ノート:太陽に祈る会

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この記事をたびたび立てているのが可変IPなので、ここに書いておきます。記事の中で、即時削除されたのが不当な弾圧の類であるかのように書いてありましたが、単にWikipedia:基本方針とガイドラインに沿っておらず、かつ、書いた人物の主張を半ば日記のように書き連ねるというWikipedia:ウィキペディアは何でないかに反する内容だったことが理由です。Wikipedia:自分自身の記事をつくらないという方針もある通り、ご自身に関わり合いのある主題を立てる場合、特に注意が必要になります。

Wikipedia:独立記事作成の目安を満たすことをきちんと示し、Wikipedia:中立的な観点に沿っているなど、百科事典としての最低限の体裁が保たれていれば、少なくとも即時削除は免れる可能性が高いです。別途、Wikipedia:削除依頼で削除されるかどうかは、出来上がる記事の内容次第ですが。--Sumaru会話2018年10月24日 (水) 17:15 (UTC)[返信]

 「太陽に祈る会(宗教団体 → 体験型神様博物館)に関する記事の削除の復帰依頼」 [編集]

度々のご指導有難うございます。こちら側も、急いで質の悪い記事を投稿するつもりはありません。このような形で、会話ができ、その方向性にて、より優れた記事になりますことを、まず、礼を申し上げます。 さて、1.『個人的見解』と、仰せですが、これは、教祖の発言であります。この件に関して、ウソ・間違いありません。誓います。だとすれば、教祖の発言以外に一体何が宗教というものの、客観性を保証するものがあるのでしょうか? 逆に、お尋ねいたしたく思います。宗教・神とは、本来、目に見えないもの、そして、信者、その宗教に価値を見出す人ならば、信じなければならないものなのではないでしょうか? 例えば、神を(契約の)当事者に見立てますと、他の人には見えない=居ない、ということになるのでしょうが、信者は、そうは決して考えません。むしろ逆です。目に見えないけれども、必ず居る! それこそが、真実なのですから。それから、2.削除された部分には、詳しく書いてありますが、当会は、宗教団体から、教祖の逝去に伴い、神様博物館に衣替えを予定しております(一部、教祖の遺言を、「認知症になられた。」と称して、この博物館化に反対している信者も確かにいることは事実です。)。しかし、わが亡き教祖は、実は、教祖自身に並ぶほどに霊感のある信者が後継者として表れない事も生前に予言されており、そのために、今まで、宗教として集めてきたお堂・ご神体・経典といった有形物や、教義・修行法・礼拝法あるいは、他人に対する接し方といった生き方に関する事といった無形物をそれぞれ有形・無形の文化財として博物館を開いたらどうだろうかと考えていた可能性が強かったのです。実際に、その生前は、宗教団体であり、宗教法人でないがゆえに、脱税の汚名を着せられることになってしまった。それほどに、宗教団体という任意団体は、法的に不安定な立場なのです。もし、博物館に移行できるならば、この問題はすべて解決するでしょう。今後一切、脱税などといった世間一般に誤解を招くような事態には陥らないと思われます。また、教祖が亡くなられておりますので、新たな教義が発生すると言う不測の事態にも陥らない事でしょう。今まで、教祖の発言してきた内容をもとに全て再現、保存することに専念すれば、それで、法的に立場が安定するのですから。ご理解いただけますでしょうか? そのため、僕自身は、このプロジェクトに対して全身全霊を捧げるつもりでいます。後は、当会の教義や、お堂・ご神体といった有形無形の文化財にご加護とご利益があるのか? ということは、博物館に遊びに来る人、あるいは来た人が個別に判断されればそれで問題はないのではないでしょうか? もしこのような形でも、この度の当会についての記事の執筆が認められないのであれば、それは、あなたご自身が、無神論者(当会は別に無神論者を否定はしません。居ないと思うのでしたら、別に遊びに来て下さらなくて結構なのですから。首に縄をつけてまで引っ張ってこようとは思いません。)であることを理由に、将来的に当会の信者・あるいは将来に価値を見出す人をあなた自身の個人的見解で排除することになります。これは、あなた自身は構わないでしょう、信じたくないのでしょうから。しかし、信じてみたい、あるいは、調べてみたいという第三者に対しては、計り知れない損失となるでしょう。どうか、公の立場にたって、公平にご判断ください。ぜひ、この度の記事の掲載を認めていただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。(2018年10月26日金曜日18:11) 太陽にいる会の記事の投稿者:署名 とにかく、狂信者という事で、全く議論に応じていただけません。そういうイメージだけで議論から逃げていていいのでしょうか?

上記は、最後の1文を除くと、私の会話ページに書き込まれたもののコピペです。それに対して私は2度返答していますし、Wikipedia:削除の復帰依頼でも、複数の利用者がどうして認められないかを繰り返し説明しています(1回目2回目)。にもかかわらず、それに何も返答せずにコピペを繰り返し、議論から逃げているのはあなたの方です。コピペを繰り返し、議論に応じず、都合の悪い点から目を背け、「議論に応じてもらえない」と嘘をつく…あなたは何をしたいのでしょうか。--Sumaru会話2018年11月11日 (日) 01:44 (UTC)[返信]