ノート:カバコ

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出典の明記[編集]

私は、「カバコ」という言葉も初耳ですし、その方面に精通していないので、なんとも言えませんが、誰がそのように(原理主義だの、穏健派だのと)「分類」したのか。また、誰がそのように「考察」したのかの、出典の明記は最低条件だと思い、出典のテンプレートを張っておきました。Bow 2006年12月17日 (日) 12:57 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。出典については、本記事の定義部分で述べたようにその消滅してしまったウェブサイトなのですが、あいにく当時のデータはそのサイトの管理者でもなく、まさかこういう機会が現れることなど予測できないわけで残っておりません。
また、このような特異なな性的嗜好やサブカルチャーに属する情報に関して明確なソースを求めるのは難しいと思います。ウィキペディアのルールについて詳しくないのですが、明確なソースを最低1つは明示できることが、記事作成の条件ならばこの記事は認められない(即時削除の対象)というわけでしょうか。最近、何かと「要出典」を貼り付けているのを見かけますが、なかなか出典を得られないものもあり(中にはうわさ話から現実化したようなものに対して、記録に残るわけのないうわさ話の部分に対してソースを求めているような記事(記事名失念)を見かけました。)、それはあまりにも強引ではないかと思いました。これはそのような記事を書く人のスタンスと、要出典を貼り付ける人とのスタンスの違いが大きく現れているものだと思います。
分類の呼び名は、明確に定義されたものではありません。その当時から今に至るまでの情報交換(データが残る方法以外も含む)や私が見聞きした現象の中で、それぞれの態度や行動の実情から便宜的に、理解しやすくする意味合いで私がつけたものです。よって、これらの呼び名が理解を妨げたり、実情とかけ離れているならば変更されるべきものと考えています。
分類の呼び名について、学術に属する記事の場合、このような名前の付け方は行うべきではありませんが、これは俗な記事であり、まずは実情に即し、わかりやすい名前を付けてグループ化を行い、その特徴を示すことが有効だと判断しました。つまり、この分類法も名称も、名前が先にあったわけではありません。名前を勝手に付ける代わりに、「I型」「II型」とか「A類」「B類」・・・というような無名の分類法をとることもできますが、そうすればイメージがわきにくいと思いました。ちなみに私は「カバコ否定者」に属します。私は靴下フェチであり、ストッキングのたぐいにはあまり興味がありません。カバコにしてしまうと靴下の上からの部分が無表情になるのは好ましくないと感じていますし、服飾における足回りのセッティングに関して屋上屋を重ねているようなものと思うからです。Bowさんはいかがでしょうか。
考察に関しても当時見聞きした話の記憶や掲示板などの書き込みを元に形成したものです。自分では十分だと思って数ヶ月の構想を経て書きましたが、先に述べたように有力な情報源を失っていますので不十分である可能性があります。ここはウィキペディアの力を信じたいところです。ほかのすべての記事がそうであるように、より詳しい、より正確な知識をお持ちの方による加筆修正を願いたいのです。また、この記事をきっかけにこの種の嗜好に目覚める方が現れたらいいなあとも(ものすごく勝手な思いですが)思っています。--署名のない投稿は、イ本月旨月方氏が2006年12月17日 (日) 15:01に投稿されたものです。--Bow 2006年12月18日 (月) 10:18 (UTC)署名の追加[返信]
まず、署名を付けてください。
本題ですが、検証可能性等をご覧ください。カバコの定義自体に対しては、私に知識がないため、何ともいえません。しかし、独自の主張に関しては、「考察に関しても当時見聞きした話の記憶や掲示板などの書き込みを元に」とおっしゃられているようなので、削除も止むなしと考えます。Bow 2006年12月18日 (月) 10:18 (UTC)[返信]
確かに、他の人の意見を待たずに、編集してしまったことは謝りますが、「削除するより内容の肉付けの方が建設的」では、(今回の場合)断じてありません。そもそも、ウィキペディアは個人の意見を主張する場ではありません。その点を、イ本月旨月方さんも58.190.52.178さんも了解していただけるでしょうか。Bow 2006年12月18日 (月) 13:37 (UTC)[返信]
署名忘れをお詫びします。さて、私は個人的な意見を主張するために本文を書いているのではありません。本文にもあるように、カバコはマイナーなものであり、有用な資料を生成させるだけの力を持っていません。ここからが大事なところですのでよく読んでください。
  • もし私がこの記事を初めて投稿する際に、「要出典」を貼られるだろうと予測して、何らかの情報源らしきものをでっち上げて書き込んでいたらあなたはどう反応していたでしょうか?
  • もし私がこの記事を初めて投稿する際に、出典を明示すべきと考えて、実に適切な情報源を記していてあなたがこの記事を読んだときに、その情報源を参照して投稿された記事が正確なのかそうでないかを検証しようと試みたでしょうか?
この2項は、査読という行為の根幹です。つまり、記事の出典が示されているならば、あるいは記事の出典を求めるならば、その出典と本文が正しく組み合わされているかどうかを確かめねばなりません。ウィキペディアは今のところ査読の制度が確立されていません。しかし、出典を求めたならば査読を行う必要があります。査読するつもりもなく、ただ出典を示せ、というは投げやりな態度だと思います。(このことに関して詳しくは後日自分の利用者ページで書こうかと思っています)
カバコはウィキペディアの記事として私が記述する以前から存在する用語です。もしこの用語がそれまで存在せず、私が自分で考えついて、「これをカバコと称する」というような書き方をすればそれは大問題です。ただ、カバコという概念が人それぞれによってとらえ方が異なっており、そのとらえ方をわかりやすく分類しただけです。
私は、百科事典とは難解な概念をその筋の専門家ではない人にでもある程度理解できるように整理したりかみ砕いたりする処理が大切だと考えています。あなたが現在着目されている、「カバコに対する姿勢」は、この処理を行ったものです。このような処理を行うことによって読者の理解を助けることが、あなたが主張されるほどの害悪を含んでいるのでしょうか。もちろんこれが学術分野の記事であったり、ここが学会誌の編集会議なら私のやっていることはとんでもないことです。俗で、アカデミックでなく、情報は少なく散逸している、という状況ではこのようなやり方を悪いことだと叩くのがどうして必要かと思うのです。
百科事典(少なくともウィキペディア)は、マイナーな概念であっても収録されるべきだと私は考えます。むしろメジャーな概念の集積より大切ではないかと思います。
本文にあるよう、カバコはマイナーな、有用な資料を形成することさえできないフェティシズムの対象です。このようなマナーなものは百科事典に上がってくる資格はないのでしょうか。また、もしかすると有用な資料が見つかるかもしれません。ここはウィキペディアの力のポテンシャルです。あなたはすでに謝罪されていますが、要出典をつけて一週間もたたないうちに削除するという行為を行いましたが、それはこのポテンシャルを否定していることに値します。私が十分な資料を見つけられていないだけで、他の人が持っているかもしれません。出典があとから出てくる記事はいくつもあります。それを穏やかに待つというのも、スタイルこそ違いますが最終的な志を同じとするウィキペディアン仲間として大切なことだと思いませんか。
話が長くなりました。Bowさんも、これをお読みのなった他の皆さんも次の点についてどうお考えでしょうか。
  • 有用なソースを見いだせないマイナーな事項についての記事を書くのはダメなことか
  • 概念をわかりやすくするために便宜的な分類を実施するのはダメなことか
これに対する参照例を一つあげておきます。それも併せてご覧ください。それは非常によく知られた用語ですが抽象的なもので、理解しやすくするために便宜的な分類が行われています。また、有用なソースは確実に入手可能ですが、示されていません。それがOKで、これ(カバコ)がNGとなるのはどういった点であるかを教えてください。お手間をおかけします。
ログインユーザで4名程度の方がコメントされるまで様子を見たいと思っています。それまでは本文の大規模な削除を行わないようにお願いしたいのですが・・・(そういうお願いは無理ですか?)--イ本月旨月方 2006年12月19日 (火) 04:10 (UTC)[返信]

論点が食い違っているようなので、明確にしたいと思います。まず、私は「カバコ」の存廃を問題にしているのではなく、あくまで、個人的な主張の削除です。そして、問題部分がそうと分かった為削除するべき、と主張したのです。また、査読や出典に関しましては、当ページや利用者ページではなく、Wikipedia‐ノート:独自の調査等で主張されてください。ここで、そのような議論をされるのはお門違いです。次に、「分類」についても、私は問題にしておりません。私は「分類」という編集作業ではなく、「出典」と言う編集の足場を問題にしているのです。Wikipedia:信頼できる情報源をご覧ください。出典とされるWebサイトは、個人サイトという事を除いても1次資料でしかありません。むしろ、そういうことは、論文にでもまとめて学会に出すべきようなものです。ウィキペディアでは、そうしたものを「整理したりかみ砕いたりする」存在でしょう。そして、「よい記事にしようとする」のがウィキペディアの潜在性ならば、削除もまたそれの1つではないでしょうか。加筆や、補足が「よくする」場合もあれば、削除が「よくする」場合もあります。今回は、出典が「当時見聞きした話の記憶や掲示板などの書き込み」である以上、加筆や補足は、本質的な解決になりませんし、修正するにしても一旦全て削除しなければこれもまた本質的な解決になりません。Bow 2006年12月19日 (火) 11:06 (UTC)[返信]

Bowさんに質問します。「当時見聞きした話の記憶や掲示板などの書き込み」程度の情報源しか持たない事項についての記事は作るな、ということですか?

--202.216.51.206 2006年12月22日 (金) 01:25 (UTC)[返信]

Wikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:検証可能性等をご一読ください。私は甘いので、「主張部分」の削除を考えておりましたが、方針に従えば、項目自体の削除も考えられます。私としては、インターネット上で流行った言葉というだけでの削除も忍びないと思い、迷った挙句、主張部分の削除という意見を言ってきましたが、項目削除を主張する方が現れても仕方がないことですし、反対もしません。質問者がIPユーザーで、投稿履歴のみ見ても分からないことですが、まだウィキペディアに投稿し始めてから日が浅いようですので、ぜひ、ウィキペディアの基本方針を一読することをお勧めします。Bow 2006年12月23日 (土) 00:00 (UTC)[返信]
12月22日に質問した者です。質問の仕方がまずかったような・・・おたずねしたいのは、この質問に対してBowさんは、YesなのかNoなのか、なんです。--202.216.51.206 2006年12月25日 (月) 11:35 (UTC)[返信]
それは愚問です。メインページにもあるように、「基本方針に賛同するのなら投稿できる」のであって、ウィキペディアに投稿する人は、解釈の程度の違いはあっても、基本方針を遵守する必要があります。今回の場合は、検証可能性が問題になるでしょう。そこには、「信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。」とあるのですから、Yesと答えるのが、ウィキペディアンとして、当たり前です。Bow 2006年12月25日 (月) 12:26 (UTC)[返信]

1週間以上経ちましたが、何ら反論がありませんので削除します。Bow 2007年1月3日 (水) 11:58 (UTC)[返信]

Bowさん、あなたの行為はどうも敵対的に見え、悪意を感じます。イ本月旨月方さんは、「ログインユーザで4名程度の方がコメントされるまで様子を見たいと思っています。それまでは本文の大規模な削除を行わないようにお願いしたいのですが」と要望されていますが、その要望以降、ログインユーザによる発言はあなたのみです。彼の要望に強制力はありませんが、あえてそれに反する行為に出るのは好ましくないです。あなたは以前も、テンプレートを出してすぐに記事の大部分を削除しています。削除は誰でも行うことができるものですが、削除も一方的な偏り(つまり、あなたがこの記事をひどく気に入らないと思い、何とかして排除しようと思う)で行うのも好ましくないことです。イ本月旨月方さん、また削除を食らうようなことがあれば記事の保護(わかりますか?)を申請してみてはどうでしょうか。--126.113.64.38 2007年1月4日 (木) 07:47 (UTC)[返信]
ウィキペディアでは、何かいざこざが起これば、まず「対話」で解決を目指します。多くの方の意見を聞く事は、悪いことではありませんが、対話とは2人で成立するものであって、それで済むならば、それで十分です。多くの方の意見を集める方法としてはWikipedia:コメント依頼がありますが、まず、争っている両者の主張を明示しなければ、そこからの参加者もコメントし辛いでしょう。ですので、イ本月旨月方さんに、もちろん126.113.64.38さんにも、なぜ「削除するな」とおっしゃっているのかを説明していただきたいのです。しかし、1週間以上待ちますが、何ら期待される回答が得られていません。それでいて、私が削除すると「一方的な偏り」と断ずるのは、単なる「対話拒否」でしかありません。もし、上記の文章が解りづらいと言うのであれば、改めて次に問題点を箇条書きにしますので、よくお読みの上、反論してください。
  • イ本月旨月方さんの言っている通り、出典は「考察に関しても当時見聞きした話の記憶や掲示板などの書き込みを元」であるため、Wikipedia:検証可能性に抵触すると思われる。
実際、箇条書きと言っても、これ1つです。そうして、もう1つ確認すべきなのが、検証可能性に抵触するか否かが問題なのです。検証可能性に触れたけれども、削除するかしないか、ではありません。これらを踏まえて、何らかの反論お待ちしております。Bow 2007年1月4日 (木) 08:52 (UTC)[返信]
下の項目も含め、コメント依頼されてはいかがでしょうか? 現状のように出典が見えない状態では削除もやむなしですが、どなたか有益な情報源=出典を知っているかもしれません。年末年始を挟みましたし、もう少し時間的猶予は与えてもいいのではないかと。--DEN助 2007年1月5日 (金) 09:04 (UTC)[返信]
すみませんが、DEN助さんは、上記の議論に目を通されましたでしょうか?イ本月旨月方さんは、出典について「考察に関しても当時見聞きした話の記憶や掲示板などの書き込みを元」とおっしゃられているのです。よって、これらについて、有益な情報源は望むべくもないのです。コメント依頼については、Wikipedia:論争の解決の「ステップ1:論争の相手と話し合う」を目指してきましたが、無理そうなので、やってみたいと思います。あと、時間的猶予とやらを与える件ですが、私が本文削除して、およそ1日後に126.113.64.38さんに戻されて、ノートにもコメントされています。126.113.64.38さんには、私の削除に対応してコメントを書く時間はあっても、私の意見に反論する時間はないのでしょうか?Bow 2007年1月5日 (金) 11:04 (UTC)--訂正:Bow 2007年1月5日 (金) 11:41 (UTC)[返信]
コメント依頼については、議論の要約が必要のようですので、このページに署名のある方に、上記についての意見を求めるため、利用者-会話ページに、その旨を伝えておきます。ですので、その回答を待ちたいと思います。それで回答があれば、議論が進みますし、そうすれば、コメント依頼する必要も根本からなくなります。Bow 2007年1月5日 (金) 11:41 (UTC)[返信]

(インテンド戻します)本項目の記事やネットで検索したところ、使われだして相当の時間が経過した言葉と推測できるものなので、例えばポルノ雑誌のコラムや服飾専門紙誌の記事等で何か情報源がある可能性はないのでしょうか? そういった可能性は追求してもいいのではというのが私のコメントの趣旨です。書いた本人が出典を示せないなら削除はルール上、認められるでしょうが、そういったことから編集合戦→保護という事例を最近見ましたので(例:クリスマス)、編集保護に至る事態は回避してもらいたく、提案させていただきました。理想はイ本月旨月方氏や前述の記載に賛成される方の周囲で必要な情報源がみつかることですが、個人や小さい集団では限界もあるでしょうから、広く情報を募るのはアリでしょう。服飾や性風俗に関するウィキプロジェクトがあれば、そこで聞くのがいいのでしょうが、服飾についてのウィキプロジェクトはないようですね(性についてはこちらにあります)。--DEN助 2007年1月5日 (金) 16:44 (UTC)[返信]

確かに、「情報源がある可能性は」あるかもしれません。しかし、今回の削除と何ら関係はありません。今回の件と、例示されたクリスマスの件と決定的に異なるのが、「出典が示されている」ことなのです。つまり「見聞きした情報」から「Aという記事」ができるのと、「Bという資料」から「Aという記事」ができるのは、根本的な違いがあります。現在の記事に、いくら信頼のできる出典を掲げたところで、土台が崩壊している以上、無意味です。信頼できる資料の登場の可能性を追求されるならば、崩れている土台を取り除いて、そこに、確固たる土台に基づいた記事を書く素地をつくるべきではないでしょうか。もとより、「出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録」するものであるため、削除が妥当であると考えます。Bow 2007年1月6日 (土) 00:54 (UTC)[返信]
まず、その強硬な語り口は何とかなりませんか?そして、もう少し冷静になれませんか?これはあなたの活動方針についてあえてこの場でコミットさせていただきますが、あなたは2006年12月29日までに掲載されていた利用者ページの「活動指針」において、「言葉は武器である」と述べられています。武器とは何たるやと考えれば行き着くところ、他に害を与え、自己を護る、自己の利を追求するということで、あなたは言葉を攻撃の道具としてお使いになるのだと認識しております。これは私の考え方と大きく異なるものです。
あなたが指摘されている検証可能性についての公式文書を一通り読みました。なるほど、これに書いていることは永続的な確定事項とのことで、そうなるとあなたがおっしゃるとおりこの場(ウィキペディア)に存在するための要件を欠いていることを認めます。しかし、先ほどコメントいただいたDEN助さんがおっしゃるように、広く情報を募ることは行ってよいと考えています。
前に述べましたが、この領域はなかなかマイナーな指向なので、商業誌のネタには載りにくいものです。このことは一つ考えて欲しいのですが、エロ本やビデオ作品などによく取り上げられるメジャーなフェチは掲載可能、そうならないマイナーなフェチは掲載不能というとなれば、まあこれは公式方針に正対する形になりますが、掲載の可否は商業ベースに乗るか乗らないかというようになってしまいますね。そうなってくるとサブカルチャーな記事はことごとくアウトになってしまうでしょう。話がそれますが、そうなると例えば今ではもう廃村になってしまい、埋没されてしまった民間伝承・舞踏といったものもアウトになってしまうのですね。
つぎに、蒸し返しますが、その根拠となる書物は今のところ見つかっていませんがカバコは私が勝手に作った造語ではなく、以前から細々と使われている語句です。その語句の意味するところを、その筋に詳しくない人のために分類して示すことの何が悪いかということです。もし、この分類の仕方がまずい(つまりこれに書き切れていない類型があったり、その類型に含まれている行動様式が間違っていたり)のなら、それを改める必要があります。しかし、それを改める方法は削除が主ではなく加筆が主となります。
特に初めてあなたに答えた際、私は「Bowさんはいかがでしょうか。」と問い返しました。これは何を意味したか、今読んでみるとこれは不十分な書き方をしたなあと思いましたが、もしあなたがカバコに関する立場に含まれるなら、どのあたりに立っていられるかを問いたかったのです。そうすると、この分類方法の落ち度を一つ見つけられるかなと思ったからです。分類の中には境界線の曖昧なものがあるため、そういう一人の意見であっても、大切にしたいわけなんです。
次に、あなたからの指摘をなぜ素直に受け入れないかについて申し上げます。この記事のように、出典を明示していない記事はいくつもあります。あなたは結構な量の編集を行っていらっしゃいますが、この記事が立ち上がって以来の編集履歴を確認したところ、もしかしたら見落としているかもしれませんが、いくつかピックアップした(アメリカン・ショートヘアコンピュータゲームの歴史大型筐体ゲーム大型筐体ゲーム)これらの記事には出典の明記がありません。
  • アメリカン・ショートヘア
定義のところで「アメリカでは最も一般的な種類である。」というのはいったいどこから導いたのでしょうか。アメリカのペット業界に問い合わせたらわかると思います。
  • コンピュータゲームの歴史の任天堂「ファミリーコンピュータ」
手違いらしいが、ソフトは本体の一ヵ月後に発売された。」これはどこから得たものか。もう20年以上前の話ですが、検証可能でしょうか。当時の証票を見れば必ずわかりますが、企業の証票で20年以上残すものというのはあまり無いと思いますが、どうなんでしょうか。いずれにせよ任天堂は現存の企業であり、この分野の事業活動を今も行っているためソースは見つかるかもしれません。
  • コンピュータゲームの歴史の任天堂「ニンテンドーDS」
『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』の発売と正月商戦の相乗効果で~(中略)~半年経っても需要が供給を上回る状態が続いた。」これは最近の事象ですので、業界誌・業界紙から簡単に正確な情報が得られるはずです。本当にそうでなければ、需給バランスというのは企業の信頼度の問題にもなり、ソースのない話をこのように書くと訴えられるかもしれません。
  • 大型筐体ゲームの概要にある「なお体感ゲームは大型で場所を取り、また消費電力も他のアーケードマシンのゆうに数倍という物もあり、都市部のプレイスポットのような限られた店舗にのみ設置されていた。」
おそらく筆者の憶測です。実際は違ってました。これもAM系の業界誌に記録が載っていたはずですのでそれを見るともう少し違う書き方になったはずです。
で、列挙はここまでにしておきますが、あなたはそうやって出典の漏れ(しかも手に入る確率が高いものを含めて)をいくつも放置しておきながら、この記事に対しては強く出典を求めるという一貫性のない態度に不満を感じているわけです。もしあなたがこれら(やその他)に対して、同じように出典を求めていられるならば、私は、あなたの意見を受け容れるでしょう。しかし、思いつきで指摘するような方から「削除を最優先する」という意見に応じるつもりはありません。
ここははっきりさせておきたい点ですので必ず答えていただきたいのですが、「なぜ、それらの記事でソースを求め、ソースの見あたらない部分を削除をせず、この記事を特定してソースを求めるのか、あるいは核心部分の削除に及ぶのか」・・・この問いに、あなたの言葉、つまり何かの記事や資料を引用するとかではなく本当のあなたの心から出る言葉で、つまりあなた自前の武器・攻撃法で応じて欲しいのです。即答を求めません。少なくとも1週間から、長く一ヶ月程度をめどに、ゆっくりお考えください。--イ本月旨月方 2007年1月6日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
「強硬な語り口」というのは、具体的にどういう点でしょう。残念ながら、私は頭が悪いので具体的に指摘されなければ解りません。ご指摘いただければ幸いです。イ本月旨月方さんは私の「言葉は武器である」という言葉を引用して「攻撃の道具」と断じています。まあ、別に、誰に見られることも想定していなかったので、そのような捉え方をされてしまったのだと思いますが、誤解のないように註釈を入れます。言霊というのをご存知でしょうか。言葉には魂が宿る、という考えです。言葉は自分から離れた時点で固有の意思を持ち、話者の意図せざる影響を与えるのです。それが、善であれ、悪であれ、真であれ、偽であれ。時として人を助け、時として人を殺め、時として人を導き、時として人を惑わします。だから言葉は武器なのです。発すれば、少なからず自他に影響を与える、だから細心の注意を払いましょう、という戒めです。
と、一番最初にある問いにだけ答えました。本来はこのような所で行うような話ではありませんので、まだ「あなたの言葉」とやらが聞きたいのであれば、私の会話ページに連絡ください。
では、1つ1つ答えていきましょう。「掲載の可否は商業ベースに乗るか乗らないかというようになってしまいますね」そうです。それがウィキペディアなのです。万人を執筆者として許容しながら、質を保つ為に採られた一種の「負の面」です。これが、正しいかどうかは、分かりません。しかし、それがウィキペディアの方針です。また、上にも書いてありますが、カバコ自体の存在を否定するものでもなく、イ本月旨月方さんの分類法を否定するつもりもありません。なぜ、加筆ではなく、削除なのかも上に書いてあります。そして、「あなたからの指摘をなぜ素直に受け入れないか」については、私の手に及ばないところの方が多いです。今回は、新しいページにあったこの記事に目が行き、このような議論になったのです。残念ながら私はそれほどまで、完璧ではございませんのでご容赦ください。Bow 2007年1月6日 (土) 10:01 (UTC)[返信]
>「『掲載の可否は商業ベースに乗るか乗らないかというようになってしまいますね』そうです。それがウィキペディアなのです」決定的に誤解をされているようなので、ちょっと今後の議論参加は見合わせます。検証可能性と商業ベース云々の連関性は論点も価値観も違うものであるのみならず、Wikipediaの方針のどこにもありません。商業ベースでないものでも秀逸な記事も含めて良質な記事はいくらでもあるし。それと記事によって方針が異なるのは、ログインユーザーである以上、上記のような疑問をぶつけられたら説明責任が生じるでしょうし、説明できないなら本項目の編集はほかのウィペディアンに任せた方がいいと思いますが。--DEN助 2007年1月8日 (月) 02:03 (UTC)[返信]

(インデント戻します)確かに、上記には語弊がありました。学術的な面まで範囲を広げれば、「専門家がいなければ書けない」というのが、正解でしょうか。今回で言えば、こういうものの情報源は雑誌等に頼るしかなく、「信頼できる情報源」と「雑誌」がイコールで繋がってしまいます。その雑誌を作るかどうかは、「商業ベースに乗るか乗らないか」であるのです。よって、論文という情報源の可能性を排したとき、出版社の出すか、出さないかにかかってくるわけです。しかし、これも蛇足でした。本記事は削除依頼に出されました。残念ですが、返す言葉がありません。Bow 2007年1月8日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

削除依頼に出されてしまいました。どういう仕組みで記事が削除されてしまうのかがよくわかっていませんが、正直なところ、困惑しております。本当はいくつか言いたいことがあるのですが、一旦それは引っ込めておいて、現状に対応していく必要が生じました。削除依頼を出された方とその次の方はどうお考えになったのかはわかりませんが、その形を当てはめていくと、いろんな記事を削除できそうですね。それが望ましいのかどうかはわかりませんが、もっと寛容になっても損はないかと思います。
出典云々は大事かもしれませんが、絶対ではないでしょう。考え方はいろいろありますが、出典を重視するなら、オンラインで送信して即記事に追加、というシステムと相容れませんし、矛盾するでしょう。出典の明記を最重視するならば、まずは記事の企画案を定期的に募集してプロジェクトの決定、一通り書けたら本文と要旨をあわせて出して当該分野に詳しいグループによる事前の審査、それが通ったら出典と突き合わせて当該分野および異分野の有資格者による査読、そして最後にもう一度審議をして掲載の諾否を決め、校了してから掲載するという、どこの学会でも当たり前にやっている、誰でも知っているシステムをやればいいだけなのです。
この記事も、初めて提出したときに(こんなことするつもりは毛頭無いですが)適当な書籍名をでっち上げてそれが出典だと記述しておけば、Bowさんほか皆さん方は見過ごしていたはずのです。私はあまり疑うことを好みませんが、もしかするとそのようなでっち上げの出典を示している記事もそれなりに有ろうかと思います。そういった疑わしい出典をチェックして「それは違うよ」と指摘されたケースはあるのでしょうか。
とりあえず、カバコという用語はすでに使われているものであり、ウェブ上のリソースにもいくつか見あたるものがありました。また今回探してみると実際に映像作品として市販されたものもありました。本文にリンクを連ねましたので一度ご覧ください。--イ本月旨月方 2007年1月8日 (月) 11:03 (UTC)[返信]
あなた方(特に削除を主張される方)がいかに建前にしがみついて不毛なことをおっしゃっているか、ちょっと興味深い資料を今作っています。できあがったらお知らせしますので是非ご覧ください。--pixan 2007年1月8日 (月) 13:32 (UTC)[返信]
前にも言いましたが、論点は唯一つです。本文の内容が検証可能性に抵触するか、です。方針には「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のないと記述は除去されても文句は言えません)」とあります。査読、でっち上げの出典などは、ここで議論するようなことではありませんので、他の場所で問題提起してください。また「その形を当てはめていく、いろんな記事を削除できそうですね」そうですが、一朝一夕にできる事ではありません。そのところ、ご容赦ください。あと、本文に追加された外部リンクですが、Wikipedia:外部リンクの選び方というものがあります。1番目と2番目は「掲載すべきでない外部リンク」の3、3番目は同8、4番目は本文に掲載されている内容に収まっているため、いずれも削除対象になりますのでご注意ください。Bow 2007年1月8日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
まあいいじゃないですか。リンクがあって大きな迷惑になることもないでしょうし。そう目くじらたててどんどん攻撃的になるのは、見ている側からするとなんというか、無様というか、寒いですよ。なんか、削除が趣味のように見えたりします。いわゆる初心者狩りのようにも見えますね。もしBowさんが管理者に立候補される(推薦される)ならば私は絶賛して支持しますよ。ここまで熱意があるというのは、恐れ入りましたーと言ってしまいそうです。そうやって基準を満たさない記事を片っ端から整理すればウィキペディアは実にアカデミックな場所になるのは確実だからです。
前置きはこれくらいにして、Bowさん、この資料Wikipedia:気楽に参加する方法が気になるのですが一度読んでいただけますか?このあたりの整合性が見えてくれば事態がよくなると思うのです。たぶん、彼(イ本月旨月方氏)はその資料から入ってきた可能性があります。ちょっと読んでいただいて、コメントいただけますか?--pixan 2007年1月8日 (月) 15:08 (UTC)[返信]
pixanさん、根拠もなく個人攻撃されるのはよしてください。前言撤回して頂けませんか。また、「気楽に参加する方法」を参照されましたが、本件といかなる関係があるのか、私には分かりません。そのところの詳しい説明を頂ければ幸いです。Bow 2007年1月9日 (火) 12:21 (UTC)[返信]
根拠無く述べていません。何かにつけてかみついてくるような発言に嫌気がさして申したまでです。そして、前言の撤回ですか・・・一応耳に入れておきますね。ただ、今あなたと発言に対する応酬はしたくありませんし、すべきではないので、あとで改めて撤回するかもしれませんが、今はいたしません。よってBowさんにおかれましても、私の攻撃に対する反撃を予定されているなら保留してください。それとちょっと節が長くなりすぎた感じがしますので勝手ではありますが、これから書くことは私が重視していることのため、節を改めさせていただきます。--pixan 2007年1月9日 (火) 16:52 (UTC)[返信]

節分け[編集]

(32キロバイトを超えているため便宜的に分割する)「今あなたと発言に対する応酬はしたくありません」とは、何を言っているのでしょうか。私も、このような事を言うのは本意ではありませんが、加害者であるpixanさんが、何ら誠実な対応を示さずに、「したくない」とは身勝手にも程があります。しかも、その主語が「応酬」ですか。私は前言撤回を求めたのです。それについては「一応耳に入れておきます」とだけです。さらに、個人的な感情でしかない「嫌気」が「根拠」ですか。笑わせないでください。それは「僕は人を殴った。理由は奴が嫌だったからだ。理由があるから正当だ」とでも主張されているようなものです。それでは、好き嫌いで、その行動の正否が決まるのでしょうか。また、pixanさんは「私の攻撃」と述べていて、それが議論ではなく攻撃であることを明言しています。私は反撃をするつもりはありません。誠実に対応していただければ結構です。Bow 2007年1月10日 (水) 12:56 (UTC)[返信]


「気楽に参加する方法」に導かれて記事を書くのは不正なのか[編集]

いったん仕切りなおします。 皆さん、今一度、この資料Wikipedia:気楽に参加する方法を読んでくださいね。 その記事の中には、「自分自身に関連するもの、好きなものについて執筆する」という節があり、まずは書いてみることを勧めています。その部分を引用しますね。「関心のあることなら面白い記事が書けるのではないでしょうか?ただ、それが中立的な観点から外れないようにだけは気をつけて取りかかってください。」というように書いています。それ以後もこの資料の中には「出典を示せないものは書かないでください」というような文はありません

次に、「ウィキペディア以外の情報源を利用する」の節には、「他の情報源: 図書館・百科事典・オンラインの情報源で調査して下さい。そこで見つけたことを書いて下さい。(後略)」とは記述されていますが、「必ずそうしなければなりません」とは書かれていません。このあたりから皆さんの理解力が試されるところになりますが、(解らないなら、解らないと言ってください)、そういった出典に当たることは選択肢の一つであり、絶対の条件ではないのです。そして、その文に続いて「学習: 何かに興味を持って下さい。そして、それについて調べ、知ったことを記事に書いて下さい。」とあります。これは、自分で調べて得た知識を書いてよいことを意味しています。違いますか?

では要点を整理します。

  • 記事を新たに書くに当たって、出版物などの資料を引用しても、しなくてもよい。
  • オンラインの情報源は調査の役に立ててよい。
  • 自分の興味ある分野について調べたものを記事にしてよい。

この点をふまえて、イ本月旨月方氏によるこの記事の作成を評価してみます。

  • 彼は出版物などの資料を引用せず記事を書いたが、そのやり方は許容される
  • 彼は後日になって参考になるブログなどの情報源を提示することで、内容の妥当性を示そうとしている。
  • 彼はカバコについて強い関心をもっているらしく、彼なりに調べて記述している。

次に、彼が「気楽に参加する方法」の資料で否定されていることをやっているかどうかを評価してみます。

  • 「自分自身についての記事を立ち上げることはゆるされていません」
    もし彼が「カバコとは、私の作った語句で・・・」とか「私はカバコが好きで(嫌いで)」という文を書いていればこの条件に抵触しますが、彼はそう書いていません。
  • 「それが中立的な観点から外れないようにだけは気をつけて」
    彼はノートにて、カバコ否定者だと表明していますが、もし彼がカバコ否定者の立場ばかりで説明しているなら明らかに中立性を欠きこの条件に抵触します。しかし彼はカバコを極度に愛好するグループから、カバコを極度に嫌うグループまでの性質を順に述べており、また彼の所属するカバコ否定者のところを特にほめたような書き方をしていません。
  • 「但しそのまま丸写しにするのはダメです」
    彼は丸写しをしようにも、既存の丸写しにしうる資料が無い状態で記述していますのでこの件には抵触していません。

どうでしょうか。つまりあなた方がおっしゃっている主張(出典の明記だの、記事の検証性だのといったもの)は、必ずしも絶対とはいえないのですよ。今まだ作成途中ですが、近日お見せできる資料を読んでいただければより理解が進むと思います。

できれば経験豊富な方、管理者、この種の資料の編集に関わった方など日本語版ウィキペディアの根幹に関わっていられる方によるご意見を受けたいと思っており、コメント依頼を書いておきます。--pixan 2007年1月9日 (火) 16:52 (UTC)[返信]


あなたは、自分に都合の悪い公式方針は見えない方なのでしょうか?多々ある方針・ガイドラインの中で、自分に都合の良い方針のみ取り上げて「それを守っているからOKだもん」とは、曲解もはなはだしい。Wikipedia:基本方針とガイドラインWikipedia:検証可能性Wikipedia:ウィキペディアは何でないかあたりを熟読して下さい。その冒頭には「このページはウィキペディア日本語版の公式な方針です。多くの利用者に支持されていて、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と明確に書かれていますね。そしてそこには
  • Wikipedia:ウィキペディアは何でないかより
    • 独自の調査結果の発表の場ではありません。もしあなたがその事柄についての独自の調査結果をお持ちなら、その結果を通常の査読制度のある雑誌に投稿し、出版してください。(略)。もちろん、査読がきちんと行われない雑誌から情報を持ってきてはいけません。
  • Wikipedia:検証可能性より
    • 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
    • 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
    • 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
と書かれているのです。このあたりから貴方の理解力が試されるところになりますが、(解らないなら、解らないと言ってください)、上記の明確に書かれた公式方針を普通に読み解く力があれば、「(出典の明記だの、記事の検証性だのといったもの)は、必ずしも絶対とはいえないのですよ」なんて発言はできないはずです。
「気軽に参加する」のも、(執筆途中の一時的な状態はともかく)最終的にはこれらの方針を守ることが絶対の前提条件だと分かりませんか?自分のに都合の良い公式方針でもなんでもない、ただのガイドを根拠に、方針を理解した気になり、「削除を主張される方がいかに建前にしがみついて不毛なことをおっしゃっているか」の資料を書いて「より理解が進むと思います」なんて思い上がっているヒマがあるなら、公式方針の一つでも熟読してより理解を深めることをお勧めします。
ついでに言えば「他にも違反している記事があるのに」と言うのは「他にも悪いことしてる人はいるのに、何で僕だけ怒られるの」と駄々を捏ねる子供と同じで、大人の態度ではありません。--はま 2007年1月9日 (火) 19:41 (UTC)[返信]
なるほど。ではあの資料の価値はもはやなく、現実には使い物にはならないのでしょう。公式方針と矛盾する資料は、書き換える必要性か取り除くのがよいでしょう。--61.213.129.235 2007年1月10日 (水) 03:32 (UTC)[返信]
「気軽に参加する方法」について、答えたようですが、問題点ははまさんが指摘なされたのが1点。もう1点は、その名の通り「気楽に参加する方法」について書かれたものであり、「こんな風に書けますよ」と提示されたものですが、どこにも「これに従い書いた記事は、批判も削除もされません」などとは書かれていません。たとえ、これが公式の方針だとしても、削除や批判についての規定は全くないため、これに基づいて書かれた記事でも、一律に削除等の規定に従うのは明らかです。Bow 2007年1月10日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

インデント戻し。「あの資料の価値はもはやなく」⇒なぜそういう極端な話になるのか。「初心者の執筆ガイド」と「ルール」では目的が違うのだから、ルールに対して求めるレベルが違うのも不思議ではない。「公式方針と矛盾する資料」⇒何も矛盾していない。ともに「信頼できる出典を求めている」という点では同じ。「彼は後日になって参考になるブログなどの情報源を提示することで、内容の妥当性を示そうとしている。」などと言っているが、彼が示しているのは「カバコという言葉がある」ということだけであって、Bow氏が求めている「分類妥当性の出典」については、何一つ出典は示されていないままです。そこが問題なの。--はま 2007年1月10日 (水) 17:15 (UTC)[返信]

いや、違います。初心者が見る資料だからこそ、公式方針に完全に合致してなければならないのです。公式方針のページだけでなく、投稿用のフォームに書いている注意事項にも明示されていないのは不親切であり、不適切です。また、公式方針ならばそれは確実に運用されなければならないはずです。でもぜんぜん運用できているとは言えませんよね。だからといって違反をあえてするのも問題ですが、確実に運用できない方針をぶら下げていてもしかたがないとおもうのです。
私の考えはシンプルで、公式方針に背いた記事はすべて管理者により削除されるべきだということです。それはWP:Vにあるとおり「この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」こういうものを鉄則と呼びますが、鉄則は君臨しているだけはだめで、いつでも・いかなる場合でも機能していなければ価値がありません。
しかしこの鉄則は今のところ君臨しているに過ぎません。議論の余地がないと宣言しておきながら、これに抵触するようなページがいくつも放置されているのは怠慢としかいえません。それほどの高い価値を掲げているなら、一日に500本や1000本ぐらいずつ消されていって当然なはずです。また、公式方針のページには「多くの利用者に支持されていて」と書かれていますがこれ自体の検証性が不確かです。この点についてはWikipediaの運営スタッフに促していかなければならないものですが、私もあなた方も公式方針に背いているという理由で削除を求めるのは不要ですし、立場が異なっています。公式方針に照らして削除の可否を判断するのは、管理者の方々の担当領域です。管理者は「削除を決定するユーザーではない」けれども、経験が豊富で判断に足る情報を持っているはずです。彼らが削除に値するかどうかを話し合えばよいと思います。あなた方が削除したいと述べていることはよくわかります。もうそれは一休みして彼らの意見を待つようにしてはどうでしょうか。早急に削除するようなものでもありませんし。
次に、ウィキペディアに参加する上での大切な考えに気づいてみませんか。ウィキペディアは不特定多数の協力によって支えられています。それはどの記事でも、誰が書いた記事でも同じで、多数の人々が関与することで記事が成長するのです。ウィキペディアにおける個々の記事は、いつになってもゴールにたどり着きません。加筆されてどんどん成長するだけなのです。この記事は、今のところ公式方針に背いた「削除されるべき記事」にすぎません。
しかし、ウィキペディアンが協力することで公式方針に合致した記事に発展させることは可能です。単に削除、というのは簡単ですが発展性の乏しいものです。削除依頼も出ていることで、この先に時間の余裕があるのかどうかがわかりませんが、内容を充実させるための、たとえばカバコに対する別の観点を加筆するとか、別の節にあがっているような伝統文化とのかかわりとかに目を向けてもよいかと思います。
ちなみに私の観点では、本文の記述で分類すれ反カバコ強硬派なんだなとわかりましたが、この記事を読むことでカバコへの関心が表れました。よって私の位置づけは変わっていくだろうと思います。また、今の本文ではカバーできていない位置づけがあるように思いました。まだまとまっていないので書けませんが、まとまれば書いてみようと思います。なんにせよ、新たな知識を通じて、視野が広がることは非常に好ましいものです。--202.60.42.82 2007年1月16日 (火) 12:58 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。私も、気になりましたので、修正しておきました。202.60.42.82さんが、初めてウィキペディアへ入らした方のようですので、お教えしますと、「すべて管理者により削除されるべき」というよりは、「管理者にしか削除はできない」のです。そして、削除についてWikipedia:管理者にある通り、彼らに決定権があるのではなく、執行権があるだけなのです。削除するか否かを決定するのは、あくまでコミュニティの総意なのです。ただし、Wikipedia:検証可能性には、「出典のない記述は除去されても文句は言えません」とあります。Bow 2007年1月16日 (火) 14:10 (UTC)[返信]

伝統文化におけるカバコについて、情報提供を[編集]

茶道の分野ではよく知られている、洋装+白い靴下の着用によるカバコ発生ではありますが、残念ながら私はほかの伝統文化(たとえば華道など)ではどのようになっているのかがわかりません。情報をお持ちの方はご協力願います。--126.113.64.38 2006年12月23日 (土) 11:15 (UTC)[返信]

削除ではなく、コメントアウトで[編集]

出典が明記されていないので削除というのは、編集合戦をいたずらに招く恐れもあると思います。ノートや会話で削除に関して概ね合意がされれば別ですが、なるべくコメントアウト化で良いのではと思います。(明らかに不適切な表現は別ですが、皇太子妃バッシングなど)--Tiyoringo 2007年1月11日 (木) 16:17 (UTC)[返信]

確かに、コメントアウトという手段は、編集合戦を回避する可能性はあるでしょう。しかし、私には、その他の利点が見つかりません。また、合意に関しましては、私の質問に直接的な回答が得られていないという面もあります。
コメントアウトの利点と言うものは、「将来信頼できる資料が現れたとき」に役に立つものだと思います。「この情報は信頼できない資料からのものですが、信頼できる資料を持っている方がいるかもしれない」ということならば分かりますが、今回は、「信頼できない資料」の上に、独自の考察があるのです。これでは、後に現れるかもしれない「信頼できる資料」を持っている方の執筆の邪魔にしかならないと思います。コメントアウトについて、私の考えてもいないような利点が、まだあるかもしれません。そのときは、ご指摘よろしくお願いいたします。Bow 2007年1月12日 (金) 12:03 (UTC)[返信]
コメントいただきありがとうございます。短い記述に対する要出典をつける場合とは異なり、現状では特定ユーザーによる考察ではないかと見られる点が多々あると思いますが、実際にこうした記述に関する資料を見つけた場合にも、何もないところから記述するよりは、コメントアウトされたものでもないよりはましではないかといった意見です。人それぞれ意見が異なると思いますので、この点について押し付けはいたしません。将来加筆する人が全てじゃまであると考えた場合は、その人による削除で問題ないのではといったのが私の意見です。
初版投稿者の方への質問ですが、カバコフェチというものがどうやら存在するようですが、原理主義者強硬派という表現はわかりやすいかもしれませんが、定着した言葉ではないので表現方法を改めるのはどうでしょうか。カバコ好き、カバコ嫌いの点でまとめて記述してもらう分には、それほど独自の研究ではという印象が薄れると思います。
また、この記事に興味を持ったどなたでもかまいませんが、記事自体が大分フェチの部分に傾斜している感があります。フェチ部分を大幅に削除することもないと思いますが、それ以外の点について加筆できる方がおられましたらぜひ加筆していただければと思います。--Tiyoringo 2007年1月12日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
それでは、考察部分は削除、出典のない「事実」をノートに移動して、情報を募るというのはどうでしょうか。コメントアウトですと編集を開かないと見ることができませんが、その点、ノートは都合のいい場所ではないでしょうか。考察部分に関しましては、初版投稿者である、イ本月旨月方さんの独自の調査であることが分かっており、後世の執筆者に不必要かつ、混乱を招く恐れがあるものですので、削除も止むなしかと思います。Bow 2007年1月12日 (金) 15:42 (UTC)[返信]

存続後の議論について[編集]

削除依頼が存続になった後、多くの方の関心が失われているかもしれないので、改めて提案ですが、ご意見のある方はいらっしゃるでしょうか。現状は投稿していただいている方の主観も含まれているかもしれませんが、全く独自調査とは思いませんが、1点ほどあげさせてもらうと、原理主義者、強硬派という用語は気になるところで、カバコ好きからカバコ嫌いまでを順にうまく説明できれば問題ないと思います。また、フェチ以外の部分でカバコに加筆していただける方はいらっしゃいませんでしょうか。--Tiyoringo 2007年1月31日 (水) 18:55 (UTC)[返信]

あの、失礼ですが、「全く独自調査とは思いません」という根拠は一体、どこから出てくるのでしょうか。Bow 2007年2月1日 (木) 10:37 (UTC)[返信]

問題解決に向けて[編集]

問題解決に向けて、改めて提案したいと思います。問題点は、「出典のない事実」を基にした「独自の調査」ということです。そこいらへんを、理解し、上手く伝えられなかったことで、無用の混乱が生じてしまい、ご迷惑をおかけしました。

まず、「出典のない事実」と「独自調査」を別々に考えるべきでしょう。

  1. 「出典のない事実」をノートに移動し、「独自調査」を削除

Tiyoringoさんは、コメントアウトを主張されましたが、やはり、「編集」をクリックしないと見られない場所では、「情報を募る」という役目は果せないと思いますし、後の編集者に、役に立つ、役に立たないの問題は「出典のない事実」の方にあり、「独自調査」には、関係ないと思われます。

  1. 外部リンクの削除

上に書きましたが、Wikipedia:外部リンクの選び方に抵触していますので、削除されるべきでしょう。

と、説明してみましたが、私は説明が下手なので、例を示した方がいいですね。出典を募る「事実」を、本文から書き出してみます。こういうものをノートに掲載して、出典の情報を募るつもりです。あと、冒頭部分も出典がありませんが、これをノートに移すとなると、記事がなくなってしまいますので、この部分だけは、出典の明記のテンプレートを張って、救済したいと思います。

  • カバコは服飾や、フェティシズムに用いられ、広義の脚フェティシズムに属する。
  • 語源は「重ね履きしている娘(かさねばきしているこ)」
  • 1997年頃に存在した「Socks Fetish Page」という靴下フェティシズムの集うウェブサイトの掲示板で投稿された写真の説明文にカバコという語句が使われた。
  • 素足はもちろんのこと、ストッキングのように足の裏が透けて見えるのは恥ずかしいこととされる。
  • ほとんどのコンビニエンスストアに女性向けの白い靴下が在庫しているのは、このような場面でうっかり靴下を持参し忘れたとき、あるいは不注意で使用感のある靴下を持ってきたとの対策ともいわれている。

こんな感じにしたいと思っています。Bow 2007年2月24日 (土) 15:21 (UTC)[返信]

反論がないようですが、一応もう一週間待ってみて、何もなければ、上記処理を実行したいと思います。Bow 2007年3月3日 (土) 14:27 (UTC)[返信]

出典についての情報募集[編集]

以下について、信頼できる出典を募っています。これらについて、情報をお持ちの方は、一報頂ければ幸いです。Bow 2007年3月11日 (日) 01:54 (UTC)[返信]

  • カバコは服飾や、フェティシズムに用いられ、広義の脚フェティシズムに属する。
  • 語源は「重ね履きしている娘(かさねばきしているこ)」
  • 1997年頃に存在した「Socks Fetish Page」という靴下フェティシズムの集うウェブサイトの掲示板で投稿された写真の説明文にカバコという語句が使われた。
  • 素足はもちろんのこと、ストッキングのように足の裏が透けて見えるのは恥ずかしいこととされる。
  • ほとんどのコンビニエンスストアに女性向けの白い靴下が在庫しているのは、このような場面でうっかり靴下を持参し忘れたとき、あるいは不注意で使用感のある靴下を持ってきたとの対策ともいわれている。


議論が落ち着いて1ヶ月間コメントがありませんでしたので、Wikipedia:コメント依頼から除去しました。もし今後も出典募集などコメントを希望される場合は、改めてコメント依頼をお願いします。--Coleus 2007年4月13日 (金) 02:00 (UTC)[返信]