ノート:役所広司

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役所広司さんの生年月日に関する記述で、80年代初めに発表されたものと現在発表されているものが『大きく違っている』という部分がありますが、 少なくとも、1983年に発行された、NHK大河ドラマ・ストーリーに発表された生年月日では、現在と同じ昭和31年1月1日になっています。 役所さんの母校である長崎県立大村工業高校の同窓会記録にはK11(建設工業科11期生)と残っています。建設工業科が新設されたのは1963年4月です。 11期生の卒業は1974年ですから、役所さんは、現在発表されている生年月日で丁度18才。間違いないと思います。 1997年5月の報道で取材した記者が、当時78才だった役所さんのお母様の橋本フクヨさんの語られた、1957年7月末の諫早水害の時のエピソードを書いています。 1957年当時、『1才だった公司さんをちゃぶ台に乗せて、共に流されていった。』というものです。 さらに、役所さんは五人兄弟の末っ子ですが、15才上のご長男と同郷で同学年だったという脚本家の市川森一さんは1941年生まれですので、計算が合います。 『大きく違って』いたのは、何かのミスプリントではないでしょうか? ちなみに、役所広司さんがチョイ役でTVデヴューした、朝ドラ『なっちゃんの写真館』の脚本上では、役所広司が役所工事になっていたそうです。〜〜〜〜

生年月日に関する記述を修正してみました。2007年6月13日 (水) 21:52

本当の誕生日[編集]

先ほど、NHK あさイチ「プレミアムトーク 役所広司」の中で、本当は12/21なのですが、縁起がよいから1/1にしたらしいみたいな発言をしていました。録画していないので言い回しまでは覚えていませんが。(2012/4/20)

あさイチプレミアムトークを視聴した人のブログに本当は12月27日生まれと言っていたという記述がありました。