ノート:大般涅槃経

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大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)は、釈迦最期の教典群・叙事詩の総称である。
 釈迦は晩年、これまでに自らが説いた般若経阿含経といった教義の集大成として法華経を説き証すが、直後に釈迦族は侵攻民族によって滅ぼされる。
 深い悲しみに沈んだ釈迦は、「本当に全ての人民が救われる道を構築すべき」との決意で、法華経を初めこれまでに説いてきた教義変遷の再考察を開始する。
 やがて80歳を迎えた釈迦は故郷ルンビニーを目指して弟子たちと共に旅に出るが、前386年2月15日に道程のクシナガラで入滅(逝去)する。


 大般涅槃経は、釈迦が入滅の瞬間まで改訂・補訂を続けた己の最終教義に、死後弟子たちが釈迦晩年の旅路の経過と、師の遺志を継いで布教に努めていくその後の推移を通して仏の常住・普遍を解き明かしたもので、「一切悉有仏性」と「一闡堤も最終的に成仏出来る」という、上座部仏教と対照的な博愛型の教義が特徴である。
 なお上座部仏教においても大般涅槃経は説かれているが、こちらは「釈迦最期の旅路と入滅後の状況を記した伝記」という方針で説かれている。


 永く弟子たちにより口伝で伝えられてきたが、700余年を経た紀元420年ころ、中国において文字教典化され、全40巻の教典(通称北本)にまとめられた。
 更に後年、新解釈を加えた全36巻の再編集版(通称南本)が編纂され、この合計76巻が現在に伝わる大般涅槃経群である。
 また、ミャンマーにはそれより以前からパーリ語口伝にて伝わる伝承が今もほぼ正確な形で受け継がれている。

   同意→大乗仏教


以上の記事は、法華経側からの解説と見受けられるので、定説に全面書き換えするbooze 23:47 2004年2月17日 (UTC)

要出典内容の削除[編集]

以前、「大乗涅槃経の中に、大日如来は釈迦の分身である」という項目がありましたが、私が涅槃経を読み返したところ、その事実が確認されないので、申し訳ありませんがいったん削除させて頂きました。とはいえこちらの見落としかも知れないとも思い、再度復活させてもらいました。内容から察するに真如苑の現信徒さんによる記述かと思われますが、多くの方々が見られる記事ですので、特定の宗派に偏った記述は極力避け、また本当にそのような記述が涅槃経にあるならば正確な出典先(第何番の何品など)や経文を明記してくださるようお願いします。--Boca samba 2007年8月6日 (月) 11:06 (UTC)[返信]

長らく要出典タグを貼って呼びかけ、また私自身も涅槃経及び真如苑関連の機関紙などを調査しましたが、一向にそれらの確証が得られないので再び削除しました。同じことの繰り返しですが、特定の教団教義に偏った確証の得られない記述はお止めください。--Boca samba 2008年2月20日 (水) 01:39 (UTC)[返信]

雪山童子[編集]

途中の文「……すると帝釈天が羅刹に姿を変え……」は「……すると羅刹は帝釈天に姿を変え……」の方が適切かと思いますが、いかがでしょう。 --68er 2007年12月31日 (月) 11:48 (UTC)[返信]

68erさんのご指摘の通りです。私も気づかず長らくそのままでしたが、先ほど訂正させて頂きました。--Boca samba 2008年2月20日 (水) 01:44 (UTC)[返信]