC) のコメントで場所は書きました。返答と修整があったので「上の~」「~よくわかりません」は撤回はしますが、別に即座に応答せよということではありませんから、急がなくとも結構です。ただ、あらかじめ誤解が避けられる表現を用いるなど、できれば議論の進行は丁寧にお願いしたいです。「Calveroさんのある発言に対して~」というのはルールというほどのものではないでしょう。--Calvero 2008年6月7日 (土) 08:30 (UTC)
Meltbeenは返答しているのに関わらず、「Calveroさんの希望したような返答がなかった」のでMeltbeenは返答していないと述べていますよね。独自ルールによる一方的な非難ですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 08:45 (UTC)
ご返答あるいはご訂正があったのは 2008年6月7日 (土) 07:34 (UTC) のコメントのあとですし、それ以前のコメントでは明確な回答といえるものではなかったと存じます。互いに主観の主張ということになりますが、どう判断されるかは読者に任せればよろいしいのではないかと思います。ルールの定義がわかりませんが、私の発言は別に強制力を持つ性質のものではないでしょう。--Calvero 2008年6月7日 (土) 09:08 (UTC)
こちらは、2008年6月6日 (金) 21:23 (UTC)に返答していますが、どういうことをおっしゃっているでしょうか?またこの指摘は、議論と何が関係あるんですか?--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 09:28 (UTC)
間違えましてすみません。私のこの節での最初のコメントは 2008年6月6日 (金) 14:23 (UTC) ですから、それよりも後ですよね。それ以前、すなわち 2008年6月5日 (木) 19:13 (UTC) のコメントは「明確な回答といえるものではなかった」と言っています。主観ですけれどね。またあら金さんより「他の方はどうおもわれているのでしょうか」とのことですので、Meltbeenさんの本ノートにおける議論姿勢について思うところを述べました。これは議論が正常に行われているかどうかに関連する事象であると存じます。--Calvero 2008年6月7日 (土) 09:47 (UTC)
Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり「自分と意見があわない」というのは悪意の証にはなりません。コミュニケーションする:自分の意見が通じるか不安がある時には、他の人に理解してもらえるよう、また他の人の考えを正しく理解するように一段の努力をしましょう。友好的に振る舞うだけでも格段に状況が好転します。ウィキペディアの方針から逸脱しないなどの方針を参照してください。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 19:54 (UTC)
Meltbeen氏はルールを熟読されているでしょうから引用はしませんが、編集合戦が発生しないという全員の合意が必要です。全員の合意ということは全員の見解を1つにまとめるということを求めています。投票結果では1つに集中してしまいましたが投票を無効にするという選択肢もありましたしMeltbeen氏がそれに投票すれば見解は2つに割れたということです。つまり、投票は見解をまとめる為の方法にすぎませんし(複数見解を述べている方もおられるので)皆の支持する見解がどれであり、それがどのように分布しているかの調査の意味しかありません。その調査とは別に合意の為には見解を1つにまとめることが求められています。したがって賛同数の数が多いすくないにかかわらず相手を取り込まなければ意見は1つに統合されません。なので「賛同者の発掘に力を尽くすべきです」と申し上げたのは賛同者を増やさない限りはMeltbeen氏の意見で1つに統合される見込みがないからです。ご自身の主張の正当性を陳述するということと他者を説得して賛同者を増やすということとは全くことなります。つまり「賛同者が現れない原因が他者にあると再三再四主張しても(すでに主張済みであるが故に)賛同者を発掘する足しにはならない」と考えます。また私のこの宣言は変更も撤回もしません。つまりMeltbeen氏が賛同者を増やし世論の支持を取り付けたとしたら、私の思想信条と相容れないものであったとしても合意形成には同意します。しかし、現状では賛同者がなく統合案となる見込みに達しておらず、私の見解とも異なる以上は合理的な理由がないので同意できません。そういうことです。--あら金 2008年6月6日 (金) 23:21 (UTC)
あら金氏は多数決はWikipediaの強固なルールなので、多数決による決定についてWikipediaの基本的なルールを侵害していないかを議論することは共同作業の妨害であるという主張ですね。独自ルールの押し付けの可能性に関わらず多数決制を受理せよ。Wikipediaのルールに則って議論を行うMeltbeenは共同作業の妨害であるという独自ルールの主張ですよね。
わたしは、Wikipediaは民主制ではありませんし、Wikipediaの基本ルールを受理せず独自ルールで多数派をつくることこそ共同作業の妨害であると考えますので、Wikipediaのルールに則って合意に達するよう議論を要求しています。--Meltbeen 2008年6月6日 (金) 23:50 (UTC)
履歴によると「共同作業上の支障についてはルールに則って申告したいと考えております。」というのが私の発言です。発言に無い以上、上述の「あら金氏は主張ですよね。」はMeltbeen氏が創造した感想です。
さて、上記の共同作業というのは目的、方法など意見を当事者で共有して1つの作業に当たることです。意見を共有するには当事者間で確認作業が必要です。確認は一方的な行為では成立しません。具体的には様々な方がMeltbeen氏に確認を求めています。二月からずっとですから NEONさんとか、Su-no-Gさんとか、背番号9さんとか、かげろんさんとかです。新規ではCalveroさんとかSu-no-Gさんもありました。それぞれの確認に際して、Meltbeen氏が不作為のままで継続することにより、彼らとの共同作業自体に支障をきたしています。二月からずっと足かけ4か月ということは初回ではないので、申告により改善を図りたいということです。(些細なことですが、私の「建設的な提案」という依頼もお返事は正当性確認の請求であり、私が確認を求めた要点はなく、議論を進展させるという意味では不作為と考えています)--あら金 2008年6月7日 (土) 00:44 (UTC)
わたしは、議論という共同作業をWikipediaのルールも重視した上で継続させていますよ。
期間が延びている理由というのは
  • 編集合戦のもう一人の当事者である、利用者:えくりぷすさんがあまり登場せず、また検証可能性などの方針をなかなか理解できなかった。もう一人の編集合戦の当事者であるNEONさんが議論放棄した。
  • 中立的な観点を退けるような主張がなされなかなか結論が出ない。
  • 中立的な観点を退けるような多数決の結果が出たため、コメント依頼で期間が延びる。
というような理由ですね。背番号9さん、あら金氏による多数決はWikipediaの強固なルールなので、多数決による決定についてWikipediaの基本的なルールを侵害していないかを議論することは共同作業の妨害である。という繰り返される主張には賛成しかねます。
方針を十分に理解していない人々の意見による多数決ではなく、Wikipediaのルールによって合意形成するということです。
あら金氏の主張が繰り返されるだけでは早期解決はなされませんので、そのためにWikipediaのルールに基づいた指摘による議論という共同作業を再三にわたって要求しています。
NEONさんは生物学の観点を強要した後、議論放棄をなさっています。Su-no-Gさんは分割して記述せよという独自ルールかどうか怪しいルールを強要していますので、議論の余地があります。
ある返答でなければならないとか、議論を進展させるななどという独自ルールを押し付けることもお止め下さい。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 01:24 (UTC)
取り急ぎ個人的な希望だけ述べます。「独自ルールかどうか怪しいルールを強要しています」とおっしゃるよりも、「合意のためのローカルルールの提案」とご理解いただければ幸いです。ともあれ、私の提案に対して Meltbeenさんが「強要」という印象をお持ちになることは分かりました。次に何か提案するときは「これは提案です」と明記することにします。--Su-no-G 2008年6月7日 (土) 03:56 (UTC)
了解しました。さまざまな独自ルールが提案されているので文体に荒れが出てしまってすみません。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 07:44 (UTC)
◆まだ、全部読んでいないですけれど、人の発言を勝手な解釈を乗せて、印象操作をしないで下さい。中立性以前の問題です。--背番号9 2008年6月9日 (月) 02:14 (UTC)
別に、私の見解は既に書いていますし、それでも些細すきで説得力がないでしょうから、「他の方の見解やあるいはコミュニティの総意がどのようであるかはそれぞれ明白になると存じます。」と申し上げています。--あら金 2008年6月7日 (土) 01:33 (UTC)
議論は行わないということでしょうか?それは合意形成のための共同作業の拒否にはなりませんでしょうか?--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 01:41 (UTC)
私は「思想信条と異なっていても世論が支持すれば合意には同意する」といっているよねぇ。他の人を待たせておいて時間がもったいなくないかなぁ。まあ、君の時間だし君の人生だから指図はしないよ。--あら金 2008年6月7日 (土) 01:52 (UTC)
Wikipedia:礼儀を忘れないの参照をお願いします。また、独自ルール(思想信条)の押し付けよりも、Wikipediaのルールを参照することが重要です。さらに何度も繰り返してしまいますが、Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論という共同作業を再三にわたって要求します。Wikipediaは、思想信条による多数決制ではないですよね。そのような独自ルールの宣言・押し付けでは、Wikipediaの基本方針の考慮ができていないということですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 01:59 (UTC)
まあ、いいけど。私の発言の履歴を調べたよ。たしかには期限は切ったが、これはMeltbeen氏も頻繁に行っていることだ。したがって、期限を切ることが強要にあたるというのは筋が通らない。また、Meltbeen氏が独自ルールの宣言といっていることに関しては、Meltbeen氏以外からそんな宣言をしてもらっては困るどころかそんな宣言があったというクレームも来てないし、期限内にその独自ルールを受諾しなさいという私からの発言も確認できない。つまり、期限内に議論発展に寄与する提案や行動、あるいは不作為のまま放置している確認事項はちゃんと対応するように勧告はしたが具体的な行動内容は指定した発言はないよ。すなわちすべて君の自由意思に任せているのだから強要の体をなしていないよ。君は昔も今も任意の行動がとれるよ。それは保障する(ただしその自分の行った行動や放置すると決めた不作為の結果は引き受けてもらわなくては困る)。きみのクレームは私の発言が元であるという根拠を履歴に見出すことができないし、陳述が不完全であり、同時に言語明朗なれど理解不能だから回答はしないよ。また、創造に基づく感想については、他人の感想に論評するのは全く議論に貢献しない。つまりMeltbeen氏の知的好奇心は満足するかもしれないが、他の参加者には不毛だからそんな論評はしないよ。実際のところ私は他人の意見を聞いてからでもコミュニティの総意が出てからでも何ら困ることはないし、他人の意見を聞いてからでも不都合を生じることはないよ。--あら金 2008年6月7日 (土) 04:27 (UTC)
Wikipedia:礼儀を忘れないを参照を行ったうえで、Wikipediaのルールに基づいた指摘による議論という共同作業をお願いします。全体的に発言が抽象的過ぎます。「期限を切る」「そんな宣言」「勧告はしたが具体的な行動内容は指定した発言はないよ」(何を勧告し、何を指定していないのか)「不作為の結果は引き受けてもらわなくては困る」(何が不作為であるか)「陳述が不完全であり」(根拠がないので不完全であるのか評価できない)などなど、何を述べているのか分かりませんので具体的な発言をお願いします。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 06:54 (UTC)
あら金氏とコミュニケーションがとれず一方的に共同作業を妨害しているという主張の押し付けが繰り返されるばかりで議論を行っていただけないのですが、あら金氏の主張は以下のようなものであるととっていますがいかがでしょうか?
生化学以外の観点を認めない利用者が居たので、Wikipedia:検証可能性の放棄とWikipedia:中立的な観点ではなく生物学・生化学の観点を採用することを多数決で決定し、編集保護の早期解決を図った。しかし、MeltbeenがWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性に反するという理由でこれを受託しない。したがって、Meltbeenは共同作業を妨害している。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 07:01 (UTC)
違うと思います。すくなくとも「Wikipedia:検証可能性」と「Wikipedia:中立的な観点」について理解および適用の仕方が誤っている利用者がいる内容が含まれる内容であると思います。「私はMeltbeen氏の解決案は同意しないことを正式に表明します。その根拠は、Meltbeen氏がルールの解釈を誤認識しているからです。」(あら金さん、2008年6月6日 (金) 06:49 (UTC))とあるので明確であると存じます。--Calvero 2008年6月7日 (土) 07:45 (UTC)
そのあら金氏の意見は「なぜ誤認識であるのか根拠がない」ので評価基準が不明な一方的な非難です。評価基準を開示することで議論やコミュニケーションができるとは思いませんでしょうか?--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 07:50 (UTC)
クレームは発言に基づいて実施していただきたいですねぇ。上記の「生化学以外の観点…したがって、Meltbeenは共同作業を妨害している。」という結論が私名義の履歴にある発言ですか?また、私はMeltbeen氏の提案が唯一の合意案とは考えてしません。今からでも投票選択肢3が世論の支持を集めれば私はしぶしぶ同意するでしょう。投票選択肢1でも同様です。そういう宣言をしているのにもかかわらず、Meltbeen氏の案に関してセカンドオピニオンを待つといったら議論遅延による妨害者呼ばわりですか…--あら金 2008年6月7日 (土) 07:58 (UTC)
あら金氏が、何が共同作業の妨害であるのかといったことの具体的な指摘を拒否されているので、わたしはあら金氏が求めている早急な解決のため確認を求めて尋ねているだけですよ。具体的な議論という共同作業をお願いします。
また、Wikipediaは、思想信条による多数決制ではないので、世論を根拠にするという独自ルールの宣言は、Wikipediaの基本方針の考慮ができていないということですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 08:07 (UTC)
容認できないからといって、他者の主張をぜんぜん違うものとして提示するのはいかがなものかと思います。仮にあえて逆説的に示すことで不同意を求めるものであっても、わざわざそんなことをせず最初から直球で言ったらよいのではないかと思います。--Calvero 2008年6月7日 (土) 09:00 (UTC)
「何が共同作業の妨害であるのかといったことの具体的な指摘」とはこれのことですが、これが具体的な基準の提示でないかどうかもセカンドオピニオンを募集します。この提示した条件がMeltbeen氏のクレームに変化したとするといったいだれが私の発言を改変したのでしょう?また、「私は世論が支持すればその案に同意する」という発言を他人に対して提案した事実もないですが…このように陳述が不正確では理解や回答ができるわけがないです。--あら金 2008年6月7日 (土) 08:23 (UTC)
世論を根拠にすると宣言しているとしかこちらは言っていないので、「他人に対して提案した」というのは事実誤認ですよね。
「建設的なご提案」が何であるのかを、早急な解決のために具体的に分かりやすく説明してください。まわりくどい抽象的な書き方があることを指摘していますが、具体的な明示の拒否が繰り返されれば、これでは早急な解決は行われず、あら金氏にとっての重要概念である共同作業の妨害ですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 08:41 (UTC)
指図するつもりはないと申し上げましたとおり、他の方の意見をよくお聞きになって全員が合意が可能な案をご提案ください。私は超能力があるわけではないですので、あなたの案を具体的に代筆することは不可能です。貴方の不作為や的を外した提案を持って、私の行為と言われましても…このように陳述が不正確では理解や回答ができるわけがないです。--あら金 2008年6月7日 (土) 08:51 (UTC)
「指図するつもりはない」と「建設的なご提案」が関係していたということは説明されてないわけですので、それを知っておくべきだというの無理な要求です。
そういうことでしたら、この節で経過説明と議論の要求と解決の提案をしていますが、それをあら金氏が議論を拒否しているので決定が遅延するのはあら金氏の判断である部分が大きいということですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 08:58 (UTC)
私はあら金さんの上記投稿は十分に具体的であると思いますし、一般常識に照らしても容易に理解可能と思います。主要な論点でないところに優先して反論を行うから(2008年6月1日 (日) 20:04 (UTC))、こういうこと(具体的な指摘を拒否されているので、というご発言)が起こるのではないかと思います。「建設的な提案」が何であるのかわからない、というのがよくわからないのですが、「本項目の編集方針の決定および保護解除のための合意を得るために必要とされる」建設的な提案であることは明らかではないでしょうか。さすがに「こういう提案をせよ、と示せ」というわけではないと思いますけれど。--Calvero 2008年6月7日 (土) 09:00 (UTC)
私は、この節で経過説明と議論の要求と解決の提案をし、議論の継続を行い、「あら金氏による対話」を求めていますが、
あら金氏は共同作業の妨害という言葉を多用しているので、「建設的な提案」が何であるのか具体的な説明を求めているわけですよ。
あら金氏が、編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応じないので、共同作業が行えなず、保護解除が遅延しているということですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 09:05 (UTC)
ご質問について日本語としては読めますが、私の発言事実に即しないことを私に求められましてもご回答はできません。なので妨害とのお申し立ては筋違いと存じます。もしそれがMeltbeen氏の陳述が不正確なためコミュニケーションが成立しないのであれば自助努力をお願いします。あるいは版差分リンクを使えば陳述は正確かと存じます。--あら金 2008年6月7日 (土) 09:54 (UTC)
(Meltbeenさんへのコメント)「経過説明」および/または「議論の要求」および/または「解決の提案」が「間違った方針の解釈」に起因するものであるとか、あるいは「具体案の提示はされていません」という指摘はされています。実質的に議論が解決される見込みはない、単に議論が振り出しに戻っているに過ぎない、議論と投票を経てもその結果が反映されていない、Meltbeenさんの当初のご主張から変更や修整が行われていない、ような提案であったということではないでしょうか。他のユーザー、というのはMeltbeenさんお一人のことですよね。--Calvero 2008年6月7日 (土) 10:04 (UTC)
(Calveroさんの主観の開示はこちらで対応)Calveroさんは、主観・自説が多いですよね。それはいいのですが、主観・自説に正しさを裏づけるにはやはり根拠を伴う必要があります。それまでは検証可能性のない仮説ですので、主観の押し付け、独自ルールの押し付けになる危険性を孕んでいます。それらは感想・憶測・仮説・主観です。
当初のご主張から変更や修整が行われていないのはわたしだけでもないですよね。つまり、重要なのは当初からの主張がWikipediaの主張に則っているか検証することであって、主張を変える必要があるのか検証していくことが重要ですね。ですから、議論が重要であると考えますが、合意形成のプロセスを破棄して主張を変更せよという、あら金氏、背番号9氏と同じような立場でしょうか?
また、非難的な発言が多いので、利用者同士の意見の対立を見かけたら、仲裁をしてみてください。Wikipedia:個人攻撃はしないの参照や。Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まりコミュニケーションする:自分の意見が通じるか不安がある時には、他の人に理解してもらえるよう、また他の人の考えを正しく理解するように一段の努力をしましょう。友好的に振る舞うだけでも格段に状況が好転します。ウィキペディアの方針から逸脱しない「自分と意見があわない」というのは悪意の証にはなりません。、なども参照してください。
(次のあら金氏への返答も参照して下さい。)--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 19:54 (UTC)
(あら金氏との議論をこちらに)再掲となり再掲を含みますが、私は、この節で経過説明と議論の要求と解決の提案をし、議論の継続を行い、「早急な解決を要求しているあら金氏による対話」を求めていますが、
それにもかかわらず、あら金氏は共同作業を妨害しているというようなことを多用しているので、「建設的な提案」が何であるのか具体的な説明ないし例示を求めているわけですよ。
あら金氏は、Wikipediaの基本方針を考慮せず、世論を根拠にするという独自ルールを宣言していますよね。以下のように、私は「思想信条と異なっていても世論が支持すれば合意には同意する」といっているよねぇ世論の支持を集めれば私はしぶしぶ同意するでしょうです。つまり、ウィキペディアは民主制ではありませんので、したがって多数決より合意形成が重視されますよね。
したがって、あら金氏が、基本方針の考慮ではなく独自ルールを宣言し、編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応じないので、共同作業が行えなず、保護解除が遅延しているということですよね。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 19:54 (UTC)
Meltbeen氏の提示されている引用から導出された結論は私の発言中からは発見できませんので事実誤認ではないかと存じます。どなたの導出を引用されたかは不明ですが、私の既存の引用からさらに合成された部分は私の発言・意見ではありません。私の発言事実に即しない結論に関する論評を私に求められましてもご回答はできません。また事実誤認がそんざいする以上、合理性が無い為に同意に値しません。また私の発言に関しては書いてあるそのままを認識いだければ十分であり、どなたであれ発言をさらに演繹や合成などしていただく必要はございません。--あら金 2008年6月7日 (土) 20:58 (UTC)
事実誤認、建設的な提案についての詳しいご説明や議論をお願いします。一度言ったことの意図が、それだけで正確に伝わるというのは、非現実的な要求であることをどうか理解下さい。あら金氏はわたしは言っているという主張がありますが、二度三度説明したり、事実誤認があるというのはやはり、怒りたくなる部分もあるかとは思います。しかし、一度言ったあとにも対話や説明が必要だというのが通常の話し合いの手順です。現在は意見不一致という状況ですので、より一層に説明に説明を重ね、議論を行っていくことが重要ですので、どうかよろしくお願いします。--Meltbeen 2008年6月7日 (土) 21:07 (UTC)
引用した事実をから導出や合成した考えが誤っているので「事実誤認」あるいは「誤認識」です。根拠が正しいものであっても、根拠に直接書かれていおらず、導出や合成して認識した部分(すなわち根拠には存在していない部分)が誤っているので「(事実)誤認」、「誤認識」です。どのように記述や言葉にしてもあたが知覚したものを意味に変換するプロセスである認識は伝達することはできません。
自転車が走っていることを知覚したとき、日ごろ自動車に乗っている人は「自転車は遅い」と認識し、日ごろ歩道を歩く人は「自転車は早い」と認識します。つまり人間の内面にしか存在していない部分の「…遅い」、「…早い」という認識だけ切り出して記述することはできません。
私の認識に基づく見解はすべてノートに提示済みです。そして「認識」は記述できないのでこれ以上記すべきものはないと存じます。
貴方の認識がその他おおぜいと異なっているので「そんなことを言っているのはあなただけですよ」と申し上げました。認識が異なっていること自体に正邪は存在しませんし、だれもそのことを問題にしているひとはいないと考えます(考えるということは認識の結果として生成する概念です)。
そして考えた結果である意見・見解は認識から導出したり合成することで記述や言語にしたものです。「独自か否か」という点もどのように認識するかという問題なので記述で伝達できない点です。
認識が伝達できない以上、貴方とはことなる意見・見解を提示して「事実誤認」あるいは「誤認識」ですとしか言いようがありません。「異」認識ということばは存在しないので「(事実)誤認」あるいは「誤認識」という用語をもちいるしか手段はないです。そして「誤」という言葉にあるいは「あなただけですよ」という言葉に「邪」であるというニュアンスを感じるとったとしてもの、それはあなたの「認識」の結果です。この様に「認識」はあなたの内面プロセスの問題ですからそれらについて私がお手伝いできることは皆無です(わたしは超能力者ではないので認識を伝達するテレパシーは持っていません)。--あら金 2008年6月8日 (日) 01:59 (UTC)
何度も申し上げますが、議論拒否をお止め下さい。意見の相違があるのは現実的なことです。テレパシーは持っていませんので、現在は意見不一致という状況ですので、より一層に説明に説明を重ね、議論を行っていくことが重要ですので、どうかよろしくお願いします。--Meltbeen 2008年6月10日 (火) 21:53 (UTC)
Meltbeen氏は引用に対して自己の考えを合成して他者に同意を求めているのにすぎません。あるいは単に他者の発言やウィキペディアの方針やルールを分割して、新しい意味を合成することで架空の議論を展開しているだけなので、Meltbeen氏の見解はどこまでいっても他に類を見ない独自な見解に過ぎません。また、Meltbeen氏は議論やコメント依頼において、自己の都合の悪い発言は無視したり、新たな議論を提起し回答をはぐらかすこともしばしばであり、善意の第三者が新規コメントしても自己の都合の悪い発言は当事者ではないと主張することで議論からの排除を試みることも常であります。あなたの不当行為には正式に抗議いたします。--あら金 2008年6月11日 (水) 01:48 (UTC)
また、Meltbeen氏はWikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論するを拒否して、私との単独議論のみを要求していますが(私は当初からセカンドオピニオンを求めています)なぜこのルールを排除なされるのでしょうか? --あら金 2008年6月11日 (水) 03:18 (UTC)
ということは、ステップ2「当事者が対話する」を排除なされているということでしょうか?--Meltbeen 2008年6月11日 (水) 11:33 (UTC)
事実の引用はリンクがあるので質疑応答は不要です。引用から合成された結論は貴方の「事実誤認」が原因なのでそれを根拠として貴方のご感想には同意致しません。これが議論のすべてです。この様に毎回同一なので議論も毎回同一となります。それだけのことです。Meltbeen氏は一月終わりから引用から合成された同じ結論を提示されています。また昔も今も「事実誤認」されているという理由は変わりはないので、私の回答も「同意致しません。」という点には変わりはありません。五箇月弱というのはステップ2「当事者が対話する」の期間として十分な期間と考えます(もちろん、履歴を調べれは数十回のおなじことが繰り返し提示されそれぞれ応答があったことは明確になっているので、議論の量の点でも十分と考えます)。--あら金 2008年6月11日 (水) 23:47 (UTC)

記事分割へと多数決で決定された投票を無効とすることの確認[編集]

Wikipedia:中立的な観点#中立性に関する争いについてに従えば、われわれはウィキペディアがどんな偏った見方を提供すべきかについては論争すべきではありません。ウィキペディアはどんな風にも偏っているべきではないのです。(中略)われわれはお互いの観点を理解し、それぞれの観点がフェアーに提示されるように努力することを目標にしなければなりません。ということとなります。当ノートにおいて、このような合意形成へと至る有益な対話が行われました。この方針に従えば、既に多数決で決定された栄養素(仮として栄養学)への分割を無効としなければならないので、議論の摩擦を懸念して行動を控えていましたが関係者に確認を取ることに致します。分割を無効にするか否かに対しての意見を投票関係者から募集いたします。以下に各人による合意あるいは拒否の意見をよろしくお願いします。

なお、えくりぷすさんは、編集方針について、以降えくりぷすは、特段発言しない限り、スのGさん、あら金さんの意見と同じと思ってください。万一、スのGさんとあら金さんの間に意見の対立がある場合にはその件に関しては中立です。一種の委任だと思ってください。良いですねMeltbeenさん。えくりぷす 2008年3月2日 (日) 14:10 (UTC)という宣言を行っていますので、この宣言の考慮もよろしくお願いします。

投票の参加者は以下の6名です。

  1. あら金
  2. NEON
  3. Luna plena
  4. スのG
  5. 背番号9
  6. えくりぷす

--Meltbeen 2008年7月10日 (木) 12:04 (UTC)

(無効に不同意)理由:投票は意思表明であり、3月時点から現時点においてルール改正なと存在しませんでしたので判断を変更すべき環境変化は皆無です。撤回すべき理由は何ら見出されません。--あら金 2008年7月10日 (木) 12:41 (UTC)
(確認提案自体が無効+コメント)投票時の部外者が言うのも何ですが、該当の投票結果は議論の参考意見としては有効とみなされます(ここを参照)。よって、当確認は意味のないものと判断できます(さらに、私はかつてMeltbeenさんに保護解除に向けての建設的な提案をするようにお願いしましたね)。それにも関わらず、今更、投票の無効確認とかナンセンス極まりないと思いますが?--かげろん 2008年7月10日 (木) 12:51 (UTC)
(たぶん)3月の投票を提案したときも同じことを言っていたので、単純にもう一度確認したいのだと想像します。結局、「そんなこと言っているのはあなただけですよ」ということが分かるだけなのですが…返事をしないと「一週間で議論放棄」で、「沈黙は同意」と言い出すので返事をしておいたのですよ。--あら金 2008年7月10日 (木) 13:29 (UTC)
(不同意)記事の分割は記述を不可視化するものではないため中立性を損ねるものではありません。もしも分割することそのものが中立性を損ねるという理由で分割が差し止められるのであれば、その理由はここ栄養素だけにとどまらず、記事の枠組みを整備するための分割全てに反対できる万能の理由となりますので、ここのノートよりもむしろ Wikipedia:記事の分割と統合 のノートで是非を問うべきでしょう。--Su-no-G 2008年7月10日 (木) 13:21 (UTC)
(Meltbeen氏に勧告)Wikipedia:記事の分割と統合のノートで是非を問う前に、自分の見解に最低一人以上の賛同者がいることを確認してからでも遅くないと考えます。--あら金 2008年7月10日 (木) 13:33 (UTC)
(不同意)整理のために分割が提案されたのであって、特定の立場に不当に偏ったものとは思えない。--Luna plena 2008年7月10日 (木) 14:06 (UTC)
(不同意)中立性を根拠にこのような確認を促す事は、方針の乱用もしくは曲解以外の何物でもありません。- NEON 2008年7月10日 (木) 15:03 (UTC)

酵素に関して[編集]

(追記)酵素に関しての議論が再び始まっていますが、投票の合否や編集合戦などの本論から反れますので、別の節にさせていただきます。--Meltbeen 2008年6月20日 (金) 06:40 (UTC)

(コメント)お二方の会話に割り込んで申し訳ありませんが、Meltbeenさんは、「解決案の提示」と銘打たれていますが、肝心の案(具体的に「~~と記述するべきだ」など)をまったく出されておられないのではありませんか?なぜ、文案をお出しにならないのでしょうか?それと、もう一点は、まだ拘束力がないガイドラインの草案段階とは言え、Wikipedia:信頼できる情報源の内容にも配慮した文献選びが必要だと考えます。Wikipedia:信頼できる情報源の分野ごとのアドバイスの考え方からいくと、エドワード・ハウエル氏の著作などは、この栄養素の記事に対する出典として取り扱うことは避けるべきであると考えられますが、その点についてはどうお考えですか?ご回答をお願いします--かげろん 2008年6月11日 (水) 12:54 (UTC)

解決策を提示してみましょうという節です。またWikipedia:中立的な観点を提案しています。エドワード・ハウエル氏は酵素栄養学を提唱したという著名性があるので、百科事典のWikipediaとしてはその主要な原典を脚注に持ってくるのは妥当だと考えます。--Meltbeen 2008年6月15日 (日) 12:17 (UTC)
(コメント1)なるほど、著名性ですか。それならば、エドワード・ハウエル酵素栄養学の記事の方を充実させるべきです。私は先日あなたに、こちらの方は「エドワード・ハウエルは酵素を栄養素だと主張しているが、主流の意見ではない。詳細は酵素栄養学を参照。」程度の文章の記述のみで済む話ではありませんか?と申し上げました。また、本文の大根ジアスターゼの話は、栄養素の記事の中では完全に蛇足です、というか不要でしょう(大根ジアスターゼの話が百科事典の栄養素の記事に本当に必要でしょうか?もっとほかに充実させないといけない箇所があるでしょう?)。
(コメント2)「生物学+生化学」と「栄養学+健康科学」への観点の分離ですが、暫定で一度やってみるべきだと思います。一度記事を分離させて、各分野の記事で問題点を徹底的に洗い出して、ボリュームアップするところとシェイプアップするところとを調整してから、再度、統合提案を出して、統合に持ち込めば済む話なのではないでしょうか。それを一々反対していたら保護解除もろくに依頼出来やしません。その方向性を検討されてはいかがでしょうか。目下、検討しなければならないことはいかに合意を形成して保護を解除してもらうかであり、基本方針の解釈について議論することではないはずです。投票結果も合意に向けての方法としてその意向は無視されず、尊重される方向にあります。基本方針は悪質な荒らしでなければチェックしているはずのものです。中立的な観点の問題についても一度分野を切り分けて洗い出してみた方が、より建設的な記事の作成に役立つこともあると思いますがどうでしょうか?
(追伸)基本方針を示して回答おしまい、という回答方法はあらかじめお断りしておきます。私がお聞きしたいのは保護解除に向けての建設的な具体案ですので。--かげろん 2008年6月15日 (日) 14:46 (UTC)
(追記)何を充実させた以下などは共同作業場、各々の得意分野をやればいいのであって、このノートページで何を充実させるか責任転換をするのは建設的ではないのでそのようなやり取りはやめましょうよ。--Meltbeen 2008年6月20日 (金) 07:16 (UTC)
(コメント)「各々の得意分野をやればいい」との意見は、たしかにそれがWikipediaの最大の利点でしょう。しかし、此度はこの記事や栄養学の保護に至ってしまったわけですよね。それを無視して「このノートページで何を充実させるか責任転換をするのは建設的ではないのでそのようなやり取りはやめましょうよ。」とは編集合戦に至った当事者の発言としては無責任すぎやしませんか?どうして、”責任転換”なんて言葉が使えるんでしょうか、すごく疑問に感じます。あと、この記事の保護解除を考えていく上で、「争いの原因と思われた点について何か合意や見通しが立ったように見える場合」が、おそらく当記事の保護解除理由として必要になるでしょう。”争いの原因と思われた点”はこの記事の方向性そのものに関連していると思われますが?--かげろん 2008年6月20日 (金) 11:23 (UTC)
それは酵素栄養学の記事で行われています。まあ、酵素の話は分割するにしても分割後に継続される論点なのでやはり別の節で議論したほうがいいと思います。
  • 主流の意見ではない。詳細は酵素栄養学を参照。」程度の文章の記述のみで済む
ログを読めばわかりますが、こちらは何度もそこに同意しています。
  • 観点の分離ですが、暫定で一度やってみるべきだと思います。
ということですが、基本方針に抵触するかしないかの議論が先であるかと思われます。理由は以降を参照してください。
  • 目下、検討しなければならないことはいかに合意を形成して保護を解除してもらうかであり、基本方針の解釈について議論することではないはずです。
ということですが、目下、検討すべきことは基本方針に従って合意を形成することであり、基本方針は、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。 (Wikipedia:中立的な観点)ということです。
以上のような理由により、''Wikipediaの基本方針に則って合意を形成することを提案し続けていますが、それは拒否および議論放棄されているので合意形成が遅延しているというのが現状です。--Meltbeen 2008年6月15日 (日) 15:18 (UTC)
何か話がそれているようなので、フォローしたいのですが。エドワード・ハウエルの著作は、(学術的観点から書かれている)「栄養素」の項目では不適切なのではないか、というのがかげろんさんのご意見であると存じます。これに対しMeltbeenさんは(著者が)「著名であるから」百科事典の脚注としては妥当である、と述べられています。この応答ではハウエルの著作は Wikipedia:信頼できる情報源 として扱ってよいか、が今ひとつ不透明なのではないかと思います。続くかげろんさんのコメントは「エドワード・ハウエルや酵素栄養学で(出典として)用いるのであればよい」という趣旨のものであるかと存じますが、やはり「栄養素」の項目では不適切ではないかということを含んでいるのではないかと思います。「それは酵素栄養学の記事で行われています」というお答えでは、結局うやむやになってしまっているのではないかと思います。
また「何度もそこに同意」とのことですが、まず「主流の意見ではない」と記述することには何度か「同意だ」というご趣旨の発言をなさっているところ、もう一方の「詳細は酵素栄養学を参照。」程度の文章の記述のみで済む」に関しては「現実的な案としては、「酵素を単独で栄養素と解釈する研究者もいるが、少数にとどまっている。詳しくは酵素栄養学を参照」の一文を入れて、詳細は酵素栄養学に任せるのが一番手っ取り早いと思いますが。--かげろん 2008年6月2日 (月) 12:11 (UTC)」への返信「出典のない記述は独自研究になりますが妥当な記述かと思います。--Meltbeen 2008年6月5日 (木) 20:11 (UTC)」の一度のみではないかと思います。ともあれ、その点で合意が得られたのであれば、それはそれでよいことです。
--Calvero 2008年6月16日 (月) 15:48 (UTC)
要するに、何を議論するかについてすら合意が存在しない、ということでしょうか。また、保護解除に関しては、投票の件とは無関係に議論してもよい、ということでしょうか。
--Calvero 2008年6月16日 (月) 15:48 (UTC)
エドワード・ハウエル氏の著作などは、この栄養素の記事に対する出典として取り扱うことは避けるべきである''今ひとつ不透明なのではないかなどは単なる主観であって、議論のための根拠ではなく意見・感想ばかり書くのはやめていただきたですね。。もう少し具体的な根拠が必要かと思われます。
Calveroさんによる(学術的観点から書かれている)「栄養素」'と主張していますが、一部のウィキペディアンはこの点について非常に強い思いを抱いており、「中立的な観点」の代わりに「科学的な観点」が採用されるべきだと信じています。 (Wikipedia:中立的な観点) という根本的な基本方針を理解すれば、このような発言は撤回すべきです。
酵素栄養学の記事の方を充実させることをしたならばとありますが、酵素栄養学の記事は充実していますし、それを行っても栄養素の記事に酵素について書かないということにはならないので継続される議論だといっているのですが、何はうやむやになってしまうのかはっきりとした発言をお願いします。
「酵素栄養学が、主流の意見ではないということにはMeltbeenが同意したのは2008年6月5日の一度のみではないか」という事実誤認に対しては、
  • 酵素が栄養素とみなされる視点もあるということで議論が止んでいるかと思います。--Meltbeen 2008年2月15日 (金) 17:27 (UTC)
  • 酵素を栄養素として取り上げるのは変だと思うんですが、両論併記だからまあそれはいいのでしょう。--Ks 2008年2月20日 (水) 11:08 (UTC)
  • 機能として栄養素とされることもあるという、そのPOVを示すということですね。--Meltbeen 2008年2月26日 (火) 05:06 (UTC)
などの発言とこれらの発言の前後のやり取りを根拠に事実誤認であると主張します。したがって、何度も過去ログを読まずに同じようなことを繰り返すのは浪費に過ぎないのでやめください。--Meltbeen 2008年6月20日 (金) 07:16 (UTC)
まず、私のコメントは上記の議論を分析し、それに基づいてやりとりの問題点を指摘しています。ですから応酬は理解の齟齬無く終了している旨を宣言するか、もしくは私ではなくてかげろんさんに応答なさってください。私自身のこの項目に関する意見・感想などは述べておりません。存在しない主張を作るのはおやめください。私の指摘は「この記事(栄養素)で「エドワード・ハウエル氏の著作などは、この栄養素の記事に対する出典として適切か」に関してうやむやになっている」です。いずれにしても「議論は丁寧に行ってほしい」というのが私のお願いです。もっとも、(学術的観点から書かれている)というのはかげろんさんのご意志を正しく反映していないとも思われるので、訂正します。「Wikipedia:信頼できる情報源の分野ごとのアドバイス」の「自然科学、数学と医学」節に照らした場合、エドワード・ハウエル氏の著作は適切かどうか、について、かげろんさんにお答えください。なお、かげろんさんがそれは不要である、とおっしゃるのであれば、無用な口を挟んだことをお詫び申し上げます。
次に、「事実誤認」の件ですが、私の申し上げているのは、例示していただいた

「主流の意見ではない」と記述すること

ではなく

「「詳細は酵素栄養学を参照。」程度の文章の記述のみで済む」に関して

です。事実誤認というのは誤認ではないでしょうか。また、そもそもの編集合戦の発端である重要な件について、すでに合意が形成されている、というのは大事なことではないでしょうか。はっきりと「まとめ(2008年6月初頭)」に掲示しておいたほうがよかったとおもいますが。「酵素については、検証可能性を満たしたので当初の議論メンバーからの反論はなくなっています」では事実と違うのでは? --Calvero 2008年6月20日 (金) 15:58 (UTC)
私の二月の提案である投票選択肢3へのコメントとして「今後の編集における原則以外とは(仮称)栄養素 (栄養学)への誘導するのに必要最低限の内容とする。例「…は栄養素 (栄養学)に詳しい」程度。」と提案しています。(引用リンク
一方Meltbeen 氏は2008年6月15日に「*主流の意見ではない。詳細は酵素栄養学を参照。」程度の文章の記述のみで済む:(改行)ログを読めばわかりますが、こちらは何度もそこに同意しています 」(引用リンク
栄養素 (栄養学)は仮称といっていますから分割基準を片寄せて、栄養素 (栄養学)酵素栄養学としても私は一向にかまいません。(具体的には栄養素側は『(酵素を栄養素とするという意見があるが)主流の意見ではない。詳細は酵素栄養学を参照。』と述べる程度であり、ほかの酵素の栄養素としての説明は酵素栄養学に書くということであると認識します。)
しかし、私は投票していただいたこの議論の関係者の代理人ではありませんから、Meltbeen 氏が私の選択肢3と新案とが違うといわれるのであれば、新案の提案者のMeltbeen 氏が具体的な案として提示して議論の関係者の確認とる行動を主体に行う必要があると考えます。意見を書いて、具体的な提案骨子を纏めて提示しないでただコメントを待つのは主体的な行動であるとは思えません。--あら金 2008年6月20日 (金) 10:06 (UTC)
「酵素を栄養素とするという意見があるが主流ではない。」というような記述になるような合意へと近づいた以上のような対話は、われわれはウィキペディアがどんな偏った見方を提供すべきかについては論争すべきではありません。ウィキペディアはどんな風にも偏っているべきではないのです。(中略)われわれはお互いの観点を理解し、それぞれの観点がフェアーに提示されるように努力することを目標にしなければなりません。(Wikipedia:中立的な観点#中立性に関する争いについて)に沿っています。非常に有益な対話が行われたことに感謝いたします。この方針に従えば、既に多数決で決定された栄養素(仮として栄養学)への分割を無効としなければならないので、議論の摩擦を懸念して行動を控えていましたが関係者に確認を取ることに致します。--Meltbeen 2008年7月10日 (木) 11:55 (UTC)

核酸の記述について[編集]

2008年1月23日 (水) 13:58; Meltbeen (会話 | 投稿記録) による版で「核酸も栄養素に分類されている[1]。」という記述がありますが、これはMeltbeenさんによる誤認識であると指摘しておきます。たしかに、当該文献のP.31-32では「F.核酸の種類と栄養」という節が設けられているのは事実です。しかし、当該文献のP.18では「現在では,タンパク質,脂質,糖質,ビタミン,無機質と呼ばれる5つの食物成分が不可欠であることがわかり,これらを栄養素と呼んでいる.」という記述があります。また,同ページの図2-1ではグルコースが代謝されてリボース-5-リン酸(核酸成分供給機能)に向かうことが明記されています。この点を無視して核酸を栄養素であると主張することは読者のミスリードを誘うものであります。結論としては,保護解除後に核酸に関する記述は削除すべきです。--かげろん 2008年7月5日 (土) 13:15 (UTC)

  1. ^ 独立行政法人国立健康・栄養研究所監 『基礎栄養学 改訂第2版』 南江堂、2005年10月。ISBN 978-4-524-24206-1
ご指摘ありがとうございます。了承しました。--Meltbeen 2008年7月7日 (月) 15:47 (UTC)