ノート:板垣退助

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  • 板垣の父は乾正成ではなく板垣栄六なのですが同一人物でしょうか。kuty 2006年12月16日(土)4:52(UTC)
    • 正成は諱、栄六は通称です。退助の代に板垣姓に復姓したので、正成の代には板垣姓を名乗っていません。しかし、明治5年編成の戸籍には、戸主板垣退助、「亡父板垣榮六」とあるので、引用元によって記述が分かれているだけで同一人物です。藩政文書によれば諱も「信成」から「正成」に改名、通称も「魚之助」、「左賀江」、「左近兵衞」、「丈右衞門」と改名しています。--桂浜会話2021年6月21日 (月) 01:28 (UTC)[返信]

退助と板垣氏について[編集]

ノートで議論しようと言っておいて何も書いてないのは礼儀に反すると思うのだが、仕方ない。こちらから提議する。

  • 既に何度も(関連記事でも)書いた事だが、まず、退助と乾氏初代乾正信との間に血縁は無い。退助は永原刑部一照の次男、正行の子孫であり、正信の血脈ではないのは明らかである。そもそも、正信自身、板垣信方の孫だという説があるに過ぎない。(こっちについてはとりあえず事実だろうとは思うが。)南路志なる書籍に(まだ俺は見ていないのだが)書かれているというだけのことで、板垣氏本来の主君、武田氏のいかなる文献にも、このことが記載された形跡が無い。以上、2点を以って、当記事に板垣氏(甲斐源氏)の家紋について記載するべきでないとコメントする。--影綱 2008年12月15日 (月) 00:40 (UTC)(南路志を閲覧し、この記述がなかったことを確認したので打ち消し線 --影綱 2008年12月18日 (木) 23:27 (UTC)[返信]