ノート:吉田満

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小説家[編集]

>吉田満は小説家として有名になった人物なのでそれが第一義でないとおかしいです。キリスト教信者で有名になった人ではありませんから。<

そもそも「散文の形式をとる架空・虚構の物語を小説という」との一般的な理解を前提にするなら、吉田満は小説家ではありません。「戦艦大和ノ最後」は現在その位置づけの議論がわかれていることから「小説」と決めつけるのなら、議論なく小説家であると認定された文献を提示してください。

この、吉田満は小説家とし…の、編集の要約を文法的に素直に読めば、「小説家として有名になった人物」なので「それが第一義(最も大切な根本的な価値)」でないとおかしい。というこうでしょうか?もしそうなら、有名になった理由で人はそれが最も大切な根本的な価値とされることになりますが、それは一つの価値観でしかありません。本質を見ようとしない見解といわざるをえないでしょう。世間に名が知れた原因が「戦艦大和ノ最後」であるから吉田満は「小説家」が第一義という決めつけは、疑問だらけです。

「吉田満 戦艦大和学徒兵の五十六年」(渡辺浩平)などの最近の研究や、吉田が『今田健美神父述・公教要理講解筆記録』『鈴木正久著作集』をまとめていることや、エッセーを教会の会報で発表してることや、プロテスタント教会の役員(長老)であったことや、何よりも本人が「日本の一キリスト者であり」、学徒兵の生き残りであり、日銀の銀行員であり、日本を憂う言論人だと言っている(「「何をするか」と「何であるか」」吉田満著作集下巻 600頁)。ノートでの議論を省いて要約欄で自身の見解で印象操作をしたり、本文の編集を独自研究で変更するのはいかがなものと思います。---とおりすがりの猫会話

まずは、あなたがノートで議論を始めたのはこれが初めてなので、「ノートでの議論を省いて要約欄で自身の見解で印象操作をしたり、」というあなたのその言説こそ印象操作です。
  • 吉田満は小説家です。コトバンクの定義でも「小説家」となっており([1])、私もそれで特に問題のないものと思いますが、この記事では現在「作家」としてあるので定義としては全くの無問題です。
  • 「戦艦大和ノ最後」についても、私は「体験記録文学」と調整しましたが、この作品は「小説」の一種として取り扱っても特に問題のないことです。なぜなら、文学、小説というものには広い意味合いがあり、ほとんど事実や実体験を元にしている「私小説」でも「小説」というジャンルに含まれるため、カテゴリー的には小説となります。そして「戦艦大和ノ最後」は、ほぼ実体験ではありますが、ノンフィクションや随筆ではなく、脚色など加えた一つの構成を持った作品なので小説にジャンル分けしていい作品です。
  • そして、ウィキペディアの定義文は一般的・客観的な観点からの定義になりますので、いくらキリスト教信者が第一義だとあなたがおっしゃっても、一般的な認知においては吉田満は作家として世に知られるようになったことは紛れもない事実でありますから、それが第一の定義になるのは当然のことであります。それが納得できず、どうしても「キリスト教者」を優先させたいとおっしゃるのでしたら、ウィキペディアの定義文をいじるのは遠慮なさってください。--みしまるもも会話) 2021年6月25日 (金) 00:55 (UTC) 補記--みしまるもも会話2021年6月25日 (金) 04:48 (UTC)[返信]


>「戦艦大和ノ最後」は、ほぼ実体験ではありますが、ノンフィクションや随筆ではなく、脚色など加えた一つの構成を持った作品なので小説にジャンル分けしていい作品です。<

だから、そう断言している文献を示したうえで、小説にジャンル分けしていい作品です。と書いてください。みしまるももさんが「いい」と言える理由を文献で示して下さい。体験記録文学は面白い造語ですが、辞書にない日本語です。使用は控えてください。

>キリスト教信者<

その程度の言葉の知識しかないなら、この議論は難しいでしょうか?もしも、「キリスト者」がVon der Freiheit eines ChristenmenschenのChristenmenschenの翻訳だと見ただけで思いつかないなら、キリスト教についてこの問題での考察は難しいでしょう。カトリック教会より見れば、第二バチカン公会議以前は吉田は棄教した元信者となり得ます。少なくとも一部のカトリックの堅信の信者よりは、キリスト教信者とはみなされませんでした(当時は転会を改宗と言っていたほど。)。だからキリスト教信者と表現すれば「誤りだ」と考える人もいます。そのように私は一語一語深い考察をもって冒頭部を書いています。

>いくらキリスト教信者が第一義だとあなたがおっしゃっても<

わたしが言ってるわけではありません。わたしの意見は吉田満は「日銀マンで学徒出陣の生き残りで日本の終わりまで残る軍記を書いた人」です。「戦艦大和ノ最期」は軍記という表現しか思い当たりませんが、それは書いていません。また、キリスト者としているのは、文献です。私ではありません。出鱈目で人を攻撃されても迷惑です。私は、十分文献を参照して、そう書くしかないと考えて引用しています。そうではないとするなら、みしまるももさんが文献をあつめて違うことを書いてください。文献なしで文句を言われても対応できません。

何で有名になったのかが「第一義」とやらの分類方法で統一して冒頭の順序として書くなら、それは別にルールなので問題のないことですが、そういうルールがあるのですか?あるなら当然私は従います。とおりすがりの猫会話2021年6月25日 (金) 19:08 (UTC)[返信]


表題の「」を『』に変更する件[編集]

「『何をするか』と『何であるか』」についてです。古い出版では「」を『』に変えて発表していますが、現在の条約上の法理からは認められません。題名に著作権はありませんが、題名の記号の変更は同一性の変更であり、通常違法だとわたしは思います。記号の属性について、その文書の数理的変化のルールよりもより上位の優位性が著作物のタイトルの変更を排除すると考えるからです。 ただし「」と『』はASCIIでもUnicodeでも別物であるというのが本当の理由です。つまり別の字だろう?ということです。---とおりすがりの猫会話2021年7月12日 (月) 23:53 (UTC)[返信]

疑問点[編集]

「日銀に出向した三島と仕事の上での関係が生じた」という文言が、とおりすがりの猫さんによって、加わりましたが([2])、三島が日銀に「出向」していたというのは初耳です。これは本当のことなのでしょうか?

私が知っている限りでは、三島が日本銀行文芸部に招かれて、そこの主催で「小説の書き方、味わい方」という講演を行ない、その講演後に幹事の吉田満と談笑した様子が資料に載っているだけですけど。
もしも、そのことを「日銀に出向した三島と仕事の上での関係が生じた」というふうにねじ曲げているとしたら、勝手な独自研究になりますよ。--みしまるもも会話2021年7月13日 (火) 01:47 (UTC)[返信]
大蔵省銀行局国民貯蓄課所属の事務官、平岡公威君になってからは、貯蓄奨励の検証作文審査のため日銀の一室に「出張」し…(電話で)しばらく駄弁りながらお茶の小休止を…です。原文は「出張」です。また「仕事の上で多少の縁が生まれた」とあります。削除しておきます。
>私が知っている限りでは、三島が日本銀行文芸部に招かれ<たのではありません。職務外で「小説の書き方、味わい方」というテーマで20人程の人が「話を聞こうという話が出た」だけです。「丹念な準備を思わせるメモ」からすると、三島の出張も多分1日や2日ではないでしょう。その後の「酒を飲まない三島」との文学論は、のちほど三島由紀夫にでも追加しておきます。喫茶店での「文学論の続き」であり、しかも三島が語ったのは、ほぼ生涯をとおして三島が表現した内容なので、その前の緻密な発表の内容からも「談笑」とかのレベルではないでしょう。知っている限り…は間違いです。
吉田の記事では、この日は1945年4月7日14時23分に比べれば、どこのホテルで会っただの、三島に連れて行かれた男性同性愛者向けのバー「メリーズ」での驚きがどう等は、現状の吉田の記事の量の中で書くことは過剰です。またこのこの日三島は、「結婚」について詳しく話して吉田を驚かせており、吉田の話の内容もそちらが寧ろ芯です。しかしどれも、吉田の記事で書く必要は現状の記事の量では主従の対比の点であり得ません。もし三島と会ったホテルの名前が吉田が大和乗り組みの理由を告げた場所(記事には未記載)よりも重要であるなら、そのことを説明してください。---とおりすがりの猫会話2021年7月13日 (火) 18:36 (UTC)[返信]
  • 「出張」と「出向」ではだいぶ違いますよ。何も知らない人が読んだら、三島が日銀に「出向」していたと勘違いするので、やはりそこらへんは正確性に気をつけてください。
  • 私の手持ちの出典『三島由紀夫の生涯』では、三島が、吉田満の幹事で日銀文芸部主催で「小説の書き方、味わい方」という講演を行なったと明記されてあり、その講演の後に吉田と喫茶店で和菓子を食べながら、いろいろ話をしたことが載っています。それらは別に仕事とは関係のないことですから、「話を聞こう」という彼らから依頼されてのものでしょう。あと、「酒を飲まない三島」との文学論は特に追加しなくて結構です。三島が吉田に話した文学論は、「日本の美」について書きたい、と言ったような感じだと思いますが、そういうものは全体記事の中でもすでにありますから。そして、三島はお酒は弱いですが、全く飲まないわけでもないです。
  • ニューヨークの再会の件は、過剰といわれても、私は待ち合わせしたホテル名を書いただけで、その他の細かい内容は書いておりませんが。書いてもいないことをあれこれ批判されても困りますけど。ちなみに、三島との関わりは、吉田の記事でも別項で他の作家との関わりを示す「関連人物」節などを作成すれば、そこで書くことは別に何の問題はないことです。--みしまるもも会話) 2021年7月14日 (水) 01:36 (UTC) 補記--みしまるもも会話2021年7月14日 (水) 01:58 (UTC)[返信]


「ニューヨークの三島由紀夫」には、三島はそのホテルを気に入らず、別のホテルを下宿として吉田には勧めてますね?しかも吉田に来てもらったのは、そこで「近代能楽集」の公演ができるかどうかの最終回答の電話をまっていたからですよね?さらにその後二人は吉田とアウスフリュークを楽しんでいますよね?

>私は待ち合わせしたホテル名を書いただけで<?こういう意味もなく「書いただけ」はやめましょう。ホテルの名前などはディズニーに行く人たちが「ハチ公前で会合した」と書いてるようなものです。ディズニーでのことが普通はメインになる筈ですよね?これは「ニューヨークの三島由紀夫」を読んでればわかる筈です。

「酒を飲まない三島」も、ここで彼が吉田に語った内容が素面で、その時の心のなかのものを正直に先輩に明晰な意識で語ったことの証明であり、和菓子だのこそが全くどうでも良いことですし、「談笑」なども違和感のあることで、「(三島の内輪のスピーチを講演に変えてしまった緻密な準備の)文学論の続きをやった」と「ニューヨークの三島由紀夫」には書いてあります。

みしまるももさんに限ったことではありませんが、がギリシャ哲学もローマ法(吉田、三島の共通の前提知識)もよく知らず、それゆえ教会法(吉田の前提知識)の淵源など全く分からないなら、三島が死の前に「日本の権力の正統性の理解」を欧米との比較を前提として言っていることは、おそらく理解が不能でしょう。せめてアウトラインになる教養としての西洋史だけでも十分に理解してから三島の記事を書いてください。吉田や三島の議論はキリスト教への知識が不可欠です。

>三島との関わりは<…みしまるももさんはまだ問題の理解ができてないようですね。三島の事が書きたいから関連項目をたてるのですか?吉田満の記事は吉田を中心にして記事を書いてください。つまり吉田と文学者や交流関係の中での一つのタイルとしての三島との関連です。記事全体の分量との対比を考え主従関係のはっきりした分量としてください。三島と吉田が書きたければ、三島の記事でやってください。----とおりすがりの猫会話2021年7月15日 (木) 01:00 (UTC)[返信]

  • 三島はそのグリニッチ・ビレッジのヴァン・レンセラー・ホテルを気に入らない、なんて話は全く言っていませんよ。三島の定宿はその近くにあると吉田に言っただけで、本当は定宿にしたかったグロヴナーというホテルを吉田に勧めていただけの話です。ちなみにヴァン・レンセラー・ホテルは一時的な待機先として滞在していたホテルです。「出向」の件もそうですが、あなたはもう少し落ちついて中身の意味をちゃんと読解するようにしてください。
  • そしてあなたは、ただ待ち合わせのホテル名を書いただけのことを、ああだこうだといろいろ反発してなんだかとても異様にみえますよ。私が記事で書いてもいないことまで想像をめぐらしていて、ちょっと変です。「関連人物」節の件も(「関連項目」ではないですよ)、吉田と他の作家との関わりを詳しく示す節として作ることはウィキペディアの人物記事では普通のことであり、その大勢の中の1人に三島も書くことは可能と言っただけの話ですが。
  • あなたはキリスト教には詳しいようですが、私はあなたよりも三島のことは詳しいので、つべこべ言われる筋合いはございません。そしてウィキペディアの人物記事は、特定の宗教の観点から独自研究で書くものではないことも忠告しておきます。もしもそれができないような場合は、あなたに対する本格的な対処をさせていただきます。--みしまるもも会話) 2021年7月15日 (木) 07:41 (UTC) 補記--みしまるもも会話2021年7月15日 (木) 07:56 (UTC)[返信]



>私はあなたよりも三島のことは詳しいので、つべこべ言われる筋合いはございません。

先ず不快な言葉を慎んでください。再三お願いしていると思います。「つべこべ」とはどのような時に誰にいうことばでしょうか?こういう態度は議論には不要です。

「自分の定宿はここから近いがここではないではない。部屋が取れなくて残念だった。チャンスがあったら泊まりなさいといって、グロヴナーというホテルを推薦してくれた」これは私には気に入っていないようにみえます。しかし記事には書いていません。ノートでの意見表明です。

そして、吉田はグロヴナーに移り住んだのです。国民の平均月給は16608円、自由に海外への観光も行けず、1ドル360円の時代に、一等地でのホテル住まい。これは三島への完全な上から目線にわたしには見えます。吉田がグリニッジビレッジ族などを意識する点も、プロテスタント的でしょう。だから、グリニッジビレッジという場所の明示なら、それなりの意義はあります。そういう「有用」「無用」の理解をしてからの投稿はみしまるもさんには難しいのでしょうか?

グロヴナーが定宿でなければ、三島にニューヨークでの定宿があったのなら、それはどこですか?この文章からだと、三島のニューヨークでの定宿にも見えますが?三島は当時ニューヨークではどこを定宿としていたのでしょうか?専門的な文書にはその情報がありますか?そもそも、わたしは三島は海外旅行が自由化される前に定宿など持ちえないのでは?と分からなかったので、その部分については、一切記事には書いていません。記事にホテル名をのせたのにも、ホテル名に拘っているのも、みしまるももさんだけです。ただの待ち合わせのホテル名を意味もなく理由もなく、記事に書かないでください。同様の「書いただけ」も、ここでも他でもやめてください。

>特定の宗教の観点から独自研究で書くものではないことも忠告しておきます。

吉田本人の手記と、学術論文「戦艦大和からキリスト教へ : 吉田満における信仰と平和 石川明人」にもとづいて書いています。クリスチャンとして生きると言っている人を、創価学会やモルモン教や浄土真宗の観点からは書きようもありません。論文のリンクを張っておいたはずです。それすら見ずに批判をされているとは大変残念です。---とおりすがりの猫会話2021年7月15日 (木) 17:37 (UTC)[返信]

  • 私は、あなたが吉田満とキリスト教との出会いを加筆したものには、何も異議を唱えておりませんし、それが加わってよかったと思っています。私の言った「特定の宗教の観点から独自研究で書くものではない」の意味は、冒頭の定義文の中で、「作家」よりも「キリスト者」というものを第一義定義にするような、おかしな入れ替えのことです。今はそのようなことはなさっていないのでいいですが。しかしながら、生涯の後半にはもっとキリスト教関連以外のこともあるはずですから、今後少しずつ全体的な執筆活動について書き加えようかと思っています。
  • あなたが「ニューヨークの三島由紀夫」から引用した部分ですが、「。」のところは「、」ですよ、よく見てください。実際の正しい引用は、
宿は予想した通りグリニッチ・ビレッジの中にあった。十一丁目イーストの、ヴァン・レンセラーというドイツ名前の小さなホテルで、作りは古いが味があり、部屋は明るくて静かだった。
自分の定宿はここから近いがここではない、部屋が取れなくて残念だった、チャンスがあったら泊まりなさいといって、グロヴナーというホテルを推薦してくれた。私はそれから一年あまり後、……(中略)出発までの一ヶ月ほどの間、彼の推すグロヴナー・ホテルに移り住んだ。グリニッチ・ビレッジ族のはしくれにつらなって、いささか自由な独立独歩の気分を味わけたのは、彼の友情のおかげである。
つまり三島の定宿は、ヴァン・レンセラー・ホテルから近い別のホテルですが、本当はグロヴナー・ホテルを定宿にしたかったができなかった(グロヴナーの部屋が取れなくて残念だった)と、言っているだけの話です。ヴァン・レンセラー・ホテル(吉田満と待ち合わせたホテルで、12月にいたところ)が気に入らなのかどうかはこの文章からは断定できません。ちなみに7月から三島がずっと定宿していたホテルは、グラッドストーン・ホテルです。そして、吉田は三島に感謝しているのに、これらのエピソードを「三島への完全な上から目線」と捉えるあなたは、やはり何か相当三島に対して嫌悪があるんだなと感じました。もう少し個人的な先入観の嫌悪を抜きにして物事を冷静に読解してください。三島だって宿泊するお金が続かないから、12月に一時的にヴァン・レンセラー・ホテルに移ったのであって、あなたが考えているような貴族的な大金持ちではないのですよ(招かれたといっても、宿泊費用は全部自分持ちでかなり倹約していました)。吉田満だって日銀社員だから一般庶民より恵まれたお金持ちでしょう。お父さんも会社経営者のようですし、三島が吉田に対して上から目線ということにはなりません。
  • あと、「海外旅行が自由化される前」とおっしゃっていますが、昭和32年頃はもう自由化されていたのではないですか? そこらへんは私はっきりとはよく分りませんが、三島が最初に世界旅行に行った昭和26年には確かにGHQの許可を取って行っていますが、年譜とか評伝資料を見ても昭和32年当時はそのようなことはないようです。三島はニューヨークを去った後に、自由にスペインやイタリアの方に行っていますから(これらの地はアメリカの出版社の招きと何の関係もない個人旅行です)。--みしまるもも会話2021年7月16日 (金) 07:01 (UTC)[返信]



>「作家」よりも「キリスト者」というものを第一義定義にするような、おかしな入れ替え<

「ウィキペディアの人物記事は、特定の宗教の観点から独自研究で書くものではないこと」と言ってるので、その話だけではないでしょう。学術論文の研究をみしまるももさんが破棄なさったのは、たいへん残念です。しかし、全体的なウィキペディアの流れとして、順番はまあいいかとも思います。

>昭和32年頃はもう自由化されていたのではないですか?<

「自由化」とは国内の日本人が外貨を自由に買えなかったのが、旅行ででも上限はあるものの買えるようになったということです。業務渡航の外貨自由化も昭和38年(1963年)です。三島は当時自由にできるドルを手元に持っていたのか、出版社の招きと言う口実で日本の出版社経由で外貨を買えたのかもしれません。専門的に三島由紀夫を知っているのに「昭和32年頃はもう自由化されていた」思えるのは、国際通貨基金協定第8条国に1964年(昭和39年)に我が国がなったことや、なったことの意味は何か?1951年に旅券法が制定されたのち10年以上も自由な海外旅行が出来なかったのは何故か?など、吉田や三島の苦闘の背景が分からない訳で、このような基礎的な歴史的経済的事情を知らずに、混迷した風俗と変化する価値観の時代に翻弄された三島由紀夫や吉田満の編集をなさるのはいかがなものか?と思います。もうすこし周辺的な知識や教養をふかめてからにされてはいかがでしょうか?

>そして、吉田は三島に感謝しているのに<

「ニューヨークの…」は、吉田の自覚のない特権階級意識、三島の「作家の家」への思い付きと結婚観と同性愛愛好がテーマです。吉田の尊大さも三島の同性愛も、省いては「ニューヨークの…」は話が成り立ちません。当時名声を国内で得て、しかしアメリカではたしか他の儲かる演目に舞台から押しのけられてボツになるという、そんな屈辱の日に彼は先輩の吉田と会っているのです。当然公演はダメだろうとの予想のもと(だから驚きもなかった)。そして、三島のとっておきの提案の同性愛愛好家のゆくバーから、吉田は直ぐに逃げてしまいましたが、このバーについて「相手が異性でも同性でも、同じようにひとときを楽しむ」退廃した風俗を「確認」できたことに吉田は、「彼の友情に感謝しなければならない」としています。「ねばならない」です。自然に感謝のこころが湧いたのでしょうか?

これは私の感想ですが、吉田は、東京帝国大学を優秀な成績で出、海軍でも成績抜群であり戦艦大和には予備士官でありながら乗組み、生還後も特攻志願をするという当時の日本人の鑑のような人です。本人に誇りがない筈がありません。戦後は直ちに就職し復興に信用秩序の維持の面から尽力し、エリートの階段を着実にあがっています。吉田が普通にしていても相手は威圧を感じるでしょう。彼の経歴には全く一つの傷もない(当時の海軍の者なら大和乗員の優秀さは誰もが知る所)立派な人で、その経歴には威圧感すらあります。陸上勤務の阿川などは足元にも及びません。徴兵忌避でなくても文士の三島など、吉田に全く及ぶところはない。それが戦前の価値観です(しかし戦後はそれが「戦争協力」などと反転し、三島を逃げた卑怯者とする声はありません。反対に吉田は戦争協力者と非難されるありさまです)。もっとも、普通先輩の吉田が三島に応待すれば上から目線が当然で、後輩の三島は社会的な名声とは別にいつまでも下になります。これが当時の日本の大学の先輩後輩です。そのためか吉田はあえて「チャンスがあったら泊まりなさい」とすでに著名な流行作家の三島の命令口調を載せ、そのおすすめのホテルを下宿(定期契約)にしたと書いているのです。一部の読者は無礼な後輩に強い反感を持つかもしれません。

基本的にみしまるももさんとの対話は暴言がなければ楽しいものですが、関東に生まれ育った坂東声の三島には純然たる上方の日本文化の理解は無理なのです。ホテルの話はありがとうございました。三島はこの日帰国の手配を吉田の前でしていますから、既に逗留が予定外に伸びていたのかもしれませんが、どちらにしても吉田とは関係がありません。三島由紀夫の方に書いてください。---とおりすがりの猫会話2021年7月17日 (土) 08:25 (UTC)[返信]

  • 学術論文の研究をみしまるももさんが破棄なさった」とは何のことですか? 私はあなたがキリスト教神父と吉田の出会いについて加筆したところなどは全く削除などしておりませんし、そもそも脚注を見ても「学術論文の研究」の出典などないですよ。あなたが加筆したものの出典は、吉田満著作集下巻に収録されている吉田の随筆が主です。
  • あとのあなたの長話は特に記事に関係のない話ですが、よくもまあ、あれこれと、上下関係だとか変な視点で文章を読んでいるのですね。あなたは吉田ではなく、あくまでも吉田は「彼の友情のおかげである。」と素直に三島の友情に感謝を表明していたのですから、それでいいのではないですか。それをいろいろと特権階級だのどっちが上だのと、あなたのような読み方は私にはとても異様に感じました。
  • まあ、人それぞれ特異な読み方はあるとは思いますが、もしあなたがキリスト教徒であるとしたら、なにか不思議な気もしますね。私の印象では、キリスト教を信仰する人というのは、上下関係だとか俗世間の肩書きとかに囚われずに万人を愛する人々だと思っていましたので、あなたの読み方からはそうした穏やかな物の見方があまり見受けられないのでちょっと違和感を感じました。ちなみに私の親戚にはキリスト教の人々がいますが、叔父などはとても無口で穏やかな人で、世間の細かなことには疎すぎるくらいの人です。--みしまるもも会話2021年7月18日 (日) 01:04 (UTC)[返信]

コメント 横から失礼します。とおりすがりの猫さんに質問です。とおりすがりの猫さんによれば吉田満は「キリスト者」であり「キリスト教徒」ではないそうですが、そうするとCategory:日本のキリスト教徒には追加できないということでしょうか? あと「クリスチャン」はどう位置づけられるのでしょうか?--ねこざめ会話2021年7月19日 (月) 19:35 (UTC)[返信]