ノート:平山洋
『福沢諭吉の真実』の出版について
[編集]平山洋の記事に平山の著作のこと(『福沢諭吉の真実』の出版)を書くのは妥当です。別の記事「安川・平山論争」に同様な記載があるから削除するというのは、削除の理由にはなりません。無意味な削除はお止めください。--敷島健一 2009年10月17日 (土) 01:47 (UTC)
「無意味な記述」はウィキペディアの負担になります。その無駄を省くのは意味のないことでしょうか?当該記事をリンクするだけで十分でしょう。蛇足ですが、この箇所めちゃくちゃ独自研究臭いですし。削除の十分な理由となると思います。--Sumizu10 2009年10月18日 (日) 10:18 (UTC)
あなたの投稿記録覗いて思ったんだけど、もしかしてあなた「平山洋」本人?--Sumizu10 2009年10月18日 (日) 13:27 (UTC)
ええと、私は平山洋ではありません。
それで、『福沢諭吉の真実』の出版の記載内容に独自研究の疑いがあるというご指摘ですね。確かに、第3節の後半(下線部分)
第2次世界大戦後の福沢批判者が依拠している、侵略的絶対主義者福沢諭吉とは、実は石河幹明自身のことにすぎない、と平山は主張する。その主張が正しいかどうかを、決定的に証明することは困難である。福沢がある無署名論説に関与した、という証拠は見つけ出すことができるかもしれないが、無関与だった、という証拠を提示することは難しいからである。
および第4節全体(下線部分)
しかし、平山の主張が正しいということを、ある程度推測することまでは可能である。それは、福沢が署名入りで発表した、『福沢諭吉全集』の第7巻までの著作に、現在なお福沢を批判し続けている、安川寿之輔・遠山茂樹・子安宣邦・鹿野政直・ひろたまさきらが依拠する問題論説が、「含まれていない」、ということによってである。
は独自研究の可能性がありますね。
実は、「捏造された福沢諭吉像―今も進行する『東日流外三郡誌』汚染―」のページ中で、「2007年1月現在のWikipediaには次の文言が見られる」として上記の部分が引用されているのです。そして、「この評価は妥当なものと考える」とコメントされているので、妥当な記述かなと思っていました。それでも独自研究の疑いがあるといわれると、第4節に関しては確かになるほどと思います。残念ですが、この節は削除したほうがいいようですね。
ただ、第3節の後半に関しては、おそらく平山洋が「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」で「関係がある証明は可能だが、無関与の証明などできないのである」というコメントをしているので、このコメントに基づいて記載されていると考えられます。このコメントを参照するように修正すれば、独自研究の可能性はなくなるでしょう。
あと、第1節と第2節の記述である
その後2003年4月までに『福沢諭吉の真実』の原型を完成させた。この原型は、元慶應義塾福沢研究センター所長の西川俊作名誉教授の推薦により、出版の日の目を見ることになった。
この本は、今までの研究のすべてが依拠していた岩波書店刊行の『福沢諭吉全集』(1964年完結)の編纂が、そもそもでたらめであったことを出発点としている。すなわち平山によれば、現在の福沢像とは、全集編纂者にして『福沢諭吉伝』(1932年)の作者でもあった弟子の石河幹明(いしかわみきあき)が、自分で執筆した新聞『時事新報』の無署名論説(社説)を、『福沢全集』(1926年完結)と『続福沢全集』(1934年完結)に収めたことで虚構された「アジア蔑視者にして朝鮮領有や中国分割を目論んだ思想家」福沢諭吉なのである
の部分は記載としては妥当だと思います。2001年の「安川・平山論争」の結果として、『福沢諭吉の真実』が執筆されたという経緯と、簡単な内容紹介はあったほうがいいと思いますので、『福沢諭吉の真実』の出版の項目全体を削除しない方が妥当でしょう。以上のように修正して項目を復活しようと思いますがいかがでしょうか?--敷島健一 2009年10月18日 (日) 13:42 (UTC)
>ええと、私は平山洋ではありません。
あはは、了解しました。
>2001年の「安川・平山論争」の結果として、『福沢諭吉の真実』が執筆されたという経緯と、簡単な内容紹介はあったほうがいいと思います
確かに。
>以上のように修正して項目を復活しようと思いますがいかがでしょうか?
わかりました、同意します。 では、4節は削除、3節は修正、1,2節はそのままということで。
あと、個人的には第2節「でたらめであったこと」は「でたらめであるという認識」としたほうがよいかと思うのですがいかがでしょうか。--Sumizu10 2009年10月18日 (日) 15:23 (UTC)
ご同意ありがとうございます。 では、4節は削除、3節は修正、第2節「でたらめであったこと」は「でたらめであるという認識」に修正、1節はそのままということで変更してみます。--敷島健一 2009年10月18日 (日) 16:25 (UTC)