ノート:伊達杏子

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2011年6月から7月に行った改稿について[編集]

2011年3月2日 (水) 01:12から2011年7月8日 (金) 03:21の編集について、要約欄で説明が出来なかった部分が多いため、変更点についての説明を行います。

  • 冒頭の定義の「ホリプロに所属するバーチャルアイドルタレントである」との記述について、「バーチャルアイドルタレント」を「バーチャルアイドル」へ変更しました。伊達杏子登場当時の文献を確認したところ、「バーチャルアイドルタレント」という表現は見つかりませんでした。また、グーグルで"バーチャルアイドルタレント"で検索した場合も本記事由来と思われるものばかりです。
  • 冒頭の「(ただし「架空のアイドル」という発想は1990年代初頭にプロデューサーの堀が勤務していたニッポン放送伊集院光のラジオ番組から誕生した芳賀ゆいが既に存在している)」との記述について。この記述は伊達杏子が初めてのバーチャルアイドルを標榜しているという認識で書かれたものに見えますが、ホリプロ側が標榜していたのはあくまで「CGによる」世界初のバーチャルアイドルです。伊達杏子が発表された頃、既に藤崎詩織など3DCGでないバーチャルアイドルが人気を集めていましたし、ホリプロもそれらの存在を伊達杏子開発の理由としてあげています。そのような状況ですので、先行例として芳賀ゆいのみを挙げるのは適切で無いと考え冒頭から除去いたしました。なお、伊達杏子は芳賀ゆいの経験を生かして作られたとされているため、そのことの説明を本文中に書き加えています。
  • 2007年にセカンドライフに登場した伊達杏子が2代目に含められていたのを3代目として分けました。根拠はこちらのSPA!の記事です。信頼できる情報源とみなすには厳しい媒体ではありますが、ホリプロへのインタビューに基づく記事ではあるため一応は根拠になりうるかと考えます。3代目のデザインは2代目ベースですが、恐らくモデリングデータは一から作り直しているでしょうし。
  • 実際にラジオ番組のレギュラーを持つなど大々的なPR活動を行ったが、」という記述を除去しました。まず、そもそもラジオ番組のレギュラーが一般のアイドルに比べ「大々的なPR」にあたるのかは疑問です。またネット上では伊達杏子が多額の宣伝費をかけて流行を演出しようとしたが失敗したという見方が一般的なようですが、開発に費用がかかったのは事実でも、多額の宣伝費をつぎ込んだという話は少なくとも信頼できる情報源には見当たりません。ホリプロ側は伊達杏子のパブリシティ、すなわちメディアにニュースとして取り上げられることの宣伝効果が大きかったことを強調しており、これを信じるのであれば伊達杏子の話題性の理由をホリプロのごり押しとみなすことは出来ません。実際本来ホリプロにとってPRの対象では無いはずの海外メディアに大きく取り上げられたり、日本の芸能界とはまたく縁の無いSF作家などからも注目されたという事実もあります。伊達杏子の話題性の高さにはメディアの側がニュースとして重要と考えたという要素が大きく、「大々的なPR活動」を理由とするのは誤りであると考えます。それと、ついでながら、ネット上では伊達杏子と電通を結びつける見解が多く見られますが、初代については宣伝を担当したのは電通ではなく博報堂だったはずです(きちんとした情報源を欠くため記事には書いていません)。
  • 失敗の理由として挙げられていた「当時はまだバーチャルアイドルというコンセプトが時期尚早であった」との記述について、参考文献の『日経エンタテインメント!』2002年4月号を確認したところ、根拠となりうるような記述は見当たりませんでした。記事中では「成功の鉄則・失敗の法則30」の失敗の法則の一つとして「世界初」があるとし、その例の中に伊達杏子が登場しています。「世界初」は失敗しやすいということを言っているだけで、時期が早いか遅いかと言ったような観点の記述は存在しません。
  • 失敗の理由として挙げられていた「キャラクターデザインがあまり可愛いとはいえなかった。」との記述について、執筆者の主観と思われるため除去しました。
  • 失敗の理由として挙げられていた「ホリプロは「時代を先取りしすぎたため」としている」との記述について、これはあくまで2代目を売り込む際に言っただけのもので、2代目が成功しなかった状況からするとその後もこの見解を維持したとは考えにくいですから、初代の説明に加えるのは不適切と考え、2代目の説明の方に移動しました。
  • DK-97についての「CD発売の予定もあったが、結局発売されなかった。」との記述について、発売されたとみなす形に変更いたしました。わずかですが通信販売のサイトに登録があり[1][2]、また、2000年に発売された書籍『ホリプロの法則』巻末の年表に「TOUCH」発売の記述があります。該当の記述を加筆した方に問い合わせましたところ、ネット上の情報による記述とのことでした。確かにネット上では発売されなかったという情報がいくらか見られる一方、買った、持っているといった声が全く見られないため、本当に発売されたのか私自身も疑わしく感じてはいるのですが、ウィキペディアの基本方針に基づき、信頼できる情報源である書籍『ホリプロの法則』の記述に従う形といたしました。もし「TOUCH」が発売されなかったことを証明する情報源がありましたら提示をお願いします。

--アト 2011年7月8日 (金) 04:55 (UTC)[返信]