ノート:四国八十八箇所


    このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「Wikipedia:削除依頼/四国八十八箇所」をご覧ください。

    逆回り詣り[編集]

    逆回り詣りというのは、創作なんでしょうか?そういう伝承もあるのでしょうか?わかる方お願いします。 「うるう年には逆打ちをする人が平年に較べ多いようである」には何らかの宗教的根拠があるのですか?


     「回り参り」という言い方はしません。「打つ」と言います。順打ちが通常の打ち方、逆打ちは88番からの打ち方。へんろの開祖にほぼ間違いないといわれる衛門三郎は松山郊外の豪農。ある日空海が衛門三郎宅にて托鉢を願うが断られ、8日目にはその托鉢の鉢を叩き割った。鉢は8つに割れた。僧は立ち去り、それから毎日(?)三郎の子供がひとりまたひとりと、最後には8人の子孫がすべて死んだ。自分の暴行を省みた三郎は、「あれこそが空海に違いない」と後を追う。21順目、逆打ち(21順全てが逆打ちなのか21度目だけなのかは私は存じません)にて現12番札所焼山寺近く(現杖杉庵)で倒れた。その死の境の中で大師に合うことができた。(願い事に関しても言い伝えあり)  このことから、「逆打ちは大師に会える道」という言い伝えが残る。尚西暦2004年は甲申年であり、衛門三郎が大師に会った干支にあたる。  他の宗教的理由は知りませんが、へんろ逆打ち・甲申などは今にまで伝わる地元の話です。

    ↑衛門三郎伝説ですね。十年ほど前に旅をしたとき、高知松山間を結ぶバスで解説テープが流されていて耳にしました。たしか石手寺に関係するお話だったと記憶しています。

    ↑2016年になってからは、西暦2016年は丙申年で、丙申は衛門三郎が大師に会った干支にあたり、これは60年に1度の機会であるとして、旅行会社や遍路関連の商品店が宣伝していますが、石手寺巻物による衛門三郎伝説では、衛門三郎が弘法大師に出会えたのは天長八辛亥年となっています。--Xexex-xexion会話) 2016年12月25日 (日) 13:42 (UTC)[返信]

    「うるう年の逆打ち」は瀬戸大橋開通を機に香川県の四国霊場業界を潤す目的で、時の讃岐部会選出の四国霊場会会長が企画したと聞いています。 大師伝説が多くあることを逆手に、どの辺りとも触れずに地元の伝説や諸説と曖昧にすることで根拠の追求を逃れています。 この企画は結果として多いに成功しており、通年は霊場関連商品が売れない香川県では、うるう年には逆打関連商品が多いに売れています。更にはその利益を上げるために申年という伝説が追加されています。利益追求のために長い舌に巻かれる業界の存在や数多くある大師伝説の1つとすることで反論しにくい環境を構築し、うるう年伝説を強固にしています。

    お礼参り[編集]

    四国88箇所霊場めぐりを結願したのち、お礼参りに詣でるのは、高野山「奥の院」です。金剛峰寺ではないです。(別格20霊場のお礼参りは、「金剛峰寺」です。)どなたか修正お願いできますか?

    ハンセン病患者[編集]

    かつてハンセン病患者が四国遍路に出ていたということも大切な歴史ではないでしょうか。高群逸枝『娘巡礼記』などにその様子の一端が見て取れます。

    ギャラリー[編集]

    ずいぶん充実してきましたが、ギャラリーの写真にキャプション(説明)をつけたらどうでしょうか。 Myaataro、2006.11.14

    必要ですね。とりあえずどこかも分からないのもなんなので、どの寺であるかのキャプション(画像ページの説明を参考)を付けました。伽藍に視点を集めるか、特徴のあるものを集めるか、構図・画質を考えるかで集めるものが違ってきますが、現状はよく分からない、、、。あとコモンズ内にある画像をまとめ、リンクしてみました。とりあえずの修正ということで、寺名だけにしましたが、いい形に補足ください。^^;(無粋かもしれませんが、、、発言の際には署名方法を参考にしていただいて署名をお願いします。m..m)--toto-tarou 2006年11月14日 (火) 19:16 (UTC)[返信]

    三十番札所に関して[編集]

    30番札所に関する記述は、極端に安楽寺寄りの感情的な記述となっており、「中立的な観点」に抵触するものと考えます。
    まず、事実関係からいえば、1993年より前から、安楽寺・善楽寺ともに30番札所の扱いとなっていました。私が1989年に四国霊場を巡拝したとき、30番は善楽寺を参りましたが、納経帳には「本尊奉安 安楽寺 開創霊場 善楽寺」という印が押してあることを根拠としてあげることができます。また、当時のガイドブックでも、安楽寺を本尊奉安寺院、善楽寺を開創霊場として取り決めがなされているので、どちらを参拝してもよいと書かれていました。よって「二ヶ所存在するかのような」という記述は事実に反すると考えます。
    さらに当時、安楽寺を奥の院とすることになっているのに、安楽寺側がそれを履行していないという文を目にした記憶があります。ですから「1993年(平成5年)元日より、事態を収束すべく両寺院を兼務する小角住職と関係者の協議により」という記述も、一般的な印象とは異なっています。私が知る限り、1993年からの決着については、「ようやく履行された」というのがおおかたの受け止め方であったと思います。事実関係について詳細に把握しているわけではありませんが、すでに1989年の時点で安楽寺を奥の院とするという協定があったことは間違いないはずで、あたかも安楽寺の一方的な譲歩という印象の記述には首をかしげざるをえません。
    30番札所を巡る問題で、一般に安楽寺が悪役とされる風潮があることに対する反発があるのでしょうが(その点は同情できなくもありません)、だからといって、当事者一方に肩入れするような記述や感情的な表現(「勝手に」等)は望ましくないと思います。:妙翅鳥 2007年5月8日 (火) 03:47 (UTC)[返信]

    補足:30番札所について、既に昭和17年(1942)善楽寺を札所、安楽寺を奥の院とするという取り決めがなされていたことが宮尾しげお「絵と文・四国遍路」(1943年発行)にあります。平凡社「日本歴史地名大系・高知県の地名」(1983年発行)・角川書店「角川日本地名大辞典・高知県」でも安楽寺を善楽寺の奥の院として扱っています。これを見れば、安楽寺が30番札所を名乗り続けたことに対し、一部の四国遍路のガイドブック等が仏教者にあるまじき行為と批判していたのも故なきこととはいえません。解決した問題を蒸し返すようなことはすべきでありませんが、あたかも安楽寺が一方的に善意の被害者とする記述は問題でしょう。:妙翅鳥 2007年6月16日 (土) 21:06 (UTC)[返信]

    奥の院に関して[編集]

    與田寺が四国八十八箇所奥の院とされていることを知りました。記述されていないのは何か理由があったのでしょうか。--663highland 2007年10月22日 (月) 16:23 (UTC)[返信]

    画像の削除などの荒らしに関して提案[編集]

    意味不明の画像削除や意味不明の入れ替え、例えば近代における遍路の「観光化」の項目に善通寺の画像を入れたり、現代の項目に大窪寺の画面前部に大きく傘が入っている意味のない画像を挿入したり、徒歩の項目に、本来の遍路のあり方を示す貴重な画像と感じ、托鉢しながらの歩き遍路の画像を入れたところいきなり意味なく消去したりする荒らしが行われています。大窪寺が何故、「現在」なのでしょうか?

    「托鉢や夫婦などの特殊例を代表画像として載せるべきでない」などと理由付けをしていますが、夫婦遍路が何故一般的でなく、またこの人のいう「一般的でない」画像は消去されねばならないかの理由は述べられていません。

    托鉢をする遍路の画像に関しては、托鉢をしながら歩いて回るのが本来の遍路の姿です。しかもわざわざ、いろいろな巡礼の仕方 徒歩のところに挿入してあるのであって、それを私は「代表的」だなどと説明もしていません。独断での削除は荒らし行為以外での何ものでもありません。今後は、必ずこのページにて、合議の上、その結果を反映して編集を行ってください。--松岡徳次郎 2008年6月14日 (土) 12:03 (UTC)[返信]

    善通寺は四国八十八箇所を代表する寺(観光名所)であり、大窪寺の画像は現代の参拝風景であり、そしていずれもが四国八十八箇所の寺院である。それに対して、托鉢や夫婦は四国八十八箇所を直接表するものではない。理解できませんか?--207.182.130.82 2008年6月14日 (土) 12:09 (UTC)[返信]
    利用者:松岡徳次郎会話 / 投稿記録 / 記録さんは色々と反論されているけれども、要するに自分の画像を載せたいというだけなのでは?この記事には普通の遍路の画像1枚あればよいのです。どうぞアップロードして載せてください。托鉢や夫婦の特殊例をどんどん貼ると無駄にページが重くなります。理解できませんか?--207.182.130.82 2008年6月14日 (土) 12:19 (UTC)[返信]
    「普通の遍路の画像1枚あればよいのです。どうぞアップロードして載せてください。」ってさっき言いましたけれど、既に在る遍路画像よりも相応しい画像に限る画像の差し替えならどうぞということです。画像の追加掲載はお止めください。--207.182.130.82 2008年6月14日 (土) 12:25 (UTC)[返信]
    大窪寺だけが88ヶ所の中で「現代」なのですか?しかも画像にはそういった説明はありません。善通寺遍路を抜きにして観光的要素の強い寺なのは理解できますが、この画像に関してもその説明はありませんね。托鉢に関しては先に「托鉢をする遍路の画像に関しては、托鉢をしながら歩いて回るのが本来の遍路の姿です。しかもわざわざ、いろいろな巡礼の仕方 徒歩のところに挿入してあるのであって、それを私は「代表的」だなどと説明もしていません。」と詳しく書いたのに全く読まれてないのか、無視していらっしゃるのか、理解されてないようですね。単なる托鉢ではなく、写っているのは托鉢しながら回るお遍路さんです。それがどうして88箇所と結びつかないのですか?夫婦は単なる夫婦ではなくやはり遍路をする夫婦です。あなたの論理は詭弁に過ぎません。私は遍路の身の上ですので「不妄語(ふもうご)」は慎みたいと思いますので、紳士な態度でお答えください。 皆様にお大師様のご加護がありますように。--松岡徳次郎 2008年6月14日 (土) 12:30 (UTC)[返信]
    このページは四国八十八箇所という寺院札所のページなのであって、お遍路さんのページではありません。この記事には普通のお遍路さんの画像1枚あればよいのです。既設のお遍路さん画像よりも良いのをお持ちなら、どうぞアップロードして差し替えてください。托鉢や夫婦の特殊例をどんどん貼ると無駄にページが重くなります。理解できませんか?--207.182.130.82 2008年6月14日 (土) 12:36 (UTC)[返信]
    >このページは四国八十八箇所という寺院札所のページなのであって・・・はいその通りです。ただ「遍路」で検索すれば四国八十八箇所へ転送されます。お遍路と四国八十八箇所は切っても切れないものです。だから、遍路の成り立ちに関しても詳しく書かれています。遍路に関するページではないというなら、遍路を別に新たに記事にして、今ある遍路に関する記述はすべて削除しなければならないということでいいのでしょうか?寺院札所のページなのであって、と仰るが実際は半分以上は遍路の記述です。なぜ「普通のお遍路さんの画像1枚あればよい」のですか?それはあなたの主観でしかありません。遍路には色々な形態があることはすでに歴史に述べられている通りです。ゆえにさまざまな形態の遍路の画像を投稿したのです。分かりますか?  遍路は早寝早起きですのでまた明日。南無大師遍照金剛--松岡徳次郎 2008年6月14日 (土) 12:50 (UTC)[返信]
    利用者:松岡徳次郎会話 / 投稿記録 / 記録さんは、遍路とお遍路さんを混同されているようですね。また、新しいお遍路さんのページを作成したら今のお遍路さんの内容を全て削除しなければならないというような規則はウィキペディアにはありません。それで「さまざまな形態の遍路の画像を投稿したのです」と言われていますが、あなたの画像を望んでいる人はいません。あなたのように画像を次々載せるとどうなるのか・・・・・。私の言う「無駄にページが重くなる」の意味が解からないんだったら、利用者:松岡徳次郎会話 / 投稿記録 / 記録さんはウィキペディアに向いていないということです。--207.182.130.82 2008年6月14日 (土) 13:11 (UTC)[返信]
    利用者:松岡徳次郎会話 / 投稿記録 / 記録さんは遍路についてお詳しいようですので、まず遍路の記事を執筆されては如何でしょうか。確かに「お遍路と四国八十八箇所は切っても切れないもの」という面は有ると思いますが、それぞれ別の視点から記述できるのではないでしょうか。
    遍路と四国八十八箇所が殆ど同じなら別の記事にする意味は無いと思いますが、少なくとも様々な遍路の形を述べるには、四国八十八箇所より遍路で述べる方が適切だと思います。現在、四国八十八箇所に記載されている遍路に関する記事については、遍路に記載すべき事ならそちらに、四国八十八箇所に残すべき記事はそのまま、とすれば良いと思います。--Nisiguti 2008年6月14日 (土) 21:37 (UTC)[返信]


    207.182.130.82様、 『なぜ「普通のお遍路さんの画像1枚あればよい」のですか?それはあなたの主観でしかありません。遍路には色々な形態があることはすでに歴史に述べられている通りです。ゆえにさまざまな形態の遍路の画像を投稿したのです。』などの質問には全くお答えいただけず、篠山市篠山藩でのノート同様の論点そらしは、相変わらずのようで残念としか言いようがありません。遍路とお遍路さんを混同しているなどと、全く質問とは無関係のお話を持ち出してお逃げになる必要がどうしてあるのでしょうか? 私は自身遍路を打っておる者でして、遍路(行為)とお遍路さん(人)の区別くらいはついていると思っております。「無駄にページが重くなる」の意味がなどは、あなたの頭の中でしか分からない論理であり妄想でしかありません。全く意味不明です。他者に発言する際は、相手にわかるよう説明するトレーニングをまずはなさってください。『利用者:松岡徳次郎会話 / 投稿記録 / 記録さんはウィキペディアに向いていないということです』・・・なるほど、画像削除専門のあなたの目指しているフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』とは、要するに、既存の『ブリタニカ百科事典』か、広辞苑程度の既存の辞書か、ひいては白紙の百科事典なんですね(笑 よく分かりました。 ---- Nisiguti様、確かに別の視点から記述するという方法は正しいと私も考えます。建設的なご意見、有難うございます。四国八十八箇所は現在は編集できない状態ですが、遍路の記事を立ち上げ、更に掘り下げた記述ができればウィキペディアは更に素晴らしい電子事典に成長することでしょう。お大師様も当時は画期的な改革者でした。反動的な広辞苑の電子版を目指す方には、空海の偉大さもご理解いただけないことでしょうが(苦笑)・・・・・南無大師遍照金剛--松岡徳次郎 2008年6月19日 (木) 18:08 (UTC)[返信]

    分離提案[編集]

    はじめまして。瀬戸カメはんと申すものです。篠山市でのノートおよびノート:篠山藩を興味深く拝見しておりました。207.182.130.82様は、Dghshg 同一人物であるのは間違いないとは思いますが、相変わらずご苦労様です。

    さて、提案ですが。Nisiguti 様の仰るとおり、そもそも遍路四国八十八箇所は最初から分けたほうがよかったのではないかということです。遍路四国八十八箇所に転送するのは無理があります。その軋みがこういう形で出ているわけです。もっとも、207.182.130.82という独自のキャラクターをお持ちのお方ですから、遍路を別記事に分けたところで同じような行為に及ぶのは目に見えていますが、そのことと別にしても、やはり分けたほうがさらに深く記事を掘り下げることが可能と思えます。その場合は四国八十八箇所四国八十八番札所ないしは四国八十八番寺院とすべきではないでしょうか。いかがでしょうか?--瀬戸カメはん 2008年6月15日 (日) 13:39 (UTC)[返信]

    分割案には賛成ですが、瀬戸カメはんの提案する改名案はは大窪寺のことをさしているようで反対です。--123.226.166.89 2008年6月15日 (日) 22:46 (UTC)[返信]
    なるほど、その通りですね。四国八十八箇所寺院はいかがなものですかな。どちらにせよ、分割はよりよき方向へ転換できると思います。なにぶん、遍路は歴史深く、人の心と切ってもきれない奥の深い世界ですから--瀬戸カメはん 2008年6月16日 (月) 03:43 (UTC)[返信]
    利用者:瀬戸カメはん会話 / 投稿記録 / 記録氏と123.226.166.89氏の2人ともお互いの主語・述語・意味が不明な話を双方ともよくもあっさり理解できるもんですね。とても感心しました。しかし、ここは「遍路は歴史深く、人の心と切ってもきれない奥の深い世界ですから」などといった漠然とした無意味な演説をする場ではありません。改名の議論をする場でもありません。2人の済し崩しに改名しようとする試みに対して警告しておきます。当記事の改名は他の札所の記事名に多大な影響を及ぼすため、然るべき場で正式な提案から始めてください。--207.182.130.82 2008年6月16日 (月) 07:07 (UTC)[返信]

    改名自体に賛成する意見をしたつもりはありません。遍路を独立の記事で書くことに賛成しただけです。--123.226.166.89 2008年6月16日 (月) 11:51 (UTC)[返信]

    遍路を独立した記事にすることは、私も大賛成です。早々に立ち上げたいですね。--松岡徳次郎 2008年6月19日 (木) 18:08 (UTC)[返信]
    この提案の議論が余り進んでいないことが残念です。上記でみなさまが指摘されているように、札所寺院の集合という場所(物)と、巡礼者というを「四国八十八箇所」という項目で一括りにするのは無理があると思います。是非分離すべきです。
    また、「四国八十八箇所」より「四国霊場」の方が範囲が広く上位概念のはずです。分離後の「場」を示す項目名としては「四国霊場」として、ここに「四国八十八箇所」をはじめ「四国別格二十霊場」「四国曼荼羅霊場」「番外霊場」などを集約させるとよろしいと思います。2008年8月24日 (日) 7:57 Decchi
    長期荒らしのWP:HEBIによるWP:HEBI自身の画像を載せんがためだけの提案は無視せざるをえませんな。松岡徳次郎も無期限ブロックで追放されているし、利用者:Decchi会話 / 投稿記録 / 記録氏も内容の無い回数稼ぎだけの編集でカモフラージュする目的が見え透いているし、[1]のようなテキトーな間違った編集も散見できます。あなたのしていることは破壊行為ですよ。おぉたむすねィく探検隊さん。--207.182.130.82 2008年8月24日 (日) 01:09 (UTC)[返信]
    207.182.130.82様、はじめに7月末からの10日余りの間に細かい投稿を繰り返したことについては率直にお詫びいたします。編集初心者なので資料を見ながら少しずつ投稿してしまいました。決して回数稼ぎで行ったつもりはありませんし、そもそも回数が多いことに意義を感じるどころか、自分の投稿記録を見て同じ項目に繰り返し投稿してしまったことを恥じているところです。今は、時間がかかっても一旦プレイビュー状態にしてある程度まとまってから投稿するようにしています。また、大宝寺で、資料を読みこなして自分の言葉で記述するとか、引用文献を明示しなかったために削除依頼を出されてしまったことも反省し、そのようなことがないように心がけています。決して意図的に破壊行為をしたつもりはありませんし、これからもするつもりはありません。どうか偏った目で見るのではなく、出来ますれば「仕方がない初心者だ」と温かい目で見てくださることをお願いいたします。その上で分割提案については客観的にご判断いただけると幸いです。--decchi 2008年8月24日 (日) 08:30 (UTC)[返信]

    そもそも八十八「箇」所という表記はWikipediaでしか見たことがありません。納経帳をはじめとしておよそ世の中の表記は八十八「ヶ」所だと思うのですが。上位概念として「四国遍路」で項目作定するのが、また、歴史的経緯からみれば「四国へんろ」で作成するのが妥当と私も思います。とはいえ、既にこのページがイコール四国遍路に相当しているのでどうするかは悩ましいところですね。日本遺産では<「四国遍路」〜回遊型巡礼路と独自の巡礼文化〜>という表現になっていますので改編した方が良いと考えます。--たけのしん

    十夜ヶ橋についてのいくつかの情報[編集]

    現在のページには、『十夜ヶ橋(とやがばし、とよがばし)』と表記されています。 地元の者は「とよがはし」と発音しております。 いくつか傍証を挙げます。 ご住職に確認しましても「正式にトヨガハシです」とおっしゃいます。 国道56号線にかかる橋のプレートも「とよがはし」となっています(国土交通省)。 バス停の名前にある振り仮名も「とよがはし」です。

    ・「十夜ヶ橋」は「とよがはし」と濁らないのがよろしいのではないでしょうか。

    ・「とやがばし」について  十夜ヶ橋の下を流れる小さな川を「都谷川(とやがわ)」といいます。現在もその名前です。  空海が橋の下で野宿し、寝苦しさから一夜が十夜にも感じて和歌を残したという話は有名ですが、昔その橋を「とやがわばし」と呼んでいたことから後に和歌の逸話ができたのだという説もあります。

    編集保護が解除されるおりには「十夜ヶ橋」は「とよがはし」と表記するように提案いたします。 --WiKiSPHiNX 2008年7月1日 (火) 18:52 (UTC)[返信]

    私も、親戚が近くに住んでいましたが、確かに「とよがはし」と発音していました。あそこは何回も行き来したことがあるのですが、写真を撮るのに失敗していてアップできないのが残念です。それはさておき「ばし」という表現は私もしたことはありません。--Carpkazu 2008年9月24日 (水) 13:44 (UTC)[返信]

     「四国八十八箇所」の項目で場所(モノ)と巡礼者(人)をすべて

    外部リンク[編集]

    あるサイトを掲載しても良いものか迷っています。歩き遍路のルートの一例が細かく入力されていて、位置と方角の情報を持ったへんろみちの写真が3000枚以上掲載されており、宿の位置も経度と緯度まで細かく掲載されているサイトを見つけたのですが、個人のサイトでした。保存協会や団体のサイトでしたら信頼できますが、個人のサイトなので掲載はよそうと思ったのですが、内容が今まで見た事がないものでして迷っています。やはり個人のサイトは掲載しない方がよいと思われますか。ご教授お願いします。
    サイト:おへんろ電子道標
    --東京太郎会話) 2012年8月30日 (木) 15:09 (UTC)[返信]

    map[編集]

    hi guys i am from german wp, sorry for writing in engnglish, i only want to inform you, that in commons exists this map, developed from the german map lap

    Shikoku-Pilgerweg Karte.png

    --Wetterwolke会話) 2013年4月8日 (月) 09:38 (UTC)[返信]

    62番礼拝所[編集]

    四国霊場会が造ったものです。一覧表に載せておくべきでは、もちろん、宝寿寺が札所であることに変わりはありません。両方とも、歴史の一コマとして併記するのが妥当だと思います。なお、ウイキペディアの立場としては礼拝所は載せるべきでないと判断されたのなら従います。--dokudami会話) 2017年4月30日 (日) 23:12 (UTC)[返信]

    信仰と世俗の霊場会問題は切り離して考えるべきと思います。根拠不明の噂ながら宝寿寺に本尊が現存しないという話もあり近年の有様を含め個人的には宝寿寺には否定的ですが、伝統的に八十八ヶ所の一札所として宝寿寺が存在している以上、札所としてリストアップすべきでしょう。香園寺門前の納経所は宝寿寺を参拝後に納経を受けられなかった遍路のために霊場会が設けた救済施設であり、この施設そのものが信仰の対象たり得ないと考えます。--Kussy会話) 2017年5月1日 (月) 07:36 (UTC)[返信]

    一覧表に62番がないのは良くないと思います。宝寿寺を掲載すべきでは? 竹野芯会話) 2017年7月4日 (火) 13:19 (UTC)[返信]

    おかしいですね、合意無く除去されています。復帰させました。--Kussy会話) 2017年7月4日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

    外部リンク修正[編集]

    編集者の皆さんこんにちは、

    四国八十八箇所」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

    編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

    ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月28日 (木) 23:48 (UTC)[返信]