ノート:アラトリステ (映画)

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ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して[編集]

筆者がこの記事を記入する際は、投稿ブロックが解除されていることを確認しました。参照元のムービー・スター誌は、管理者の方で実際に見て確認して下さった方がおられます。 雑誌の記事には、誤訳について具体的な場所の表記はありませんでした。そのために現在でも確認可能な主演俳優のインタビュー記事を参照して文章を作成しました。主演のヴィゴ・モーテンセン(敬称略)は、主人公とヒロインは結ばれないと明言しています。

DVDの誤訳の個所が「宝石商のセリフ」であることに、異論がおありの方がおられましたら、「宝石商のセリフは誤訳ではない」という文法的な証明をお願い致します。過去にこのセリフが誤訳ではないと主張された方がおられましたが、文法的な証明は一度もなされておらず、ウィキペディアの基準で言うなら「独自研究」であるからです。--211.5.14.92 2015年9月24日 (木) 14:10 (UTC)

ムービースター誌で明確に確認出来るモーテンセンの発言以外の部分は独自の考察が含まれていますので除去しました。モーテンセンはどの部分がどのように誤訳であるかは上記資料で指摘していません。--Uniontour会話) 2015年11月27日 (金) 01:59 (UTC)

ウィキペディアの皆様に、記事の完成にご協力頂きたく、お願い申し上げます。

私は普段はウィキペディアに投稿せず、この先も他の項目に書き込む予定がないために、ログインせずにこの文章を書いています。2015年9月24日に投稿した時とIPアドレスが変わっていても、211.5.14.92 と同一人物です。私が投稿できることは、管理者の方に確認して頂きました。

今回、表のページに記入した『誤訳に関するヴィゴ・モーテンセンからのメッセージ』の項目は、一度、大幅に削除されたため、構成を変更して再度、記載したものです。もし、また削除されていましたら、文章を復元してお読みください。

この項目で問題提起しているのは、スぺイン映画『アラトリステ』で、主人公が恋人に『プロポーズしようとした』という誤った内容のDVDが発売されていることです。主人公がプライド(男の誇り)ゆえにプロポーズしたくても出来ないことは、この物語の重要なポイントであるために、ウィキペディアに誤訳の事実を掲載しようとしています。

誤訳に関する記事は、過去に何度も削除を受けてきました。誤訳の記事は、『誤訳を犯したどこかの誰か』への個人攻撃ではありません。著名ではないこの人物の『氏名』をウィキペディアに記入したのは私ではありません。

このノートページで指摘している人物は二名です。DVDの字幕で『誤訳を犯した人物』と、その人物の『誤訳ではない』という主張を引用して、ウィキペディアから誤訳の記事を『削除し続けている人物』です。この二名は自分が『同一人物』ではないと、このノートページで主張しています。

『誤訳を犯した人物』の氏名は、『二種類の日本語字幕』という項目に、有名な女性字幕作家と共に記入されています。ウィキペディア上では、彼女と『誤訳を犯した人物』が、問題のあった劇場版の字幕を修正し、正しいDVDを発売したことになっています。しかし、DVDには重大な誤訳が残っていたのです。

この字幕作家さんは翻訳会社のプロジェクト代表ですが、現場のスペイン語翻訳には関わっていません。字幕作家さんも問題の人物も、共にスペイン語の知識がないのです。多くの利害が関わるプロジェクト・メンバーの常として、字幕作家さんは『誤訳があったか否か』について一切発言しません。勝手に名前を併記されていても、彼女がこの記事の信憑性を保証しているわけではありません。

『誤訳を犯した人物』は、DVDのパッケージに『監修』として氏名が記されています。字幕の修正で正確を期すために、臨時で雇われた人物でした。この人物の仕事は、物語の主人公が間違ってもプライド(誇り)を捨てないと、現場の字幕担当者に注意喚起することでした。日本語の小説や映画の内容について語るのに、特別な学位などは必要ないはずです。『男の誇り』は『アラトリステ』のメイン・テーマです。しかし、この『監修者』は、主人公がプロポーズできないという基本的な設定を理解できなかったのです。

『プロポーズしようとした』という誤訳は『条件法の取り違え』によるものでした。条件法は中学校の英語で習う文法で、ご承知の通り言葉の意味が反転します。『将来を共にする』ではなく、『現状(恋人関係)の維持』が主人公の望みでした。この映画には英語の字幕も存在します。中学の卒業証書をお持ちの方ならば、誰でも条件法を証明できます。

この人物は自身のブログで『誤訳ではない』と主張しています。しかし、その『文法的な証明』は過去に一度も行っていません。初めから根拠のない空しい言葉なのです。私は、当時の映画の配給会社に問い合わせましたが、配給会社は一度きりの臨時雇いだったこの人物との関わりを否定し、その言動には一切、責任を持たないと断言しました。この人物の発言は『監修者』の言葉とは認められていません。ウィキペディアでは『専門家』の言葉は絶対だという理由で、この人物の根拠のない言葉が引用されてきました。しかし、この人物を『専門家』と認めているのは本人だけなのです。

以上の文章を書いても『配給会社は責任を持たないという言葉を明文化していない』という主張がなされるでしょう。誤訳を隠す人物はウィキペディアのルールにとても詳しいのです。DVD製作の関連会社には、この人物の『嘘』を不快に思っても声高に止められない事情があります。リコールが起これば関連の小さな会社は潰れてしまうのです。プロの関係者が『誤訳があったか否か、発言しない』とは、そういうことです。プロは、素人が何を騒ごうが無言で押し通すのです。

ウィキペディアのルールと制作会社の弱みを利用して、誤訳の事実は隠されてきました。しかし、この人物が、自分の『誤訳ではない』という主張を証明できないことは事実です。『条件法の取り違え』であることも事実であり、この人物の、DVDにおける仕事の『正しさ』を裏書きしてくれる人は誰もいません。自分で勝手に『専門家だ』『ミスは犯していない』と言っているだけなのです。

この人物は原作小説の翻訳者グループ(翻訳の経験者は少数)のメンバーとして小説の奥付に氏名が記されています。しかし、本人自身がスペイン語を知らないと明記しています。それでも、翻訳者としてDVDの『監修』に雇われた経緯は私には分かりません。ちなみに、出版社も単行本の出版はこの一度きりという会社で、出版された翻訳小説は誤字・脱字・脱行まであるという書籍でした。

『プロポーズの誤訳』は日本だけのミスであり、今ではハリウッドの主演俳優までが知っていて「腹を立てた」と発言しています。主演俳優は人格者として有名な人物です。映画の劇場用字幕には、確かに数十の細かい誤訳がありましたが、『トンネル』を『溝』と間違えるような小さなミスに対して、主演俳優はいちいち発言しません。DVDでは大半のミスは訂正されたのです。主演俳優は、『主人公がプロポーズしようとした』と言い張る『嘘』に怒っているのです。

ウィキペディアには、表のページの『誤訳に関する記事』を削除し続けている人物がいます。『誤訳を犯した人物』とは別人だとノートページで主張している人物です。削除する根拠は、前述の『誤訳ではない』という『根拠のない言葉』です。誰も保証しない人物の『根拠のない』言葉を『根拠』として引用し、誤訳があったという記事を削除し続けているのです。

この『削除を続ける人物』は、初期の頃には本当に「誤訳ではない」と信じていたようで、このノートページにも書き込みがあります。しかし、さすがに途中で自分のミスには気づいたはずです。国立大学のスペイン語学科の教授も、条件法の取り違えだと発言しています。この人物は、教授が『映画を観ていない』という理由で、その言葉をウィキペディアから排除しました。しかし、条件法の指摘まで消えてなくなったわけではありません。http://criollisimo-cafecriollo.blogspot.jp/2011/06/blog-post_10.html

それでも、ウィキぺディアでは、誤訳の記事が削除され続けています。ルールを駆使すれば、私のような素人の書き込みは、いくらでも否定できるということなのでしょう。しかし、今回この人物が否定したのは、主演俳優の言葉なのです。

『誤訳を隠し続けている人物』は、記事を削除するだけです。検証可能な部分まで削除して、記事を育てる行為は一度もしていません。今回は、前後の記事を続けて読むと『主演俳優が誤訳に怒り、DVDでそれが正しく修正された』という並びになっていました。 これは、怒っている主演俳優にダメ出しする行為です。問題の人物はかつて、『スペイン映画の製作者に日本語で誤訳だと証言させればいい』という趣旨の発言をしました。主演俳優はそれを伝え聞いて、日本の雑誌で「腹を立てた」と発言したのです。

過去に誤訳の記事が削除されるたびに、『日本のDVDではアラトリステが結婚しようとする』という情報は広まって行きました。その情報は、ついに主演俳優の耳にまで届いたのです。それは『アラトリステ』という作品を大切に思う世界中のファンの方々の力でした。その主演俳優の言葉が、今回は逆に誤訳を隠すために利用されたのです。

実際に汗をかいて映画を製作した方々に、これ以上迷惑をかけないために、『誤訳に関する記事』を削除されない状態で掲載できるよう、ウィキペディアに詳しい皆様のご協力をお願い致します。 (表のページに書いた「プレスシート」は、マスコミ向けに公式に発行された印刷物です。必要ならば映像も用意できます)

なお、余談ですが最近、ウィキペディア内で、私の仲間が『誰』なのか質問される等、不思議なことが起こりました。仲間とは、この問題の初期に書き込みに参加し、現在は私に一任している友人たちのことです。その為に付け加えますが、国内で活動されているヴィゴ・モーテンセンの主だったファンの皆さんは、この誤訳問題には関わりがありません。この問題の当事者が過去に接触し、本名などが知られているファンの方々は、殊に巻き込まないよう配慮してきました。無関係な方々を守るために、何かあった場合には法的処置を取ることを明言させて頂きます。

上記の文章の補足です。私の仲間とは、2008年にこの映画が劇場公開された時、非常に多かった字幕の誤訳についてノートページに投稿し、Uniontourさんによってブロックされた人たちです。 また、『不思議な出来事』についても補足します。今回の表の記事の投稿の為に、私はある管理者の方に質問をしました。その方は、ウィキペディアでは話せないとして通常のメールでの会話を求め、私の仲間の氏名を尋ねてきました。一般人の名前が単なる記号ではなく、意味を持つのは関係者だけです。それも、彼らが誰だか知らない関係者です。 どうも様子がおかしいので、公正なジャッジを頂ける皆様に、削除の問題の検証をお願いしたいと思いました。どうぞ宜しくお願い致します。--61.192.170.63 2016年1月7日 (木) 05:11 (UTC)

皆様に申し上げます。『日本語字幕の誤訳に関するヴィゴ・モーテンセンのメッセージ』は、また短く削除されました。そこでお尋ね致します。なぜ、DVDの字幕が『修正済み』だという『二種類の日本語字幕』なる記事が掲載されているのでしょうか。
劇場版の字幕をDVDで訂正する作業は、無いに越したことはありませんが、珍しくもない通常業務です。現場でどのような作業が行われたかを証明する人もいない内容で、ウィキペディアに掲載する価値はなく、『修正した』という内容は明らかな誤りです。
この映画は、字幕に誤訳があるためにストーリーが変質し、主演俳優が「腹を立てた」と発言しました。その部分は、プレスシートに明記されており、過去の主演俳優の検証可能な日本語の記事によって語られているのです。
今回の削除は、主演俳優に「言葉が足りない、もう一度発言し直せ」というダメ出しなのでしょうか。
あるいは、『ヴィゴ・モーテンセンのメッセージ』の記事から、『誤訳に関する』の文字を抜けば宜しいでしょうか。そうすれば過去の発言も含むことになります。
私は、記事を何度も投稿してブロックされることを望みません。表の記事に触れることは危険です。多くの見識ある方々に、一つ前の私の文章とこの文章をお読み頂くことを切にお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年1月9日 (土) 04:31 (UTC)
どなたからもコメントを頂けないので、更に説明を補足させて頂きます。これでブロックされることはないと信じます。
表の記事は、『全く履歴のないウィキペディアに詳しい人物』によって、会話もなく一方的に削除されました。削除された部分は全て検証可能な文章でした。
このページで削除を続けて来た方は、『誤訳を犯した人物』の氏名を『二種類の日本語字幕』という記事で表のページに記載しました。前述の通り、この記事には『修正に失敗した』という事実が欠けています。『監修者』の主張は全く根拠がありません。勝手に併記されている著名作家も現場の作業はしていません。この監修者を『専門家』とする主張は誤りです。『削除を続ける人物』は、この『監修者』とは別人だとノートページで述べています。『削除を続ける人物』は、根拠とするものの正しさを一切証明することが出来ません。つまり『何もない』のです。
この人物の行動が生み出したのは、「誤訳があった」「腹を立てた」という主演俳優の叱責と世界中のファンの方々の怒りだけです。
『プロポーズの誤訳』は、2008年にはすでに誤訳であると証明されていました。映画公開時のプレスシートには『求婚を決意』と書かれており、来日した主演俳優は「プライドゆえに結婚しない」という発言を日本語の記事として残したのです。当然、間違えたのは日本側です。DVDで現在でも確認可能な字幕を見れば、間違いの個所も歴然です。首飾りを売る宝石商が「将来を考えて(の贈り物)」と語り、主人公がそれを肯定しているのです。国立大学の教授も誤りだと発言しています。なぜ、誤訳の記事がウィキペディアでは、これほど排除されるのでしょうか。今回は、「メッセージを伝える場所ではない」という書き込みをして削除されましたが、主演俳優は、『誤訳ではない』というウィキペディアの書き込みに対してメッセージを発したのです。次々と変わるアカウントの方に、このように一方的に削除され続けては対処しきれません。
本来は、『DVDには一か所の誤訳が存在する。主人公はプロポーズを試みない』という記事が、ひっそりと掲載され、それで終っていた話でした。しかし、珍しくもない字幕修正を記事にしたい人物が存在し、それを『大成功』としたいがために事実を捻じ曲げる無謀な削除を続け、主演俳優までが腹を立てたのです。
私はもう一度、コメント依頼を提出するべきでしょうか。
私に過去のメンバーの名を尋ねた管理者の方から、他の管理者の方々に何らかの弁明があったならば、私にも発言の機会を与えて頂きたいと思います。どうぞ力をお貸し下さいますよう、お願い致します。--61.192.170.63 2016年1月12日 (火) 00:37 (UTC)
すみません。上の文章を読んでいて、つい誤字を訂正してしまいました。ノートページだということを忘れていました。悪気や妨害では決してありません。ルールには詳しくなく、発言は無理ですがこのページは読んでいます。お力になれずすみませんが、読んでいる者はいます。--Bompkin会話) 2016年1月12日 (火) 01:29 (UTC)
ありがとうございました。少なくとも一人の方は読んで下さっていると分かり、勇気づけられました。詳しい経緯は、こちらのブログに纏めています。http://grandesas.exblog.jp/11870355/ 日本のプロのシナリオライターが実名を出して世話役を引き受けているブログです。スペイン語を読めない、何も証明できない『翻訳者』のブログは認めるが、シナリオライターが映画について語るブログに価値はないとして、このブログはウィキペディアの管理者の方から否定されました。しかし、初期からの経緯は詳しく語っています。
なお、DVDの監修者として名前の出ている人物の言葉の信憑性について、証明しなければならないのは、私ではありません。責任があるのは、監修者の言葉を『専門家』としてウィキペディア上で引用した人物です。
現在、表の記事は手を付けられないまま大幅な削除の状態にあります。何度も訂正してブロックされることが怖いからです。記事を育てるために、詳しい方々の助力を求めております。タイトルから『誤訳に関する』の文字を抜けば、誤訳に関する部分の削除を止められるでしょうか。主演俳優のメッセージが、ウィキペディアの問題に対して発せられたものであることは、すでに申し上げました。アドバイスをどうぞ宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年1月12日 (火) 23:49 (UTC)

この映画の劇場版字幕は、非常に誤訳の『多い』状態で公開されました。劇場版の誤訳は、正誤表としてこのノートページの冒頭に載っていました。『多い』という言葉を証明するためでしたが、今は削除されています。記入者がブロックされ、正誤表が削除された頃、『誤訳を犯した人物』は自身のブログに、DVDでの字幕修正の監修に雇われたと書き込みました。そして、ウィキペディアに『二種類の日本語字幕』という虚偽の多い記事が書き込まれ、この無名の人物の氏名が掲載されました。

この人物の監修は失敗し、DVDには最大の誤訳が残りました。その事実を認めたくない人物が、ウィキペディアのルールの『言葉』を駆使して、根拠を示せない主張をもとに誤訳の記事を削除し続け、その結果、主演俳優までが発言する事態に至りました。

正誤表の内容については多くを語りませんが、ほとんどがウィキペディアか百科事典にリンクして説明できる人名などの読み間違いでした。欠けはたった一つ、記入者たちがブロックされた為に掲載できなかった『美女を出っ歯と称える誤訳』です。それはなぜかDVDでも訂正されず、現在も誤訳のまま残っています。

正誤表には、問題の『プロポーズしようとした』という誤訳も載っていました。記入者たちも語学が苦手で、劇場版のこの誤訳を持て余していたのです。しかし、記入者たちは、それでは辻褄が合わないということは分かっていました。そのために、質問できるネイティブの方を見つけるか、お金を払って専門の翻訳会社に問題のセリフの翻訳を依頼するか、何とかしようと動いていました。(そして、どちらも実行しました)

『正誤表』はまだ完成していなかったのです。ブロックは早すぎました。もう少しで誤訳は全て解決していたのです。

この誤訳を広める活動は、ウィキペディアの外で、実名を出せる者が受け継いで続いています。ブロックされた初期の記入者たちの感じていた責任も引き継いでいます。初期のメンバーは『プロポーズの誤訳』の証明が遅れたことを悔いているのです。せめて字幕会社に気を付けろと伝えていれば、現場の翻訳担当者が誤った意見に言い負かされることもなかったのです。表の記事に名前を使われている著名な字幕作家さんは、現場で作業をしていません。口を出したとしても、「セビージャではなく一般的にはセビリアだ」等の、直接本人に届いた苦情を伝えただけです。

日本の映画字幕の誤りは数多く、いちいち指摘していては切りがありません。表の記事でも『出っ歯の誤訳』は取り上げていません。『プロポーズの誤訳』は主人公の人格に関わる重大なミスであり、物語全般に影響があるために指摘しています。いわば『宮本武蔵がおつうさんにプロポーズしようとした』というレベルの誤りだからです。

発売されたDVDは回収できません。DVDが出回っている限り、誤訳の指摘は続けなければなりません。これは、『アラトリステ』というスペイン映画を本来の姿で記録するための作業です。宮本武蔵の記事を正しく掲載するのと同じです。配給会社や字幕制作会社は部外者の指摘には無言で耐えます。『誤訳を犯した誰だかも知らない人物』への個人攻撃でもありません。この人物が畑違いの小説の翻訳に関わり、誤字・脱字・脱行まである本を出版させた失敗についても、ウィキペディアでは問題にしていません。

『誤訳に関するヴィゴ・モーテンセンのメッセージ』は、『ウィキペディアに詳しい全く履歴のない人物』によって一方的に削除されました。「メッセージを伝える場ではない」との理由ですが、主演俳優のメッセージは、ウィキペディアに誤った情報が記載されることに対して発せられた言葉です。表の記事が操作された結果、現在は、「主演俳優が誤訳に怒り」「DVDで正しく修正された」という、主演俳優の怒りに油を注ぐ誤った記事が掲載されています。

この問題に関して、コメント依頼を提出しても、どなたからも発言をいただけません。一方的に自分が正しいと主張することは、あらしと断定されるそうですが、反論の意見が書き込まれないのです。こういう場合、私はどうすれば宜しいのでしょうか。管理者の方同士で話し合われたならば、私にも発言の機会を与えて頂きたいと思います。

私が求めているのは、『主人公が買う首飾りはプロポーズのためではない』という、検証可能な文章を表の記事に削除されない形で掲載することと、『二種類の日本語字幕』の記事に『失敗した』という事実を加えることです。とりあえず、再度のコメント依頼を計画しておりますが、それでブロックの対象となることはないと信じます。--61.192.170.63 2016年1月16日 (土) 13:27 (UTC)

一般的に外国映画の日本語字幕は全訳ではありません。観客が読み切れないからと説明され勝ちですが、要は画面が字幕だらけになってしまうのです。セリフの省略は、誤訳の温床です。
『出っ歯の誤訳』は、DVDの字幕を見れば誰でも誤訳と分かるので放置しています。色男が女性を口説くセリフですが、女性の目が『口中の珊瑚と真珠』を照らし出すとなっています。自分の目の輝きが自分の歯を照らす状況をご想像ください。
オリジナルのスペイン語を聞けば(聞くだけで)、このセリフが二つのセンテンスから成ることは明白です。口元を褒めるセリフと、目を褒めるセリフなのです。劇場版の字幕は、それを一つに短縮し過ぎており、DVDでもそれが踏襲されました。DVDの見落としではありません。日本語を日本語で言い換える作業は全てのセリフで行われているからです。
プロポーズの誤訳で『将来を共に』を『将来を考えて』と変えたのも同様です。この主人公は、いつでも戦死する覚悟が出来ている傭兵なので、劇中で「将来なぞ糞くらえ」と語り、実際に戦死して物語が終るのです。引退後の安らかな結婚生活を夢見て、恋人を空約束で束縛する人物ではありません。
DVDの吹き替え版は、原文をチェックしているので、『出っ歯』の部分は正しく修正されています。吹き替え版の字幕作者さんは、監修者に言い負かされなければ、『プロポーズの誤訳』をクリアできたはずだったのです。そうすれば、主演俳優を怒らせるような問題は起こらず、誤訳のないDVDが発売されていたのです。
『アラトリステ』の主人公にプロポーズを決意させてしまったのは、世界中で日本だけです。これは、物語を左右するほどの誤訳です。ウィキペディア以外で否定的な文章を書き込めるレビュー・サイトには、7年も前に誤訳の情報を書き込み済みです。(まだ書き込めるサイトがあったら、ぜひご教示ください)。履歴のないアカウントの人物の一方的な削除に延々と付き合わされてはたまりません。誤訳の記事を掲載した上で、出来ればページを保護して頂きたく、ルールに詳しい方のご協力をお願い致します。今のところは、こうして一方的に訴えさせて頂くしか手がございません。どうか宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年1月28日 (木) 22:51 (UTC)
どなたからもコメントを頂けませんので、表の記事の改稿を始めたいと思います。私が表の記事をいじるのを待って「荒らし」としてブロックを計画されている方がおられましたら、この時点で発言して頂きたいと思います。
これからの改稿の内容に疑問をお持ちの方は、どうぞ一方的な削除ではなく、ノートでの議論で記事の完成にご協力ください。多数の方の立ち合いの元で、議論を進めさせて頂きたいと思います。
始めに、いくつかの問題点を整理する必要があります。
私がこの問題に関して意見を述べるのは、ただ単に『アラトリステ』という映画作品が大切だからです。
『プロポーズの誤訳』は証明が可能です。『誤訳ではない』という主張は誤りです。その顛末はこちらの『誤訳の検証ブログ』に詳細に記されています。http://grandesas.exblog.jp/11870355/ まず、このブログを検証可能な記事として認めて頂くことをお願い致します。
このブログの責任者は日本のプロのシナリオライターです。以前に一人の管理者の方から「アニメのライターに、この問題を語る資格はない」と排斥されましたが、実写映画もアニメも、ライターに『差別』はありません。アニメ映画で宜しければ、このライターは映画の仕事もしています。映像関係の仕事で宜しければ実写の経験もあり、証明可能です。
法律でもウィキペディアの規約でも、言葉を濫用して相手を追い払おうとする行為は問題です。根本がミスと勘違いからなる主張が、押し通された場合は尚更です。その言葉には何らかのトリックがあります。『スペイン語を話せないスペイン文学の翻訳者(DVD監修者)』を認めて、シナリオライターを排斥する行為は不自然です。上告するチャンスを与えて頂けないと困ります。
この検証のブログが問題にしているのは、『主人公が買った首飾りはプロポーズのための贈り物ではない』という一点です。
首飾りは主人公の悲恋の象徴として、物語の中で何度も登場します。購入の理由が変わると、物語も変質します。『プロポーズの誤訳』は物語の主題に関わる重大なミスです。この誤訳は流通しているDVDにも受け継がれており、正しい情報を広める必要があります。この一点をひっそりとウィキペディアに記録すれば、それで終っていた話でした。しかし、『誤訳ではない』と主張する人がおり、その人がウィキペディアの規約の言葉を駆使したために、このノート・ページにあるように膨大な文章と時間が費やされ、主演俳優までが発言する事態に至りました。
国立大学のスペイン語学科の教授による誤訳の指摘も、同じ管理者の方によって否定されています。
教授はこのブログを読んで、問題のセリフについて『条件法の取り違え』だとご自身のブログに書いて下さいました。確かにこの教授は映画を見ていらっしゃいませんが、教授に対してお願いしたのは『この映画全体の解釈ウンヌン』ではありません。問題は、一つのセリフの誤訳という一点のみで、教授はその疑問に答えて下さいました。教授が映画を見たかを問題にするのは『論点のすり替え』です。教授がウィキペディアを好きか嫌いかは、それこそ全く無関係です。
『DVD監修者(原作の翻訳者)』のブログは、誤訳について文法的な証明をしていません。『監修者のブログ』として、雇い主は責任を持たないと発言しています。これは『独自研究』であり、ウィキペディアでは認められないはずです。
『検証のブログ』の排斥について、5年前に議論を中断したのは、主演俳優に連絡を取ることを優先したからです。不毛な論争を続けなくても、来日した際にコメントを求め、『プロポーズではない』と日本語の記事で発言してもらえば、それで済む話だからです。時間がかかったのは単に『来日』の機会がなかったからです。ヴィゴ・モーテンセンは発言の依頼を5年間も忘れずに、日本の雑誌からのインタビューの機会を捉えて実行してくれました。(日本に住む記者が、海外の俳優にインタビューする機会はめったにありません。海外の芸能記事は、現地からの配信と翻訳によるものが大半です)
汗をかいて映画を作った方々にとって、大切な作品を字幕のミスで台無しにされることが、どれほどのショックかご想像下さい。以下は『アラトリステ』とは直接の関係がないので、表のページには書きませんが、ヴィゴ・モーテンセンについては、次のような記事が存在します。
この俳優さんは、シナリオが気に入ると新人監督や低予算の映画にも好んで出演する人物ですが、2013年公開のアルゼンチンの映画では自ら英語字幕を担当し、2015年の作品では、設定に重要な関係のある国の字幕について、主役である本人が、尊敬する著名な小説家に字幕監修を依頼したそうです。日本の字幕問題で『腹を立てた』という対象が、これらの記事からも分かります。日本人として本当に申し訳なく、恥ずかしいことだと思います。ちなみにこの俳優さんは数ヶ国語を操り、詩集や画集も出版する才人です。
「ヴィゴ・モーテンセンは、どこが誤訳か話していない」という主張も、揚げ足取りのトリックです。DVDは劇場版のセリフの日本語を、日本語で言い換えただけで、ミスはそのまま引き写しているからです。DVD特有のミスや、主題に関わらない些細な誤訳は初めから問題にしていません。「誤訳の記事など掲載に値しない」という主張もトリックです。『プロポーズの誤訳』は、些細なミスとは別格です。
私は、『検証のブログ』にリンクを張って、表のページで閲覧可能にする気持ちはありません。ブログでは、原作の翻訳本が欠陥のある状態で出版されたことなど、様々な問題に触れているからです。この小説は極端に『翻訳者』の多い本でしたが、少なくとも翻訳自体にミスはなく、本当にスペイン語の翻訳に携わった方々に罪はないからです。他の証拠だけで表のページは構成可能です。
私には、特定の人物のミスを論う気持ちはありません。大切なのはあくまで『アラトリステ』という映画作品です。どこの誰かも知らない赤の他人は範疇にありません。無理な反論を続けなくても、『監修者』はDVDの欠陥に対して損害賠償を求められません。リコールを恐れる配給会社は、ファンと違って、この問題について沈黙で押し通すからです。よく調べずに『監修者』を雇った側にも責任があります。スペイン語を解さない著名な女性に『字幕作家』と名乗る資格があるのは、トラブルの際に責めを負う統括責任者だからです。作業の一端を担ったスタッフがこぞって『我こそは字幕制作者』とウィキペディアに記入し始めたら、どうなるかご想像ください。『監修者』に証明できるのは、DVDのパッケージのスタッフ欄に名前があるという一点だけです。
ただし、私は『二種類の日本語字幕』という記事は削除いたしません。直前に『DVDに誤りがある』という記事が記載できれば十分です。削除か否かは、記事に名前を出されている人物か、記事を掲載した方が判断されるでしょう。
表の記事に書く内容は以下の『要点』だけで十分です。
『日本語字幕の誤訳について、主演俳優が腹を立てたと発言した』『主人公が求婚を決意したと言うプレスシートの記事は誤りである。これは、首飾りを買う場面を”将来を共にするための贈り物”と誤訳したための取り違えだった。首飾りは、結婚を断り、失望させた恋人を宥(なだ)めるためのプレゼントだ』『現在、流通しているDVDでも誤訳は訂正されていない』
掲載したいのは、これだけです。
そもそも初めから『プロポーズの誤訳』には、プレスシートと、主演俳優の日本語のインタビュー記事という検証可能な証拠が揃っていたのです。プロポーズが『誤訳だ』という事実は、初めから証明されており、その掲載を阻止しようとする行動は無謀でした。現在の表のページを放置することは出来ません。『DVDでの修正』が正しいと読める記事は誤りだからです。
そのために、表の記事の改稿を始めさせて頂きます。
なお、管理者の方の不明瞭なジャッジや謎の行動についても、私は問題にはいたしません。私はこの誤訳以外で、ウィキペディアに関わる気持ちはなく、規約にも詳しくないからです。今後は調べ物で利用させて頂くことだけが、私の素朴な願いです。--61.192.170.63 2016年2月17日 (水) 05:36 (UTC)
  • コメント 監修者のブログは当事者情報ですので、特別な取り扱いがされます(そういう規約があります)。他のブログについては、Wikipediaで情報源として使用できないことが、上の「独自研究の書き込みはお止めください」で説明があります。また、「ヴィゴ・モーテンセンは、どこが誤訳か話していない」のであれば、Wikipediaにおいて氏の発言を特定の誤訳と関連づけることが禁止されます。 --Yhiroyuki会話) 2016年2月17日 (水) 19:51 (UTC)
Yhiroyukiさん、8年越しで誤訳の記事を掲載して頂きました。ありがとうございました。修正箇所については、ルールを読みつつ書き込んで参ります。これ以上の削除が行われないことを祈るばかりです。
記事中の、『将来を共にするため(の贈り物)と誤訳したために……』という部分に、要出典が貼られていますが、(中学校で習う)『条件法の読み違え』という文章を記入して宜しいでしょうか。スペイン語学科の教授のブログを貼る必要はないと認識しているのですが。
『この誤訳は字幕・吹き替え共に修正されなかった』という部分の出典は、検証可能な日本版のDVDと記入させて頂きます。販売元なども明記いたします。
以下は、ノート・ページへの記録のための文章です。(お答えいただく必要は全くございません)
『監修者/翻訳者』のブログが保護されるというコメントには、異論があります。このブログには、保護されるべきでない部分もあるからです。個人攻撃は避けて来ましたが、この際ですので記録させて頂きます。
まず、『(旧)二種類の日本語字幕』は書き込むほどの事件ではない記事ですが、この記事を掲載したアカウントの方に、この内容を書くことは本来、不可能でした。参考にした『監修者/翻訳者』のブログに、記事のような文章は存在しないからです。身辺の出来事を常にぼかして書くのは、『監修者/翻訳者』さんの癖なのでしょう。皮肉なことに、ご本人が必要な時にも言質が取れないのです。
『監修者/翻訳者』のブログには、問題の字幕が誤訳ではないという文章も存在しません。自分の犯した誤訳は『他の部分だ』と書いているだけで、文法的な証明も皆無です。DVDの発売直後に、ファンがこのブログに書き込んだ細かい誤訳の指摘は、ブログ主によって削除されました。
『監修者/翻訳者』なる人物は、ウィキペディアが無条件で受け入れる『識者』『専門家』ではありません。この人物の『翻訳者』はあくまで自称です。『翻訳者』の部分まで保護の対象となることは、言葉のトリックです。
『監修者/翻訳者』のブログには、あからさまな嘘は書かれていませんが、その分、事実が非常に薄いのです。大半は、既成の『スペイン王家の系譜』などを、ほとんど出典を示さずにコラム風にまとめた読み物です。スペイン語を知らないという文章は、数年間に及ぶ記事の中で一か所だけでしたが、これがあれば確かに嘘つきにはなりません。原作小説に関する記事は、後述の日本語原稿によるものです。
この人物の本来の仕事は、小説に非常に多く掲載されている『注釈』の収集だったのです。これならば、集めた日本語の情報を、日本語で言い換えれば使用可能となります。故に、この人物は『翻訳の専門家』ではありません。
ブログの中での会話の相手は、映画化で興味を持った主演俳優のファン達でした。この仕事に関する限り、数年間で一度も、仕事仲間との会話がありません。監修者を雇った総元締めである配給会社でも「誰、それ?」と言われ、説明に苦労したほど、人との繋がりの薄い人物です。字幕監修で打ち合わせた人物についても、誰だったかは伏せています。著名な字幕作家さんと会ったという記述もありません。これはつまり、ブログの正しさを証明する仲間がいない。全て本人の『主観による事実』=『独自研究』だということです。
このブログで分かることは、実際にスペイン語の翻訳に携わった方から、日本語の原稿を入手し、それに手を加えた結果、誤字・脱字・脱行まである欠陥本を出版してしまったということです。PCから送信した原稿が、そのまま印刷原稿になることを知ってか知らずか、ぎりぎりで送った様子ですが、誤字・脱字が発覚してから『校正!』と騒ぎ始める等、プロではありません。たとえ大学を出ていても、畑違いのことに手を出せば『素人』です。ウィキペディアが無条件に受け入れて良い『専門家』ではありません。
ちなみに本当にスペイン語の翻訳を担当された方は本来はスペイン在住で、他に翻訳や出版の経験があることが分かっています。初期の頃には何人もの方が『我こそは翻訳者』というブログを公開していましたが、欠陥のある本が出版された頃には、現在の一人を除いて全員が音信不通になってしまいました。せめてDVDの字幕修正までは、仕事を続けて頂きたかったものです。スペイン語が分かる方が監修に参加していれば、誤訳は生まれなかったと残念でなりません。
映画の問題で、この人物が『専門家』と名乗れるのは、『監修』としてパッケージに名前があるという点だけです。著名な字幕作家さんがスペイン語を話せないことは明白な事実です。もし、同様にスペイン語を話せない素人に仕事を丸投げしたなら、字幕会社の大失態です。『(旧)二種類の日本語字幕』とは、そういう不完全な記事です。
『監修者』という名目しか許さなかった字幕会社は、書籍の場合と違って、やはりプロでした。『監修者』に証明できるのは、作家にアドバイスをしたということだけです。仮に自分で名乗っていても、翻訳の専門家でも、字幕の専門家でもありません。保証する人が誰もいません。たとえ全てのセリフ(字幕)の日本語を言い換える作業を行っていても、字幕は、あくまで統括責任者である字幕作家さんのものです。誤訳があるという事実は消せないのですから、黙って字幕作家さんに全てを負ってもらうべきでしょう。あくまでも共同で字幕を制作したと主張するなら、それを証明しなければならないのは、『監修者/翻訳者』さんか、記入したアカウントの人物です。
個人攻撃は嫌だといいながら、結局、書いてしまいました。原作の翻訳小説については、原作者に恩も義理もないので、ウィキペディアでは問題にしていません。『監修者/翻訳者』さんには、そちらの書き込みだけで満足して頂きたいと、切にお願い致します。
この長い文章をお読みいただいた皆様、ありがとうございました。ただ、まだ削除されないと決まったわけではありません。その節には宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年2月18日 (木) 12:29 (UTC)
  • こんにちは。61.192.170.63さんの2016年2月17日 (水) 16:29 (UTC) の編集を拝見しましたけれども、これは独自研究にあたるので、61.192.170.63さんの加筆内容を直截に裏づける情報源が提示されなければ、いずれ除去することになります。情報源というのは即ち、「主人公が求婚を決意したと言うプレスシートの記事は誤りである。これは、首飾りを買う場面を”将来を共にするための贈り物”と誤訳したための取り違えだった。首飾りは、結婚を断り、失望させた恋人を宥(なだ)めるためのプレゼントだ」という趣旨のことを加筆したいなら、それと同じ趣旨のことが書かれた文献を提示しなければいけない、ということです。その情報源は、配給会社、本編の翻訳者、字幕監修者、あるいはマスコミなど、どれが公表したものであっても基本的には大丈夫だと思います。けれども、本作のDVD、プレスシート、柳原孝敦さんのブログの3つを出典として提示された場合、それは特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成となるので、ウィキペディアには掲載できません。
  • 映画関連で例を1つ挙げると、『チャッピー』は日本公開に際して一部の場面がカットされたそうです。そのことが現時点のチャッピー (映画)#公開に書かれているのは、あくまでも、その内容を直接的かつ明示的に裏づける情報源(ソニー・ピクチャーズのウェブサイトやTwitter公式アカウント)が示されているからです。同様に『アラトリステ』に関しても、誤訳の場面や台詞について具体的にウィキペディアに加筆したいなら、誤訳の場面や台詞について具体的に指摘している文献をまず用意せねばなりません。ウィキペディアは出典ありきの世界です。「否定的な文章」を加筆しようとされているのですから、よりいっそうの慎重さが求められることは言うまでもありません。
  • meta:User talk:61.192.170.63でのコメントを拝見しました。61.192.170.63さんが杉原めぐみさんが世話役を務めるブログの開設者であるということは分かりましたが、基本的に61.192.170.63さんがウィキペディアの外で何をしているのかは関知しません。ただ、少なくともウィキペディアが世の中に先んじて物事を発信する場ではないという点は理解していただきたいと思います。--153.204.177.76 2016年2月18日 (木) 17:47 (UTC)
皆さま、コメントをありがとうございました。大勢の方が読んで下さっていたことが分かりました。
『アラトリステ』という作品は、出だしから不幸な運命を背負っていました。素人の方々が原作小説を集団で翻訳しようとした熱意までは良かったのですが、その中で注釈を担当した人物の『押し』が強く、翻訳された原稿の日本語を日本語で言い換えることで、自分の翻訳作品だと言い出したのです。それでも、完全な編集がなされれば良かったのですが、結果として欠陥本が生まれてしまいました。この方は更に、不十分だった映画字幕にも口を出し、最大の誤訳を見逃して、DVDを欠陥の状態で発売させてしまいました。
誤解を恐れずに言うならば、8年間、ウィキペディアの誤訳の情報を削除し続けているのは、そのご本人です。
私たちファンは、DVDが不完全で、鑑賞の際には注意が必要だという情報を発信したいだけです。それでなくても、日本人にとって馴染みの薄いスペインの歴史ものであるこの映画は、難解なのです。(長尺を理由に、公開前に一時間近くカットされるという憂き目にもあっています)
私たちファンの目的は、『押し』の強い人物の糾弾ではありません。赤の他人のことなど、私たちはどうでもいいのです。大切なのは『アラトリステ』という作品だけです。
要出典の部分については、情報を整える努力を続けます。ただ、それをするということは、この『赤の他人』を現実社会で糾弾するということでもあるのです。それは、ウィキペディアで誤訳を指摘するよりも、この方にとって大きなダメージとなるはずです。
あなたは『アラトリステ』に対して、ひどいことをしてきました。ウィキペディアのルールに詳しいことは分かりましたが、自分の罪を隠そうとする愚かな行為は、もうやめて下さい。
今の私の願いは、皆様に掲載して頂いた記事を『削除するな』ということです。編集途中でも要出典付きで掲載されている記事は、たくさんあるはずです。可能ならばページの保護を申請し、皆様に見守って頂きたいと思います。ありがとうございました。--61.192.170.63 2016年2月19日 (金) 00:32 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。まず、上のコメントでは、61.192.170.63さんが誰と誰を同一人物だと考えているのか分かりにくいです。固有名詞を出さず、根拠も提示しない。これでは議論のしようがありません。また、仮にウィキペディアの利用者の誰かが『アラトリステ』の日本での配給に関わっている人物だったとしても、61.192.170.63さんの2016年2月17日 (水) 16:29 (UTC) の編集のような独自研究を本記事に記載してよいことにはならないです。実際、今日に至るまで、誤訳に関する記述は複数の利用者によって除去されてきました。61.192.170.63さんの加筆に対して、複数の利用者が「独自研究である」「情報源が示されていない」と指摘しているわけです。本件に関連してCoinntoさんが立ち上げたWikipedia:井戸端/subj/翻訳と「独自研究」についてを見ても、ウィキペディアに独自研究は載せないということで大方の意見が一致していることは分かると思います。ウィキペディアに参加するなら、ウィキペディアの方針は守らなければいけません。
  • いずれにせよ、61.192.170.63さんがウィキペディアの利用者の誰かを『アラトリステ』の日本での配給に関わっている人物だと考えるなら、まず、その利用者の会話ページでWikipedia:自分自身の記事をつくらないのガイドラインを案内して、対話を試みるべきでしょう。それでも問題行動が改善されない、納得のいく返答が得られなかった、第三者の意見を募りたい。そんなときは、利用者の行為についてのコメント依頼を提出してください。このノートページは、あくまでも記事の編集について議論する場所であって、利用者の行為について議論する場所ではありません。
  • 61.192.170.63さんにとっては、「ウィキペディアで誤訳を指摘するよりも、この方にとって大きなダメージとなるはず」だという「この『赤の他人』を現実社会で糾弾するということ」が、「情報を整える努力」である。そういう見解だということで間違いないですか。出典に則した記述へと書き換えるつもりがないなら、いくら待っても仕方ないので、今すぐにでも除去いたします。「DVDが不完全で、鑑賞の際には注意が必要だという情報を発信したい」場合、「DVDが不完全で、鑑賞の際には注意が必要だ」と書いてある文献を提示してください。Wikipedia:独自研究は載せないの方針に書いてあるように、「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」。--153.205.171.205 2016年2月21日 (日) 11:35 (UTC)
ありがとうございました。ウィキペディアのルールを全て学んでから話さない私に問題があることは自覚しております。申し訳ございません。ただ、『翻訳者/監修者』のブログに、保護に値しない部分があるという点については、ご再考をお願い申し上げます。
私が指摘しているアカウントの人物については、「自分は『翻訳者/監修者』ではない」という内容の言葉が、このページの冒頭付近に存在します。この人物が他人だと主張し、プロポーズは『誤訳ではない』とする嘘に反論を重ねる形で、このノート・ページの長い文章は展開して参りました。
『翻訳者/監修者』本人については、最初に当該のブログに書き込みを行ったファンからの誤訳の指摘は削除され、コメントも拒否されましたので、会話は成立しません。
『アカウントの人物』と表現しているのは Uniontourさんですが、全てが匿名で、ログイン場所を変えれば別人になれるという状況で、その指摘は無意味でしょう。最近の文章で『翻訳者/監修者』と書いているのは『DVDで誤訳を犯した人物』で、氏名は表のページに記載されている加藤晃生さんです。表のページで引用されている加藤晃生さんのブログが、『DVD字幕監修者のブログ』とされているが、それを保証する人物はおらず、本来は『翻訳者のブログ』であるが、実は加藤氏は『翻訳者とは名ばかり』であるという、複雑な経緯のために呼称が変化してしまいました。
最近の私の文章は、Uniontourさんと『翻訳者/監修者』を同一人物と断定しています。引用元のブログ記事にない『ブログ主の脳内の知識』で表の記事を書いているためですが、独断は陳謝いたします。
また、『翻訳者/監修者』は『自分が翻訳した』という言葉は使用していませんでした。『翻訳本の奥付の翻訳者欄に名前がある』というように、他人が思い込むのは勝手だという手法に終始しています。
しかし、本来ならば、書籍とDVDを欠陥の状態で世に出した本人が、ブログやウィキペディアに『間違えた』と書き込むべきでしょう。『リコールを恐れて無言で通す』のは企業であって、アマチュアのこの人物が正直に語るのを止める人はいません。汚名を被るのは責任者である著名な字幕作家さんの役目です。
『翻訳者/監修者』さんが認めるべきは、劇場版の『プロポーズの誤訳』を見落とし、DVDに継承させてしまったことです。(書籍に関しては問題にしていません)。
『監修者』さんへ。言葉のトリックや削除に終始せずに、あなた自身が表のページに『DVDの誤訳』を書き込むことは、どうしても出来ませんか?
『アラトリステ』は、ファンにとっては大切な作品ですが、あなたにとって、嘘をつき、こうして晒されてまで、『誤訳ではない』と虚勢を張る理由とは何なのでしょう。
『アラトリステ』原作のスペイン語を実際に翻訳した女性は、自分の翻訳原稿をこの人物が日本語で書き直し始めた時点で抗議するべきでした。押しの強い強面の男性が怖かったとしても、横取りを許したこの女性は間違っていました。
コピペに近い文章でも、構成と日本語表現を変えて『別物』として発表する人はいます。スペインの古い時代の衣装などについて、原作の翻訳本に加えた『注釈』は、まさにそれだったのでしょう。
小説部分の翻訳文の日本語による言い換えは、構成を変える手間もなく一行ごと一語ごとの書き換えとなります。その作業を行い、『自分の作品』と主張し始めた人物を、この女性が止めていれば、DVDが欠陥品になる事態には至らなかったのです。
主演俳優は、出来る範囲で私たちファンの依頼に応えてくれました。『言葉が足りなかった』と再度の発言をお願いするのも恐縮なので、いずれ実現する『来日』の前に、問題を解決しなければなりません。そのためにも、皆様が指摘された形式で、文章を世に出す作業を始めたいと思います。現在の表の記事は削除せず、しばらくお待ち頂きたくお願い致します。
幸いと言いますか、『翻訳者/監修者』さんは最近、所属していた大きな団体を離れました。この人物への糾弾によって、無関係な団体まで巻き込む恐れはなくなりました。
公表する原稿については、自分でルールも調べておりますが、素人の思い込みは『不十分・独自研究』と指摘されてしまいます。詳しい皆様に、このページで事前にチェックをお願いできると、本当にありがたく思います。
現在の不明点は、以下の通りです。
・署名記事である必要はあるか。その場合は、シナリオライターの杉原めぐみで良いか。
・コラム程度の文章でも良いか。
・誤訳の説明は、『条件法の取り違えで、意味が逆転した』だけで良いか。(教授のお名前の掲載が可能かは未知数なので)
・誤訳を犯した人物として、一般人である『翻訳者/監修者』の氏名を記載すべきか。
・例えば『業界紙』のように、読者が限られる出版物なら目立たないが、それは可か。あくまで全国出版であることが必要か。
これらは『今のところの不明点』です。例えば『"アラトリステ"は数々の不幸を背負った映画だった。DVDでもそれは収まらず……』というように、コラム風な小文で、誤訳について語るだけで宜しいでしょうか。
確保できる記事のスペースもまだ分かりませんので、とりあえず、これらについてお教え頂けますと、とても助かります。
勝手なお願いではありますが、どうか宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年2月22日 (月) 16:22 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。61.192.170.63さんが加藤晃生さんとUniontourさんを同一人物だと考えていることは分かりました。けれども、Uniontourさんの編集に何らかの問題があると考えるなら、ここではなく利用者‐会話:Uniontourで質問あるいは警告してください。それでも改善が見られないようなら、利用者の行為についてのコメント依頼を提出してください。このノートページは、誰かを告発したり糾弾したりする場所ではありません。ましてや、同一人物であるとする根拠も示さずに「『監修者』さんへ」と呼びかけたり「この女性は間違っていました」と非難したりするのは論外です。61.192.170.63さんが今後も記事の編集と直接には関係のない発言をここで続けるなら、ノートページの目的外利用と判断します。
  • 誤訳の箇所を具体的に指摘している文献が提示されないなら、加藤晃生さんとUniontourさんが同一人物であろうとなかろうと、誤訳の箇所を具体的に指摘するような加筆は認められません。逆に言えば、誤訳の箇所を具体的に指摘している文献が提示されるなら、加藤晃生さんとUniontourさんが同一人物であろうとなかろうと、あるいは『アラトリステ』の日本での配給に関わった組織や人物が何と言おうと、中立的な観点に沿って、誤訳の箇所を具体的に指摘するような加筆は認められる可能性がある、ということです。
  • 61.192.170.63さんの2016年2月17日 (水) 16:29 (UTC) の編集については、独自研究の問題点を解消していただけなかったので、除去しました。ウィキペディアに書き込んでから公表、ではなく、公表してからウィキペディアに書き込む、という流れだと理解してください。また、公表された場合でも、それが出典として十分かどうかは内容次第だったり媒体次第だったりするので、一概には言えません。出典の提示にあたっては、関連するウィキペディアの方針とガイドラインの文書を利用者‐会話:61.192.170.63に案内しておきましたので、それらを一通り読めば「不明点」は解決されると思います。--153.173.19.150 2016年2月22日 (月) 22:00 (UTC)


『誤訳』の事実を雑誌に掲載するための作業について[編集]

61.192.170.63です。まず、前章『ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して』の私の文章の独断的な部分について、お詫びいたします。コメント依頼を申請しましたが、書き込みをいただけないまま、説明が加速いたしました。前章の文章を理由に私をブロックすることは、どうぞ少しお待ち下さい。書かなければ、嘘がまかり通り、海外の俳優さんにまで迷惑が及ぶ案件がございます。

表の『批評』という記事中の『誤訳の内容に関する部分』は削除されました。履歴のない人物に次々と記事を削除される状態には対処しきれないと書きましたが、それは無視されました。そもそもの引用元が『検証可能ではない』という私の前章の文章も無視されました。

このノート・ページには『ウィキペディアは初めてですか?』というテンプレートが貼り付けられました。確かにそうですね。私には、ウィキペディアの専門家になる気持ちがありません。

また長い文章を書いてしまいましたので、初めに管理者の皆様、お読み下さる皆様にお願い致します。

私は、表のページに『コメント依頼』を添付した上で、現在の削除された状態の、一つ前の状態まで『批評』の記事を書き込みました。これは、他の方々にもお手伝い頂いた記事です。そして『要出典』の部分を埋めるための『検証可能な雑誌記事』の用意を始めると、ノート・ページに書きました。

私は、一つ前の状態まで、表の『批評』の記事を戻すことをお願い致します。『要出典』を外すために必要な記事については、ノート・ページで確認しつつ、掲載できる媒体を選ぶ作業を始めると書き込みました。削除は、それを無視して行われました。

一部のファンは8年前に、『誤訳ではない』という主張の根拠とされる加藤康生さんのブログが操作される現場を見ていました。DVDに関するファンからの誤訳の指摘のコメントが削除され、ブログの地の文章が書き直され、Uniontourさんがその記事を引用して、ウィキペディアで『誤訳ではない』という主張を始めました。それ以来、誤訳の記事は全て削除されています。

引用元のブログがウィキペディアで保護されていると言う方の発言は『検証可能』ですか? 言葉のトリックではありませんか? その部分から目を逸らすなら、ウィキペディアは百科事典たり得ません。

Uniontourさんの会話ページで論議しろとのご指摘もありますが、それは、この問題を人目から逸らす勧めです。

大学教授の『条件法』の指摘の後、Uniontourさんはひっそりと、あらすじ欄を正しい形に書き改めました。しかし、『間違っていた』という言葉はありません。それを認めると、『誤訳ではない』という主張が崩れるからです。そのために、もはや意地のような削除が続けられています。

加藤康生さんも事実を認めません。比較的新しく主演俳優のファンになった女性が、最近、誤訳の問題をツイートしたところ、フォロワーでもない加藤康生さんから速攻で話しかけられ、訳の分からないことを言われたという話が、ファン伝いに聞こえてきました。キーワードを常に検索しているのですね。

加藤康生さん Uniontourさんの主張は、空し過ぎます。主演俳優にまで届いた以上、いずれは世間にバレる虚構です。Uniontourさんはそれに気づいたのか、最近はこのページで沈黙しています。

私はウィキペディアの編集には興味がありません。百科事典の編集が純粋に好きなわけではなく、自分の主張で他人を言い負かすことは面倒なだけだからです。しがし、知的に優位に立つことが何より好きという人にとって、現実世界の階級に囚われないこの仮想空間は麻薬なのでしょう。

そういう人物が、相手によって対応を使い分けて行くうちに、アカウントが複数になることは容易に想像できます。

私の会話ページには、大切なのは『事実』ではなく『ルール』だと書き込まれました。『事実』の証明の努力すら関係ないという意味に受け取りました。

Uniontourさんの会話ページで「やめなさい」と不毛な訴えを続けることには意味がありません。非難されることが『注目を浴びる快感』にすり替わる心理状態が存在するそうです。悪いのは自分を攻撃する人間で、それを排除することは正義なのです。事実の記載はもはや雲の彼方です。

私の会話ページに書き込んだ人物は Uniontourさんではありませんが、ここではまとめて話しています。もちろん、全てが同一人物だなどと、被害妄想で言っているのではありません。私に初期のメンバーの氏名を尋ねた管理者の方は、たぶん声優さんでも混じっていないかと、興味を持たれただけなのでしょう。

加藤康生さんの行ったこと、失敗したこと、『誤訳ではない』という主張を生み出したことが、この問題の根本です。レンタルビデオ屋の無数のパッケージの中の、たった一本の裏の字幕スタッフ欄の、監修者という数文字のための、哀しくも無謀な主張なのですが。

スペイン映画の『アラトリステ』は確かに馴染みが薄く難解ですが、一般大衆向けの娯楽作品です。人並みの読解力があれば「あれ? ここで結婚を決めるか?」と、誤訳に気付くレベルの話です。DVD字幕制作の現場担当者さんは、誤訳に気づかなかったのではありません。言い負かされ、それを上司に伝えずに通してしまったのです。

皆さんは本当に、これまでの資料では誤訳の事実を証明不能だと思われますか? 

主人公が『求婚を決意した』という日本側の誤った解釈に、プレスシートという証拠があります。

「この場面、主人公は結婚を即決で断ってるよね?」という視聴者の疑問に、2008年の主演俳優のインタビュー記事という根拠があります。

『将来を共にするため(の贈り物ですね)?』というセリフに、「そりゃ条件法だから、逆だよ」という証拠があります。

『結婚を断る』という同じ方向を向いている証拠が『三つもある』ということです。

当然です。結婚にまつわる別々の場面に、全て間違いがあるのですから。別々のミスにそれぞれ証拠があるのです。

これをツギハギの作り上げた証拠だと言う主張は、言葉のトリックです、これら全てをまとめて記載した雑誌記事がなくては証明不能だという主張は間違っています。

ルールを振りかざす人を相手に、あえてこの問題に参加しようという方がいらっしゃらないことは、当然だと思いつつ申し上げています。

無数にある『要出典』の記事は、本当に削除の対象ですか? 育てて行くことが前提で、その末に、どうしようもないものを削除するのが実際の現場ではありませんか?

『加藤晃生さんのブログの全てが保護されるのはおかしい』という私の指摘に対する回答もいただけていません。文法的な証拠を示せという指摘も無視されたままです。

誰がが「保護だ!」と言えば、それがルールになるのですか?

ジャッジする方が存在しなければ、声の大きい人は言いたい放題です。現実世界でもこういう人はいますね。うまくやれば大物です。残念な例はゴミ屋敷の主です。どちらも、自分が顰蹙の対象であることには無到着です。

『誤訳ではない』という主張には、もともと何の根拠もないのです。根拠のない空しい主張に8年も振り回されているのが、このページです。

それでも、私は「そうですか 雑誌に書けばいいのですね」と言いました。

これは、主演俳優さんにこれ以上の迷惑をかけないための選択です。いずれ実現する『来日』の際に、こんな問題で煩わせたくはありません。後始末は完了しましたと報告しなければなりません。

せっかく記事を発表しても『不十分だ。独自研究だ』と言われない為に、このページで必要事項を揃えようとしています。

検証可能な雑誌記事の制作に必要な内容については、前章『ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して』で質問を並べさせて頂きました。これについても、わざとハードルの高い注文を出されては困ります。皆様に目を向けていただく必要がございます。

私に対してウィキペディアの中で、「何でウィキペディアにばかり拘るんだ?」と言った方がおられました。それは自虐的発言ですね。ウィキペディアは検索のトップでヒットする媒体です。そこに記事があるからとしかお答えできません。

ウィキペディアが、話し合いで完成を目指す試行錯誤の媒体だということは、素人の私にも分かって来ました。この先の展開を多くの方と管理者の皆様にご覧いただき、雑誌に掲載する記事の完成にご協力いただきたく、お願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年2月24日 (水) 11:51 (UTC)

  • こんにちは、153.204.177.76です。私は61.192.170.63さんに「Uniontourさんの会話ページで『やめなさい』と不毛な訴えを続ける」ことを求めているわけではなく、Twitterや「ゴミ屋敷の主」など、この記事の編集と関係のないことはノートページではなく利用者の会話ページで伝えてほしいと言っているのです。それでも埒が明かない場合はコメント依頼、あるいはアカウントを取得した上で投稿ブロック依頼を提出してください。同じことをいくら説明しても理解していただけないようなら、投稿ブロックの対象となります。
  • 「これをツギハギの作り上げた証拠だと言う主張は、言葉のトリックです、これら全てをまとめて記載した雑誌記事がなくては証明不能だという主張は間違っています」と言われましても、Wikipedia:五本の柱に書いてあるように「すべての項目は、独自の研究を認めない方針に従う必要があり、正確となるよう努力しなければなりません。ウィキペディアは、個人の意見・経験・議論を書き込み、自説を披露する演説台ではありません」。ウィキペディアには独自研究は載せないという方針があるのですから、誤訳の箇所を具体的に指摘している文献が示されない現状では、誤訳の箇所を具体的に指摘するような加筆は認められません。「いずれは世間にバレる虚構」なら、「世間にバレ」たあと、出典を示してウィキペディアに加筆すればよいのです。上で書いたように、ウィキペディアは出典ありきであって、世の中に先んじて物事を発信する場所ではないです。
  • 「確保できる記事のスペースもまだ分かりません」と書いているところを見ると、61.192.170.63さんが「雑誌に掲載」しようとしている記事は持ち込み原稿のようですけれども、利用者‐会話:61.192.170.63で案内した文書を読めば、どのような内容、どのような媒体のものがウィキペディアで情報源として用いることができるかは分かるはずです。その文案を考えたり媒体を名指しで指定したりはしません。いずれにせよ、ウィキペディアに書き込んでから公表、ではなく、公表してからウィキペディアに書き込む、という流れだと理解してください。--153.207.140.88 2016年2月24日 (水) 23:58 (UTC)
加藤康生氏について、ウィキペディア上にページを作成し、ブログへのリンクも加藤康生氏の経歴に貼ることを提案する。ただし、加藤康生氏のブログ『アラトリステ隊長代理とツイてない仲間たち』には、人権蹂躙の恐れのある記述が見受けられる。加藤康生氏は、本来の翻訳者(翻訳出版の経験者)の日本語原稿の大半で、センテンスごとに別の日本語に置き換える作業を行い、自身の文章だとブログ中で表明している。小説『アラトリステ』翻訳者による翻訳作業の記録ではなく、一個人のブログであり、加藤康生氏が生業とする製品の通販ページへ誘導する記述も見受けられる。
映画『アラトリステ』スペイン版DVDがウィキペディアの資料として認められないという主張は誤りである。スペイン版DVDはアマゾン等の通信販売で入手可能であり、日本における視聴可能リージョンで英語字幕も含まれる。ウィキペディアの基準にそぐわないのは、誤訳が含まれる日本版DVDであり、過去に誤訳ではないとする誤った主張の根拠とされた事実が存在する。今後も予想される同様の混乱回避の趣旨からも誤訳の情報は重要である。
資料。条件法の取り違えによって意味が反転し、アラトリステが『求婚のため』の贈り物を買う根拠とされた宝石商の台詞。
英語字幕。
I would not abuse your trust...but would I be mistaken in assuming that with this gift Your Worship is thinking of,shall we say...a future with this lovely lady?
同じセリフのスペイン語字幕。
A lo mejor, abuso de vuestra confianza. Pero... ¿estaría equivocada si pensara que con este obsequio vuestra merced está pensando en, digamos... un futuro con esa dama tan hermosa? --61.192.170.63 2016年2月27日 (土) 13:05 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。加藤康生さんの記事をウィキペディアに作成するかどうかの判断はお任せしますが、事前にWikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:独立記事作成の目安は読んでおくことをおすすめします。これらの方針やガイドラインに従っていないと削除されるおそれがあります。
  • これまで再三にわたり説明してきたように、ウィキペディアの編集者がDVDの英語字幕と日本語字幕を比較して「この箇所が誤訳である」と記述したり、出典を示さずに「字幕に歴史的人名の誤表記などミスが目立った」と記述したりする2016年2月27日 (土) 13:17 (UTC)の編集は、独自研究にあたります。ここで言う「出典」とは、「字幕に歴史的人名の誤表記などミスが目立った」という趣旨のことが書いてある文献を指します。『アラトリステ』のDVDは、たとえば付録のリーフレットに「『A』という字幕は誤訳であり、実際は『B』と訳すべきでした」などと書いてあったり字幕の正誤表が掲載されていたりしない限り、DVDそれ自体を「誤訳」の出典として用いることはできないです。61.192.170.63さんが加筆しようとしている記述は、『アラトリステ』の日本での配給に関わった組織や人物にとっては否定的な内容でしょう。そういう否定的な内容の記述を加筆したいなら、その宝石商の台詞が誤訳だと具体的に指摘している信頼できる情報源を提示してほしい、と申し上げているのです。
  • 最低限、ここで今まで述べてきたウィキペディアの方針については理解してほしいと切に願っていますが、61.192.170.63さんが今後も編集の強行を続ける場合、次の段階へ移行することも視野に入ってきます。なお、私のほうから61.192.170.63さんへ利用者‐会話:61.192.170.63で一点、質問しております。読まれているかどうか分からないので、ノー・コメントなら「ノー・コメント」と一言だけで結構ですので、会話ページで返信していただけますか。--153.173.68.114 2016年2月27日 (土) 14:47 (UTC)
2016年2月28日現在、『DVDの内容が正しい』と読める記述は削除されました。ありがとうございました。
主演俳優の発言については、最後まで正確に書かせていただきたく、追加の文章を記入しました。これは、一連の削除の過程で消えてしまった文章です。ヴィゴ・モーテンセンはこれまでも、インタビューの一部だけをピックアップすることで不正確な情報を流され、身に覚えのない批判を受けたことがあるために、正確を期したいと思いました。
主演俳優は非常に知的で穏やかな人物であり、今回の発言も「ストーリーを理解してくれたと思う」と続けています。ウィキペディアから『誤訳はDVDで訂正済み』という記述さえ削除されれば、私には騒ぐ理由もなくなります。
誤訳だという証拠の雑誌等の記事については、この先、『DVDが正しい』という記述が再びウィキペディアに掲載されるならば、蒸し返させていただきます。
大変にお騒がせをいたしました。コメント依頼も、もはや新たな書き込みはないと判断して、削除させていただきます。ありがとうございました--61.192.170.63 2016年2月28日 (日) 08:41 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。2016年2月27日 (土) 13:17 (UTC)の編集で加藤晃生さんのブログが除去されていましたが、過度に自己を美化しているとまでは言えないものであり、また日本語字幕に関わった当事者の発言として触れておく意義はあると思いますので、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点の方針に従って、これを戻します。以前の版でも、必ずしも「DVDの内容が正しい」「誤訳はDVDで訂正済み」と受け取られるとは限らない記述だったのですから、これを除去する必要はなかったはずです。-153.206.178.167 2016年2月28日 (日) 09:45 (UTC)
『映画にとって重要な内容があるか、映画にとって特別な意味をもつのでない限り、リンクするべきではない』というルールがあると教えて頂きました。
加藤康生氏の氏名は、他の字幕作者や吹き替え演出家の氏名と共に、ウィキペディアの『映画作品スタイルガイド』によって一旦、削除されました。先達の言葉をお借りするならば『翻訳版』『派生的な話題』だからです。
加藤康生氏が字幕監修をしたことは、失敗したという事実を省いても、ウィキペディアに記入する価値がありません。ミスの多かった字幕が修正されるのは『当たり前』のことです。それは、字幕制作会社の『通常業務』です。修正した字幕に、元の字幕と違うセリフが含まれるのは『当たり前』です。
字幕監修が一大事だったのは、加藤康生氏にとってだけです。スペイン映画『アラトリステ』には何の関わりもありません。
皆様にお願い致します。現在の『批評』の欄をご覧ください。いびつではありませんか? 加藤康生氏が字幕監修をしたことに、意味がありますか? 加えて、加藤康生氏のブログには人権蹂躙の恐れのある行為の記述が含まれると、すでに書きました。
私は、加藤康生氏に関する記述を、『アラトリステ』(映画)から削除することを提案いたします。--61.192.170.63 2016年2月29日 (月) 04:57 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。その作品の日本語字幕の翻訳や監修を誰が手がけたか、というだけの話なら、その氏名を記載する必要はないと思います。けれども、今回の場合、コメント依頼で書かれていたような「特定の人物の氏名に記載する価値があるか否か」という話ではなく、日本語字幕の監修者の特定の発言を記載するかどうかという話でしょう。簡潔に状況を整理しておくと、一方では主演俳優のヴィゴ・モーテンセンさんが日本語字幕の誤訳に腹を立てたと発言し、もう一方では日本語字幕の監修を担当した加藤晃生さんがDVD版は劇場版とは別物に近い字幕になると発言している。61.192.170.63さんは後者の発言のみを除去しようと提案しているわけですけれども、この提案には賛成しかねます。
  • ヴィゴ・モーテンセンさんが劇場版とDVD版、どちらかだけを見て日本語字幕に誤訳があると判断したのか、両方の日本語字幕を見て両方とも誤訳があると判断したのか、その辺りは分かりませんが、いずれにせよ、加藤晃生さんのブログは、何らかのミスを指摘されている当事者からの発言であり、Wikipedia:中立的な観点に書かれているように「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」のですから、記載しておく必要があります。
  • その節が「いびつ」だと感じられるなら、たとえば「批評」という節名を「公開」という節名に変えるなど、除去以外の手段で改善すれば済むことだと思います。また、加藤晃生さんのブログには「人権蹂躙の恐れのある行為」と判断しうるような記述は見当たりませんし、Wikipedia:検証可能性に書いてあるように、当事者の発言を情報源として使用できることはできます。--153.204.170.113 2016年2月29日 (月) 16:42 (UTC)

153.204.170.113さんの書き込みは、誹謗中傷に当たります。加藤康生氏のミスを利用して、加藤康生氏という個人を貶めようとしています。

ウィキペディアが『事実ではなくルール』であっても、事実は書き込めます。書き込むための形式を整えるだけです。条件法の取り違えによる誤訳は、どう抗弁しようと覆せません。 この時点で加藤康生氏の氏名を消すことが、加藤康生氏に対する温情となります。

加藤康生氏は当初、『誤訳ではない』と本気で思い込んでいた節が見受けられます。ミスに気付いた後は、嘘つき呼ばわりを避けたい一心で『誤訳ではない』と無茶な主張を続けてしまったのでしょう。

これ以上、加藤康生氏のミスを曝け出すのは残酷です。加藤康生氏の氏名とブログを表の記事に書き込んだ 153.204.170.113さんの行為には、更に多くの人の目に加藤康生氏のミスを晒し、恥をかかせようという意図が伺われます。

引くに引けなくなった人物には、思いやりを持って接するのが常識人の務めです。

表の誤訳に関する記事は、主演俳優の言葉だけに留め、ミスの犯人探しは書き込まずに収めることを提案いたします。--61.192.170.63 2016年3月1日 (火) 16:05 (UTC)

表の『批判』の記事への、新たな『加藤康生氏に関する書き込み』には、主演俳優の言葉に対応するセンテンスが存在しません。以下で、その意味を解説します。
加藤康生氏のブログには、『誤訳ではない』という明確な記述は存在しません。あえてはっきり書かないことで、Uniontourさんが『誤訳ではない』と『解釈』し、ウィキペディアで削除を続けたのです。
『誤訳ではない』と主張して『いない』加藤康生氏の記事を、主演俳優の誤訳の指摘の前に配しても、意味がつながりません。
加藤康生氏に関してこれ以上、記載すべきでない理由は、一つ前の文章で述べました。
DVDの字幕は修正されたのですから、別物になるのは『当たり前』です。元は同じスペイン語ですが、別人が担当すれば当然『別物』になります。
洋画DVDの大半には『日本語字幕』と『吹き替え字幕』という別物の字幕が収録されています。別物は『当たり前』です。
『別物』であることは、誤訳が『ない』ことの証明にも、『ある』ことの証明にもなりません
ウィキペディアの洋画ページに日本語字幕の欄は存在しません。私は先日、表の記事に以下のように書き込み、不要だとして削除されました。
-- DVD日本語版スタッフ --
  • 本編翻訳 : 佐藤恵子
  • 吹替台詞 : 小島さやか
  • 吹替演出 : 依田孝利
  • 字幕監修 : 加藤康生
加藤康生氏の氏名も、作業内容も、このように書き込まれるだけの情報です。
『批判』の記事に書き込まれた加藤康生氏に関する文章は、主演俳優の言葉に全く対応していません。単に『加藤康生という人がDVDの字幕修正に関わった』という不要な文章が加えられただけです。加藤康生氏のブログには、プロの制作した日本語の翻訳原稿をセンテンスごとに書き変えて、『自分の文章』と主張するという問題行動も記録されています。
映画にとって重要な内容があるか、映画にとって特別な意味をもつのでない限り、リンクするべきではない』というルールが存在することも、すでに述べました。
ゆえに、加藤康生氏に関する文章を『批判』の記事から削除することを提案します。--61.192.170.63 2016年3月1日 (火) 16:05 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。「153.204.170.113さんの書き込みは、誹謗中傷に当たります。加藤康生氏のミスを利用して、加藤康生氏という個人を貶めようとしています」「加藤康生氏の氏名とブログを表の記事に書き込んだ 153.204.170.113さんの行為には、更に多くの人の目に加藤康生氏のミスを晒し、恥をかかせようという意図が伺われます」というコメントは看過できません。61.192.170.63さんには発言の撤回と謝罪を求めます。今後の対応の如何によっては、次の段階へ移行するつもりでおります。
  • 上でも述べた通り、ヴィゴ・モーテンセンさんの発言では、どの部分を誤訳と判断したのか、劇場版とDVD版のどちら(もしくは両方)の日本語字幕に誤訳があると判断したのかは分かりません。加藤晃生さんが「DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる」と発言している以上、その発言を示しておくことが、中立的な観点に沿って書くということです。加藤晃生さんの発言とヴィゴ・モーテンセンさんの発言は直接に意味がつながっていなくても良いのです。日本語字幕についての発言である限り、同じ節、同じ段落に配置するのは自然なことです。
  • 試みに、61.192.170.63さんのコメントから、加藤晃生さんについて言及されている箇所を抜粋してみます。「スペイン語の知識がない」「この人物を『専門家』と認めているのは本人だけなのです」「この人物の監修は失敗し、DVDには最大の誤訳が残りました」「この人物が畑違いの小説の翻訳に関わり、誤字・脱字・脱行まである本を出版させた」「ウィキペディアが無条件に受け入れて良い『専門家』ではありません」「この方は更に、不十分だった映画字幕にも口を出し、最大の誤訳を見逃して、DVDを欠陥の状態で発売させてしまいました」「実は加藤氏は『翻訳者とは名ばかり』である」「『翻訳者/監修者』のブログに、保護に値しない部分がある」「本来ならば、書籍とDVDを欠陥の状態で世に出した本人が、ブログやウィキペディアに『間違えた』と書き込むべきでしょう」「加藤康生さんも事実を認めません」「加藤康生さんの行ったこと、失敗したこと、『誤訳ではない』という主張を生み出したことが、この問題の根本です」「加藤康生氏のブログ『アラトリステ隊長代理とツイてない仲間たち』には、人権蹂躙の恐れのある記述が見受けられる」「一個人のブログであり、加藤康生氏が生業とする製品の通販ページへ誘導する記述も見受けられる」。このように、61.192.170.63さんは加藤晃生さんと彼のブログについて否定的なコメントを書き続けてきました。61.192.170.63さんは、加藤晃生さんが監修を担当した日本語字幕について、独自研究をウィキペディアに載せようとしてきたわけですが、それが認められないとなったから、今度は加藤晃生さんの氏名と発言、ブログを除去しようとしているのではないですか。「加藤康生氏に対する温情」などと太字で書かれても、今までの発言を撤回されていない以上、61.192.170.63さんの本心がどこにあるかは誰の目にも明らかです。
  • 「加藤康生氏は当初、『誤訳ではない』と本気で思い込んでいた節が見受けられます。ミスに気付いた後は、嘘つき呼ばわりを避けたい一心で『誤訳ではない』と無茶な主張を続けてしまったのでしょう」とコメントされていますが、加藤晃生さんが「誤訳ではない」と主張している文献があるなら、それを提示していただけますか。それはおそらく記事の充実に役立つものだと思います。
  • 「映画にとって重要な内容があるか、映画にとって特別な意味をもつのでない限り、リンクするべきではない」というのは、おそらくプロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#日付記事へのリンクのことだろうと思いますけれども、それは日付に関する文書です。--153.229.79.245 2016年3月2日 (水) 09:53 (UTC)

投票の提案[編集]

議論が平行線を辿る場合は、投票をお願いできると教えていただきました。61.192.170.63 は投票による裁定をお願いいたします。

閲覧して下さる皆様へ。

このノート・ページにおける最近の経緯は、この章の二つ上の『ヴィゴ・モーテンセンの発言に関して』から始まっています。大変に長文ですので、改めて、まとめから書き始め、発言者 61.192.170.63 の側の意見を述べさせていただきます。

投票をお願いしたいポイントは、『加藤康生氏の氏名、及び同氏のブログ』の、ウィキペディアへの掲載の可否です。加藤康生氏に関する記事が削除されれば、日本語版DVDの誤訳に関するパラドックスが解決します。

まず、ここに至る経緯からご説明します。

このノート・ページには8年に及ぶ書き込みがあり、いくつかの問題点が語られています。過去にこのノート・ページで『誤訳がある』という書き込みを行った方々は、お互いに無関係の個人です。日本には主演俳優のファン・クラブ等の団体は存在せず、個々人が不条理な記載に憤り、書き込みを行ってきました。

2008年暮れに公開されたスペイン映画『アラトリステ』は、日本語字幕が稚拙で、多くの誤訳がありました。DVDでは当然のことながら字幕の修正作業が行われ、加藤康生氏という一般人が『監修者』として臨時で雇われました。

しかし、DVDでも最大の誤訳が見落とされ、残ったまま発売される結果となりました。

その誤訳とは『主人公がプロポーズの決意をする』というものです。実際には、主人公は恋人との結婚を断ります。そうせざるを得ない悲恋が、物語の重要な伏線となっています。この誤訳は『条件法の取り違え』によるもので、意味が逆転しました。条件法は中学校を卒業していれば誰でも説明する資格があります。

このノート・ページの論点は、『DVDの誤訳が事実でも、ウィキペディアには書けない』という初期の問題から、現在は『加藤康生氏に関する記述の是非』へと移行しています。

投票をお願いしたい論点。

1.加藤康生氏の氏名を『誤訳は犯していない』として記載する。(=現実の世界では誤訳なので、更なる批判は避けられない)

2.逆に、誤訳を犯した張本人として、無名の一般人である加藤康生氏の氏名を記載し、世に晒す。(=加藤氏に関する記事を削除することで避けられる)

3.他の発言者の方には、そのどちらでもないご意見がおありで、ご本人からの説明があるかと思われます。

論争が全くの平行線のまま、投票をお願いすることになりますが、閲覧をどうぞ宜しくお願いいたします。

過去に表のページに対して行われたこと。

加藤康生氏は、映画『アラトリステ』の原作小説の出版作業に関わった人物であり、その縁で映画の字幕修正の監修者として雇われた。しかし、DVDには重大な誤訳が見逃されて残った。これは、現実の世界では証明可能な事実である。

問題となっている『監修者』加藤康生氏のブログには、2009年のDVD発売直後に閲覧者から『プロポーズの誤訳を見逃している。ストーリーが劇場版と同様に変質したままだ』という趣旨の指摘が書き込まれた。

加藤康生氏は、その誤訳の指摘を削除した上で、ブログの記事を書き変え、『DVD字幕の誤訳は(別の)些細な部分だけ』という趣旨の文章を記入した。この作業は一部のブログ閲覧者が目撃している。

現実の世界で誤訳は明確に存在する。その事実が消えたのは、加藤康生氏のブログの中のみである。

ウィキペディアの表のページでは、加藤康生氏の『誤訳は(別の)部分のみ』という文章を根拠として、『プロポーズは誤訳ではない』との主張が生まれ、誤訳の指摘が削除され続けた。

例・『主人公は迷った末に求婚を決意した』という趣旨の Uniontour氏によるノート・ページの文章。


2010年にようやく『あらすじ』が現在の正しい形に落ち着いた。これは、国立大学のスペイン語学科教授による『条件法の取り違え』という指摘を受けた後の訂正である。教授のブログは、ウィキペディアへの掲載を拒否されたが、それでも、一つの『誤った情報』がウィキペディアから取り去られた。

『プロポーズの誤訳』には複数の証拠が存在する。ただし、『それらを一つにまとめた雑誌等の記事がない限り、ウィキペディアには掲載できない』との主張によって書き込みを止められている。

しかし、証拠は現実の世界に存在する。現実に『事実』が存在する以上、表のページには事実に沿った記事が現われる。それは道理である。事実に反する記事には齟齬があると疑うべきである。

表の記事のパラドックス。

『あらすじ』は訂正された。本来ならば、この訂正をもって誤訳の問題は収束できた。しかし、表のページには『DVDの字幕が修正された』という記述が存在した。加藤康生氏に関する記事である。

これでは、DVDに『プロポーズの誤訳』が存在しないことになる。これは看過できないパラドックスである。

『条件法の取り違え』によって文意が逆転する現象は、数学と同様に不変の事実である。 ウィキペディアが『事実ではなくルール』であり、事実の掲載を認めずとも、現実の世界ではDVDに誤訳が存在する。加藤康生氏の記事には『修正に失敗した』という事実が欠けている。


61.192.170.63 はすでに加藤康生氏の記事をページから除去することを提案している。加藤康生氏の氏名を削除すれば、『誤訳を犯した人物』として名指しで批判する必要はなくなり、パラドックスも解消される。


加藤康生氏は、ブログの中では『プロポーズの誤訳』を認めていない。閲覧者からの誤訳の指摘を削除したことは、すでに記した。ただし、その否定は『誤訳は(別の)些細な場所』という曖昧な表現である。

現実の世界の加藤康生氏は『誤訳ではない』と決して口にできないのだ。現実の世界には『条件法』という事実が存在するためである。現実の世界では、加藤氏は『プロポーズの誤訳』を見逃したことを『否定できない』。それが現実の加藤康生氏の立場である。 誤訳の部分の原文を提示しても、加藤康生氏は翻訳文を答えることが出来ない。

誤訳の原文(英語版)。I would not abuse your trust...but would I be mistaken in assuming that with this gift Your Worship is thinking of,shall we say...a future with this lovely lady?

加藤康生氏が、DVDと同じ日本語翻訳を答えれば、それは条件法の取り違えによる誤訳となる。正しい回答ならば、DVDの誤訳の告白である。

現実の世界で真実を語れない人物は、ウィキペディアの『信頼出来る情報源』たり得ない。

加藤康生氏には現実の世界で好きにブログを書く自由がある。不愉快な誤訳の指摘を削除し、文章を書き変える自由がある。しかし、肝心の『DVDに関する記述』の部分が現実と遊離している加藤氏のブログは、ウィキペディアの『信頼できる情報源』として不適格である。記事として取り上げた初めの選択が誤りであり、加藤康生氏のブログをウィキペディアが『保護』しているとの主張は誤謬である。

『誤訳』があることの証明。

日本の誤訳問題は海外の多くの主演俳優ファンにも伝わり、情報が主演俳優の耳に届くに至った。主演俳優であるヴィゴ・モーテンセンは、2015年に日本の雑誌で「日本語字幕に誤訳がある」と発言した。主演俳優がこの問題を何年も忘れず、日本からの非常に稀な直接インタビューの機会を捉えて発言したことは、現実に映画『アラトリステ』を作り上げた人々の怒りを表している。

ヴィゴ・モーテンセンの発言によって、表のページの誤訳問題は解決へ向かった。誤訳の個所の説明は不要である。『プロポーズの誤訳』は劇場版・DVD本編・アフレコ台詞の全てに共通して存在する。主人公が『プライドゆえに恋人と結ばれない』と主演俳優が語る日本語の記事は2008年から存在している。

現在の表のページの『批判』の記事は、加藤康生氏が修正をしたという記事の後に、主演俳優の『誤訳がある』という発言が続く。この場合、主演俳優の言葉に相対する位置には、『誤訳ではない』という主張がこなければ文章が成立しない。

あるいは、加藤康生氏が誤訳を『犯した』。加えて『主演俳優も腹を立てた』という並列の構文が必要である。

『誤訳を犯した』とも『誤訳ではない』とも明記されない現在の加藤康生氏の記事は文意が不明である。


加藤康生氏は自身のブログに『誤訳は(他の)些細な部分のみ』と書くことで、指摘を受けた『プロポーズの誤訳』の存在を消去した。

それをアカウントの人物が解釈することで、ウィキペディアの中で『誤訳ではない』という虚構が作り上げられた。

『成功した加藤氏の監修作業』『誤訳のないDVD』はウィキペディアの中だけの架空の存在である。

ウィキペディアは、この操作を認めるか。現実の世界で加藤康生氏は監修に失敗している。失敗したという事実を認識して記事を検証しなければ、ウィキペディアは百科事典として機能しない。

『犯人探し』は無用である。『加藤康生氏に関する記事』の削除によって、誤訳の問題は解消する。

字幕修正作業は表の記事への掲載に値するか。

洋画において重要なのは、あくまで原語の台詞である。翻訳者は淡々と作業をこなし、クレジットに氏名が残るのみである。

現在のウィキペディアには日本語の字幕翻訳・アフレコ演出等の氏名は掲載されない。将来的に記載されても、それは『全ての映画情報ページのスタッフ欄』と同等の、人物名の一覧である。

劇場版の字幕に誤りがあった場合、DVDで字幕修正作業が行われることは当然である。誤訳を放置しては『売り物』にならない。

現在のDVDは、字幕を焼き付けた映画フィルムの複製ではない。字幕データはデジタル入力される。字幕修正作業は、DVD製作業務の一環である。たとえ制作スタッフのブログが存在しても、それをウィキペディアに記載する者はいない。演出家もプロデューサーも、誰もブログをリンクしない。加藤康生氏は末端の臨時雇いである。映画配給のトップである配給会社は、加藤康生氏の言動について一切関知しないと発言している。加藤康生氏の発言は『監修者』の言葉と認められていない。

『別物』の字幕に関する記事は、掲載に値するか。

洋画には多数の『別物』の字幕が存在する。担当者が異なれば同じ場面の字幕も『別物』となる。

例・映画『ザ・ロード』で、コーラを飲む子供の台詞。公開前のTVスポット「シュワシュワする」。劇場版「弾けてる」。

同一の原点の翻訳を別の翻訳者が担当すれば『別物』である。全てが完全に一致する翻訳は有り得ない。劇場版と担当者の異なるDVD字幕が『別物』であることは特筆に値しない。原点のスペイン語台詞が『不変』故である。

アフレコ台詞も本編字幕とは『別物』である。『エイリアン』には5本の日本語吹替が存在する。新たな字幕が制作された際に、自分が『別物』を制作したと主張してウィキペディアに記事を書き、ブログを貼る担当者は存在しない。

字幕の修正作業は、記事自体がウィキペディアの掲載に値しない。

加藤康生氏のブログの信憑性。

リンクされている加藤康生氏のブログを閲覧すれば、『原作翻訳者の記録』でないことは歴然である。加藤康生氏はスペイン語を解せず、出版作業のスタッフである。ブログの内容は、加藤康生氏によって原作翻訳本が誤字・脱字・脱行のある欠陥品とされた顛末の記録である。DVD監修においても、加藤氏は(認めずとも事実として)失敗した。ブログの一部分のピックアップは無意味である。全体の検証なくしてウィキペディアの資料とは認め難い。加藤康生氏が誤訳の指摘をブログから削除したことはすでに述べた。

字幕制作会社は、臨時雇いの加藤康生氏に『監修者』という名目しか与えていない。加藤康生氏が字幕の日本語を全て置き換える作業を行っても、本編字幕とクレジットされるのは佐藤恵子氏である。加藤康生氏には字幕制作料が支払われておらず、字幕を自分の作品と主張する権利はない。映画配給会社が加藤康生氏の言動に『関知しない』と発言したことは、すでに記した。

加藤康生氏の本来の役目は誤訳のチェックであり、全力を注いで『条件法の取り違え』に気付くべき立場だった。しかし、誤訳の責任は統括責任者の佐藤恵子氏にある。臨時雇いの加藤康生氏には、責任を取ることすら許されない。

加藤康生氏の氏名は、ウィキペディアにおいて、誤訳を見逃した張本人という場合のみ意味を持ち、その責任を持つ『資格がない』という時点で掲載の価値を失っている。

監修さえ十分であれば、DVD字幕の誤訳は回避されたミスであった。

61.192.170.63 の主張は以上です。--61.192.170.63 2016年3月5日 (土) 20:36 (UTC)

加藤康生氏って知ってる。翻訳家って聞いたぞ。何かの取り説を翻訳したから翻訳家(笑)。少し前は ビオトープ作家だったはずだけど生き物はどうしたんだ生き物は。ブログも違ってた。非常勤講師をクビになった頃は自己紹介に主夫だと書いて教師仲間に「社会学者が作るバッグ」が売りのバッグを売ってたのに、今みたら高級店のHPかって変わってた。家のおかんだってバッグ作ってたぞ。胸張って内職って言ってたぞ。卒論書いた人がみんな社会学者なら会社の名刺は学者だらけだな。人を言い負かそうとする人だ。自分の都合の悪いことからずらそうとする。俺でも、そりゃ人が離れてくって思ったね。学生に人気がなくてクビになったのも、いつも間にか「先生としての仕事をやりきった」に変わってる。これぞ加藤康生~~~!。自分で信じてるんだな。学者でもバッグ屋でもいいけどウィキペディアはHPみたいに盛っちゃまずいしょ。いや、自分で書いたとは俺は言わないですよ。腐ってもクビになっても社会学者なら悪い記事は自分で削除してくれ。先生。。——以上の署名の無いコメントは、120.51.211.204ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2016年3月6日 (日) 15:36 (UTC) に投稿したものです(64.183.2.50による付記)。

どなたも発言されないようなので、書かせていただきます。『アラトリステ』は不条理映画かと思える騒ぎでしたね。『あらすじ』は正確だそうですし、「誤訳がある」という線で落ち着けば、とりあえずヴィゴ・モーテンセンのファンは納得できるのでしょう。条件法の解説までは無理としても、そこは加藤氏に関する記事の削除と引き換えで、三方一両損の痛み分けではいかがでしょう。加藤康生さんには、立派なご自分のページが開設されるよう頑張って生きていただくということで。偉そうに書いていますが、今回は私もアカウントを隠しています。臆病者と呼んで下さい。
投票を提案された61.192.170.63さんは、第三の選択肢が提示されるはずとされていますが、まだのようです。そこで僭越ですが、表のページから加藤氏の部分を削除させていただきました。これで何も起こらなければ、円満解決ということですね。
1+1が2にならないのが人の世ですしね。ウィキペディアに詳しい人ほど、そこは穏便にと言いにくいから困ってしまいますよね。心から、これで論争が終結することを祈っています。--221.255.147.10 2016年3月8日 (火) 12:10 (UTC)
221.255.147.10です。先ほど私が削除した加藤康生さんに関する記述は取り消され、復元されてしまいました。153で始まるIPアドレスの方は、たぶん同一人物なのでしょうね。悲しい方ですね。--221.255.147.10 2016年3月8日 (火) 15:46 (UTC)
同じ221.255.147.10です。私の会話ページに、取り消しを行った153.161.22.104さんからの書き込みがあり、叱られてしまいました。悲しい方ですね。--221.255.147.10 2016年3月8日 (火) 16:07 (UTC)

221.255.147.10 さん、ありがとうございました。 61.192.170.63です。私も悲しく残念なことだと思います。お言葉の通り、不条理なことが起こっています。『153で始まるIPアドレス』の方は、いったい何をしているのでしょう。

221.255.147.10 さんのページには、差し戻した153.161.22.104 さんから、「説明なしにいきなり除去するな」という趣旨の書き込みがありました。それが差し戻しの理由ですか? 221.255.147.10 さんはノート・ページに「論争を収めるため」と書き込みを行った上で削除を実行しました。『加藤氏の氏名』に対する『153 のIPアドレス』の方や他の方の執着は、何なのでしょう。加藤康生氏が『アラトリステ』の翻訳本とDVDを欠陥品にした人物であることは、すでに述べました。現在の『加藤氏の氏名』を記入した方は、必要な質問に全く答えぬまま、加藤氏に関する記事を既成事実として扱い、差し戻しを行いました。

現在の『批判』の記事の加藤康生氏の文章は、文意が不明であると申し上げました。監修をしたから何なのだ、何が言いたいのだ? という意味不明な文章です。221.255.147.10 さんの仰る通り、『批判』の記事が主演俳優の「誤訳がある」という言葉だけになれば、私はウィキペディアから立ち去ります。しかし、文意が不明でも、監修が行われたという文章があることで、『批判』の記事全体が乱れています。監修が『失敗した』という説明が欠けているからです。153.161.22.104 さんの差し戻しの行為は、失敗という事実をウィキペディアに書けないことを承知で『誤認』を狙った『不適切な編集』です。

書けないことは『なかったこと』ではないと、何度も申し上げてきました。ウィキペディアの中だけで、『DVDが正しく監修された』という虚構をつくりだすことは、ウィキペディアを貶める『不適切な編集』です。誤訳の指摘に対する感情的な抵抗ならば『問題編集』です。皆さんの投票を受けようという申し出に対しても返答がなく、『建設的な合意形成』も望めません。『153 のIPアドレス』の方は、何も答えずにルールを振りかざし、正しい側のように振る舞い続け、非常にアンバランスです。

スペイン映画『アラトリステ』にとって、日本での字幕の誤訳は、末端の困った事故です。「誤訳があった」という文章だけで十分で、その経緯(修正作業)は説明不要です。作業者の氏名に至っては些末の些末。しかも加藤康生氏は責任を負うべき立場ですらないと申し上げました。

削除を行った『153 のIPアドレス』の方は、私 61.192.170.63 に対しては、まだ『ブログは出典として保護されている』という言葉を使っています。これは、そう主張する方々が信じているだけの虚構なのですね。そもそも内容に偏りのあるブログは、それ自体が独自研究で掲載に相応しくないことは何度も申し上げました。

このノート・ページには他の方の書き込みも行われ、ますます加藤康生氏という一般人が晒されて行きます。全てブログや自己紹介に書かれている(いた)ことではありますが、加藤康生氏が非常勤講師の職を失ったことまで書く必要はないと控えて来ました。しかし、人権侵害になると私が書くと、逆に私はブロックすると警告を受けました。『153 のIPアドレス』さんは、全てを晒すことが目的なのでしょうか。スペイン映画『アラトリステ』のページには全く不要な情報です。何年もかかって書いたブログであっても、『アラトリステ』に何の貢献もしていない、『欠陥品にした記録なのに間違いを認めていない独自研究のブログ』は不要です。主演俳優の「誤訳がある」の言葉だけで十分です。

今の『153 のIPアドレス』さんは、他の方のルール面での不備をあげつらい、それを『加藤康生氏』の氏名を残すことの理由に転嫁しています。自分への指摘には一切答えず、そもそも『加藤康生氏』の名前が不要だという解説は、なかったことにしています。これはいったい何なのでしょう。『153 のIPアドレス』さんは、いったい何をしているのでしょう。

私は今は、アカウントを取得して記事の保護やブロックを申請しようとは思えません。たぶん『153 のIPアドレス』さんは、語句のミスや自分なりの解釈を見つけて不十分だと主張し、『加藤氏』を残すのでしょう。すでに人間対人間の対話ですらなくなっています。PCの記入ミスなら、やり直しで正解が見つかりますが、『加藤氏を残す』という意思だけが肥大し、ディベートが目的の人が相手では、試みるだけ無駄です。「いらないですよ、それ」としか私には答えられません。

現実の世界で裁判が何年も続くのは、規則や法律だけでは決まらず、会話が必要だからです。『153 のIPアドレス』さんには会話の意思すらありません。自分に対する批判が聞こえておらず、会話しているように見せかけているだけです。繰り返しますが、『加藤氏の氏名』に対する『153 のIPアドレス』の方や他の方の執着は、いったい何なのでしょう。--61.192.170.63 2016年3月9日 (水) 11:24 (UTC)

61.192.170.63さんへ。以前、間違えて訂正をしてしまったBompkinです。その節は失礼をいたしました。61.192.170.63さんがブロックではなく相手を納得させて止めさせようとされるのは分かりますが、納得する人ならば、こんな問題は起こさないと思います。あのブログを閉じずに誇る時点で、考え方が根本的に違う人ですよ。
私は映画好きで、「あらすじ」を書き込んでいるだけの人間です。その縁で今回の問題を知りました。「あらすじ」だけでルールに詳しくないのですが、宜しければ私が153.161.22.104 さんのブロックを依頼します。管理者の方のご意見も大切だと思うのです。といっても、私にできるのはそれぐらいで、全く頼りになりませんが。恨まれても別に困りませんので、ご遠慮なくお使いください。
警告する必要があるそうですので、ここで153で始まるIPアドレスの人に警告します。加藤康生氏の記事が必要な理由を語って下さい。--Bompkin会話) 2016年3月10日 (木) 02:41 (UTC)
Bompkinです。お許しをいただいてから動くつもりだったのですが、警告しますと書いてしまったので、153の人に注意される前に、153の方全員の会話ページに警告文を貼らせていただきました。加藤康生氏の氏名を書き込む理由を尋ねる文章です。ルールの説明ではなく、それを答えていただきたいのですよね。勝手な真似をしてすみませんでした。--Bompkin会話) 2016年3月10日 (木) 03:47 (UTC)
Bompkin さん、お申し出をありがとうございます。留守にしてお礼が遅れてしまい申し訳ございません。たいへんな長文の書き込みなのに、要点をズバリと指摘していただき、本当に嬉しいです。
何度も書いてきましたが、管理者の方に申し上げたいことは、次の通りです。
誤った素材(言葉の足りないブログ)を用意し、規約の言葉を駆使すれば、Uniontour 氏のように何年間も偽物のストーリーを主張し続けられる。加藤康生氏のブログには、故意に操作された部分がある。
加藤康生氏の氏名を記入したいと考える人物は、これまでの経緯を鑑みても本人以外に考えられない。しかし、加藤氏の監修が失敗したことは(まだウィキペディアに記入できないだけで)現実の世界の事実である。
『主演俳優が「誤訳がある」と発言した』という記事で十分なところに、実は字幕修正作業をしたが失敗し云々の話は無意味であり、その作業に臨時雇いの監修者がいたことは些末過ぎる事柄である。
加藤康生氏がなぜ表のページへの氏名の記入に固執するのか、その意図が全く不明である。
だいたい、これで良いかと思います。依頼のご参考になりますでしょうか。どうか宜しくお願い致します。--61.192.170.63 2016年3月10日 (木) 11:30 (UTC)
ああ良かった。認めていただけて有り難いです。加藤康生さんは先生だったのですよね。なぜ、こんなことをするのでしょうね。警告に回答があるかも知れないので、少し待ってから依頼します。ブロックなど初めてで頼りないですが、判断するのは経験のある管理者さんたちですから。ただ、61.192.170.63さんの文章を読んで少し心配なのは、ウィキペディアのルール大好きなこの人が、実は管理者になっているなんてことはないですよね……。--Bompkin会話) 2016年3月10日 (木) 13:23 (UTC)
皆さん署名付きで会話されますし、却下されても訴え続けるだけです。私がブロックされても、不条理だと感じる次の方がきっと出てきてくれます。Bompkin さんも助けにきてくださいましたし。--61.192.170.63 2016年3月10日 (木) 14:06 (UTC)
もっと詳しい方が名乗り出て下さるのを待っていたのですが。では、153の方の回答を少し待つと致しましょう。--Bompkin会話) 2016年3月10日 (木) 14:27 (UTC)

『加藤康生』氏の氏名の記載について[編集]

Bompkinです。『153で始まるIPアドレス』の方へのブロックを依頼しました。複雑な展開なので、ここで纏めます。

  • 61.192.170.63さんの記述が『独自研究』であるか否かは問題ではない。問題は、加藤康生氏の氏名の記載の可否である。
  • 『153で始まるIPアドレス』の方は、なぜ『加藤康生』という氏名が必要かという問いには決して答えない。61.192.170.63さんを『独自研究』と指摘することに問題をすり替えている。なぜ『加藤康生』が必要なのか?
  • 『加藤康生が「別物の字幕」と語った』という文章は、『批判』の記事に記載する意味がない。監修が成功したのか、失敗したのかを特定しない(できない)文章は、『批判』の記事に必要がない。
  • 加藤康生氏は『映画字幕』に関して、プロではない臨時雇い(アルバイト)である。本来は『別物であることが当然』のDVD用の字幕を、初体験のアルバイトがさも一大事であるかのように自身のブログで語ったというだけの、全く価値のない文章である。この記事を記載するという事は、加藤康生なる人物名の『宣伝』以外の何物でもない。
  • 価値のない『加藤康生』という氏名の記載に固執する『153で始まるIPアドレスの人物』は、加藤氏当人と断定せざるを得ない。ゆえにブロックを申請する。

『加藤康生』という人物が何者なのか、『アラトリステ』に対して何をしたのかは、今回のブロック依頼とは関係がありません。『批判』の記事に記入することに意味がないというだけです。この数か月の記事の変化の中で、加藤氏の氏名は何度も消え去りましたが、『153で始まるIPアドレス』の方が復元し、最後は現在のように文意の不明な文章にまで退化しました。それでも氏名を残そうとする『153で始まるIPアドレス』の方の固執にご注目下さい--Bompkin会話) 2016年3月12日 (土) 00:03 (UTC) 

加藤さんは大きな嘘をついています。DVDの字幕が別物に近いことは証明できません。劇場版の字幕は現在は非公開です。劇場版の字幕とDVDの字幕を比較できる資料は公開されていません。それは内部資料です。加藤さんの手元に資料が残っていても、それは61.192.170.63さんがお持ちの配給会社の証言と同じ個人の情報です。加藤さんはご自分の手元の資料を公の雑誌などで発表しなければウィキペディアで使えません。そして発表は許されません。加藤さんは大勢の者に迷惑をかけていることを認識していただきたいと思います。--María de Castro会話) 2016年3月13日 (日) 15:06 (UTC)

↑アカウント作成16分後の最初の発言。でやってることは単なる尻馬。--240F:65:92C9:1:8D3C:3BB0:9A25:E47C 2016年3月13日 (日) 17:44 (UTC)
María de Castro さん、ありがとうございました。確かにおっしゃるとおりです。気づかなかった私は、Bompkin さんや管理者の方に謝らなければなりません。私の分かり難い文章しか材料のない方々には、知りようのない情報でした。『153 で始まるIPアドレス』の方や他の方が反論されるかも知れませんので、しばらく様子を見ますが、ご証言いただきまして心からありがたく思っております。--61.192.170.63 2016年3月13日 (日) 17:14 (UTC)
二つ上の240f:65で始まるアドレスも、『153のアドレス』と同じ方で、表のページで操作を行っています。すでに加藤康生氏の氏名を記入しようとする方は、まともな議論もできない様子です。加藤康生氏は字幕修正が失敗か成功かを語らず、DVDが別物に近い字幕であることも証明できず、そのブログはプロでもない臨時雇いによる無責任な記述で、事実であるとの証明もありません。検証可能ではなく信頼できる情報源にも当たりません。加藤康生氏の氏名を記入した方は、他人に削除されるのがお嫌ならば、早急にご自分の手での削除をお願い致します。--Bompkin会話) 2016年3月14日 (月) 03:30 (UTC)
  • コメント この件は、検証可能性も信頼できる情報源にも、問題はありません。「⚪︎⚪︎は『××』と言った」ということの情報源としては、その発言したことが事実であることが確認できるだけで十分です。当事者情報については、他の情報源と矛盾がないか確認することになっていますが、この発言は本人の予想として述べられたものなので、そうする意味がありません。また、発言そのもののについて批評することは独自研究であり、Wikipediaでは禁止されています。そういう批評はノートページで行うことも、禁止されていますので、ここではなく、あなたのブログなり、他の投稿サイトでやってください。
    なお、解説として必要かどうかを評価することは、問題ありませんので、153.ーさんと、仲良く話し合って決めてください。Yhiroyuki会話) 2016年3月14日 (月) 03:59 (UTC)--Yhiroyuki会話) 2016年3月14日 (月) 08:58 (UTC)修正
都合の良い出典(加藤氏のブログ)を用意して書き込めるのであれば、誰でも自己宣伝を書きます。失礼ながらYhiroyukiさんが「問題はない」とお書きになっても、それがお墨付きとなるものでもありません。Yhiroyukiさんにお願い致します。加藤康生氏が信頼できる情報源であり、そのブログが『検証可能』である具体的なポイントをお示し下さい。信頼できない部分は、すでに何人もの方が語っています。具体的なご指摘をいただけなければ、残念ながらせっかくのお言葉も意味を成しません。--Bompkin会話) 2016年3月14日 (月) 09:59 (UTC)
この場合の検証可能性というのは、「⚪︎⚪︎は『××』と言った」ことについて検証できるだけで十分です。『××』が正しいことを検証する必要はありませんし、してもいけません。また、ある情報源が信頼できる情報源かどうかは、その利用の仕方によって変わります。とくに、情報源そのものの内容について言及する場合は、それが信頼できる情報源である必要はありません。映画それ自体も信頼できる情報源ではなく歴史項目の情報源として利用したりはできませんが、それ自身を情報源としてあらすじを書くことができるのは、このためです。対象のブログも同様で、映画同様に信頼できる情報源ではないが、映画に関係する当事者の情報としてのみであれば使用できます。他の映画やアニメの項目を見ていただければ、関係者の発言が記載されているのを見かけたはずです。中には、当事者が都合のいいように発言している疑いがかかっているものもありましたが、Wikipediaではそれを正したりはしません(そういうのを正したければ、Wikipediaの外でやってください)。
ただし、これは出典を用意できればなんでも書き込めるということを意味しません。どんな情報源を使う場合でも同じですが、とくに当事者情報を用いる場合は、適切な説明になっているか、過大な表現になっていないか、他の情報源と矛盾がないか、観点に問題がないか、言及する必要があるかといったことを評価する必要があります。私もこの点で問題があるとは思っていますが、現時点においては、除去しようとしているあなたが153ーさんと話し合う必要があります。--Yhiroyuki会話) 2016年3月14日 (月) 12:08 (UTC)
要は件のブログを根拠にこの映画について『××である』と断定するのはだめだけど、『加藤は自身のブログで○○と述べた』と記述する限りでは検証可能性や信頼できる情報源の問題にはならないということ。ただし他の観点から百科事典の解説として必要かどうか議論する余地はあるので、その話し合いをノートでしてくださいなということかと。最終的な証明のしようがない本人疑惑を取り沙汰するよりも、Yhiroyuki氏の挙げる諸点から記述の要不要を問題にするほうが進展しやすいのではないだろうか。--240F:65:92C9:1:F421:5A64:76CF:4B76 2016年3月14日 (月) 13:13 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。ヴィゴ・モーテンセンさんが「日本語字幕に誤訳がある」と判断したのは、およそ3つの可能性が考えられると思います。劇場版とDVD版の両方の日本語字幕に誤訳があると判断した(ケースa)、劇場版ではなくDVD版の日本語字幕に誤訳があると判断した(ケースb)、DVD版ではなく劇場版の日本語字幕に誤訳があると判断した(ケースc)。ケースaなら「加藤晃生さんが『DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる』と述べるほどの改変にも関わらず、誤訳が改善されなかった」という話になります。ケースbなら「加藤晃生さんが『DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる』と述べるほどの改変のせいで、逆に誤訳が生まれた」という話になります。ケースcなら「加藤晃生さんが『DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる』と述べるほどの改変のおかげで、誤訳が解消された」という話になります。
61.192.170.63さんの「劇場版とDVD版の日本語字幕は別物であるのが当然だ」という見解が常識として社会一般に広く受け入れられている様子は確認できません。だからこそ、加藤晃生さんもわざわざ「DVD版は劇場版とは別物に近い字幕になる」とブログに書いたわけでしょう。ヴィゴ・モーテンセンさんの発言を残して加藤晃生さんの発言を除去すれば、実際にはケースbやケースcの可能性があるにもかかわらず、「劇場版とDVD版の日本語字幕は同じものだ」と考える閲覧者にはケースa一択であるかのような印象を与えることになります。ケースaが真実であるとはっきりしているなら、「加藤晃生さんの発言は記載する必要がない」とする意見も分かるのですが、そのあたりがはっきりしていない現状では、ケースbやケースcの可能性を排除しないという意味でも、中立的な観点に沿って当事者の言い分を記載するという意味でも、加藤晃生さんの発言を除去すべきではないと思います。
  • アンドレイ・ルブリョフ (映画)のように日本版字幕に関わった人物の氏名を記載していない映画作品の記事もある一方、イングロリアス・バスターズのように記載している映画作品の記事もあり、良質な記事でも判断が分かれているようなので、「加藤晃生さんの氏名だけを記載するのは不公平だ、宣伝的だ」という懸念があるのであれば、本記事の「スタッフ」節の末尾に佐藤恵子さん、小島さやかさん、依田孝利さんの氏名も記載することには反対しません。
  • 「このノートページは、誰かを告発したり糾弾したりする場所ではありません」と申し上げたはずですが、その後も「学生に人気がなくてクビになった」「そもそも内容に偏りのあるブログは、それ自体が独自研究で掲載に相応しくない」「価値のない『加藤康生』という氏名」「加藤さんは大きな嘘をついています」など、存命人物に対する過度にネガティヴな発言が目につきます。関連するウィキペディアの方針とガイドラインの文書は既に案内しました。発言を撤回されなければ、あるいは言動に改善が見られなければ、まとめて次の段階へ移行します。--153.202.129.34 2016年3月14日 (月) 17:36 (UTC)
8年前、加藤康生さんの記事を書き込んだ Uniontour さんが最初の2年間、明らかに誤ったストーリーに固執されていたことは、すでに述べました。故意に書き変えたブログを参照した結果です。Yhiroyuki さんも同じ頃に『誤訳についての検証ブログ』や『大学教授の証言』を否定された方です。その頃もご意見に賛同したわけではありませんでしたが、主演俳優が来日した際に日本語の記事で誤訳だと発言すれば済むことだと、海外に情報を発信することに力を入れて来ました。
残念ながら来日はありませんでしたが、出演作を大切にするヴィゴ・モーテンセンは、誤訳の情報を何年も忘れず、非常に稀な日本からの直接インタビューの機会を捉えて「誤訳だ」と発言して下さいました。何度も同じ説明の繰り返しで恐縮ですが、そのために今回、「誤訳がある」との発言の書き込みを行っております。
現実との乖離があると、これほど語った後にも、まだ誤訳を犯した張本人である加藤康生氏の氏名を記載しようとされる動きは、正直、理解が出来ません。加藤氏以外の方がなさっているならば、一般人である加藤氏の罪を暴き、徹底的に貶めようとする行為です。それは止めるように申し上げて来ました。153 で始まるアカウントの方の仰る『加藤氏に対する誹謗』は、その結果、複数の方からもたらされたものです。加藤康生氏は記載に値しないという証言であって、中傷ではありません。153 の方は上のコメントで、どこに誤訳があるかと『ケースabc』と列挙されていますが、検証はウィキペディアで行うべきではないと、書かれているではありませんか。検証するまでもありません。現実の世界で条件法の誤訳は事実です。153 さんは、DVD修正が成功した可能性があると、まだ信じておられるのですか?
ケース2として、加藤氏本人が何が何でも氏名を残そうとしているなら、加藤氏はこれまでの失敗を、本当に忘れていることになります。ブログの自己紹介に現在、実際に書き込まれているように、『翻訳の仕事をやりきった』と心から信じておられるのでしょう。自分が正しいと信じていれば、削除しようとする動きに徹底的に対抗するのは当然の反応です。しかし現実の世界には欠陥本と条件法の取り違えが存在します。このパラドックスにご注目下さい。
この8年間、掲載されていた加藤康生氏に関する記事は、字幕の修正が成功したと『思わせる』内容でした。『修正した』と書かれていれば、誰も失敗したとは思いません。実際は失敗なのだとノート・ページで繰り返し申し上げても、ウィキペディアには書けないの一点張りで、誤った記事が8年間も掲載されていました。これは百科事典として恥ずかしいことではないのですか? 
現在の加藤康生氏の記事は、文意も不明な文章に退化しながら、しがみつくように残されています。ここまで来て何事もないように、「問題はない」と仰る Yhiroyuki さんには、疑問を感じずにはいられません。『他の情報源と矛盾がないか確認することになっていますが、この発言は本人の予想として述べられたものなので、そうする意味がありません』などと、 Yhiroyuki さんはご自分の文章ですでに自己崩壊されています。矛盾の検証が出来ないことも、予想の文章であることも、アウトです。
240Fで始まるアカウントの方は、María de Castro さんに対して非常に失礼な書き込みをされました。確信を突かれて腹を立てられましたか。時間軸まで無視した割り込みのコメントです。María de Castro さんの仰る通り、加藤康生氏は『別物に近い字幕』と発言する根拠も示せません。加藤康生氏は、もともとウィキペディアに掲載すべき人物ではないのです。Uniontour さんが8年前に書き込んだ時点で間違いでした。都合よく書き直したブログを参照した Uniontour さんが、すでにアウトです。
Yhiroyuki さん、240F で始まるアカウントの方、153 の方も勢揃いしました。この文章をご覧いただいている全ての方に申し上げます。やはりこの問題は、加藤康生氏自身の多重アカウントによって翻弄されてきたようです。しかも加藤康生氏は論理破綻し、それに気づけない状態に陥っています。
管理者の方に申し上げます。けんか両成敗で記事を保護される場合は、加藤康生氏に関する部分の削除をお忘れなくお願い致します。加藤氏の文章は、主演俳優の言葉に何らかの齟齬があるかに見せかけており、明らかに悪意のある書き込みです。--61.192.170.63 2016年3月15日 (火) 00:36 (UTC)
Bompkinです。建設的な意見は出尽くしたようです。DVDの監修について書き込んでいるのが、8年前から加藤康生氏自身であったことはもはや明白です。国立大のスペイン語学科の教授の証言をウィキペディアが否定するという奇妙な現象も、加藤氏が多重アカウントで操作したのですね。 
(現在、書き込みを行っていないアカウントについては、多重アカウントのブロック依頼には記入しませんでした。ウィキペディアで活動されることを止めるつもりはありません)。
かつて教師を務め、100人の教え子がいるとブログに書いている方には、立場を認識して頂きたいと思います。書けば書くほど「失敗の事実」が拡散してしまうことに気づいて下さい。すでに学校関係や、DVDの関係者らしい方まで、コメントを寄せられたではありませんか。「ウィキペディアに嘘を書くヤツ」の話は一人歩きで拡散していくと気付いて下さい。私が知ったのも、そのように茶化したルートからでした。大真面目な議論も全て吉本新喜劇のように小ばかにされているのです。
加藤氏が現実の世界で翻訳家と名乗るのは自由です。しかし、『アラトリステ(映画)』のページで失敗を隠そうとすれば、未来永劫、ファンに阻止されます。ヴィゴ・モーテンセンの「誤訳がある」という言葉の邪魔をする限り、加藤氏の失敗は暴かれ続けます。表のページで加藤氏に書き込む権利があるのは、字幕翻訳・吹替台詞・字幕監修と氏名を併記する「スタッフ欄」だけです。DVD監修が成功したかに見せかけることは、ウィキペディアでは無理です。それを書いて良いのはご自分のブログだけです。
本当は大学教授の証言は書き込めるのでしょう。ダメだと言ったのは加藤氏の多重アカウントなのですから。しかし、三方一両損で良いのではと穏やかに忠告して下さった方もおられます。会話ページに嫌味なコメントを記入されても、悲しいと表現された寛大な方です。61.192.170.63 6さんも、主演俳優の言葉と正しい「あらすじ」があれば良いとの意見です。
これ以上、無理な反論を続けなければ、「DVD監修の失敗」や「誤訳の具体的な説明」について記載されることはありません。現実の世界で、加藤氏が「字幕監修をした」と誇ることは誰も妨げません。ウィキペディアに「監修成功と思わせる虚偽の文章」を書くことだけは、ファンが断固阻止するということです。『アラトリステ』の主演がヴィゴ・モーテンセンだったことを不運と呪って下さい。
『批判』の項目の加藤康生という部分は削除させていただきます。以上の文章を理解していただくために、三日後に削除いたします。上から目線なギャラリーに舞台のサルのように観察されることは、もうやめましょう。(ギャラリーというのは管理者さんではありません。もっと残酷な視線を感じて下さい)--Bompkin会話) 2016年3月16日 (水) 01:48 (UTC)
  • 報告 Bompkin氏は、WP:ILLEGIT違反により無期限ブロックとなりました。--Rienzi会話) 2016年3月16日 (水) 03:17 (UTC)
  • 報告 IP:61.192.170.63ノート / 履歴も同時に「多重アカウントの不適切な使用」として1週間のブロックとなっていることを申し添えます。--maryaa会話) 2016年3月16日 (水) 03:30 (UTC)
  • コメント お詳しくない閲覧者の皆様にご覧いただくために、ここに書きます。別人でも外部で連絡を取り口裏を合わせれば多重アカウントと疑われます。口裏ではないという反論も困ります。投稿ブロック解除依頼作成の手引きAppealing a blockをご参照ください。
  • 加藤晃生さんのリンク先は拝読いたしましたが、加藤晃生さんの発言は、153.202.129.34さんのコメント通り検証可能性に問題があります。掲載を希望する側の方は加藤康生さんに対して論拠の提示をご依頼ください。本人以外がウィキペディア内で論争するのは全く無意味であります。
加藤康生さんのブログは一次資料であります。ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきとなっております。信頼できる情報源において発表・出版されたことがない情報は、それが真実であるか否かにかかわらず、採用しない決まりとなっております。議論している分野において、修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使うことが求められております。加藤康生さんは社会学の修士をお持ちのようですが、映画産業に関する著作は表示されておりませんので「議論している分野において」の専門知識ではありません。「実証可能な形で公表された専門知識」においても、ご本人の言葉以外はパッケージの氏名のみとのことであります。しかし、二次資料を提示されれば問題は解決されます。部外秘ではない実証可能な公表された情報をお持ちならば、それの提示を依頼すれば良いわけです。これは、ご本人でなければ分からないことであります。
  • 153.202.129.34さんのコメント通りケースabcの検証が必要な記事は、適切な典拠・情報源を用意し検証を済ませた後に記事を掲載しなければなりません。ウィキペディアは検証の場ではありません。他のスタッフの氏名を記載すれば可という問題でもありません。スタッフ名のみでは著名人であっても実証可能ではありません。加藤康生さんの氏名をスタッフ欄以外に記載するためには、他の情報源と矛盾がないか確認する必要があり、出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。すなわち加藤康生さんに二次資料の有無をお尋ねする以外にないのであります。修士の学位をお持ちの方ならば、その重要性は理解されるはずです。証明可能な材料のない「予測の文章」であるならば、加藤康生さんがウィキペディアの外で自由に語られた文章でありますので掲載は不可となります。掲載を希望する皆様はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご説明するまでもないとお見受けいたしますので記事は削除させていただきます。同じ話が信頼に足る第三者の情報源によって掲載されていることを確認されるまで、再度の記載はお控え下さい。論拠の有無の返答のない間は、[要出典]・[未検証]・[出典の明記]等のテンプレート付での掲載もお控え下さい。検証を済ませた後に記事を掲載しなければならないからであります。検証中に記載することは違反となります。加藤康生さんの文章がウィキペディアの基準に沿うならば、加藤さんご自身によって検証は可能であり、難しいことではないはずです。
なお私は61.192.170.63さんの多重アカウントではありません。栃木在住のしがないWikiゴロであります。ブロック中の61.192.170.63さんに罪を着せぬように願います。--210.167.235.18 2016年3月20日 (日) 16:38 (UTC)
  • コメント 上の210.167.235.18の続きです。驚きました。私の削除した「批判」の文章は6分で復元されました! 夜中の2時だったのですが…。復元した153.205.40.239さんは153で始まるので、これまでと同じ人物であるはずです。寝ずに番をされてるのでしょうかね。
  • 戻しを繰り返し、自分の編集を押し通そうとすることは「編集合戦」であります。ウィキペディア日本語版では、編集合戦は禁止されております。
私はもう論争はいらないと良い提案をしたと思うのですが。加藤康生さん本人にお任せすることが最良であります。加藤康生さんに証明できないのであれば、ウィキペディアの検証可能な記事とはならず、ウィキペディアの外で書かれた自由なブログであります。私からリンク先の加藤康生さんのブログに、検証のための情報を提示するお願いのメッセージを送りました。「Wikipedia:検証可能性」に則った第三者による二次資料の提示のお願いを書きました。コメント欄は閉鎖されていましたが、ファン申請のメッセージ欄に書き込むことができましたので、ご本人には情報が届いているはずです。きっと何か情報を書いて下さるでありましょう。何もなければ記事は「検証可能」ではないことになります。
  • 153さんは「編集合戦」をおやめ下さい。冷静になられることです。短気は損気です。--210.167.235.18 2016年3月20日 (日) 20:05 (UTC)
(追伸)加藤康生さんにはリンク先のページへの書き込みをお願いいたしました。--210.167.235.18 2016年3月21日 (月) 00:06 (UTC)
  1. Wikipediaの記述で、適切に資料が扱われているかを議論するのは、意味があります。
  2. しかしながら、資料の中身が正しいかどうかを議論するのは、Wikipediaの領分ではありません。ましてや、当事者との議論の場として利用しようとするのは、完全に目的外利用です。
  3. 1,2の区別が つかないのであれば、Wikipediaが何をする場所かをあなたは理解できていません。
  4. あなたが加藤氏と議論したいのなら、Wikipedia以外の場所を利用してください。例えば、Twitterが使えます。Twitterでの議論を残すにはtogetterが便利です。ここにはアクティブな人が多いので、コメントもつきやすいかと思います。
    ニコニコ大百科であれば、持論を述べることが許されます。また、動画を使った解説、例えばDVDから場面を引用して説明を行うことが可能です。映画本編の視聴も可能です(有料)。なお、ニコニコ大百科に「アラトリステ」の項目はまだありません。

私にできる助言はこれで最後です。 --Yhiroyuki会話) 2016年3月21日 (月) 04:37 (UTC)

61.192.170.63 です。今回のブロックを無期限とされなかったのは、上記の長く複雑な文章をお読みいただいた結果と受け止めております。ありがとうございます。210.167.235.18 さんにも感謝いたします。確かに仰る通りだと思います。
加藤康生氏の記事はabcと複数の検証が可能です。そしてウィキペディアは検証の場ではありません。つまり、検証は事前に、ウィキペディアの外で行われるべきものです。また、要出典テンプレートを貼っての記載も不可です。ウィキペディアの中で誰も出典を特定できないことは、すでにこのノート・ページで語り尽くされています。つまり、二次資料については、文章の執筆者である加藤康生氏にしか分からない。加藤氏が検証可能な情報を示された時に、初めて、記事は掲載可能となるわけです。
ウィキペディアの『誰か』が加藤康生氏と議論する必要は(当然ながら)ありません。加藤康生氏はウィキペディアの外で自由に文章を書かれています。二次資料について掲載しない自由もお持ちです。ウィキペディアは、ただ待つだけです。そして、現状では記事は削除となります。『検証可能でない文章≠記載したままでよい』だからです。加藤康生氏のブログに二次資料について記載された時に、この文章は晴れて掲載可能となります。
繰り返しますが、「要出典」付きも不可です。すでに加藤康生氏に対して出典の提示が依頼され、待つ間は掲示を控えるべき案件だからです。153のIPアドレスの方は前回、210.167.235.18 さんの削除を無言で取り消し、文章を復元されました。これは余りにも乱暴です。私も削除を行わせていただきますが、文章の復元は二次資料の提示後にお願いいたします。
8年前にも、このノート・ページではブロックが行われました。全員が「誤訳だ」と同じことを言っているから同一人物だと指摘されましたが、実際は何人もの映画ファンが書き込みを行っていました。皆が初心者だったために、なぜウィキペディアから排除されるのか理解できず、戸惑いながら立ち去ったのです。そして、ブロックの結果(もちろん直接の責任はありませんが)、誤訳の残ったDVDが発売され、主演俳優までが発言し、現在に至っております。
今回、私 61.192.170.63 がこのページに書き込むことは、多くの主演俳優ファンや映画ファンが知っていました。しかし、再び多重アカウントとして排除されることを避けるために、私が書き込み不能となるまでは、他の方は手出しをしないことになっていました。そして、私に代わる「次の方」が書き込みを引き継ぐ時は、別人だと分かるようにIPアドレスを使うはずでした。アカウントはブロックの口実にされると分かっていたからです。
私61.192.170.63 の他に書き込んで下さった皆さんは、事前の連絡で加藤氏について確認を取ったDVD関係の方や、日頃から『コメント依頼』を見ていらっしゃるウィキペディア関係の方々です。(ありがとうございました)。アカウントをお持ちの Bompkin さんが義憤に駆られて参加されたことはイレギュラーでした。
María de Castro さんは、もうアカウントは利用されないと思います。Bompkin さんは私に対して、「書き込みを止めるから、このままで良い」と言われました。しかし、同じことを書いていても同一人物と限らないことは、8年前と同じです。ブロックの取り消しについて、再度のご配慮を、どうか宜しくお願い申し上げます。--61.192.170.63 2016年3月24日 (木) 14:32 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。すでにアルトクールさん、Uniontourさん、Yhiroyukiさんが説明されているように、自主公表された情報源や信頼性に乏しい情報源であっても、当事者の発言は出典として使用することができます。また、ウィキペディアでいう「検証可能性」とは、出典の中身が真実かどうかを検証するということではありませんから、「加藤康生氏のブログに二次資料について記載された時」まで記載を見送る必要はないはずです。Wikipedia:検証可能性をご確認ください。
  • アカウントであろうがIPであろうが、61.192.170.63さんがブロックされた後に「『次の方』が書き込みを引き継ぐ」ようなことがあれば、実際に「中の人」が同一人物かどうかにかかわらず、利用者:Coinnto会話 / 投稿記録利用者:61 200 132 7当時会話 / 投稿記録と同じく投稿ブロックの対象となりえます。--153.163.24.186 2016年3月24日 (木) 15:52 (UTC)
153. のアカウントの方に反論いたします。『別物』という発言ではなく、無名の『加藤康生氏』自身に対して、二次資料が必要だと申し上げています。
第一に、加藤康生氏は『当事者』ではありません。字幕翻訳の当事者は、公表されている限り佐藤恵子氏です。加藤康生氏は、佐藤恵子氏と仕事をしたとも証明できません。どなたか氏名も不詳の人物とドアの壊れた寒い喫茶店で会ったと『私的ブログ』に記述があるだけです。佐藤恵子氏は上場企業の部長で、事業母体である字幕部門の最高責任者ですよ。
『監修者』の仕事内容が字幕の執筆だったなどと認める二次資料も存在しません。劇場版の字幕がDVDで修正されたという公式の文書すら存在しないのです。劇場版の字幕とDVDの字幕の差異も証明できません。全ては無名の加藤康生氏が『私的ブログ』で自由に書いている情報です。公式に認められるのは、パッケージの『監修者』という三文字のみで、まず、加藤康生氏について、実際に何をしたかを証明する二次資料が必要です。監修が実際にどの程度の仕事であったか。単なるお飾りとどこが違ったかが二次資料によって証明されなければなりません。加藤康生氏がスペイン語を解さないことは、加藤氏自身がブログで明言し、スペイン語の翻訳者で有り得ないことだけは証明されています。
  • 映画産業における実績もない無名の人物の、公式ではない『私的ブログ』の、誰も保証しない発言は、信憑性を疑われようと文句は言えず、証明あるのみです。153. さんも、いくら何でも、二次資料なしで百科事典に何でも書けると本気で信じてはおられないでしょう。『Wikipedia:検証可能性を見ろ』ではなく、具体的に文章を組み立てて反論をお願い致します。
第二に、『別物と語った』という文章には、文字通り何の意味もありません。字幕に限らず、別人が関わった物事は、全て『別物』になるからこそ、この世には著作権や知的財産権が存在します。別人の作品が『同一』になったらコピペやパクリだからです。劇場版の字幕翻訳者とDVDの字幕翻訳者が別人ならば、『別物』なのは当然すぎて、ウィキペディアに明記すべき事柄ではありません。仮に劇場版の字幕翻訳者について氏名まで伏せられているならば、『別物』とすらも証明できません。『別物だと語った』よりも、『「大ヒット公開中」と宣伝された』の方が、宣伝素材という二次資料が存在するだけ事実に近いというレベルの陳腐な文章です。加藤氏の発言に、特筆すべき『余程の事情』があるとも証明されていません。劇場版の字幕が修正されたという公式の記事すら、存在しないことは申し上げました。字幕修正は、ファン宛ての個人メールで通知されており、二次資料には当たりません。加藤氏の発言には、ウィキペディアに記載する根拠が全く存在しません。
153. さんは、61.192.170.63 を無期限ブロックに追い込むことで、ご自分の主張を押し通そうと計画されています。61.192.170.63 の会話ページに「多重アカウントではないか」と、Yhiroyuki さんと同様の書き込みを行っていますが、それがなぜ多重アカウントの証明になるのか意味不明です。私が何か返答したら、それで再びブロックと確定し、問題の文章は永遠にウィキペディアに残るのでしょうか?
153. さんは問題の文章の復元をすでに数回、実行され、210.167.235.18 さんの削除を6分で取り消す際は、コメントすら書かれませんでした。自分に反論する人間が別に現れたら、それだけで「ブロックだ」と、独善的な発言も見受けられます。153. さんは『加藤康生氏が発言した』という、スペイン映画にとって極めて些末な文章に拘る余りに、『荒らし』行為に陥っていますので、警告をさせていただきます。--61.192.170.63 2016年3月24日 (木) 23:31 (UTC)
61.192.170.63 です。現在、別々の方に削除されるたびに復元されている文章は、「DVDは(字幕訂正があったので)字幕が別物になる」というものです。荒らしとして告発しようとしたところ、また別のアカウントの方によって、先方に貼ったテンプレートが削除されました。どうぞご覧ください。
皆様にお尋ねいたします。劇場版の字幕担当者と交代して、別の翻訳者がDVDの字幕を担当したら、「別物」以外の何になるでしょう。「同一」になればコピペです。「別物」以外の何物にもなり得ません。
発言している加藤康生氏は、映画産業に関する限り何の実績も示せない無名の素人です。素人さんが「別物になる」と、当たり前すぎることを発言しているコントのような文章です。
著名な字幕翻訳者であり、確固たる経歴も証明されている佐藤恵子氏が「DVDの字幕に誤りはない」と発言されるなら、その言葉には重みがあり、当然、根拠も示されます。しかし、経歴も定かでなく実績も皆無の、何者なのかもはっきりしない人物が、根拠(証拠)もなく私的なブログに書いた文章は、二次資料なしではウィキペディアに掲載できません。加藤康生氏は、誰かも定かでない氏名不詳の人物と、扉の壊れた寒い喫茶店で会ったと私的ブログに書いているだけです。これは、翻訳者である佐藤恵子氏と仕事をしたという証拠にはなりません。佐藤恵子氏は資本金25億近い上場企業の上級職ですよ。つまり、臨時雇いである加藤康生氏の『監修者』という仕事が、本当はどの程度のものだったかを示す資料は、本人の私的なブログ以外に存在しないのです。そして、字幕が別物なのは、前述の通り当たり前すぎて発言する意味すらないことです。
本人の言葉以外に業績を示せない臨時雇いの素人さんが、当たり前のことを仰々しく述べて、何か意味ありげに見せかける発言は、ウィキペディアには必要ありません。加藤康生氏に証明できるのは、DVDのパッケージに氏名が記されているという一事だけです。
誤訳の責任は佐藤恵子氏が黙って背負われます。加藤氏は、責任を取ることすら許されない臨時雇いです。加藤康生氏の氏名にも、その発言にも、何の価値もありません。ゆえに記事は削除されます。残酷でもそれが現実です。お嫌ならばご自分の手で削除し、過去に囚われることなく、再出発されることを切に願います。--61.192.170.63 2016年3月26日 (土) 11:25 (UTC)

コメント依頼について[編集]

61.192.170.63です。153. の方が私に対するコメント依頼を出されました。そちらへコメントを書く必要があるようですので、このページをご覧くださる皆様は、Wikipedia:コメント依頼/61.192.170.63 にもご注目ください。 私の反論は、以下のようになります。

今回の件は、スペイン映画『アラトリステ』DVDに誤訳があるという問題から始まりました。スペイン語及び英語のDVD字幕は、ウィキペディアで認められる資料です。翻訳を行える方ならば、条件法の取り違えが存在することを確認できます。これは、国立大学のスペイン語学科教授も証言された事実です。

この問題に異議がおありの方は、文法的に誤訳ではないと証明されれば良いのです。ただ、それだけのことです。

今回コメントを依頼された方の論点が、私には理解できません。DVDに誤訳があるか否かではなく、現在、『アラトリステ (映画)』に記載されている加藤康生氏の氏名及び、同氏の私的ブログへのリンクに、価値があるとのお説でしょうか。

加藤康生氏の氏名は、本作DVDパッケージ裏面のスタッフ欄に監修者として記されています。公式に認められる記録はこの数文字の印刷のみで、他の情報は同氏の私的ブログに頼っています。私的ブログには二次資料が存在しません。

①文章そのものが無価値であること。

問題の記述は、『DVDの字幕は別物になる』と述べています。「だから、どうした」が欠けていますね。DVD発売に際して日本語字幕の見直しが行われたことを暗示する文章のようですが、皆様お考え下さい。翻訳担当者が別人と交代した場合、書かれる原稿が『別のもの』になることを、わざわざ発言する必要があるでしょうか。『同じもの』になればコピペです。しかも加藤氏の文章は「別物になった。だから○○だ」が欠けています。修正の結果、誤訳がなくなったと書かれていれば、発言にも価値が出ますが、そこは伏せられています。結論のない尻切れトンボの文章は無価値です。

ここで実際に記入すべきは、『○○が字幕を修正し、誤訳は解消された』という二次資料で証明できる確固たる文章です。

②証明不可能であること。

本当に字幕修正は行われたのでしょうか。

臨時雇いである加藤康生氏には、DVDで翻訳担当者が交代したことすら実際は証明できません。本作は、劇場版・DVD共に、字幕翻訳は著名な佐藤恵子氏と記されています。その他に、確認可能な公式文書は存在しません。公式には、誤訳があったことも修正が行われたことも、一切発表されていないのです。

誤訳に関してウィキペディアに記載可能な記事は、2015年に発表された主演俳優の「字幕の誤訳に腹を立てた」というインタビュー記事のみです。加藤耕世氏の文章が、この記事に対抗することは不可能です。尻切れトンボであり、証明不可能だからです。

③加藤康生氏は『当事者』ではない。

今回のコメント依頼者は、なぜ加藤康生氏の氏名をウィキペディアに記載したいのでしょうか。DVDの誤訳の張本人として、同氏のブログまでリンクして告発を行っておられるのでしょうか。臨時雇いの加藤氏は誤訳の責任を取る立場ではありません。責めるなら『当事者』である佐藤恵子氏を責めるべきです。

この点が本当に理解不能な部分です。加藤康生氏は完全に無名な一般人であり、映画産業における実績も皆無です。臨時雇いで実績もない加藤康生氏の肩書は『字幕監修者』であって、字幕翻訳の『当事者』は佐藤恵子氏です。加藤氏は何らかのお手伝いはされたのでしょうが、加藤氏の発言は『二次資料を必要としない当事者発言』とは認められません。実際の『当事者』は翻訳者でありプロジェクト代表の佐藤恵子氏です。佐藤恵子氏を差し置いた私的ブログの記事は資料として認められません。

臨時雇いの『部外者』加藤康生氏の発言には二次資料が不可欠です。『DVDの字幕は別物になる』との文章でウィキペディアに氏名を記載することは、余りにも無謀だと申し上げています。『太陽が東から昇った』に等しい無価値な文章で、しかも証明不可能です。

④結論。 『アラトリステ (映画)』に記入されている加藤康生氏の文章は文意が不明であり、文章として無価値である。加えて、ウィキペディアの外で自由に書かれた私的ブログの記述であり、二次資料が存在しない。

現実には字幕修正が行われたと証明する二次資料は存在しない。DVDで修正作業があったと仮定しても、その結果、問題の誤訳が『改善された』との証明可能な記述は、加藤氏のブログにも現実の世界にも存在しない。ウィキペディアに記載可能な記事は、「誤訳に腹を立てた」という主演俳優の発言のみである。

ただ、それだけのことです。尻切れの文章を完結させ、「誤訳は修正された」と二次資料を添えて記載できないのであれば、文章は削除となります。

補足。

今回、『加藤康生氏の記事』を支持する数名の方のアカウントと変動IPアドレスが記録されました。これらの方々を多重アカウントと指摘することは無意味です。議論によって結論を出すことが、ウィキペディアの趣旨に沿うと私は考えます。

この問題では、これまでも「忠告をしたが聞かない」等の告発を受けました。それらの『忠告』は、ブロックのための布石に過ぎませんでした。忠告の発言ばかりが繰り返され、肝心の『誤訳ではないと文法的に証明せよ』との要請は無視され続けました。自分と違う意見の人間を排除するための無意味な忠告を続けるよりも、論議に向き合っていただきたいというのが、私の願いです。

「主演俳優の言葉に、何か反論がおありなのですか?」--61.192.170.63 2016年3月28日 (月) 06:49 (UTC)

先生が夕日に向かって「別物になるのだ…」とカッコつけてると、周りを囲んだお姉さま方が(ですよね)「あったりまえだろがー!」「ほざくなー!」「あっほー!」ってブーイングしてるのを空目して吹いてしまった。要するにこうでしょ。こうすりゃいいんだ。『本作は2009年のDVD発売に際して字幕翻訳者の見直しが行われた。(出典はDVDパッケージのスタッフ欄。翻訳佐藤、監修加藤etc)しかしながら、2015年には主演俳優のヴィゴ・モーテンセンが誌面で「日本語字幕に誤訳があった。しかし、観客は理解してくれたと思う」と語った。

先生の名前、入ってますよ! 脚注だけど(笑)。日本側は努力したけどモーテンセンは怒ってる、でも、映画を見りゃ分かる人には分かるから自分で見てねって。「しかし」を「一方」に変えちゃだめっすよ。それは嘘だってバレバレだし。先生もカバン屋の広告ページとのリンク切っちゃって生活に困るんだから、これで満足ですよね? えっ、まさか載せたいのは自分の名前とリンクだけって…まさかね、そりゃ売名だ。「へー、そんなことがあったんですか。ちっとも知らなかったなー」って、みんな知ってるって結構きついすよ(笑)。まさか削除はないよねえ、まさかねえ、あ、署名します、スンマセン。--120.51.211.205 2016年3月30日 (水) 14:33 (UTC)

前の人が6分で削除されたから待ってるけど、大丈夫か? 先生、風呂に入ってるだけか?--120.51.211.205 2016年3月30日 (水) 15:01 (UTC) 削除されない!気に入ってくれたか!。もし削除されたら全能のウィキペディア支配神か恐ろしやって書く気で待ってた(笑)。大丈夫そうなので俺は離脱します。後はよろしく--120.51.211.205 2016年3月30日 (水) 15:31 (UTC)

起きて見たら先生、これって…証拠も証明も意味もない…社会学者が…涙が出て来た--120.51.211.205 2016年3月30日 (水) 23:18 (UTC)

コメントこの編集で、折衷案的に「字幕の見直し」の文言を残しましたが、脚注部分を出典と考えた場合、字幕スタッフを記載するための出典とはみなせても、実際に見直したかどうかは不明なので、この部分をあやふやなまま残すのは問題だと思い、先ほどの編集で、この部分を除去しました。ヴィゴ・モーテンセンの発言とも特に矛盾がないはずです。別途利用者‐会話:153.229.169.68でも記載しましたが仮にも雑誌に掲載された主役俳優のインタビューと一スタッフのTwitter上でのそのインタビューに対する批評を並列で記載するのは無理筋だと、単純に思います。--VZP10224会話) 2016年4月12日 (火) 08:58 (UTC)

  • こんにちは、153.204.177.76です。会話ページのほうにも書きましたが、モーテンセンの発言と加藤の発言がそれぞれ雑誌での発言とTwitterでの発言であることは記事のなかで言及してあるのですから、閲覧者が「同レベル」と判断するようなことはないでしょうし、「並列で記載するのは無理筋」だから除去すべきということにはならないと思います。それはWP:NPOVに沿った編集ではないと思います。
  • PJ:MOSFILMでは「限定的な内容の批判は短くまとめてください。たとえば、あるホラー映画の宣伝ポスターに対してグロテスクすぎるという苦情が寄せられた場合、記事の「封切り」節で手短に言及するのに留めるべきです」と書かれています。VZP10224さんは、プロジェクトの方向に反して「リリース」から「批判」へと見出しを変更することに関して、一切の説明をおこなっていません。私はVZP10224さんに会話ページで説明を求めましたが、この点に関して何ら回答していただけないので差し戻したいと思います。--153.160.201.157 2016年4月12日 (火) 10:50 (UTC)
    • VZP10224・Claw of Slime・アルトクール、以上3氏の管理者に反逆した以上、IP:61.192.170.63とその眷属及び、貴方を含む153系IPはこの記事に金輪際関わるべきでない。--126.124.56.117 2016年4月12日 (火) 14:58 (UTC)
コメント yhngvと申します。コメント依頼/61.192.170.63にて「当面は復帰をお待ちしながら、日本語版翻訳にかかわる部分には手を付けずに記事の改善をおこないます。」とコメントした翌日に記事が保護されてしまい、残念です。解除に向けた話し合いが進むことを望みます。
  • 話の流れとして、上記の153.160.201.157さんの問いにVZP10224さんが答えるべきではないでしょうか?よろしくお願いします。
  • また153.160.201.157さんは「こんにちは、153.204.177.76です。」と名乗られていますが、2月18日以来2ヶ月ぶりの発言ではないですよね?発言の時系列を追うことが難しいのでアカウントの作成をお願いします。--Yhngv会話) 2016年4月15日 (金) 05:55 (UTC)
コメントVZP10224です。今回意図しなかったとはいえ、編集合戦の当事者となってしまい、管理者権限を預かる身として申し訳なく思います。さて、153から始まるOCNユーザ(IPアドレスとその所属についてはこういったところで誰でも調べられます。)の編集内容を差し戻したことですが、加藤氏のtwitterでの発言はヴィゴ・モーテンセンの発言を受けてのものであることであることは間違いないのでしょうが、だからこそ主演俳優の雑誌インタビューと、それに対する翻訳版の一スタッフのtwitter上の発言を並べて掲載する必要はないでしょう。中立的な視点をいうのなら、ある発言に対する二次的な発言でなく、同じ事象に対してそれぞれの立場から発言したことを並べるのが筋でしょう。ある発言に対する反論の発言を並べることが中立的な視点になるとは考えられません(ある主張→反論→再反論・・・を延々載せていけば中立的な視点に近づくのか、と考えてみたら、このやり方のおかしさが見えてくると思います)。
また、プロジェクトで求めているのは、記事の内容に対する言及であり、節のタイトルまで過剰に中立的な視点を求めるものではありません。私の編集の結果、その節の内容にはリリースに関する情報が一切なく、ヴィゴ・モーテンセンの批判があるだけなのですから、「批判」に節のタイトルを置き換えるのはある意味当然ともいえます。何度かOCNユーザによって置き換えられたものにも、日本語版のリリースに関する情報がないので、節タイトルが節の内容を表していなかったことは明らかと考えます。
さらに言えば、記事に対するコメント依頼や、編集の当事者に対するコメント依頼が出ている中で、ノートで何ら発言することなく何度も他人が除去した記述内容を追加するのはWikipedia:荒らし#分かりにくい荒らしの中にある「誤った情報を付け加えたり」と判断できなくもありません。少なくとも私は上記に書いたとおり、加藤氏の発言を執拗に残そうとしたことについて、不要な情報をとにかく残すことを目的とした荒らしと判断しました。--VZP10224会話) 2016年4月16日 (土) 11:35 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。PJ:MOSFILM#論争に「たとえば、歴史物の映画でその評価が分かれている場合、「歴史考証」という中立的な見出しのもと、その映画の歴史考証に関する映画製作者の意図や歴史学者による評価(肯定的なものや否定的なもの)を概観することができます」と書かれているので、「節のタイトルまで過剰に中立的な視点を求めるものではありません」というVZP10224さんの意見には同意しかねます。私の会話ページで述べたように、「封切り」や「リリース」あるいは「作品の評価」という節として充実を図ったほうが建設的でしょう。その編集時点で見出しが節の内容を正確に表したものではないと感じたなら、見出しを「批判」に変更するのではなく、{{節スタブ}}を貼って加筆を求めるなどすればよいと思います。
保護時点の版における「批判」節は、1つは主演俳優の「誤訳に腹を立てた」という発言、もう1つは「ストーリーを理解し、楽しんでくれたと思うから、それで良しとしよう」という発言、この2つの文章で構成されています。『MOVIE STAR』に掲載された発言のみだという点も含めて、これだけの段落に「批判」という見出しを掲げて記載するのは百科事典的というよりもタブロイド的ではないか、というのが私の感想です。いわゆる「universal acclaim」であれ「overwhelming dislike」であれ、そこは中立的な見出しのもとで記述しようというのがウィキペディアのあり方だと私は思います。絶賛ばかりが書かれている節を「絶賛」という見出しにしたり、酷評ばかりが書かれている節を「酷評」という見出しにしたりするのは、そのほうが「節タイトルが節の内容を表して」いたとしても、ちょっと受け入れがたいです。その上で、その節が(たとえば多数の段落で構成されるほど)加筆されたあと、「批判」などの小見出しを設けてサブセクション化しようと提案されるなら、それに対しては必ずしも反対するものではありません。
  • 私は「ある主張→反論→再反論・・・を延々載せて」いこうと主張しているのではありません。モーテンセンと加藤が互いに反論し合うような事態になれば記事の書き方を工夫する必要が生じてくるかもしれませんが、現時点では、モーセンテンの誤訳の指摘に対して加藤が発言したというだけでしょう。中立的な観点の方針に従うなら加藤の発言を載せてはいけないとするVZP10224さんの論理が分かりません。実際、WP:NPOVには「例えば、○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている、という書き方ができます」と書いてあるので、ある主張に対する反論を記載すること自体に問題があるとは思えないです。雑誌での発言とTwitterでの発言では重みが違うかもしれませんが、それは「と雑誌『MOVIE STAR』で発言した」「とTwitterで発言した」といった記述を通じて閲覧者に伝われば解決することだと思います。
  • VZP10224さんが私の編集を「誤った情報を付け加えた」「荒らし」と呼んでいる点については、Wikipedia:コメント依頼/VZP10224を提出して、そちらで他の利用者からの意見を募ることにいたします。--153.207.78.147 2016年4月20日 (水) 13:50 (UTC)
コメント yhngvです。
「こんにちは、153.204.177.76です。」と名乗られている方がアカウントを作成せずに発言を続けられていることを残念に思います。編集意図の説明は一つの立場として理解できるものであり、VZP10224さんとの話し合いで双方が譲り合える合意点を確立するのも不可能ではないかと思います。しかし現状では「振る舞い」により自らの信用を落としているように見えます。
VZP10224さんにお尋ねしたい点があります。議論相手の説明責任が確保されたと仮定しての質問ですが、現在の保護された版から変更するとして譲れる点・譲れない点は何処でしょうか?それとも一切の文言の変更は認められませんでしょうか?--Yhngv会話) 2016年4月26日 (火) 08:50 (UTC)
VZP10224氏ではないがこちらの見解を。IP:61.192.170.63とIP:153.207.78.147とこれらの眷属がこの記事に介入する限り、これらの編集(という名の荒らし)は絶対認めるべきでない。逆に、その両者以外の編集者の編集であるならば(Wikipediaの方針を順守する限り)何人たりとも歓迎しますが。--126.124.56.31 2016年4月26日 (火) 11:39 (UTC)
  • 管理者とジミー・ウェールズとウィキメディア財団に唾を吐いたIP:61.192.170.63とIP:153.207.78.147がこれ以上関わるなら、この記事自体「ケースZ」として削除すべきだと思いますけど?元記事自体荒らしアカウントが作ったものですので、むしろ無い方が有意義だと思うけど?。--126.124.56.31 2016年4月22日 (金) 10:52 (UTC)
今回改めて両者の発言をよく読んでみたのですが、私の結論は変わりませんでした。ヴィゴ・モーテンセンの「MOVIE STAR」誌での発言は、日本語版に誤訳があった指摘はしていますが、誤訳があったのは劇場公開版なのかDVD版なのか明確な指摘はしていません。それに対する加藤のtwitterでの発言はヴィゴの発言を「劇場版字幕の話でしょうなあ」と勝手に決め付け、「私が関わったのはDVD 版字幕」と責任逃れともとれる発言になっています。しかもOCNユーザは発言を戻す際に、「私が関わったのはDVD 版字幕」の部分は付け加えておりません。この状態でOCNユーザーが差し戻した状態を保持してしまうと、「ヴィゴは劇場版字幕にクレームをつけた」とも読みとれる内容になってしまい、適切ではないと考えられます。
また、一連の編集合戦の中で、OCNユーザーは何度かWP:SELFPUB, WP:NPOVを理由とした差し戻しを行っていますが、加藤の発言を除去した部分以外の編集内容については全く手を付けておりません。その内容もブログを出典としたものだったりtwitterを出典としたものだったりと一貫しておりません。こうしたところも、OCNユーザーが加藤の発言、ひいては加藤が当該作品にかかわったことを示す証跡を残すために腐心しているのだと考えました。本当にこの記事の質の向上を思っているのであれば、せめてヴィゴの発言の掲載された「MOVIE STAR」誌は目を通しているはずですし、であればこんな単純な差し戻しはしないでしょう。はずされた要出典テンプレを復活させるくらいに内容を疑っているのであれば、私が転居の位置を付け替えたことにも異論が出るはずです。
「字幕監修」というポジションは必ずしも翻訳の専門家がやるものでもないようですし(「字幕監修」で検索したらテッドの字幕監修に当たった映画評論家の町山智浩ブログがヒットしました)、それなりに重要なポジションなのかもしれないのですが、それでも、主演俳優が一ローカライズ版の翻訳に対して雑誌のインタビューで言及したことと比べると、そのローカライズ版のスタッフがtwitterなりブログなりで発言した内容が同列に扱う理由はないと考えます。むしろ加藤の一連の発言を「論争」として取り上げるなら、こちらのブログの内容を取り上げたほうが適切ではないかと思えるほどです。
yhngvさんから頂いた「現在の保護された版から変更するとして譲れる点・譲れない点は何処でしょうか?」という質問ですが、現時点で譲れる点はありません。ただ、この映画字幕に対して何らかの意見を述べ、それが信頼できる情報源に取り上げられたことが示されれば、その内容を記述するとともに、「批判」という節タイトルを「評価」に変えてもいいかとは思います。--VZP10224会話) 2016年5月2日 (月) 15:43 (UTC)
コメント yhngvです。VZP10224さんに御説明頂きましたが、その理路は判然としませんでした。「現時点で譲れる点はありません。」とのことですが、保護解除後にまた編集合戦を起こして記事が再度保護されないように御尽力ください。--Yhngv会話) 2016年5月11日 (水) 09:17 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。私が「加藤の発言を除去した部分以外の編集内容については全く手を付けて」いないことは問題ないと考えています。ウィキペディアは利用者がそれぞれ出来る範囲で記事を充実させていけばよい場だと思います。基本的には、加筆したい人が出典を示して加筆する、それ以上でもそれ以下でもないです。加藤の発言の「私が関わったのはDVD 版字幕」の部分を付け加えたほうが良いということなら、付け加えていただければと思います(なお、VZP10224さんは「OCNユーザは発言を戻す際に、『私が関わったのはDVD 版字幕』の部分は付け加えておりません」と書かれていますが、私は2016年4月11日 (月) 16:02 (UTC)のように地の文で「日本版DVDの字幕監修を担当した加藤晃生は」と記述しています)。モーテンセンと加藤の発言を同列に扱っているのは駄目だから加藤の発言を除去しようというVZP10224さんの主張に私は同意しませんが、Twitterでの発言よりもブログでの発言を取り上げたほうがよければ、それについても私は反対しません。いずれにせよ、ウィキペディアの一利用者が加藤の発言を「責任逃れ」と決めつけて記事から除去するのは、いかにも不適切な行いだと思います。両者の言い分を記載した上で、その判断(「モーテンセンは劇場版とDVD版のどちらの字幕に誤訳があると判断したのか 」「加藤の発言は責任逃れか」など)は閲覧者に委ねるのがウィキペディアのあり方だと思います。
  • 2016年3月8日 (火) 13:33 (UTC)2016年4月11日 (月) 17:00 (UTC)で私の編集内容が一貫していないのは、他の利用者により2016年3月30日 (水) 14:39 (UTC)に変更が加えられていたので、それに合わせて加筆内容と出典を変更したからです。ときには編集内容が一貫していることよりも臨機応変に対応することのほうが大切な場面もあると私は思います。また、私は「加藤の発言、ひいては加藤が当該作品にかかわったことを示す証跡を残すために腐心している」のではなく、ここで述べたように、中立的な観点に沿って両者の言い分を載せたほうがよいという理由で加藤の発言を載せました。私が「加藤が当該作品にかかわったことを示す証跡を残すために腐心」する人間ならスタッフ欄の末尾に日本語版のスタッフの氏名を付け加えれば済む話のはずですが、そういう編集はしておりません。そのくらいの事情は記事の履歴やノートページを確認すれば分かると思うのですが、そういうことも逐一悪いほうに解釈される理由が分かりません。
  • 私が転居の位置を付け替えたことにも異論が出るはず」というのは、すみませんが、意味が分かりませんでした。--153.202.129.234 2016年5月2日 (月) 17:52 (UTC)
    • コメント私が転居の位置を付け替えたことにも異論が出るはず」いまさらながら、「転居」は「典拠」の誤りでした。申し訳ありません。で、「私が典拠の位置を付け替えたことにも異論が出るはず」というのは、OCNユーザーのかたはこの差分この差分を見ていただければわかると思うのですが、モーテンセンの発言である「日本の観客」云々の部分に{{要出典}}を付けています。そこについては私も当該雑誌を読んで確認していたのでモーテンセンの発言すべてが出典となるように書き換えたのですが、OCNユーザーの方はただ加藤の発言を付け加えるだけの編集をしています。このあたりの編集を見て、「ああ、OCNユーザーの人はモーテンセンの発言はどうでもよくて、加藤の発言を載せたいだけなんだな」と判断した根拠の一つにもなっています。そのほか、2016年5月2日 (月) 17:52 (UTC)の発言を何度読んでも、一般的なウィキペディアの在り方としてはおっしゃるとおりだったとしても、内容の充実を図っていく中でも内容を無差別に収集する場ではない以上、何を載せて何を載せないという取捨選択は当然に発生してきますし、記事内容を充実するためにはいったん記載されたものであっても取り除かれるべき記述はありうるとの考えを覆すには至りませんでした。その中で、私はモーテンセンの発言は重要で載せるべきものだが、加藤の発言は載せるべきものではないと感じ、またOCNユーザーの方は両方ともに載せるべきと感じた、というところで食い違いが発生しているものと思われます。
Yhngv様の提言痛み入ります。すでに保護期間は満了しており、誰でも編集可能となっておりますが、問題となっている部分の編集はこのノートでの議論の結果を受けて編集する必要があれば編集したいと思います。
で、OCNユーザーの方に質問なのですが、
  1. モーテンセンの発言と、加藤の発言を両方載せないと中立的な観点が保てないと考えるのはどうしてでしょうか。
  2. ここまでこじれてしまっている以上、妥協点としては「両者の発言を載せる」「両者の発言とも載せない」の2択になるかと思いますが、この2択であればどちらを選ばれますでしょうか。それともそれ以外の選択肢はありますでしょうか。
以上、ご回答いただければ幸いです。なお念のために申し述べておきますが、現状では劇場版やDVD版の特定の個所のセリフが誤訳である云々の記述をすることはありません。--VZP10224会話) 2016年5月15日 (日) 12:27 (UTC)一部修正--VZP10224会話) 2016年5月15日 (日) 16:40 (UTC)
それ以前に、61.192.170.63もどうするかが問題だと思います。散々とソックパペットを使っておきながら、人の神経を逆撫でするような発言[1]をしている事から、再発することは目に見えていますが。--126.100.118.67 2016年5月15日 (日) 17:36 (UTC)
なんだか私の発言が予想外の反響を呼んでいるようで、言葉足らずだったのかなと反省しております。さて、私のこの問題に関する基本的な考え方は「モーテンセンの発言は記述に値する発言の一つであるが、加藤の発言はブログの発言にしろtwitterの発言にしろモーテンセンの発言に対する反論でも別意見でもなく、記述には値しない」というものです。しかしながら保護直前には私が加藤の発言を除去したらOCNユーザーの方がすぐさまに書き戻したり、このノートでは加藤の発言を記述しなければ中立的な観点に立てないなどの少々無理がある主張をされるなどしているのを見たために、両方掲載するか両方とも掲載しないかにしなければ合意が形成できないのではないか、と考えた次第です。この点についてはいまだOCNユーザーの方のご意見はいただけていませんが、お答えがないようであれば、逆に議論を放棄された、もしくは現状追認ということで、現行の記述のまま、すなわちモーテンセンの発言のみが記述されている状態でも問題がないとみなすこともできるのではないかと思います。もっと言えば、IP:61.192.170.63ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4IPv6が上で主張されていることについて、OCNユーザーの方は何ら意見を述べていません。なお、私個人としては、編集方法の是非は置いておいて、上記「ウィキペディアに記載可能な記事は、「誤訳に腹を立てた」という主演俳優の発言のみである。」という結論に至る内容はそれなりに妥当性があるのではないかと思います。また、ここ数日のIPユーザーの書き込みはそれなりに履歴を追っかけておられるようですが、だれがどういう記述を残しているか、よく確認をしていただきたいと思います。--VZP10224会話) 2016年5月19日 (木) 15:31 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。モーテンセンの発言の「日本の観客(以下略)」の部分に{{要出典}}を貼り付けたのは、内容を疑っていたというよりも、私が「基本的には、加筆したい人が出典を示して加筆する」という姿勢をとっていることによるものです。「その記述を私は除去しないが、61.192.170.63さんなりVZP10224さんなり、記載を積極的に望む利用者が出典を示してください。なお、モーテンセンの発言について、どのくらい詳細に言及するかは委ねます」という意思表示のつもりでした。けれども、その編集により、VZP10224さんは私について「モーテンセンの発言はどうでもよくて、加藤の発言を載せたいだけ」と判断されたということですので、そのあたりの編集意図は私のほうから説明すべきだったと思います。
  • 私が「モーテンセンの発言と、加藤の発言を両方載せないと中立的な観点が保てない」と考えている理由のひとつとして、具体的には井戸端でのKs aka 98さんの発言が挙げられます。「ウィキペディアの記事の中で批判が多いか、擁護や賞賛が多いかはWP:NPOVから考えます。批判的な情報源が多いならば、批判的な意見に重みを付けて書くことには問題はなく、むしろそのようなバランスで書くことが望まれます。当事者による抗弁がなされていないこともありますから、抗弁がないままの記事が中立的でないとは言い切れませんが、当事者の抗弁などがあるならば、比較的影響力の弱い情報源(本人が発信している場合も含む)でも、記事に含めるべきです。基本的な情報に欠けるまま、不祥事の情報が肥大化するような記事は避けたほうが良いと思います」[2]、「当事者の意見や告発も、適切に帰属化させ、事実ではなく意見や主張を紹介するような形で、記事の記述に含ませていくことが「中立的」です。もちろん、信頼性が高いもののほうが記述の中心になるでしょう」[3]という発言に私は同意します。このような形で中立的な観点の方針文書に明文化されてはいないにしても、日本語版ウィキペディアの目指す方向性から大きく逸脱した考え方ではないと思います。井戸端での議論の推移を見る限り、その後、これらの発言に反論が殺到したというわけでもないようですから、少なくとも日本語版ウィキペディアのコミュニティで一定の理解は得られている考え方なのだと私は捉えています。しかし、VZP10224さんにとって、こういう考え方は「少々無理がある主張」なのでしょうか。「一般論としては受け入れられるが、今回の件に関しては、(本人発信による)当事者の抗弁を記載することに反対」ということなのか、それとも「そのような形で方針文書に明文化されていない以上、今回の件に限らず、一般論としても、(本人発信による)当事者の抗弁を記載することに反対」ということなのか。そのあたりを聞かせていただければと思います。
  • 「IP:61.192.170.63ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4IPv6が上で主張されていることについて、OCNユーザーの方は何ら意見を述べていません」とありましたが、私は、多重アカウントの不適切な使用を行う利用者の発言に応答する義務はないと考えています。改めてVZP10224さんから投げかけていただければ、お答えしたいと思います。たとえば、加藤を「完全に無名な一般人」とする主張がありましたが、削除の方針を知っているであろうVZP10224さんが削除依頼を提出していないところを見ると、この主張にVZP10224さんが同意しているようには見えないです。なので、どの部分でVZP10224さんが「それなりに妥当性がある」と判断されているのか、具体的に説明していただけるとありがたいです。
  • 「両者の発言を載せる」「両者の発言とも載せない」の2択なら、私は、どちらかを強く望むというつもりはないです。たとえば、VZP10224さんが今も「OCNユーザーが加藤の発言、ひいては加藤が当該作品にかかわったことを示す証跡を残すために腐心しているのだ」と考えていて、加藤の氏名や発言を本記事に載せないことが最優先事項だと考えているなら、「両者の発言とも載せない」という選択肢でもよいと思います。また、「両者の発言を載せる」場合でも、日本語版のスタッフとして加藤の氏名だけを本記事に載せることには違和感があるということなら、日本語版DVDに記載されている4名全員の氏名は(たとえば「スタッフ」節の末尾に)記載しておくというのもよいと思いますし、雑誌でのモーテンセンの発言とTwitterでの加藤の発言を記事の本文に同じ扱いで記載することには違和感があるということなら、脚注を入れ子にして、加藤の発言は注釈で触れるにとどめるというのでもよいと思います。--153.174.1.210 2016年5月20日 (金) 10:57 (UTC)
    • コメント そのKs aka 98さんの発言は、政治家記事で起きた議論と、宗教団体記事で起きた議論での発言ですよね。政治家に限らず、人物の記事であれば、本人や関係者の発言が特筆に値することもあるでしょうし、宗教団体で起きた問題を記事内容に含めるためには、外部からの批判に対する当事者の発言を取り入れなければならないこともあるでしょう。しかしながらここは加藤本人の記事ではなく、加藤が一スタッフとしてかかわっただけの作品に関する記事です。さらに言えば、発言の内容も、DVD版にするときに多くの個所を修正しただの、私がかかわったのはDVD版だの、言わずもがなの内容しか発言していません。そうした、ほかの作品だと取るに足らないような発言でも、掲載しなければ中立的な観点に立てないというがOCNユーザーの方のお考えなのでしょうか。「誰が発言したか」だけでなく、「なんと発言したのか」まで考えていただきたいと思います。
見方を変えるならば、モーテンセンの発言は、主演俳優という意味では関係者であるが、日本語版へのかかわりについて全くの部外者であるともいえます。そのモーテンセンが、マイナーかもしれませんが雑誌のインタビュー(しかも別の映画に関する)の中でわざわざ指摘したということで、掲載するには問題がないというのはOCNユーザーの方も同意していただいていると考えています。その内容、具体的には「アラトリステ日本語版には誤訳があった」という指摘に対し、加藤の発言はこれを肯定するものでも否定するものでもなく、ただただじぶんがスタッフとしてかかわった事実と、字幕慣習としてやるべきこと(字幕の誤りの修正)をやったことを述べただけにすぎません。2016年5月2日 (月) 17:52 (UTC)には、私の考え方を不適切と言われましたが、私に言わせれば全く逆で、OCNユーザーの言われるように両名の発言を併記するのは「モーテンセンが日本語版(劇場版ともDVD版とも言っていない)に誤訳があると指摘したが、その誤訳は加藤がDVD版で修正した」ように見せかけるための露骨な誘導(「読んだ人が考える」というOCNユーザーの発言は露骨な誘導の意図を隠したい編集者がよくとる言動でもある)で、両名の発言は加藤の発言を入れ子にする形でも並び立たせるわけにはいかないと考えております。
さて、5月15日 (日) 12:27 (UTC)時点で私の提示した選択肢が今後編集合戦を起こさないためとはいえ両極端な2択であったために、編集合戦の一方の当事者から執拗にクレームがついておりますが、いろいろと考えていく中で、別に2択にとらわれる必要がないことに気付きました。そのほかの選択肢としては「現状を維持(モーテンセンの発言のみ掲載)」「モーテンセンの発言と、加藤以外に『モーテンセンの主張するような誤訳は存在しない』『モーテンセンの言うとおりに誤訳がある』ことを述べた批評を掲載する」などがあると考えられますが、それ以外の選択肢を否定するつもりはありません。加藤の発言以外の指摘を探す間に加藤の発言を載せるかについても、考え方はいろいろあるかと思います。ただし、現状編集合戦が収まっていることを考慮すると、現状に加藤の発言を載せた場合には編集合戦が発生し、再度保護に至る可能性は高い(その時は数か月単位の全保護か、長期の半保護になる可能性もあります)と考えます。--VZP10224会話) 2016年5月21日 (土) 16:47 (UTC)

IP:61.192.170.63ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4IPv6はいい加減「Wikipediaのルールを踏みにじっている」という自覚をすべきである。しかし、そこまでして関わらないといけない問題なのか?まったくもって理解不能である。--60.133.191.193 2016年5月22日 (日) 10:33 (UTC)

  • こんにちは、153.204.177.76です。VZP10224さんの発言(「DVD版にするときに多くの個所を修正しただの、私がかかわったのはDVD版だの、言わずもがなの内容しか発言していません」「ただただじぶんがスタッフとしてかかわった事実と、字幕慣習としてやるべきこと(字幕の誤りの修正)をやったことを述べただけにすぎません」)を読む限り、おそらくVZP10224さんは私が「2016年4月5日 (火) 20:42 (UTC)での加筆を丸ごと復元すべきだ」と主張していると思われているのでしょう。けれども、私の直近の編集である2016年4月12日 (火) 10:50 (UTC)での加筆と見比べてみれば分かるように、字幕監修の具体的な仕事の内容は記載してもよいし除去してもよいという程度に私は考えています。他の利用者から「加藤は当事者ではない」「加藤が何をやったか不明」という主張があったことを受けて、便宜上、加筆しておいたというものですから、これについては記載に固執するつもりはありません。
  • ただし、「このモーテンセンの指摘について、日本版DVDの字幕監修を担当した加藤晃生はTwitterで『本当に一言触れてるだけで、これは普通に考えてプチ炎上した劇場版字幕の話でしょう』と述べた」という趣旨のことは記載すべきだと思います。これは「言わずもがなの内容」でも「ただただじぶんがスタッフとしてかかわった事実と、字幕慣習としてやるべきこと(字幕の誤りの修正)をやったことを述べただけ」でもないです。「当事者による抗弁」[4]および「当事者の意見や告発」[5]を記載して中立的な観点を目指すという点では、政治家と宗教団体と映画作品のあいだに本質的な違いはないと思います。日本版DVDのパッケージに4人のうちの1人としてクレジットされているので(「本編翻訳 : 佐藤恵子。吹替台詞 : 小島さやか。吹替演出 : 依田孝利。字幕監修 : 加藤晃生」)、『アラトリステ』の日本語字幕に関して、加藤がそれなりに大きな役割を担ったものと考えてよいでしょう。したがって、その当事者の抗弁を除去する根拠として「加藤本人の記事ではない」というだけでは不十分だと思います。
  • 2016年4月12日 (火) 10:50 (UTC)を読んだ閲覧者の中には、「加藤のtwitterでの発言はヴィゴの発言を『劇場版字幕の話でしょうなあ』と勝手に決め付け、『私が関わったのはDVD 版字幕』と責任逃れともとれる発言になっています」[6]と受け取る人もいれば、「『モーテンセンが日本語版(劇場版ともDVD版とも言っていない)に誤訳があると指摘したが、その誤訳は加藤がDVD版で修正した』ように見せかけるための露骨な誘導」[7]と受け取る人もいるだろうし、加藤の発言を正しいものだと受け取る人もいると思います。そこは閲覧者のあいだで受け取り方に幅があってよいと思います。ある批判に対する当事者の抗弁は、その批判の後になされるものであって、批判の前になされるものではない。なので、批判されたという記述の後ろに当事者の抗弁を記述して、ある程度、閲覧者を誘導するような書き方になるのは仕方ないものだと思っています。
  • VZP10224さんは何らかの先行する議論を念頭に置いた上で「『読んだ人が考える』というOCNユーザーの発言は露骨な誘導の意図を隠したい編集者がよくとる言動でもある」と発言されたと思うのですが、どの案件での利用者の言動と本案件での私の言動を同類と考えているのか、具体的に示していただけますか。--153.207.204.150 2016年5月28日 (土) 13:23 (UTC)
    • 「批判されたという記述の後ろに当事者の抗弁を記述して、ある程度、閲覧者を誘導するような書き方になるのは仕方ないものだと思っています。」というOCNユーザーの発言から、わたくしは、OCNユーザーの方がこの議論の中で常々引き合いに出される中立的な観点にこだわるあまりに独自研究に陥ってしまっているうえに、結果として中立的な観点から逸脱してしまっているという印象を持ちました。作品に対するある人の批判と、それに対する当事者の抗弁を載せるという、表面的に中立的な編集をやっているように見せて、その内容は「日本語版には誤訳があると聞いている」という批判に対し、いくらかかわった当事者といえ「私がかかわったのはDVD版」とまったく見当はずれの発言を「これに対し」という接続詞でつなぐのは、特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあたり、中立的な観点と同様に重要な方針に掲げられているWikipedia:独自研究は載せないに反する編集であるといわざるを得ません。まあ、ほかの文学作品にしろ漫画・アニメに関する記事にしろ、作品本編を読んで(それを一次資料として)あらすじに加筆したりキャラクタ記事に加筆することが一般的に行われているのに、スペイン語版や英語版のセリフと日本語の字幕を見比べるのが独自研究にあたるといわれるのが、IP:61.192.170.63ノート / 履歴とそのソックパペット(とその裏側にいる方々)には理解できないことかもしれないので、OCNユーザーの方もこの指摘が理解できずに、「これは情報の合成ではない!!」と言われるかもしれませんね。
    • 「VZP10224さんは何らかの先行する議論を念頭に置いた上で「『読んだ人が考える』というOCNユーザーの発言は露骨な誘導の意図を隠したい編集者がよくとる言動でもある」と発言されたと思う」とのことですが、私も管理者として長くかかわっており、特定の案件を想定して出てきた発言ではないことは先に申しておきます。そのうえで、よく似た事例として、ドビンという、放し飼い状態にされていた犬に関する記事の履歴と、そのノートで繰り広げられた議論をご確認いただけますでしょうか。ある利用者が、動物飼育に関する条例の条文を持ち出して、犬の存在には問題があるとの主張を書き込もうとして無期限ブロックになった事例ですが、その中で、条例そのもの(もちろん検証可能性を満たし、掲載することによって中立的な観点から逸脱するわけでもない)を残しておくかどうかという議論も行っており、最終的には条例の記述も不要という結論に至っております。
    • 最後に申し上げますが、IP61.192.170.63とそのソックパペットたちによる「アラトリステ日本語版の字幕には誤訳がある」との主張は新たな出典の提示がない限り独自研究ですが、OCNユーザーの唱える「モーテンセンの主張に加藤がコメントした」ことも、現状では同様に独自研究にあたるといわざるを得ません。--VZP10224会話) 2016年6月4日 (土) 14:40 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。まず一点、誤解が生じているようなので、あらためて述べておきます。私としては、2016年4月12日 (火) 10:50 (UTC)の編集で示したように、中立的な観点の方針上、加藤のTwitterを出典に用いた「このモーテンセンの指摘について、日本版DVDの字幕監修を担当した加藤晃生はTwitterで『本当に一言触れてるだけで、これは普通に考えてプチ炎上した劇場版字幕の話でしょう』と述べた」という趣旨の記述は本記事に必要である、とだけ主張しているつもりです。私は、VZP10224さんの言う「『私がかかわったのはDVD版』とまったく見当はずれの発言を『これに対し』という接続詞でつなぐ」といった編集はしていないですし、そのような編集をすべきだとも主張していないです。そのような受け取り方をされる編集や発言は過去に一度もしていないはずだと自分では思っています(ので、そう判断された差分を示していただければと思います)。
  • たしかに、「批判がなされた」という記述の後ろに当事者の抗弁を記載するのは、後者の主張に閲覧者が同意するよう誘導しているような書き方だ、と言えるかもしれません。その意味ではWP:SYNにあたるというVZP10224さんの意見も理解できます。ただし、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないの2つの方針のうち、一方が他方に優先すると明文化されていない以上、(もちろん、両方の方針に従うべきなのですが)結局、どちらの方針を優先するかは個々のケースで判断するという話になってくると思います。たとえば2016年4月23日 (土) 15:04 (UTC)時点の『アーティスト (映画)#キム・ノヴァク論争』には、キム・ノヴァクの批判と、その批判に対するミシェル・アザナヴィシウスの反論、その両方が記載されています。このような場合、後者の言い分が正しいかのように閲覧者には見えてしまうだろうし、その点に着目して「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」と言うこともできると思います。けれども、基本的には日本語版ウィキペディアは両者の言い分を記載し、中立的な観点を達成するよう目指しているのではないかと思います。「『独自研究は載せない』は『中立的な観点』よりも優先される」ということでしたら、その主張の根拠を説明していただきたいです。
  • VZP10224さんが『ドビン』に言及されたことにより、どのように本件を見られているのか分かった気がします。私は本件が『ドビン』と「よく似た事例」だとは感じていませんが、当事者である私の現状認識が誤っている可能性は大いにあります。これ以上の議論には意義を見出しがたい、あるいは、いまの私が無期限ブロックに相当する状態だ。そう判断されるのであれば、いつでも投稿ブロック依頼を提出してくださって構わないです。それについては特に反論せず、コミュニティの判断を仰ぎたいと思っています。--153.206.97.12 2016年6月4日 (土) 22:50 (UTC)
    • 私が述べた「これに対し」はたしかにOCNユーザーの方の編集では「このモーテンセンの指摘について」となっていました。申し訳ありません。しかしながら、「このモーテンセンの指摘について」という言葉と、「これに対し」(ないしは「このモーテンセンの指摘に対し」)という言葉との間に、根本的な違いがあるようには私には思えません。つまりは同じことの単なる言葉の言いかえにすぎず、一つの文章にして続けることで、読んだ人を特定の意図に誘導する効果が高くなる文章の書き方だと考えており、最終的な結論を変えるには至らなくともよいと考えます。OCNユーザーの方が「これに対し」と「これについて」の間に明確な用法や語彙の差があるとお考えなのであれば、それをお聞きしたいと思います。
    • ウィキペディアの三大方針である「検証可能性」「中立的な観点」「独自研究をしない」はそれぞれ優先順位があるものではないことはその通りで、OCNユーザーの方もケースバイケースによる判断であることは認めていただいているものと理解しています。引き合いに出されたアーティスト (映画)の記事も確認しましたが、出典が英語の記事になっているので確認したところ、英語版から翻訳して持ってきた状態そのままでしたので、単純な比較はできないのではないかと思います。内容を確認しても、めまいの映画に出演した女優が「私の出演作がこの作品によって汚されてしまった」「先行する映画音楽を無断使用している」との言及に対し、監督が「私は映画史全体に対して尊敬を持っているが、キム・ノヴァクに理解していただけなかったのは残念」「音楽使用にあたっては対価を払っている」と、指摘を踏まえた反論になっています(鍵カッコ内は私の解釈による要約です)。しかもどちらも現在でも閲覧可能なWebメディアにも掲載された言及です。何度も指摘していますが、今回の加藤の指摘はモーテンセンの指摘に直接反論したわけではなく(ここが認識の違いかもしれませんが)、しかも一方は雑誌インタビュー、一方は本人のtwitterです。内容や情報源の軽重を勘案し、どちらかの文章が結果として取り除かれることはやむを得ないと思います。
    • 結局のところ、本映画の日本語字幕に誤訳がある・ないと直接に指摘したのはモーテンセン一人だけですよね。OCNユーザーの方が持ち出してる加藤の発言も、直接に誤訳の有無について言及しているわけではない。何よりもOCNユーザーの主張に沿って加藤のTwitterを載せると、またソックパペットが大量に出現する事態が目に見えています。この議論を通じても、事ここに至っても加藤の発言以外の第三者の言及を探す努力をされていないことからも、OCNユーザーの方は加藤の発言を載せることから一歩も引く気がないようです。この点、例のソックパペットたちは以前から一応第三者の言及を集めようとされているぶんむしろこちらのほうがまともに見えてきます。結局のところ、「加藤以外の人間が」「モーテンセンの言うような誤訳はDVDによって修正された」(もとからそんなものはない、というものでもいいですが)という言及を持ってこない限り、私の認識は変わらないでしょう。まあ、加藤が「モーテンセンの発言は誤りである」と指摘したのなら、まだ考えないことはないですが。--VZP10224会話) 2016年6月5日 (日) 01:26 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。「『私がかかわったのはDVD版』とまったく見当はずれの発言を『これに対し』という接続詞でつなぐ」のうち、後半部分の「『これに対し』という接続詞でつなぐ」については誤解が解けて良かったです。(なお、接続詞については「これでなければ」というこだわりは特にありません)。けれども、前半部分の「『私がかかわったのはDVD版』とまったく見当はずれの発言」については誤解されたままのようなので、もう一度、私の意見をまとめておきます。たしかに加藤のTwitterには「私が関わったのはDVD 版字幕」とも書かれていますが、『アラトリステ』の記事に記載すべきだと私が主張しているのは、その箇所ではなく、「本当に一言触れてるだけで、これは普通に考えてプチ炎上した劇場版字幕の話でしょう」という箇所です。
  • この加藤の発言は、「ヴィゴモーテンセンがアラトリステの日本語字幕に誤訳があったので少し腹を立てていたというインタビュー。自分も関わったプロジェクトなんで見てみましたが」と前置きされているので、(「直接に誤訳の有無について言及しているわけではない」にしても)モーテンセンの指摘を踏まえた反論なのだと思います。その意味で本案件は、キム・ノヴァクが『アーティスト』を批判し、それに対して監督のミシェル・アザナヴィシウスが反論した案件と、構造が同じだと思います。たしかに、『アーティスト』の場合は両者の発言がオンラインで現在も閲覧可能なのに対して、『アラトリステ』の場合はモーテンセンの発言が雑誌『MOVIE STAR』、加藤の発言がTwitterでなされたという違いはあります。そこで「内容や情報源の軽重を勘案」するのは分かります。けれども、だからといって「どちらかの文章が結果として取り除かれることはやむを得ない」という結論に至るのは、いささか極端なのではないかと感じます。私の2016年4月12日 (火) 10:50 (UTC)の編集では書き方が悪いということなら、接続詞を変えるなり、加藤の発言を記事の本文から注釈へ移すなり、他の選択肢が検討されるべきだと思います。
  • これまでの議論を振り返ってみると、VZP10224さんも一般論としては「当事者による抗弁」[8]および「当事者の意見や告発」[9]を(第三者による情報源ではなく当事者による情報源を用いて)記載すること自体には必ずしも反対されているわけではないように見えます。なぜ、VZP10224さんは本案件に限って「『加藤以外の人間が』『モーテンセンの言うような誤訳はDVDによって修正された』(もとからそんなものはない、というものでもいいですが)という言及」でなければならないと考えているのか、そこが分からないです。--153.230.9.53 2016年6月5日 (日) 09:17 (UTC)
    • なぜ第三者の発言でなければならないか。答えは簡単です。それが編集合戦を防ぐ当面の間の最善策だからです。おそらく加藤の発言を載せ続ける限り、ウィキペディアの記事に加藤の発言が乗ることを嫌っているであろう人たちが繰り出すソックパペットは現れるでしょうし、それを未然に防ぐことはできません。加藤以外の第三者による言及であれば、それがソックパペットの人たちが望む結果だったとしてもそうでなかったとしても、加藤より中立な立場にある第三者による言及ということで除去を突っぱねることはできます。結果として長期の編集保護になってしまえば一緒といわれてしまえばそれまでですが。
    • それにしても不思議なのが加藤の発言で、加藤も「モーテンセンが言うような誤訳は私が直しておきました」って言っておけばまだ格好がついたものを、そういわないのはどうしてなのかなぁ、と勘繰ってしまいますが、それは個人的な疑問としてとっておきます。--VZP10224会話) 2016年6月5日 (日) 15:53 (UTC)
      • さらに先ほど、このページによく一言コメントを残すYahoo!BBを利用する可変IPにより、モーテンセンの発言も除去する編集がなされました。いろいろな意味で残念です。とりあえず元に戻しておきました。--VZP10224会話) 2016年6月5日 (日) 22:19 (UTC)
        • もう一つ、「批評に対する反論を掲載しなければ中立性は保たれない」という誤解についてコメントしておきます。純と愛#作品の批評には朝日新聞に掲載された4人の評価・ザテレビジョンドラマアカデミー賞における評価が掲載されており、ポジティブなものもネガティブなものもありますが、あくまでも並列に並べられた評価であり、だれかの評価とそれに対する反論、という形式にはなっていません。OCNユーザーをはじめとした人たちは、「作品に誤訳があった(ことにしたい)」派の人たちに対抗したいのであれば、当事者である加藤の発言にこだわらず、日本語訳についてポジティブな評論をしている第三者の表現を探してきたほうが生産的だと思うのです。
      • ウィキペディアにおいて大事なのは合意の形成であり、ルールを振りかざすことでも、ある人の主張を理由を付けて無視することでもありません。OCNユーザーの方は「多重アカウントの不適切な使用を行う利用者の発言に応答する義務はない」とお考えのようですが、まさにその姿勢が現状を招いているのではないかと思います。私も管理者になる前、ウィキペディアの活動を始めた当初には、ある長期荒らしにリストアップされていたユーザーの作成・編集した記事を編集しましたが、長期荒らしが作成した記事だから全部削除依頼にかけるとか、ソックパペットの編集だから一律差し戻しとかいう対応はとっていません。残すべきものは残すという対応もしています。OCNユーザーの方は本節の冒頭にある主張についていかようにお考えなのか、ご意見をいただければと思います。--VZP10224会話) 2016年6月18日 (土) 04:26 (UTC)
  • (インデント戻し)さて、当分の間ほかの方からご意見が出てこず、また、記事本体の記述についても私が編集した時点のものから変更はないようです。利用者:Yhngvさんによって、記事本体ともいうべき部分に加筆をいただいていますが、こちらの記述については特に手を加えられているわけではありません。Yhngvさん含め、この件については現状の記述で問題ないものとご理解いただけたものと判断いたします。--VZP10224会話) 2016年9月14日 (水) 14:39 (UTC)

長期半保護の検討[編集]

このページは実に2008年から、日本語版字幕における誤訳の有無やそこから派生する話題で独自研究中立的な観点に反する主張があるとの指摘があり、しかもそれらのほとんどはIPユーザー・新規アカウントユーザーによるものとなっています。現在は私とOCNを利用するIPユーザーの間でかろうじて対話が成り立っていますが、主張を変える意思はないようです。事ここに至っては、1年以上の長期もしくは期限を定めずにページの半保護を行い、この記事の編集を希望する人をアカウントの取得もしくはノートでの議論に誘導する以外にないと考えます。ご意見がありましたらお願いいたします。なお、本議論の性質上、IPユーザーや新規ユーザーのコメントは無視ないし除去される可能性があります。--VZP10224会話) 2016年6月5日 (日) 01:42 (UTC)

  • こんにちは、153.204.177.76です。半保護の方針では「深刻な荒らし被害に遭っているページのみ半保護にする」「論争を伴う事態が起こっているページを半保護しない」とされているので、いまのところ、『アラトリステ (映画)』の記事ページは長期半保護すべき状態だとは言えないと思います。いずれにしても、利用者:Miyelo45301会話 / 投稿記録 / 記録のような寝かせアカウントのソックパペットで半保護をくぐり抜けることが平然と行われているので[10][11]、半保護の効果は薄いと思います。--153.230.9.53 2016年6月5日 (日) 09:22 (UTC)
  • このページでのやりとりを長期にわたり注視し、Wikipedia:コメント依頼/61.192.170.63に関わったものとしてコメントいたします。半保護によって得られる効果は「IP利用者へアカウント取得を半強制的に促す」以上のものはないと思います。現在、記事本文をめぐる編集合戦は止んでいるとはいえ、利用者:Bompkin会話 / 投稿記録 / 記録をはじめとする「字幕誤訳告発派」の利用者がWP:SOCKまたはWP:MEATの常習者である疑いが極めて濃厚であるため、実のところ、半保護は期待したほどの効果を及ぼさないかもしれません。時期を見て、「手続き上必要なコメント依頼」を経る形で、「字幕誤訳告発派」について、チェックユーザー依頼を提出する等の対処がもっとも効果的かと個人的には思います・・・。(さすがに、「IPでの編集・議論参加を禁止」とか「アカウント作成から○年以上経過していない登録利用者の編集・発言は無条件差し戻し」みたいなローカルルールを定めるわけにはいかないでしょうし・・・)--Rienzi会話) 2016年6月5日 (日) 15:08 (UTC)
    • コメントこのページの状況は「アカウント利用者や固定IPが通常投稿ブロックとなる事例において、可変IPや捨てアカウントの使用により投稿ブロックの効果を発揮しない場合」にあると考えますので、半保護を行うことも検討課題に乗ると考えています。IP:61.192.170.63ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4IPv6については、レンタルサーバーを踏み台にした投稿の可能性もありますが、ノートで対話に応じていただいているOCNユーザー以外にもYahoo BBから捨て台詞を残して荒らしていくユーザーもいます。実際問題、Rienziさんの言葉を借りれば「字幕誤訳告発派」の方はこの記事以外に関心はないようですし、半保護になればOCNユーザーの方もアカウントを取得して参加していただけるものと思っております。--VZP10224会話) 2016年6月12日 (日) 14:17 (UTC)
      • こんにちは。正直に言って、このページにアカウントでは意見を書けません。現在も、可変IPという、非常に手馴れていながら履歴を明かさないユーザーが、執拗に投稿を繰り返しています。このようなユーザーから荒らし扱いを受けたり、今後、目を付けられて報復の対象とされる危険を冒してまで、愛用のアカウントを晒すユーザーはいないでしょう。
今回、私が書き込んだのは、表の記事の是非ではなく、最近のこのノートページについて申し上げるためです。
まず初めに、最近、表のページを荒らしているのは、いわゆる「加藤康生氏を支持する」側であるということです。管理者VZP10224さんが阻止して下さいましたが、表の記事を一方的に削除する等の目に余る暴挙に出たのは、加藤氏側の可変IPユーザーです。
可変IP153.さんも加藤氏側ですが、ロジックに一貫性がありません。保護を望まない(変更したい)のが加藤氏側であることは明らかですが、あたかも反対派に責任があるかのコメントは、理屈が通りません。自身が可変IPでありながら、反対派のアカウントを責める論調にも違和感を覚えますし、問題を「記事」から逸らして「荒らし」に留め置こうとしています。つまりは、他の方も言われた通り、「目くそ鼻くそ」なのです。
もちろん、荒らし行為を行った側は責められるべきですが、加藤康生氏の発言にも無理があり、この場合、論争の両派ともに沈黙すべきと考えます。当然、153.さんもです。「ヴィゴ・モーテンセンの発言」に関しては、雑誌記事の制作者は荒らしではなく、特筆性が認められるので、存続すべきです。
可変IP153.さんにはご自身のスタンスを再考され、他人に責任転嫁せずに自分自身が表のページをどうしたいのか、それは検証可能なのか。それとも意味もなく論争を長引かせることが目的なのか、はっきり語っていただきたいと思います。私は、出発点である61.192.170.63さんが、もっときっぱりと問題点を指摘していれば、この論争は何ヶ月も続かずに終結していたと考えますし、これ以上、続ける意味もありません。だらだらと話を長引かせることで、相手が根負けして手を引くという問題ではありませんし、管理者VZP10224さんも、とばっちりでお気の毒です。可変IPによる突然の削除など暴力が振るわれた以上、半保護によって、今後は確たる証拠を示せる方のみが、堂々と解除を申し出る状態に置くことが最適であると考えます。--113.40.163.218 2016年6月15日 (水) 11:15 (UTC)
むしろ、論議云々無関係に61.192.170.63もIP153.も同類と思うが?そもそも加藤康生とかモーテンセンとかの発言云々以前に「ルール無用で荒らしてる」事自体問題だが?--126.124.62.163 2016年6月15日 (水) 18:28 (UTC)
IPで宜しければ私も保護に賛成いたします。モーテンセンの記事は削除依頼も却下され、特筆性ありとされており、現在の表の記事は落ち着いた状態にあると思われます。にも拘らず力ずくで削除を行う人物が現われ、一人の管理者が掛かり切りになっている現状は由々しき事態です。加藤氏の発言は、誤訳に関する釈明なくしてはoutですし、荒らしの一派も去った模様です。すでに荒らしの論争は止んでおり、そこに拘る発言は無意味です。現在の問題は、荒らし問題にかこつけて「誤訳の記事」を消そうとする動きだと私は読み取りました。本当に躍起というかヒステリックだと感じるのですが……。もちろん、検証可能な事実を語れる第三の当事者が記事を消すべきと証明したならば、当然、表の記事は削除されるでしょう。そのような人物が保護の解除を依頼するまで、削除等の「不当な操作」からページを守ることは重要です。一人の管理者さんが絶えずチェックし続けるのは、負担が大きすぎます。
事実を知るのは当事者のみで、外野がいくら騒いでも問題は解決しません。保護に反対で、現在の記事を変えたい方は、何よりもまず、検証可能な事実を語れる第三の当事者を連れて来て、保護の解除を依頼されることです。--122.249.233.127 2016年6月16日 (木) 13:32 (UTC)
  • こんにちは。私は、「批評に対する反論を掲載しなければ中立性は保たれない」の「反論」が、加藤康生氏のTwitterではなく、将来的に現われるであろう第三者であるという意見に賛成。つまり保護に賛成です。
と言うよりも、この話は、もうとっくに終わっていませんか? 
何年間も掲載されていた「DVDで誤訳を直した」という自己宣伝記事への反論として、何年もたって最近になってから、モーテンセンが「誤訳がある」と発言したのですよね。それで悪い記事が駆逐されて現在の批判の記事になったのですから、この時点で「反論が掲載されて中立性が確立されて、まともになった」で、一件落着してますよ? ですよね?
それに対して、またまた反論したのが、加藤氏のTwitterだったわけですが、それは誤訳を隠したインチキの反論だった。並みの神経なら、このような反論は書けないと言うか、そもそも私なら最初の実名の記事を載せる勇気がありませんが。もう、加藤康生さんの反論は論じるまでもなく、誤訳を隠していると分かっているわけです。国の裁判なら「異議あり」で即、却下で、端から議論は起こらない。つまり荒らしの騒ぎ自体が不必要だったのです(・o・) (・o・)。
モーテンセンの記事が荒らしが載せたと言うのも、もう論ずる必要はございません。管理者さんが記事が掲載された雑誌を確認したと書いていらっしゃるし、消された記事を何度も戻されています。もう荒らしの作った記事ではなくて、管理者さんが載せた記事になっています。荒らしだと怒っておられる方は、ここの所を理解して下さらないと困ります。ヴィゴ・モーテンセンは、もう無実なのです。それでもモーテンセンを消そうという人は、とにかく理屈抜きに逆恨みで攻撃しているモーテンセン・キラーです。ページの保護に反対の方は、この先、管理者さんに代わって、ずっとこのキラー攻撃を監視して下さるのでしょうか? はっきり言って、頑なな保護反対派は、反対を装うキラーだと言ったら、異議を唱えられるでしょうか。
61.192.170.63さんは、何か月も反論に付き合う必要はなかったのです。これだけで十分だったのに荒らしと化して、文字通りミイラ取りがミイラです(☍﹏⁰)。 でも、だからと言って加藤は復活しないのです。この先、他の人が付き合う必要もありません。誰が再検証しても、加藤さんには誤訳を隠しているという大きな欠点があるのは、もう明らかですし、そこまで無かったことには出来ません。すぐに、そこまでは再検証されるからです。
ですから、結論として、荒らしに怒っている方は、もう荒らしは駆逐されて、今は表の記事を保護しなければ、問答無用のキラーを防げないという、そこに問題が移ったことを理解していただく必要があるわけです。保護しなければ、批判の記事をいじられるたびに、また何か月も続く無茶な議論を持ち出されることになります。保護すれば、まともな解除依頼だけを聞けば済みます。そして、逆恨みをしている人は、もうやめましょう。あなたの行動は、Twitterを引き合いに出した時から、と言うよりも、何年も前に誤訳を直したと言う最初の記事が掲載された時から、討論に値しない記事であったと私は思います。--211.125.188.150 2016年6月21日 (火) 00:00 (UTC)

「批判」節について[編集]

Wikipedia:コメント依頼/61.192.170.63において2016年4月11日 09:11(UTC)に「当面は復帰をお待ちしながら、日本語版翻訳にかかわる部分には手を付けずに記事の改善をおこないます」と書きました。半年以上が経ちましたが、ブロック解除に向けた活動はなされないようで残念です。アカウントのブロックを解除された上での参加を希望します。

他の部分の記事改善が一段落したので、「批判」節の改善に着手します。まずは現在提示されている出典を基に、より詳しく記述します。また出典には、現在記述されている「という親愛の言葉で締めくくっている」に相当する表現が無いため、「と述べた」あるいは「と記した」に置き換えます。--Yhngv会話) 2016年10月26日 (水) 10:38 (UTC)

「批判」節の改稿を実施しました。--Yhngv会話) 2016年11月8日 (火) 10:14 (UTC)

「批判」節除去の提案[編集]

「批判」節の除去を提案します。理由は2つあります。(1)出典として信頼できない情報源しか見つからないこと、(2)映画評論家等の指摘が無く、アメリカの俳優からの些細な言及であること、です。

信頼できない情報源
「日本語字幕に誤訳があった」とヴィゴ・モーテンセンさんはメールインタビューで発言しています[1]。インタビューを掲載したムービー・スター誌は信頼できるメディアですが、誤訳があると判断した人物が信頼できません。
モーテンセンさんは語学に堪能で、ローマ映画祭の記者会見では通訳を介さずイタリア語で直接答えています[2]。また本作品では全てスペイン語で主役を務めています。しかし日本語に関してはそのレベルに達していません。2008年のアラトリステ日本公開時の舞台挨拶はカンニングペーパーを見ながらでした[3]。モーテンセンさんは本作品の主役を務めましたからスペイン語でのセリフ及びストーリーを理解しています。しかし日本語のネイティプスピーカーに映画脚本の完璧な日本語訳を渡しても、限られたスペースで物語を要約して伝える字幕製作は困難です。ましてやカンニングペーパーに頼らねば日本語の挨拶も出来ないようでは、字幕の良否判定など全く無理です。以上より、モーテンセンさんの日本語能力からすると、彼が「日本語字幕に誤訳があった」と明言しても信頼できる情報源ではありません。
誤訳があると判断したのは別の人物で、モーテンセンさんはその判断を聞いて腹を立てていた、ということも現実的にありえるケースでしょう。しかし、この場合は判断した人物がスペイン語翻訳と日本語字幕制作に関して造詣のある信頼できる人物であるということがメールインタビューでは明かされていません。よって信頼できる情報源ではありません。
些細な言及
百科事典であるWikipediaの項目に書かれるべきなのは、アラトリステという映画に多大な影響を与えた物事です。
日本語版の映画アラトリステに大きな間違いがあれば、映画評論家をはじめとした多数のメディアが伝えているでしょう。しかし本項目の改善のためにずいぶんと資料を調べましたが、刊行物に「誤訳があった」と記載されていたのはムービー・スター誌のメールインタビューだけでした。つまり日本の映画関係者は字幕の翻訳に関して記述すべきことを見出さなかったのです。そしてモーテンセンさんも「日本の観客はストーリーを理解してくれたと思う」[1]と推測しているので、日本語版字幕に正確でない部分があってもそれは些細なものであったのでしょう。
「日本語字幕に誤訳があった」と書かなくても、百科事典の読者は本作品について充分に理解できます。
  1. ^ a b 「ヴィゴ・モーテンセン「約束の地」独占メール・インタビュー」、『ムービー・スター』第191号、株式会社インロック、愛知県瀬戸市西原町1-86、2015年8月1日、 64頁。
  2. ^ Joe Pascale. “The Rome Film Festival Debut 2006”. LinkedIn Corporation. 2016年11月19日閲覧。
  3. ^ 「アラトリステ」試写会&舞台挨拶”. 2016年11月19日閲覧。

以上はWikipediaの論理による除去の理由です。しかしヴィゴ・モーテンセンのファンであれば別の想いがあります。本項目の「批判」節では、ヴィゴ・モーテンセンは日本語が出来ないのに「日本語字幕に誤訳がある」と断言する変な人になっています。ヴィゴのファンであれば、日本語が出来ないことは当然知っています。ヴィゴとしては新作の『約束の地』を良い物にしてもらいたくて、つい筆が滑っただけだと思いますが、ただの一文を針小棒大に書き立てられて迷惑しているでしょう。「腹を立てた」を掲載し続けようとする方はヴィゴのファンではなく、ヴィゴ・モーテンセンの敵だと思います。--Yhngv会話) 2016年11月19日 (土) 07:59 (UTC)

コメント結論を短めに言うと「独自研究を否定するのに独自研究をしないでください。除去は新たな編集合戦を誘発し、荒れる要素になるので認められない」です。
まず、Yhngvさんの論理の組み立て方は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に示されている「ロックバンドのガガガガーは」の例そのものです。2008年当時はカンペを読まなければ日本語を話せなかったのかもしれませんが、メールインタビューに応じた2015年時点でも日本語の能力が同じレベルにあるとの推定を裏付ける論拠は提示されていません。2つの事象を関連付ける確たる根拠がないのに、「この時こうだったから今でもこうだろう」という推論のもと、出典のある文章を単純に取り除こうとすることは、かつてこのページに何とかして日本語訳字幕に誤りがあることを書き込もうとしていた人たちと同じことを、立場を変えてやっているに過ぎないと考えます。
この考え方に立てば、ヴィゴ・モーテンセンは日本語が出来ないのに「日本語字幕に誤訳がある」と断言する変な人との勝手な決めつけは、ヴィゴ氏に対して失礼極まりない発言にしか読めません。7年もの時間は、1つの言語をある程度習得するのに決して短い時間とは言えません。また、仮に日本語を習得していなかったとします。その場合でも、自分が演じた作品が、翻訳も含めてどのように伝えられているか、気になる人もいれば気にならない人もいるでしょうが、自ら主演した作品の翻訳に対して、たとえ伝聞に基づくものであったとしてもわざわざ行った言及を「些細な記述」と切り捨てることはできないと思います。
以上から、ヴィゴ・モーテンセン氏はスペイン語と日本語の翻訳に関する専門家ではないが、自らが主演した映画の翻訳に関して有意な言及を行った時は些細な情報とは言えない。ましてや時期の全く違う2つの事象を根拠なく並列させて帰納的に結論を導くのは独自研究であり認められない、となります。よって、その結果得られた結論に基づく「批判節の除去」も、独自研究に基づく根拠のない行動になり、認められません。
別の観点から言うと、この記事は「誤訳があったことにしたい派」の人たちと、「誤訳なんてなかったことにしたい派」の人たちによる編集合戦などのさまざまな争いがあった記事です。この事実を知る立場から見ると、「誤訳があったことにしたい派」の人たちがヴィゴ氏に対して何らかの働きかけを行い、それにヴィゴ氏が深い内容を理解することなく応じたという可能性がないわけでもない(逆の立場からしたらそんなことする必要もありませんよね)のですが、それを裏付ける検証可能性を満たす情報もないわけで、やっぱり「ヴィゴ氏が日本の雑誌のメールインタビューに対して、(自らが主演を務めた)アラトリステの日本語字幕に腹を立てたことを述べた」という事実しか残りません。--VZP10224会話) 2016年11月24日 (木) 13:30 (UTC) 一部修正--VZP10224会話) 2016年11月24日 (木) 13:39 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。まず、Yhngvさんが本記事を全体的に改善してくださったことに感謝申し上げます。
  • 「批判」節については、Yhngvさんの上記コメントの2点目、些細な言及であるという指摘は妥当なものだと思うので、除去に賛成いたします。ヴィゴ・モーテンセンは「日本語字幕に誤訳があったこと」が作品の受容や流通に影響を及ぼしたとは述べておらず、むしろ「日本の観客はストーリーを理解してくれたと思うし、感動してくれたと思うから、まあそれは良しとしよう」と述べている以上、日本語字幕云々は「些細な言及」と呼んで差し支えないものだと思います。わざわざ1つの節を設けて針小棒大に書き立てる必然性は感じられません。そういう記述は百科事典ではなくゴシップ雑誌に任せておけばよいでしょう。モーテンセンが「日本語字幕に誤訳があったせいで、自分の主演作品が日本の観客に正しく伝わっていない」とでも述べていたなら状況は変わってくるかもしれませんが、今までのところ、そのような趣旨の発言はなされていないようです。
  • 「除去は新たな編集合戦を誘発し、荒れる要素になる」として除去に反対されているのは、利用者:Bompkin会話 / 投稿記録 / 記録などを念頭に置かれた上でのことだろうと思いますが、再びブロック破りが行われたときは粛々と管理者伝言板に報告すればよいのであって、私たちがブロック破りの顔色をうかがいながら編集したり議論したりする必要はないと思います。--153.163.33.113 2016年12月4日 (日) 16:49 (UTC)
    • コメント以前出現していたOCNのIP氏がまた現れましたね。ヴィゴ氏の言及に対抗できる文書がないとなると、今度は「些細な発言」に矮小化して何とか消し去ってやろうという魂胆でしょうか。しかしながら、あいにくと私は自分が出演した映画のローカライズ版の翻訳の品質について、ここまで言及しているという事実をほかに知りません。映画俳優が、日本語含めローカライズ版の翻訳の品質について言及することがしょっちゅうあるのであれば「些細な発言」といえるかもしれませんが、普通はこのような形で翻訳の品質について言及すること自体がまれで、その発言を行った事実そのものが、その発言を検証した言及のあるなしにかかわらず、記述すべき価値のあるものではないかと考えております。Yhngv氏は言及がない事実を「日本の映画関係者は字幕の翻訳に関して記述すべきことを見出さなかった」と結論付けていますが、全く逆に「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」と解釈することも可能ですよね。この両極端な説のどちらをとるべきか、それこそ検証可能性を満たした言及によって結論付けられるべきでしょう。
    • で、ソックパペット云々の話ですが、通りすがり的に荒らしが現れたのであれば淡々と荒らしとして処理しておけばよいとは思いますが、この記事は足掛け8年ほど陰に陽に「日本語字幕に誤訳がある」と主張する一部の人たちによって手が加えられようとしてきた記事で、もはや淡々と処理できる限界を超えています。別にルールを無視して対応しようというのではなく、荒らし行為は荒らし行為として対応し、一方、記事に反映すべき情報は記事に反映すべき情報として盛り込むのは別に「ブロック破りの顔色った編集」でも何でもありません。むしろOCNのIPユーザーの方は、5月20日の発言にも垣間見える「ブロック破りの編集行為は全否定しなければならない」という考えを改めていただかなければならないのではないかと考えております。--VZP10224会話) 2016年12月15日 (木) 12:17 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。VZP10224さんは若干ヒートアップしているようですので、冷静になることをおすすめします。
  • まず、「ヴィゴ氏の言及に対抗できる文書がないとなると、今度は『些細な発言』に矮小化して何とか消し去ってやろうという魂胆でしょうか」とありますが、これはいくら何でも悪意にとりすぎています。この節の冒頭でのYhngvさんのコメントを読んで、あらためて考えてみた結果、除去が妥当であると判断し、Yhngvさんの提案に同意した。それだけの話です。ウィキペディアのような共同作業の場では、当初の考えに固執せず、他の利用者の意見に耳を傾けて、考えを変えることも必要でしょう。せっかく考えを変えても、毎回「今度は『些細な発言』に矮小化して何とか消し去ってやろうという魂胆でしょうか」などと言われてしまうようでは、正常な議論が成り立たなくなってしまいます。
  • VZP10224さんが映画に詳しい利用者なのかどうか、これまでの作成記事[12]を拝見する限りでは判断がつきかねます。そのため、「普通はこのような形で翻訳の品質について言及すること自体がまれで、その発言を行った事実そのものが、その発言を検証した言及のあるなしにかかわらず、記述すべき価値のあるものではないかと考えております」というコメントの信憑性が定かではありません。そもそも、ある話題に触れることが「まれ」かどうかと、それがウィキペディアの記事に記載するほど重要かどうかとは、直截に関係があるわけではないので、このコメントに妥当性を見出すことはできないです。VZP10224さんの論理では、珍しい話題に言及している発言ならば何でも記載してよいことになってしまいます。正直なところ、「7年もの時間は、1つの言語をある程度習得するのに決して短い時間とは言えません」や「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」といった推測を経由しなければ除去に反対できないのか、というのが現時点での印象です。その発言が「記事に反映すべき情報」であるとする根拠を具体的に提示しないままなら、それは除去されても止むを得ないものと考えます。
  • なお、私は「ブロック破りの編集行為は全否定しなければならない」などと言った覚えはありません。今回の件に関していえば、Ks aka 98さんがWikipedia:コメント依頼/61.192.170.63で「『字幕に誤訳がある』かどうか、さらに、それを記事に書くかどうかについては、多重アカウントを使わない誠実さを持ち、記事に関心がある方が、ウィキペディアの方針に則るかたちで決めてください」[13]と述べておられることに私は従っているに過ぎません。このKs aka 98さんのコメントに異議があるならば、そちらで反論してください。
  • ブロック破りが何度も編集を差し戻すような事態になれば、通常、管理者によって投稿ブロックおよび記事の保護がなされます。それは、この記事でも同じだと思います。「ブロック破りが何度も差し戻しに現れるかもしれないから、ブロック破りの編集を尊重しよう」といった合意がなされた前例を私は知りませんし、そういう主張がウィキペディアで認められるとも思いません。ですから、私は「私たちがブロック破りの顔色をうかがいながら編集したり議論したりする必要はないと思います」と述べました。自分の意見に同調している者がブロック破りだけであるという状況で「ブロック破りの編集を尊重しよう」などと主張しても、それは他の利用者に不信感を抱かせるだけですから、お止めになったほうが良いだろうと思います。--153.202.238.132 2016年12月15日 (木) 17:54 (UTC)
IPの発言とごっちゃになってしまってはいけないのでこちらに書きますが、私は「「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」と解釈することも可能」と、単に解釈の余地がある可能性を指摘しただけなのに、私があたかも「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」と考えていると読まれている様子を見るにつけ、頭に血が上っているのはどちらかなぁ、と思います。下に別途指摘をしたIPユーザーをソックパペットと決めつけて報告しているに至っては、何を焦っているのかと思わざるを得ません。むしろOCNのユーザーの発言の矛盾点をする人が出てきたらタイミングよくソフトバンクのIPが出てくるあたり、見事な連携技だよなあ、という印象を持ちます。ただ印象だけではなんらかの管理者権限を行使するような対処に乏しいので何もしません。
で、123のOCNユーザーがソックパペットか否かにかかわらず、Yhngvさんにしても153の東京OCNユーザーにしても、ヴィゴ氏の発言についてあれこれ情報を合成したり推論を重ねたりして何とか除去しようとしているので、除去するにしても除去するだけの検証可能性を満たした理由を求めるのはあるべき姿だと思います。まあヴィゴ氏の発言が虚偽であるという文献が発見されたなら、それはそれでヴィゴ氏の発言を残す十分な理由にもなりえてしまう、というのが問題ではありますが。
コメント依頼でのKs aka 98さんの発言ですが、これは「誤訳があったかなかったか」記述するかどうかの話で、「ヴィゴ氏が誤訳があったと発言した」ことについてはどうかの話ではないですよね。話をすり替えないでいただきたい。--VZP10224会話) 2016年12月19日 (月) 14:36 (UTC)
とまあ、上記いろいろと書いたように、中身の議論をしたくとも、その前提条件が怪しかったり、推測に基づく話を重ねたり、果ては対立する発言者を片っ端からソックパペットとして報告されているようではまともな話はできないよね、というのが実情です。自分と異なる意見の人を荒らしのソックパペットにして体よく対話拒否しておけば、自分は楽かもしれませんが、この記事の問題の解決には一歩も進みませんよね。--VZP10224会話) 2016年12月19日 (月) 15:07 (UTC)
  • こんにちは、153.204.177.76です。
  • Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」としており、Wikipedia:検証可能性は「ある事柄が単に『検証可能』だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません」としている。このことをまず確認しておきたいと思います。また、検証可能性を満たす義務は、その記述を記事に載せようとする側が負います。少なくとも今回のように「些細な言及」を理由とした除去の場合は、「除去するにしても除去するだけの検証可能性を満たした理由」を示す義務は生じません。「単に解釈の余地がある可能性を指摘しただけ」では、その記述を載せるべきだという合意に至ることはないでしょう。
  • モーテンセンは「日本語字幕に誤訳があったこと」が作品の受容や流通に影響を及ぼしたとは述べておらず、むしろ「日本の観客はストーリーを理解してくれたと思うし、感動してくれたと思うから、まあそれは良しとしよう」と述べている。これは「情報の合成」や「推論」ではなく事実です。なぜ当の本人が「まあそれは良しとしよう」としか述べてないことを記事に載せようと固執されているのか、十分な説明がなされているとは言いがたいです。映画関連の記事を作成した様子が見られないVZP10224さんは、何を根拠に、この記述が重要だと考えておられるのか、私たちには分かりません。上述したように、モーテンセンが「日本語字幕に誤訳があったせいで、自分の主演作品が日本の観客に正しく伝わっていない」とでも述べていたなら状況は変わってくるかもしれませんが、今までのところ、そのような趣旨の発言はなされていないようです。以上の理由から、Yhngvさんが示された「些細な言及」という根拠は妥当なものだと考えています。記載を望む側であるVZP10224さんがWikipedia:検証可能性に従って新たな資料を提示しない限り、この節は除去されるべきだと思います。
  • 「誤訳があったかなかったか」の問題でも「ヴィゴ氏が誤訳があったと発言した」の問題でも、ブロック破りによる記事の編集や議論への参加を認めるかどうかという点では、本質的には同じでしょう。VZP10224さんの意見に同調する者がブロック破りだけであるという状況で「ブロック破りの意見に耳を傾けよう」と主張されても、説得力を欠くというものです。VZP10224さんの目には「IPユーザーをソックパペットと決めつけて報告している」「何を焦っているのか」「対立する発言者を片っ端からソックパペットとして報告されている」「自分と異なる意見の人を荒らしのソックパペットにして体よく対話拒否」と映るとしても、事実、それらのIPやアカウントはソックパペットとしてブロックされました。「見事な連携技だよなあ」とコメントされている点に関しては、ソフトバンクIPさんが私の編集を取り消しておられたことは履歴で分かるのですから、このようなコメントも(印象操作か勘違いか、いずれにしても)残念に感じるところです。
  • このノートページでブロック破りに応答しない私の姿勢を「対話拒否」と非難されても、記事の問題の解決につながるとは思いませんし、姿勢を変えるつもりもありません。ブロック破りに対する私の姿勢を非難するばかりだと、都合が悪くなったので中身の議論から逃げているようにも見えてきます。Wikipedia:投稿ブロックの方針は「対話拒否」も投稿ブロックの対象に含めているので、そこまで執拗に非難されるならば、投稿ブロック依頼を提出しては如何ですか。--153.166.46.212 2016年12月20日 (火) 22:51 (UTC)
  • コメント コメント依頼を見てきました。今回のはちゃんとした二次資料に基づく記述ですので、除去するならば、「除去したい」側が、「記事に反映すべきでない情報」であるとする根拠を具体的に提示す必要があります。その根拠が単なる推測に過ぎないので、「残したい」側も推測で反論しているだけですね。--123.222.198.182 2016年12月17日 (土) 00:35 (UTC)
それ以前にブロック破り[14]までしてやる価値があるのか理解できませんが?--126.82.93.22 2016年12月18日 (日) 05:52 (UTC)
上記ソフトバンクのIPユーザーが指摘しているのはこの差分と思われますが、この報告をしているIPがずっとここに張り付いている東京OCNのIPである以上、そのことを割り引いて考えなければなりません。--VZP10224会話) 2016年12月19日 (月) 14:36 (UTC)
yhngvです。
提案して1ヶ月ほど経ちましたが、有意な編集履歴を持つアカウントユーザーで除去に賛同して頂ける方はまだいらっしゃいません。私が近所の本屋さんにムービー・スター誌のバックナンバー取り寄せを依頼してから入手するまで20日ほどかかったので、そろそろ出典資料を参照した上でのコメントを頂ける頃かと思っています。
とりあえず、VZP10224さんの時系列認識には誤りがあるので指摘します。
2008年にプロモーションで来日した時のことに関して問いかけられて、モーテンセンさんは「日本で『アラトリステ』のプロモーションが出来たことは今でも誇りに思ってるし、」と書いています。この文節で、プロモーションをおこなったのは2008年、「今でも誇りに思ってる」の「今」は2015年です。同じ文の後段の文節で「当時は、日本語字幕に誤訳があったことで少し腹を立ててたんだけど、」と書いた「当時」は2008年です。そして「まあそれは良しとしよう。(後略)」と腹を立て続けているわけではないことを示しているのは2015年になります。2008年に腹を立てたことを2015年になって持ち出してきたのは、新作映画「約束の地」の日本語字幕を良い物にしてほしいという要望の引き合いとしてです。(3ページに渡るメールインタビューは「約束の地」に関するもので、モーテンセンさんがアラトリステに関して言及したのはyhngvが11月8日に記事本文の編集で引用した3文のみです)
まとめると、モーテンセンさんが日本語字幕に誤訳があると認識したのは2008年、「少し腹を立てた」のも2008年。2015年には腹は立てていないけれど、誤訳はあったと考えています。
という訳で2008年のモーテンセンさんの日本語能力を推し量れる舞台挨拶の様子を提示しました。--Yhngv会話) 2016年12月20日 (火) 06:38 (UTC)
yhngvです。
「批判」節除去の提案を取り下げます。
提案に対して、有意な編集履歴を持つアカウントユーザーで除去に賛同して頂ける方はおられませんでした。このため除去することで合意を形成するのは困難であると判断しました。
Wikipedia:コメント依頼にも出して広く意見を求めましたが、皆さんの関心を引く論点ではなく記載が有っても・無くてもどちらでも構わない、ということだと受けとめます。
以上で本項目に関して改善できることはおこなったので、Wikipedia:良質な記事に推薦してみます。--Yhngv会話) 2017年1月7日 (土) 10:16 (UTC)
良質な記事への推薦は残念ながら賛成票が入らず終了となりました。選考の過程で「あらすじや製作の節がちょっと簡潔かな」、「評価についても、もう少し幅広く書けないものだろうか」とのコメントを頂きました。
あらすじ節は意図して簡潔に記載しましたが、製作・評価に関しては出典資料の不足が原因です。日本語・英語による文献だけでは詳しく書こうにも現状が限界です。製作国であり一番多く観客を集めたスペインならば、映画誌に本作品の製作に関する情報や批評家による評価が豊富に掲載されていたでしょう。これ以上の改善にはスペイン語文献を入手し調査する必要があります。--Yhngv会話) 2017年1月23日 (月) 10:16 (UTC)