ノート:仙台市/過去ログ1

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仙台市に関する写真の充実について

仙台市在住市民・仙台市を観光したことのあるかた、その他関係者の皆様も写真提供を、お願いします。 アップロードや記事への利用方法はこちらを参照Wikipedia:マルチメディアFAQ

一部記述の正確性に関する議論

「近年、仙台市の公立学校及び私立学校の学力は年々向上している」

この発言の根拠は、何ですか? 地元民からすると、「年々、低下している」という印象すら受けるのですが…。 --219.167.215.143 2005年1月1日 (土) 10:04 (UTC)


鈴木京香って富谷町出身ではないでしょうか?

鈴木京香は仙台市生まれであるが、戸籍上は富谷にあるということではないでしょうか?よくわかりませんが、だったらのせておいても良いと思います。Sen-K 2005年4月2日 (土) 04:46 (UTC)


都市計画道路北四番丁大衡線の別名として「仙台北道路」を掲載していますが、仙台北道路は仙台都市圏高規格環状道路網へのアクセスを目的として都心から北部に伸びる自動車専用道路として計画されているもので、仙台泉線の渋滞緩和を目的として計画されている都市計画道路北四番丁大衡線とは別じゃないでょうか?

また北環状線を北環状道路として表記している理由はなんなんでしょうか?地元住民は北環状道路などとはいいませんし、正式名称でもありませんが。


「仙台駅から長町駅の区間は地上の道路にバスが多数併走する上、実質JRの緩行線として機能しているため本当に必要だったのかという声も聞かれる。」とありますが、この意見を書くなら、理由として 「国鉄路線が長距離列車主体で毎時1本程度の時代に、フリークエンシーサービスで市内交通を担っていた市電の代替として計画されたので、国鉄が民営化され運行本数が増えることは想定出来なかった」のような文章を併記したほうが中立性の観点から好ましいのでは?

「一部で新局を設置して欲しいという要望があり、2007年5月30日にテレビ東京社長の菅谷定彦社長が仙台地区に将来系列局を新設する方向で検討中と発表した(衛星デジタル放送が開設されたため、新局開設は絶望視されている)。とありますが、「新局開 設は絶望視」の記述の根拠はどこからきているのでしょうか?テレビ東京側が「開局断念」を正式に発表した段階で、「開局構想 があったが断念した」と書いたほうが良いのではないでしょうか?

全般に、とにかく、「独自研究」的で冗長な記述が多すぎ。事実誤認はともかく、事実の記載に独自の分析や考えを併記するのは止めませう。--Caveman 2007年8月9日 (木) 15:14 (UTC)
「仙台北道路」は現在、仙台東道路から東北自動車道へと接続する常磐自動車道の一部とされています。実際、常磐自動車道の終点は仙台市ですが、富谷町が経過地に含まれています。

記事の一部分割について(2005年度)

この記事は 125 キロバイト(2005年8月現在)です。記事が充実するのは良いことですが、記事が長くなったために、一部の記事を分割することを提案したいと思います。この件についてご意見があれば遠慮なくこちらに書き込んでください。Sen-K 2005年8月29日 (月) 13:01 (UTC)

-執筆ご苦労様です。ちなみに、FireFoxで見てみたところ、画像含まずで、約80KBでした。これが他の県の市町村と比べて大きいかどうかはわかりませんが、たとえば分割するとして、どの部分を分割するのかも議論したほうがよさそうですね。--Keydaimon-会話 2005年8月30日 (火) 02:36 (UTC)

賛成します。大きな項目ならどこを切り出してもいいと思います。Kinori 2005年8月31日 (水) 14:14 (UTC)

履歴継承がないため分割された項目が削除依頼に出されています。削除の是非についてご意見があればよろしくお願いします。--Mnd 2005年9月3日 (土) 16:04 (UTC)

このまま削除されるのはもったいないので、仙台市に戻すか、仙台都市圏に移項するのはどうでしょう?219.111.120.29 2005年9月6日 (火) 23:07 (UTC)
学都仙台単位互換ネットワーク仙台都市圏環状高速道路以外の削除依頼されている記事は既に仙台市の記事側にrevertされているので一覧記事は削除が好ましいです。最初にあげた2つに関しては仙台都市圏向けの記事なので、仙台都市圏に移項してみることを検討します。Sen-K 2005年9月7日 (水) 10:18 (UTC)
  • 125キロバイトから更に増えているようですので記事の分割を進めましょう。また、鉄道路線の解説は、それぞれ個別のページがありますので、このページでは省略しても良いと思います。--C Dragons 2005年11月2日 (水) 20:47 (UTC)

1月6日に197キロバイトに達し、「長いページ」で5位になった後、ROmasaoさんによって一部記事が「仙台のスポーツ」として分割され、現在184キロバイトで8位になっています。Wikipedia初心者なのでよく分からないのですが、「仙台のスポーツ」は「履歴継承」において問題にならないのでしょうか? また「削除対象」にならないか心配しています。知識のある方がおられましたら教えて下さい。-- もね~るmoner 2006年1月7日 (土) 12:42 (UTC)

1月15日にROmasaoさんによって、一部記事が「仙台市出身・関連の有名人一覧」として分割されました。一応、この場(ノート)で議論して、合意を形成した上で分割された方がいいのではないでしょうか? -- もね~るmoner 2006年1月15日 (日) 06:10 (UTC)

もね~るmonerさん指摘の2項目について履歴の継承がないことを確認したので削除依頼に出しました。--Mnd 2006年1月15日 (日) 07:06 (UTC)
このまま削除されてしまうと、分割された部分を書いた方々の努力が無になってしまうので、差し戻しとか出来ないのでしょうか? -- もね~るmoner 2006年1月16日 (月) 16:51 (UTC)
仙台市の記事から分割された「仙台のスポーツ」と「仙台市出身・関連の有名人一覧」が削除されました。仙台市の記事にrevertしてみます。問題があったら指摘して下さい。 -- もね~るmoner 2006年1月24日 (火) 23:18 (UTC)

「スポーツ」項目内の「スポーツ施設」の欄についてですが、「仙台市」のページでは仙台市内にある施設だけを掲載して、利府町や村田町など仙台市以外の施設を省くべきではないでしょうか?近郊まで含めたら大きくなりすぎると思いますが…。(2006年4月19日 23時45分)

「スポーツ施設」を含め

記事の一部分割について(2006年度)

仙台市の内容を、

一番町国分町仙台駅仙台市仙台都市圏仙台経済圏南東北

のようにきちんと階層化し、仙台市の以下の項目は要約化して、現在の文章は「詳細」としてパイプをつくり、仙台都市圏に移項しようかと考えています。

  • 「地形と都市構造」(地形、産業立地、都心、副都心、都市軸、住宅地と農政、軍都・仙台)
  • 「気候」(気候、レジャー)
  • 「学都・仙台」(教育)
  • 「スポーツ」(プロスポーツの部分は仙台市に残して、スポーツイベント以下の部分について仙台都市圏に移項)

また、仙台都市圏の記事の中の「仙台経済圏」は、仙台経済圏に分割しようと思います(南東北へ移項でも可)。その他、いくつか仙台市の内容を分割しようかと思うところがありますが、まずは、仙台都市圏へ広がりを持っている内容について、要約を残して詳細の移項をしようと考えています。みなさんの考えをお聞かせ下さい。よろしくお願い致します。 もね~るmoner 2006年4月1日 (土) 18:47 (UTC)

充分時間が経ちましたが意見がないので、少しずつ一部転記などやっていこうと思います。もね~るmoner 2006年4月23日 (日) 10:09 (UTC)

「スポーツ施設」を含め仙台市の記事内の仙台市近郊にある施設や場所を、仙台市以外の仙台都市圏仙台経済圏に入れるのではなく、宮城県に入れるべきだと思いますが、いかがでしょうか?(特に山形県や福島県にまたがらず、宮城県で完結する記述となる場合は「宮城県」に入れるのが適切だと思います。利用者としても仙台都市圏や仙台経済圏だと検索しづらいと思いますが。)125.203.154.67 2006年7月15日 (土) 04:41 (UTC)

「スポーツ」内の「仙台フランチャイズ時代のロッテオリオンズ」の項目って仙台市の欄に必要ですか?むしろ千葉ロッテマリーンズ欄に移設すべきかと思われますが。--まるこめ 2006年11月20日 (月) 14:44 (UTC)

あの、ちょっと遅れて申し訳ありませんが、独立させるというのならまだしも、なんで仙台都市圏に移動させるのかさっぱりわかりません。--6144 2006年12月2日 (土) 00:59 (UTC)

さっぱりわからなくて当然ですよね。階層は、あくまでも仙台市内の地名<(仙台市の区)<仙台市<宮城県<(南東北)<東北地方、のはず。定義不詳である「仙台都市圏」や「仙台経済圏」の記事に他の内容を包括させるべきではない。--Caveman 2007年8月30日 (木) 22:48 (UTC)

一部転記提案の管理について

  • もね~るmonerさんが2006年4月6日 (木) 15:23の版で分割提案し、2006年4月12日 (水) 00:54の版 でSeibuabinaさんが一部転記に変更され、まとまった議論が無いまま2年近く経過しているので、一部転記プレートは外しました。再び分割なり一部転記を企図される方は改めて行ってください。また、議論参加者が少なかった経験を踏まえて、「コメント依頼」などを用いて広く告知されることをお薦めします。--ゴンベイ 2008年3月6日 (木) 13:21 (UTC)
  • 私が一部転記プレートを外した編集に対してリバートされましたので、疑問を呈したいと思います。ノート:仙台市には2年前の版に差し戻されたことが書かれていませんし、差し戻し行為の管理者への問い合わせの有無を含む処理経過にも何ら触れていません。誰も自発的に進行管理をしないままの一部転記提案存続に何の価値があるのか分かりません。--ゴンベイ 2008年3月6日 (木) 14:47 (UTC)
    • とりあえず、記事を見ていただければ分かりますが、テンプレートまでは戻してません。それより、貴方のこの編集の意図を説明くださいませ。--Knua 2008年3月6日 (木) 14:52 (UTC)
      • 本文記事の編集において、一部転記プレートを外しただけのつもりでしたが、どこかで間違って取り消しボタンをクリックしてしまっていたようで、2年前の版に戻してしまいました。同時並行で書いていたノートに編集の日付とHNをコピーした時にやらかしてしまったのかと思います。気付きませんで編集者の皆様と閲覧者の皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。Knuaさんには私の大失態に気付いて助けていただき、誠にありがとうございます。感謝のしようもありません。それなのに、自分の投稿記録の変化で本文編集履歴を確認したところ「revert」の文字があり、それにカッときて中身も確かめず、Knuaさんに助けていただいたことにも気付かぬままに、Knuaさんのノートにコメントというより怒鳴り込んだわ、Knuaさんのノートを汚してしまったわで、さらに失態を重ねてしまいました。Knuaさんをご不快にさせましたこと、ただただお詫び申し上げます。--ゴンベイ 2008年3月6日 (木) 15:45 (UTC)

秀逸な記事への推薦についての提案

仙台市は、市町村別の記事の中でも内容・写真・構成全ての面で優れていると思いますので、Wikipedia:秀逸な記事の選考へ推薦するのはいかがでしょうか。221.113.165.112 2005年8月30日 (火) 12:01 (UTC)

他の市町村と比べれば良いのかもしれません。しかし私には随筆的な部分が多いことが気になります。もっとも、秀逸記事が厳密に秀逸であるわけもないので、これが秀逸記事になっても別に構わないと思います。たいへん漠然とした意見ですみません。Kinori 2005年8月31日 (水) 14:14 (UTC)
Wikipedia:秀逸な記事の選考に出されました。いいと思います。222.147.46.49 2005年8月31日 (水) 15:16 (UTC)

教育機関の最寄り駅掲載について

大学や高等学校の最寄り駅は、各学校の記事の方へ移動し、仙台市の記事のほうは削除したほうが読みやすいのではないでしょうか?あと、「地下鉄東西線は計画沿線にある多くの大学・高校の通学・通勤の生命線としての意味合いが強い。東西線ができるかどうかに、その浮沈が関わる学校がいくつかあるのは否めない。」と書かれていますが、未開業駅の最寄り駅も各学校の記事の方でまとめたほうがいいと思います。ただ、尚絅中高や二高の最寄り駅が国際センター駅と言うのは少し言い過ぎのような気がします。Sen-K 2005年9月4日 (日) 07:08 (UTC)

その文章は私が書きました。ご指摘ありがとうございます。私としましても、普通の「百科事典」なら未来のことを推測した文章(随筆的といわれている部分)はいらないかも知れないと思います。ただ、Wikipediaが 「web百科事典」である、ということを考え、現在のこと、未来のことも含めて書いてもいいのではないか、と勘違いして書き込んでしまいました。wikipediaの編集方針と合わないのであれば削除して頂いて結構です。
ただ、仙台市長選を見ていても、東西線の問題が建設費や借金のことばかり議論され、日本国内や世界の他都市との都市間競争を踏まえた議論になっていなかったので、「学都仙台」のインフラとしての面もあることを示した方が仙台の他都市にない特色が出るかと思い、上記の文章を加筆し、大学・高校の最寄駅も加筆しました。
また、以前の地理学では、「大学や大病院は、広い土地を求めて都心から郊外に移転する」という理論が当たり前の法則のように言われていましたが、少子化の影響で、大学も優秀な生徒の獲得や社会人入学のために都心回帰したり、鉄道・地下鉄などの利便性の高い立地を目指した将来計画を出してきています。仙台でも同様な傾向があり、東北大学も、青葉山のゴルフ場跡地へ統合移転計画を持っており、それは、東西線の青葉山駅・川内駅・国際センター駅があってこその計画です。東北福祉大学が仙山線に請願駅を申請しているのも同様の理由からです。「学都仙台」で胎動している大学間競争の基礎知識として、そのような駅前立地型を目指す大学、宮城大学・仙台白百合大学などの文京地区集中立地型をしている大学、東北学院大学のような都心に社会人入学向けや大学院を集中させ、一般学生を郊外のキャンパスに、という都心・郊外分離型大学、その他の郊外型大学、それぞれの戦略を見るためにも、最寄駅の併記は必須かと考えました。
高校についても、同様な傾向が見て取れると思い、最寄駅を加筆しました。みなさんの判断で削除が好ましいというならば、削除をお願い致します。
なお、駅から2km以内程度の徒歩圏にある大学・高校に最寄駅の記載をしました。国際センター駅はスポーツセンター跡地か旧仙台商業グラウンド跡地に建設される模様なので、二高は500m以内、尚絅も1km程度であり、同駅が最寄駅で問題ないかと思われます。ただ、東北学院大学・泉キャンパスの最寄駅については、私が加筆したものではないので、徒歩圏から外れた記載になっていると思います。219.111.120.29 2005年9月6日 (火) 02:34 (UTC)
219.111.120.29さん、ご返答ありがとうございます。今回は、最寄駅を掲載すると少々見づらくなるかと思ったので、ノートにて提案しました。東西線が交通インフラの意味がよくわからなかったのが原因ですが、219.111.120.29さんの詳しい説明により解決しました。Wikipediaの編集方針には違反していないと思うので、併記していても問題はないと思いますが、ほかの人の意見も聞かないと結果を出すのは難しいと思います。尚絅中高や二高から国際センター駅予定地まではあまり建造物がないので遠く感じてしまいましたが、219.111.120.29さんの言うとおり、実際はそんなに遠くないので併記していも大丈夫です。なお、ノートで意見を書く場合は、文末に~~~~(チルダを小文字で4つ)を付け足してください。編集後には「Sen-K 2005年9月5日 (月) 11:02 (UTC)」と署名することができます。これはルールとなっているので、ノートで意見を述べるときは必ず~~~~を付け足してください。Sen-K 2005年9月5日 (月) 11:02 (UTC)
Sen-Kさま、いろいろご指摘ありがとうございます。Wikipedia初心者のため、ご迷惑おかけしてすみませんでした。今後もご指導下さい。219.111.120.29 2005年9月6日 (火) 02:34 (UTC)

 はじめまして、こんにちは。この件に関して疑問があるので書かせてください。 東西線ですが財政面は重要なのではないでしょうか?都市間競争の前に財政がだめになれば都市間競争の話ではなくなるのではないでしょうか?学校のことを書かれていますが、実際東北大の学生に聞くと運賃の高さにバスの方が便利で停留所も多く便利だという話をよく聞きます。宮教大、東北工大の最寄り駅とは思えません。東西線により公共交通機関がなくなる (バス路線の廃止、大幅減便)の筆頭角のような学校だと思います。「高校の通学・通勤の生命線としての意味合いが強い。」という書き方に疑問を感じます。沿線でない学校の方が大多数のであるが現実です。すごく違和感を感じます。あまりに東西線に特化していると感じます。いかがでしょうか。--222.159.90.32 2005年11月20日 (日) 15:31 (UTC)

222.159.90.32さん、はじめまして。ご指摘の最寄駅関連と「教育」の項の前文は私が書きました。「仙台市が財政破綻してしまえば東西線を建設出来なくなる」という指摘は正しいと思います。東西線の財政面の問題は仙台市営地下鉄東西線の項目に書いてあるので、そこを参照してもらえるよう内部リンクをつけました。しかし、現市長は建設促進派なので、建設されることを前提に「教育」の項に東西線最寄駅と前文を加筆しました。また、東西線の財政問題は「教育」とは関係ないので書きませんでした。建設されるとなると、計画沿線にある学校は格段に交通環境がよくなり、学生獲得には強力な意味を持つと思われるので、「生命線」の意味がある東西線沿線の学校は多いと思います。(因みに、既に南北線やJR在来線などの駅近くにある学校は鉄道という足を既に得ているので、勿論東西線が出来ることで直接浮沈に関わることはありませんが、東西線沿線の学校も鉄道という足を得ることから、競争が激化するとは思います)。文章として、「計画沿線にない学校にも生命線になる」とは書いていないつもりでしたが、そのように読めてしまうのであれば、分かり易く書き換えて頂ければと思います。「都市間競争」に関しては加筆意図を明確にするためにノートにのみ書いただけで、「教育」の項には加筆していません。
マンションなどで使われる最寄駅からの徒歩の所要時間は、「1分間に80m歩く」として計算しているそうです。その徒歩速度を用い、「東西線なんでもサイト」の詳細な路線図による駅予定地からMapFan webの「るーとMap」で道のりを得て計算してみますと、動物公園駅が出来る予定の場所(市民センターの敷地)から東北工大の校門までの距離は850mだったので、徒歩で約11分。青葉山駅から宮城教育大学の正門までは600mだったので、徒歩約8分。一応、駅から自転車で動く人もいるだろうから、駅から2km圏(徒歩30分以内)を徒歩圏として他の学校の最寄駅も書き込みました。「バスの方が便利だ」という意見はあると思いますが、大学生の場合、自転車・バイク・車でも通学しているので、バス通学の比重がどのくらいなのか分からず、反論できません。ただ、東北大学の学生の内、仙台市出身者は2割以下なので、ほとんどが実家からの通学ではありません。東西線が出来れば、仙台市以外の出身者で徒歩通学を望む学生は、沿線の駅近くのアパートに住むようになると思われますので、現在のバス路線沿いに住んでいるような学生にインタビューしても意味はないような気がします。以上、質問に答えられたでしようか? もね~るmoner 2005年11月20日 (日) 20:52 (UTC)

有名人・スター選手について

整理統合の上、別項目にしてもいいのではないでしょうか?重複している名前もありますし。仙台竜三 2005年10月30日 (日) 03:47 (UTC)


(賛成)私も別項目化に賛成です。ただ、単に仙台市出身有名人と仙台関連有名人とを別々に独立項目化するのでは、仙台の実情が正しく反映されなくなるような気がします。仙台の場合、「学都仙台」の名に違わず高校・大学で他の地方から仙台に移り住み、仙台のスポーツや文化を支えている面がありますので、仙台スポーツ界を立てて「アマチュアスポーツ」の記事の部分と、スポーツの仙台出身者と仙台関連者入れ、また、仙台芸能界という項目をつくり、仙台出身者と仙台関連者の芸能人の部分を移項させるのがいいのではないかと思います(仙台の有名人という項目を立てて、仙台出身有名人と仙台関連有名人を一緒に入れ、スポーツ・芸能界の記事と人の部分で一部重複する形も)。いかがでしょうか? 但し、仙台の記事を執筆していらっしゃる方々は、最初から最後までほとんど読んだ上で投稿したり記事の構成や内容について批評しておられると思いますが、大多数は閲覧のみの方々だと思われますので、あまりにも記事を分割しすぎると、「仙台市」という項目がポータルサイト化してしまい、記事としての魅力がなくなるのではないか? とも危惧しております。web百科事典としてそうなるのは仕方ないことなのかも知れませんが、沢山の執筆者の努力があってここまで「仙台市」の記事が発展することができたので、そういう方々の努力をバッサリと切ることがないような工夫やアイディアが必要かと思われます。 もね~るmoner 2005年11月10日 (木) 21:12 (UTC)

仙台幸子は有名人に含められるべきか。商業的な色彩が強いようにも感じられる。雪解の泉 2006年9月27日 (水) 05:12 (UTC)

年表について

私は「年表」と「有名人(経済人)」の中にソフト・オン・デマンド社の女性社長・菅原千恵を書き入れましたが、それを削除する人がいます。すでにソフト・オン・デマンド社はAVメーカーとして業界トップに君臨し、年間売り上げは約150億円にも上ります。この売上は、仙台市の老舗デパート・藤崎百貨店(社長・藤崎三郎助)の約半分に相当します。菅原千恵は明らかに“仙台の立志伝的人物”です。これを“AVの人物”だからといって削除したり無視したりするのは、AV業界に対する差別であり、正当な評価とは言えないのではないでしょうか?--110.135.34.199 2011年3月31日 (木) 16:49 (UTC)

仙台市出身というだけで年表に入ることがおかしいですね。仙台市についての記事ですから、仙台市内についての説明を追記するというのが分かりませんか?仙台市に全く関係のないソフト・オン・デマンド社自体の項目は追加すべきではないですね。ソフト・オン・デマンドの本社が仙台市内にあるわけでもなく、またそれによって仙台市に何か大きな影響しているわけでもありません。AV業界云々や正当な評価だとかは、仙台市に関係しなければどうでもいいことです。それに「“仙台の立志伝的人物”」というのはあなたの思っていることに過ぎないのではないですか?もしその出典が存在しないのであれば独自研究に相当します。他人が「AVの人物だからといって削除」してると勝手に思いこんでるのは、他の利用者に失礼ですね。いい加減な考えで編集に参加してもらいたくありませんね。--60.39.164.220 2011年3月31日 (木) 20:20 (UTC)

“いい加減な考えで編集に参加してほしくない”とはずい分失礼な言い方ですね。それに、書き方(表示の仕方)も大げさというかトゲトゲシイですね(訂正しておきました)。いろいろな考えの人がいろいろな編集をしてお互いに議論してゆくのがウィキペディアの本来の姿のはずです。それを“編集に参加するな”という心の狭いあなたのほうこそ編集に参加する資格がありません。--110.135.12.240 2011年4月1日 (金) 05:15 (UTC)

さて、年表の内容についての意見に対し、返答なしということでよろしいでしょうか?--60.39.164.220 2011年4月1日 (金) 09:52 (UTC)

「年表」の内容に関しては削除ということで結構です。ただし仙台の「有名人(経済人)」としては外せないと思います。--110.135.12.240 2011年4月1日 (金) 10:06 (UTC)

仙台開府当初の人口について

仙台藩の方でもまとめましたが、仙台と江戸の町の人口が同じであった時期などありません。開府当初の仙台の人口が約5万人であるというのは、小倉博による推計値です。小倉博著『仙臺』(1924年)によると、

 仙台城は慶長七年五月十八日竣工を告げ、町割も出来たので、八年八月邦君を初め士民悉く移住する。家臣凡八千戸、町民凡二千百戸、寺方凡二百五十戸、その他を併せて惣戸数一万八百五十戸、人口五万ニ千人を算した。東奥雄藩の新営都市殷賑の状想ふべきである。慶長十六年十月仙台を訪れた西班牙大使セバスチヤン・ビスカイノは、その報告書に、「城は日本の最も堅固なるものの一にして、水深き川に囲まれ、断崖百身長を超えたる崖上に在り、入口は唯一なり。城下に大さ江戸に同じく家屋の構造之に勝りたる町を瞰下し、又凡二レグアを距てて海岸を望むべし」と記し、更に新築の松島瑞厳寺を以て世界第一の木造建築だと歎賞した。聊か誇張の嫌はあるけれども、以て偉大な計画規模の一斑とするに足る。

同じ推定人口と内訳が小倉博によって仙臺市役所編纂、『仙臺市史』(1908年)の中で示されています。推計人口についても若干疑問点がありますが(幕末の町方人口の構成を引用している)、まあ5万人というのは妥当な数字です。しかしながらこの文章は極めて誤解を招く書き方をしています。引用されているセバスティアン・ビスカイノの文章で、「江戸と同じ」とされているのは「城下町の面積」であって「町の人口」ではありません。小倉博の著作では村上直次郎訳が引用されていますが、平山篤子訳では以下のようになります。

しかも城自体もかの国の中で最も堅固にして最良のものの一つで、全方位非常に深い川で取り巻かれた身長の百倍を超す大岩の上に造られていた。入口はただ一つしかなく、ここからは市中全体が見渡せた。この町は江戸と同じくらいの大きさだが、もっと凝った感じで、二レグア行くと海岸線にあたり、何レグアにもわたって見渡せる。

面積に関して言えば、事実仙台の町割りは他の有力諸侯の町割りに比べると広かったことは言えます。例えば1650年頃の城下絵図を比較すると、仙台城下町は面積10.37 km2で、これは名古屋や金沢よりも広い(町割りの比較については以下の文献参照: (a) 内藤昌, 「江戸―その築城と都市計画―」, 『月刊文化財』, (175号), pp.15–29 (1978). (b) 内藤昌, 『江戸の町』, 草思社, 1982. (c) 内藤昌, 「都市構造における職人町のありかた」, 『歴史公論』, 9巻 (8号, 通巻93号), pp.76–82 (1983).)。ビスカイノが訪ねた頃の仙台は、城下町が完成した18世紀末のまだ半分の大きさ(約5 km2)しかありませんが、同時期の他の城下町に比べ、ゆったりと造られた武家屋敷の占める割合が高かったことでしょう。町の広さに関するセバスティアン・ビスカイノの感想は、数値化は難しいけどある程度感覚的にそう見えてもおかしくはなかったのでしょう。しかしながら人口については一言も書いていません。

大体ビスカイノが仙台を訪ねた時(1611年)の前年(1610年)に江戸を訪ねたロドリゴ・デ・ビベロは江戸の人口を15万人と記載しています。江戸の市街地普請は1603年に始まっており、仙台が江戸の人口に追いつく可能性のある時期は1601~1603年の約3年間ですが、江戸の推定人口については江戸滞在の推定直参武家数などから、1600年頃に6万人というものが存在します(Tertius Chandler, Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census, Lewiston, NY: The Edwin Mellen Press, 1987.)。この頃の江戸町方地区の区割りを伝える地図は残っていませんが、慶長7年(1602年)のものと推定されている『別本慶長江戸図』は江戸城の大よその区割を伝え、仙台城よりも遥かに規模の大きいものです。1608年頃と推定される『慶長江戸絵図』の段階ではすでに15万人の人口にふさわしい規模の城下町を有しています。小倉博による仙台の推定人口5万人というのは、城下町の面積が倍増した江戸時代中期以降の町方・寺社方人口を開府当初の仙台藩の推定直参武家人口に合算した結果であり、実際にはこれを下回るはずです。1600年以降しばらくの間は江戸に関しては人口が増える要素しかないので、仙台と江戸の人口が同じであったという事実は客観的に認められません。

「江戸と仙台の人口が同じ」とする本として内藤昌の『江戸と江戸城』が挙げられますが、引用文献としてロドリゴ・デ・ビベロとビスカイノを挙げ、「仙台と同じ15万人」と表現しています。つまり内藤氏は、ビスカイノの報告文を誤って解釈しているだけです。他の研究者の本・論文は、引用があったとしても何れも小倉博か内藤昌の著作を挙げているだけです。Orichalcum 2010年12月18日 (土) 11:11 (UTC)Orichalcum 2010年12月18日 (土) 11:16 (UTC)