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ノート:東北地方の経済史

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この記事の性格について[編集]

  • この記事には、独自の用語(「日本海側勢力」『拠点』など)が、この記事内できちんとした定義がなされないまま使用されていることが以前から気になっていました。
  • また、この記事が伝えようとしているものが何なのか、という点が非常に気になります。というのは、「東北地方の経済史」というタイトルならば、たとえば東北地方全体の産業の発展や商品流通についての内容が中心になりそうなものですが、私が見る限り、そうでもありません。どちらかというと、東北地方の各都市圏の盛衰史とでも言うべき内容が中心になっています。記事タイトルの変更も考えなければならないかと思います。
  • さらに、経済史にそれほど明るくない私が言うのも問題かもしれませんが、この記事は然るべき参考文献を元に作成されたものでしょうか? 非常に気になります。どうもそうではないように感じられますが?

駄言 2006年10月12日 (木) 03:26 (UTC)[返信]

駄言さん、こんにちは。ご質問の件についてお答えします。
  • 「日本海沿岸勢力」→文中に説明が書いてあります。
  • 「拠点」→一般名詞として使用しているので、特別に定義が必要な理由が分かりません。具体的にどの部分か訊いて下さい。
  • 東北地方の歴史の項目では、経済史関連の書き込みが削除される傾向があったので独立した記事にしたのですが、「東北地方の経済史」という記事名については私も悩みました。都市の経済史やミクロ経済マクロ経済と異なり、同時多発的に各都市で起きている経済の動きを地方全体でまとめるとなると、純粋な経済史の他に、流通・交通インフラの変化・人口変化・都市毎の経済変化をミックスしないと「個別記事でもよい」となるので、時間横断的な経済地理学交通地理学商業地理学など)と時間縦断的な歴史地理学も記載しています。そのため、純粋に「経済史」ではないかも知れません。しかし、それ以外にいい記事名がないのも確かで... ということで、記事の初めに「経済基盤の歴史、富を巡る攻防、都市の盛衰について述べる。」と但し書きしています。また、産業発展や商品流通の変化を中心に書き、その結果として都市の盛衰を書いたつもりですが、それは、都市の盛衰を書いて文章中の一応の区切りをつくらないと、この地方にある全ての都市の1000年以上の歴史について書かなくてはならないからです。それは現実的ではありません。産業・流通の変化に従って拠点となった都市を書くことに、何の問題があるのでしょうか? なお、弘前は教育産業・観光産業などで東北地方の重要な都市ですが、教育・観光については他の都市についても割愛しています。
  • 「都市の盛衰」について気になっているようなので付け足しますが、東北地方は民間の大企業に乏しいため、県庁や市町村役場も経済の重要な牽引役となっています。記事中に予算規模の記載があるので分かると思いますが、特に県庁は、東北地方では大企業です。そのため、地方ニュースでは県の経済政策や公共事業に関する記事が多いと思います。特に90年代後半以降は、東北地方の民間企業の景気低迷で、県や県庁所在地の政策が経済に大きな影響を与えています。この記事では、東北地方の経済において重要な位置を占める県庁や市役所も、経済活動をする「企業」の1つとして記載しているため、それが「都市の盛衰」のように読めるかも知れません。でも、飽くまで「経済史」における「企業」としての扱いです。
  • 参考文献は、歴史・経済の文献のほか、新聞やネット上の公的機関の情報など無数にあります。また、「経済史」であることを踏まえ、統計をなるべく用いて、曖昧さを排除し、且つ、中立性を欠くことがないように記載したつもりです。というより、この記事は、東北地方の経済界における一般常識的な知識をまとめただけなので、特段問題になるような踏み込んだ内容はないと思っています。仙台の地域モデルについては、以前、仙台が広島都市圏を参考にしていたことは、仙台市役所や河北新報に問い合わせてくれれば普通に説明してくれると思います。福岡経済圏へのモデル転換については、岩手県・宮城県・山形県の3県合同での車産業誘致の協定をする際に、九州の例をあげていただけでなく、日銀仙台支店も比較をするに至っているので、もう一般常識として記載してもいいと思って書きました。
以上、「中立性が担保されていない」とのご指摘にお答えできたでしょうか? もね~るmoner 2006年11月14日 (火) 16:24 (UTC)[返信]

もね~るmoner さん、こんばんは。お答え頂きましてありがとうございます。 もね~るmonerさんの地理学に関する造詣の深さには感服いたします。

 ただし、この記事については、前近代に関する内容に少々疑問があります。

  • というのも、先日のご回答の冒頭にあった「日本海沿岸勢力」ですが、具体的にどの家を指すのでしょうか? 私の場合、漠然と、古代なら阿倍比羅夫の時代の津軽蝦夷、中世なら十三湊の安藤氏などを思い浮かべますが、ほかの時代はいかがでしょうか? すぐには思い浮かびません。他の文献等で「日本海沿岸勢力」という言葉を使用しているものがあれば御教示をお願いします。
  • 「拠点」という言葉もまだ疑問は解けていません。「地方支配の拠点」「仙台に拠点を移した伊達氏」ならば、拠点という言葉の意味はわかります。しかし、「県庁所在地の拠点化」という言葉が少々分かりづらく思えます。私は、「拠点」という言葉を見ると、それが誰にとっての、何のための「拠点」か、ということを知りたくなります。「拠点」とはなんらかの「中心地」以上の意味を持たないのでしょうか?
  • 参考文献については、多数にのぼるであろう事は上記により推測できますが、それでもなお気になります。少なくとも、前近代(つまり、明治維新以前)の東北の歴史について、参考になされた文献がありましたらご紹介願います。

以上3項目駄言 2006年11月15日 (水) 14:24 (UTC)  [返信]

駄言さん、こんにちは。
  • 「日本海沿岸勢力」は、一般名詞の繋ぎ合わせであって、固有名詞ではありません。ですから、見出しの言葉として本文に書かれたくらいの定義ではだめでしょうか? 日本海沿岸地帯振興連盟(略称:日沿連)のように「日本海沿岸地帯」でまとめても良かったのですが、それだと「経済活動」に焦点が当たらず、一般の歴史と変わらないので「勢力」としました。この記事は「経済史」なので、駄言さんが例示されているようなある程度の版図を持った為政者による貿易の他に、渤海使の立ち寄った野代湊、戦国時代の廻船式目に記された三津七湊の秋田、出羽国府の外港でのちに北前船が立ち寄った酒田港、日銀秋田支店(初期)の管轄域の港など、漁民たちの片手間な商売や名も無い商人たちが活躍した経済地域として、また、縄文時代から明治時代まで連綿と続いてきた東北地方の経済圏として「日本海沿岸勢力」と書きました。政治・軍事面から見た一般の「歴史」では、「環日本海地域」「日本海周縁地域」との言葉が散見されるのですが、これでは大陸側も入ってしまうし、「東北地方の経済史」としては守備範囲を越えてしまうと思って用いませんでした。Wikipediaはみんなの知識を持ち合う場なので、問題があるなら書き換えて下さい。よろしくお願い致します。
  • 「4.1 県庁の肥大化と東北6県それぞれの自立」の「県庁所在地の拠点化」の部分についてですが、その項目で工業のような民間大資本による産業基盤が薄い東北の県で県庁所在地が発展する理由が書いてあり、それのまとめとして「県庁所在地の拠点化」となっています。これ以外でも「拠点」との言葉は一般名詞として用いており、必ず理由が書いてあると思います。「為政者や支配者が住んでいる所」として「拠点」という言葉を使っているのではなく、資本の流れによってどの都市・都市圏にお金が集中し、その結果としてどこに一般庶民が集まってきているのか、という文脈の中で用いています。一般の歴史では、為政者の居城や軍事面で「拠点」との言葉があると思いますが、「経済史」なので、ヒト・モノ・カネ・情報が集約する所について「拠点」との言葉を用いています。
  • 私は、本屋での立ち読みや図書館の貸出図書から手帳に書き出して書き込んでおり、現在手元にはないため、どの文献に書いてあったか例示するのは難しいです。また、経済関連は、講演・新聞・自治体の広報・ネット上の確度の高い情報、その他専門書など多岐に渡っています。ネットですぐ見られる経済史的な資料として、日本銀行金融研究所貨幣博物館の研究論文があります(「江戸期の三貨制度について」など)。参照して見て下さい。 もね~るmoner 2006年11月16日 (木) 05:13 (UTC)[返信]

もねーるさん、こんにちは

  • 「日本海沿岸勢力」の件はわかりました。ただ、そのままの表現だと誤解を招きやすいことは否めません。「日本海沿岸の住民」とか「日本海沿岸の商人」などと、改める必要はあるかもしれません。「勢力」という言葉が付くと、いくら商業を行っているとはいえ、政治的あるいは軍事的権力をも持っている感じがします。
  • 「拠点」という言葉については、この項目本文の冒頭で定義付けがなされましたので問題はなくなりました。
  • 出典に関しましては、さまざまな図書・ウェブサイトであることはわかりました。ただし、これからも加筆・修正の必要性はあるでしょう。一例ですが、こちらも参考になるかもしれません。→http://www.athome.co.jp/academy/japanese_history/jph09.html
  • なお、先日来出しているこの項目の修正依頼は取り下げます。

以上4項目駄言 2006年11月21日 (火) 03:38 (UTC)[返信]

駄言さん、こんにちは。駄言さんのご意見を参考に、「日本海沿岸勢力」の部分を書き換えてみました。必要とあらば、編集お願い致します。今後ともご指導下さい。もね~るmoner 2006年11月22日 (水) 10:06 (UTC)[返信]

独自研究とこの記事の在り方について[編集]

みなさま、編集作業お疲れ様です。現在、この記事の冒頭に「独自研究」「出典不足」「大言壮語」のテンプレートがあるように、この記事には大きな問題があるように思われます。端的に申し上げれば、この記事は執筆者様の個人的歴史観・個人的論評・個人的関心事項(つまり独自研究)によって記事全体が構成されていて、そのような記事が今後も存続していくのはかなりまずいのではと思います。

この記事の成り立ちですが、 2006年5月31日に記事「南東北」からの分割で作成されました。しばらくして、このノートの上にある議論が行われました。その記述やノート:南東北での記述で、作成された方のお考えの一端が一応わかります。しかし、作成された方は本屋での立ち読みや図書館の書籍をメモしてこの記事を作った、東北地方の経済界における一般常識的な知識をまとめたと述べており、具体的な書名は1つも挙げられていませんし、現在の本文には数値に関する四箇所の外部リンクを除いて全く脚注もない状態で、検証もできません。唯一「ネットですぐ見られる経済史的な資料として日本銀行金融研究所貨幣博物館の研究論文がある」との紹介もありますが、インターネットアーカイブでこれを調べてみたところ、そこにあるのは主に古代から近代にかけての貨幣を中心とする研究資料であり、東北地方の経済史といえるような研究資料はありませんでした。このような状況から、現在のこの記事の内容は執筆者様の独自研究に寄るところが大きいと疑わざるを得ません。

私は東北地方の通史を扱う本を図書館で少しは読んでみたのですが(ただ経済に分類されている書棚は見ていません)、それで思ったのが、東北地方の歴史は経済的な事柄を中心に記述されている、ということです。この特徴は現代に近づくほど顕著です。東北地方自体は政治的組織を持たない一地方ですから、農業や工業などの産業がどう展開したのかということにおのずと焦点が当たるのでしょう。しかし、そのような書物の叙述と比較して、この記事には独自の論評や歴史観が目立ちます。東北地方の経済史という通史を叙述するためには、やはり東北の経済や歴史を俯瞰的に扱う専門的な資料が必要だと思いますが、私の見立てでは執筆者様はそのようなものに当たっていない。おそらく執筆者様はご自分が知っていることや関心があることだけで「東北地方の経済史」という歴史観をご自分の中に作ってしまっていて、それでこの記事を書いてしまったのではと推測します。もしかしたら、執筆者様がおっしゃってるように記事内で述べられている一つ一つの事柄は何かに書かれていることなのかもしれません。しかしそれらが都合よく合成されて、東北地方の経済史なるものが成り立っているとしたら、やはりそれはウィキペディアで禁止されている独自研究にあたります。独自研究の「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」の節で記されている「新たな叙述あるいは歴史解釈」が、まさにこの記事です。

この記事には歴史的事実も書かれており、全てが間違っているとは思いません。しかし、必要な文献に基づいていない独自の歴史観とそれによる記事全体の構成は問題です。記事の土台や骨格自体が独自研究であり、部分的に改善すれば直るという状態でもないように思います。そのせいでしょうか、2006年に立項されてまもなくこのノートの上の議論もありましたが、その後、部分的に除去されたり、要出典タグが付けられたりはあっても、立項から約18年間、おおむね昔の状態のままこの記事は放置されています。また、上で述べたように東北地方の通史を扱う書物の中でも経済に関する事柄はよく言及される要素であり、記事「東北地方」に歴史節があるのに、この「東北地方の経済史」を独立項目として維持する必要があるとは思えません。具体的には、この記事を白紙化の上、とりあえず記事「東北地方」の歴史節へのリダイレクトとするのがよいのではないかと考えていますが、もし信頼性のある文献に基づき一からこの記事を書き直せるという方がいらっしゃった場合は存続でも良いかもしれません。私の腹案は以上なのですが、この記事の在り方についてご意見がございましたらよろしくお願いいたします。--静山会話2024年1月29日 (月) 14:56 (UTC)[返信]

東北地方の歴史節へリダイレクトといたしました。告知テンプレートを付けた上で2週間ほど開けましたし、それなりの配慮をしたつもりです。上の長文の提案は読みづらいでしょうし、今回の問題の要点をもう一度、挙げます。
  • 出典皆無かつ東北地方の通史を扱う書籍の内容と比べて独自の叙述・論評で記事が構成されており、記事全体が独自研究と思われました。
  • おそらく執筆者様自身が知っていること、関心があることに独自の考察や論評を合成して記事を書いたものと推測します。
  • 東北地方の通史を扱う資料は経済的な事柄を中心に記述されています。従って、記事「東北地方」の歴史節と、記事「東北地方の経済史」をわざわざ分けて維持する必要はないでしょう。
  • もしこの項目を維持する場合は、信頼性のある文献に基づき一から書き直す必要があるでしょう。
私としては不要なリダイレクトとも思いますが、意見表明しているのが私だけの状態で削除依頼までするのは気が引けますので、とりあえずはこの状態で様子を見ようと思います。もし旧来の版の内容で検証可能かつ有用なものがあるとお考えの方がいらっしゃいましたら、転記ではなく新しい記述として東北地方の歴史節にそれを書き込むのが良いのではないでしょうか。またついでに恐縮ですが、通史の叙述に関して個人的意見を書かせて下さい。もっとも、ウィキペディアで通史を叙述するならばまず通史を扱った文献を基本資料とするべきでしょう、という取るに足らないような意見なのですが。世の中には主流とはいいがたいテーマ・論説・歴史観があります。極端な例ですが、もし執筆者が非主流なテーマ・論説・歴史観の資料だけを好んで選び、それだけで通史を叙述したらどうなるでしょうか。少なくともそれは百科事典記事の歴史叙述としては問題だと思います。非主流なテーマ・論説・歴史観自体を否定したりはしませんが、まず参考文献を列挙しているような信頼性のある通史資料(できれば複数)を基本として、その上で専門的な個別資料で加筆していく、というのがウィキペディアで通史を叙述する際の望ましい姿勢ではないでしょうか。--静山会話2024年2月12日 (月) 10:52 (UTC)[返信]