ノート:アムネスティ・インターナショナル

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  • 本文編集履歴より:2005年8月30日 (火) 09:03 203.66.219.26 (事実とは異なる記述、wikipediaの趣旨にはそぐわない非中立的な記述が目立つので訂正)
  • と、大幅な記述削除がありました。確かに中立性は重要です。ただ、「欧州では「最も信頼できる国際組織」として高い評価・・・」など、重要な記述まで一括して消してしまうのはいかがなものでしょうか? 熟考の上、一部を中立性を損ねない範囲で復活させたいと思います。ご了承ください。--miya 2005年8月30日 (火) 00:23 (UTC)[返信]

    • アムネスティ・インターナショナル日本について、他国支部とは異なる行動・評価・批判があるのは事実であり、それについて一方的に記述削除するのは、むしろ中立性に反する行為でしかなく賛成しかねます。中立性とは当たり障りのないしか書かないということではないと思います。61.195.23.189 2005年8月30日 (火) 03:13 (UTC)[返信]
    • 61.195.23.189に賛同です。多角的な視点を欠いた「辞典」は、もはや辞典としての意味をなしえません。即ちある立場から見た「事実」のみを事実とし、或は反事実と断定し、異なる視点を交えないことには、真に「中立な」言説はあり得ないということです。削除ではなく、追記という形で編集を重ねるべきです。言論が「中立でない」という理由でコントロールされることに強い不快感を覚えます。当初あった日本支部に対する「批判的」記述がそっくり削除されたことに、アムネスティ日本支部の体質を見たと感じます。--以上の署名の無いコメントは、61.27.28.72会話投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 04:41(UTC)
    • 61.195.23.189の意見には反対です。そもそもWikipediaは辞書であり、批判の場ではありません。飽くまで客観的に明らかな「事実」のみを記述すべきであり、ネット上の出所不明の情報を拾い集めて特定団体を攻撃するような内容の記述はWikipediaのポリシーに適合しないものです。一方的な「攻撃」が目的なら、それにふさわしいサイトで行えばよいことです。--以上の署名の無いコメントは、210.0.199.240会話投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 06:38(UTC)

    ウィキペディアのポリシーに反した悪意ある記述を行っている人達[編集]

    http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1119536205/l50 http://society3.2ch.net/test/read.cgi/volunteer/1122835599/l50

    悪意ある記述を行っているのは2chの↑のスレに出入りしている人達では? この項が観察対象になってるし。--以上の署名の無いコメントは、211.141.87.28会話投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 10:53(UTC)

    編集合戦はご遠慮ください[編集]

    この編集をなさった211.141.87.28さんへ。大切なinterlinkまで消されては困ります。

    また「当初あった日本支部に対する「批判的」記述」についての復活を希望される方は根拠・出典をここでお示しいただければ幸いです。日本支部に対する批判の声が上がっているのはどこですか? ただし、それがネット上の掲示板だけ、という場合はウィキペディアに記述するのはご遠慮ください。--miya 2005年8月30日 (火) 11:15 (UTC)[返信]

    ウィキペディアの「中立性」を損ねない記述を[編集]

    そもそもウィキペディアは特定団体への一方的な攻撃を書き並べる場所なのでしょうか。 いくつかの政治団体やNGOの頁を見ましたが、ここの頁のようにあれこれと攻撃が並べられている頁は無く、団体についての基礎的な情報が淡々と書き並べられているだけだしたが。 この頁を編集している人の中には、明らかにアムネスティへの攻撃意識を持って意図的に悪意ある記述を行っている人達が紛れ込んでいるとしか思えません。 誹謗中傷なら2chでやってください。--以上の署名の無いコメントは、211.141.87.28会話投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 11:33

    IPでなく、ログインしてから、また署名も[編集]

    大幅な変更を加える時にはログインすることがウィキペディアでは推奨されています。また、ログインすることによってお互いの考えをたたかわすことができるからです。wikipedia:説明責任を参照して下さい。署名することはエチケットであり、誰が何を言ったかが分かりやすくなり、議論がしやすくなります。wikipedia:署名を参照。Shishin 2005年8月30日 (火) 12:01 (UTC)[返信]

    批判について[編集]

    2005年8月30日 (火) 13:38(UTC)の編集で、日本支部に対する批判を一部復活してみました。会員数低落の説明がつくのではないかと考えられたからですが、いかがでしょう?--miya 2005年8月30日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

    国際刑事裁判所(ICC)[編集]

    日本支部のホームページで国際刑事裁判所を大きく取り上げているのですが、国際刑事裁判所とアムネスティの関係がよく分かりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら加筆をお願いします。--miya 2005年8月30日 (火) 13:58 (UTC)[返信]

    簡単に述べますと、国際刑事裁判所(ICC)の設立の過程と理由についてですが、たとえ人権を保護する法が国際法、または国内法として存在しても、それを解釈、適応、そして発動して実際に運用するのは各国政府であり、つまり最終的には人権問題と人権法は各国の内部でしか処理されません。このような事が理由で問題がいくつも起こっており、(例えば国連には多数の国が加盟していますし、ここで発行され、批准された人権法も沢山ありますが、それを誠実に遵守し、国内で適応している国は殆どありません。毎日国連加盟国での人権侵害の問題が報道されています。) その為、一国内だけでなく複数の国にわたり刑事司法の効果を発動させるために考えられた物の一つが国際刑事裁判所の設立です。そしてこの裁判所の必要を訴えた民間組織等がいくつかありましたが、その組織のうちの一つとしてアムネスティインターナショナルがあります。そういった面でアムネスティが関わっています。よって具体的な裁判所の内容についてはそれほど深いかかわりはありません。--220.159.88.211 2005年12月7日 (水) 08:00 (UTC)[返信]

    ローマ規程の批准推進を呼びかけていた、ということですね。
    リンク無効が散見することからみて、少なくとも日本におけるキャンペーンは下火になってきたようです。関連リンク先から、下記のグループとの連携を意識しながら批准推進運動を担っていた形跡がございます。
    日本でも2002年頃まではキャンペーンに力を入れていたようですけれども、最近の日本支部はそれほどでもないように感じました。ローマ規程 (The Rome Statute) を大国に批准させるキャンペーンは、運動として効率が悪いからのような気がいたします。
    - Opponent 2005年12月7日 (水) 09:32 (UTC)[返信]

    ならば「アムネスティへの批判」に対する批判を書いてもいいのでしょうか?[編集]

    書き換えられる前のこの頁にはRENK東京などの団体の頁を引き合いにしたアムネスティ批判が書かれていましたが、これはRENK側の主張を鵜呑みにした不公平な批判です。RENKに限ったことではありませんが、仮に中立性が「両論併記」ということならば、「批判に対する批判」を書いてもいいのでしょうか?全般的にみて、批判ばかり羅列してあるのは中立的とは言えないと思いますが。--以上の署名の無いコメントは、200.183.10.9会話投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 21:21 (UTC)[返信]

    どの版のどの記述を仰っておられるのか分かりませんが、私の2005年8月30日(火)13:54の版も不公正な批判に当たりますか?厳密に事実と言えるもののうち項目理解に役立つ記述だけを抽出したつもりでしたが、無言で消されてしまいました。--miya 2005年8月31日 (水) 00:40 (UTC)[返信]

    「批判に対する批判」を書くのは構わないと思います。『誤りや偏見による記述である』というのなら、その点をノートで指摘すれば削除しても問題にはならないでしょう(指摘しなくても問題にならないこともあるわけですが)。 -- NiKe 2005年8月31日 (水) 00:57 (UTC)[返信]

    アムネスティ日本支部の現状への批判について[編集]

    私はアムネスティの会員の一人ですが、会員になる以前にアムネスティ日本支部の項目を見たときはずいぶんと辛い事が書かれている様だと思った事がありました。しかし会員である現在は以前あったアムネスティ日本支部への批判はそれ自体妥当な内容だったと思います。 ウィキペディアは“辞書”ではありません。“百科事典”です。辞書と百科事典の厳密な定義の違いを規定するのは難しいですが、辞書、百科事典は共に中立的であることは要請されている事実だと思いますし、ウィキペディアのような社会に広く開かれ認知されているサイトなら、なおさらそう在るべきだと思います。しかし百科事典はその意義上、題名の概念に対して(ここではアムネスティ日本支部について)時事に関することも含めて出来るだけ多くの情報が述べられるべきでありそれが客観的に見て必要以上に偏っていたり、中傷的でない限り“その事についてこの様な見解がある”という事は出来る限り多く述べられるべきであると思います。ただ以前に書き込まれていたアムネスティ日本支部への批判的内容は若干、感情的な雰囲気か感じられましたし、若干執拗に書かれていた様にも感じました。 但し、繰り返しますがその内容自体は全てとはいえませんが具体的かつ詳細で納得いく内容も多く、これをただ“攻撃的”という理由で削除する事はどうかと思います。結局削除したほうも感情的になっていて、傍観者としては(私個人の意見として)水掛け論になっている様に思えます。結論としては以前在った批判のいくつかは載せるべきだと思います。 またこれは私見ですが、ノートの中にもありましたが、アムネスティ日本の会員数が減ったとの嘆きの声がありました。アムネスティ日本支部(具体的には執行部等の組織運営の中心者)への批判的記事はそれに対しての感情的批判と同時に抗議として私は感じました。この事については私も同感であり、アムネスティの掲げる理想の高い謳い文句等に共感して入会したものの現実の活動等やその他の諸々に対して失望を感じ退会した人も多いのではないかと思っています。だからといってこの様な場所でそれらを背景に批判を繰り広げるのは問題があるとは思いますが、見方によればアムネスティ日本に対しての期待の大きさへの裏返しと見る事が出来るのであり、批判する側は勿論ですが、批判された側も、そのような批判に対して冷静に対応すべきです。--Graben 2005年12月7日 (水) 10:01 (UTC)[返信]

    朝日新聞1997年10月15日に関する記述について[編集]

    2005年8月30日 (火) 13:38の編集について

    22:38, August 30, 2005 Miya (コメントアウト部:朝日新聞の報道に関して削除・マスコミの報道だからといって未検証の情報を残すわけにはいかない)

    という要約は説明不足でした。かなり前なので記憶がおぼろですが、書き方も不的確だったと思います。申し訳ありません。

    今日改めてデータベースをチェックすると、記述の元になったのは、

    「海渡った日本人妻1800人 北朝鮮から初の里帰り、歴史を検証」(朝日新聞朝刊1997年10月15日)

    という記事であると考えられます。日本人妻に関する記事で、その中に少しだけ横田めぐみさんのご家族の話として、日赤とアムネスティに行ったが権限がないと言われたという話が出てきました。

    ただし、朝日新聞の記事に「懇請を拒絶した」という記述はありません。新聞記事データベースのコンテンツをここに引用するのは問題があるかもしれないので控えますが、アムネスティ日本支部側の言葉として明記されていたのは「調査には相手国の受け入れが必要」と言う部分だけで、「北朝鮮が拉致を認めない以上、調査はできない。」という文字列は新聞記事の地の文章です。アムネスティ日本支部の言葉ではないようでした。

    これに関して記述の復活を希望される方は、ネット上の不正確な引用ではなく朝日新聞の記事を直接お読みになった上で加筆をお願いします。もちろん中立的な記述であれば反対しません。 「現地での調査を申し入れ、相手国が人権侵害の事実を否認し調査団の受け入れを拒否した場合(項目より)」相手国の意向に反して調査を行うことが出来ないのは事実として、それ以上何もしなかったか、実は色々やったけどダメだったか、はどうやったら確認できるでしょうか・・・?--miya 2005年12月7日 (水) 12:01 (UTC)[返信]

    いろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。削除の趣旨了解しました。
    ただ、アムネスティインターナショナルは情報の閉ざされた国の政権の意に反して人権状況をすっぱ抜くことで定評のある団体として認識されていますが、それと比較して「向こうに受け入れてもらえないからダメ」というのは相当な違いかと思います。インターナショナルの方では北朝鮮に関して脱北者からの聞きとりなどで実績をあげてますし。この件については原文に直接当たる機会があればまとめてみたいと思います。--Extrahitz 2005年12月7日 (水) 13:02 (UTC)[返信]
    ご理解頂きありがとうございます。記事の写しをウィキメールで送らせて頂きましたのでご一読ください。--miya 2005年12月8日 (木) 16:22 (UTC)[返信]
    報道については全くmiyaさんの書かれている通りでした。報道文からは「北朝鮮が拉致を認めない以上、(実効的な)調査はできない。」という趣旨である可能性は排除できず、従って記事化するのであれば更なる検証が必要とするmiyaさんのコメントは当を得ているものでした。miyaさんにご迷惑をおかけしましたことを深くお詫びいたします。--Extrahitz 2005年12月9日 (金) 09:57 (UTC)[返信]

    {{POV}}はまだいりますか?[編集]

    {{POV}}はまだいるのでしょうか?-- [Café] [Album] 2006年5月11日 (木) 09:27 (UTC)[返信]

    アムネスティ日本支部の分割[編集]

    保護の原因となっているのはアムネスティ日本支部に関する記述についてですので、アムネスティ・インターナショナル日本支部に記述を分割してはどうでしょうか?--Plisoner 2007年1月26日 (金) 03:36 (UTC)[返信]

    日本支部に関する記述を大幅に削除[編集]

    事実誤認に基づく記述を削除してみました。Yuukirin 2007年3月11日19:55

    「事実誤認」と主張する明確な根拠を提示してください。--Bletilla 2007年3月11日 (日) 11:26 (UTC)[返信]
    事実誤認でない部分を一部復活させました。--Kazhik 2007年6月30日 (土) 01:36 (UTC)[返信]
    事実誤認部分を削除しました。「ただし難民の強制送還に関する呼びかけはアムネスティ日本のサイトには掲載されず、一部の会員が個人的に配布したケースが多い。」とのことですが、ウェブサイトに掲載されていました。 --Lashakirie 2007年7月2日(月)15:01 (UTC)
    2004年11月19日2005年9月15日2007年2月15日の呼びかけは、ウェブサイトのどこに掲載されているのでしょうか。--Kazhik 2007年7月2日 (月) 20:42 (UTC)[返信]
    期限が来ているので今は削除されていますが、期限前ならアムネスティの緊急行動のサイトなどに掲載されますよ。RENKのは期限を無視して掲載しているんでしょうか。--Lashakirie 2007年7月3日(火)05:36 (UTC)
    では、かつて掲載されていたということを証明してください。私は掲載されているのを見たことがありません。あなたが「掲載されていました」と書いたのはどの文書のことだったのかも示してください。--Kazhik 2007年7月3日 (火) 10:36 (UTC)[返信]
    アムネスティは緊急行動を通常掲載していますが、それを確認されなかったということですね。だとすれば、貴方は「ただし難民の強制送還に関する呼びかけはアムネスティ日本のサイトには掲載されず、一部の会員が個人的に配布したケースが多い。」という証明はなされていないわけですね?つまり、「掲載されず」という事実が確認できないことと、それから導かれる後段の部分も同様に証明できない、ということを指摘しているだけなんですが。--Lashakirie 2007年7月4日(火)04:53 (UTC)
    今更ですが、ウェブサイト上に掲載されていないと証明することなんて不可能ですよね。掲載されたと主張する側が証拠を出すのが筋でしょう。219.67.24.180 2008年3月16日 (日) 09:49 (UTC)[返信]

    中立的な観点からの問題[編集]

    何かこの項目にはアムネスティ・インターナショナルを称賛するようなことばかり書かれていますね。少し違和感を覚えます。5分の4ほどが称賛記事で、批判の部分はわずかです。政治活動をする団体(NPO団体ですが)なんだから、批判があるのも当然です。その部分の記載がない。ちょっとこれじゃあ中立的な記事とは呼べません。それに出典が一つもないのが一番の問題かと。記事についても歴史の項が冗舌になりすぎています。ここは事実のみを記載すべきでしょう。とにかく今のままでは記事として不十分です。--Annogoo 2007年6月21日 (木) 22:10 (UTC)[返信]

    本記事の内容についてどの位ご存じなのか知りませんが、アムネスティは政治団体ではありません(政治的だ、という人達はいるでしょうが)。具体的な論点も挙げず、「称賛が5分の4」という理由だけで「中立的な観点」のボックスを付けるのはどうなんですかね。批判も一応書いてあるわけだし。もし批判が足りないと思うなら、ご自分で加筆すればいいだけの話でしょう。あなたがアムネスティをお嫌いなのは分かりましたが、はじめから結論ありき、自分の「印象」に沿わないから「中立違反」だという姿勢は改められた方が良いのではないでしょうか。こういう意見をみていると、日本のネットは本当に「負」のエネルギーに満ちているなと思わざるをえませんよ。--火の鳥 2007年6月22日 (金) 02:50 (UTC)[返信]
    アムネスティは死刑廃止を掲げる団体です。そうすると死刑存続支持論者からは当然反発・批判が来るわけです。つまり言いたいことはある団体が特定の主張を掲げるとき、必ずそれに反発する人たちがいるということです。これは仕方がないことでしょう。だからより中立的な記事にするためにはその反発する人たちの論拠も加えた方がよりよいのでは?ということです。それに私がアムネスティを嫌いだとは一言も言っていません。勝手に決め付けないようにお願いします。それと『はじめから結論ありき、自分の「印象」に沿わないから「中立違反」だという姿勢は改められた方が良いのではないでしょうか。』という部分ですが、wikipediaはいろんな考え、主張を持った人たちが加筆・修正することでよりよい記事になっていくのを目指す百科事典だと私は信じています。現在の記事が中立的な観点から自分にとって違和感を覚えたら、「中立違反」だと言うのは当然のことです。--Annogoo 2007年6月22日 (金) 05:57 (UTC)[返信]

    Lashakirieさんが、私が復帰させた2007年3月11日 (日) 04:44(UTC)の版の一部を、丁寧に手直しされており、感謝します。ただこれでは、批判というより弁明になってるような・・。批判というのはアムネスティの外からの批判であって、個別の事象についてアムネスティの見解を述べるようなら別の見出しにまとめられた方がよいかもしれません。アムネスティ・インターナショナルの英語版の方にも「Criticism」の見出しがあるので(しかももっとも分量が多い)、ある一定の批判はやはりあるのでしょう。--Annogoo 2007年6月25日 (月) 00:20 (UTC)[返信]

    正確な批判は掲載すべきだと思いますが、ある種の方がたの一方的な主張だけでは正確ではありませんし、情報としても役立ちません。ということで、せっかく復活されたので、リンク紹介だけにとどめました。全般的に批判の項は、アムネスティに対する批判になっておらず、アムネスティの個々の活動テーマや、全く無関係なものさえも無理やりアムネスティたたきに利用しようとしている人びとが主張しているだけのものです。Annogooさんのおっしゃるとおりだと思います。批判するなら、アジア的人権論として展開されたアムネスティへの批判やそれへのアムネスティ側の対応とか、最近新評論から出た藤岡恵美子・越田清和・中野憲志編「国家・社会改革・NGO-政治への視線/NGO運動はどこへ向かうべきか」あたりから紹介するといいと思う。いかに、アムネスティをはじめ、国際NGOが日本の中でエリート指向に陥ってしまっているかを指摘しているし。--Lashakirie

    当初感じてた中立的な観点からの問題について、自分としては今回の編集でだいぶ改善されたと思ってます。特にみなさんから反対の声がなければ、タグを取り外したいと思います。--Annogoo 2007年7月11日 (水) 06:16 (UTC)[返信]

    反対です。様々な批判を偏った立場からの論難にすぎないものとして印象づけようとする表現が多数残っています。--Kazhik 2007年7月11日 (水) 11:35 (UTC)[返信]
    Kazhikさんがそうおっしゃるのであれば、もう少し議論の推移を見守りたいと思います。--Annogoo 2007年7月11日 (水) 12:26 (UTC)[返信]
    Tutinokoさんの最近の修正により、中立性の問題は大幅に減ったと思います。現時点ではタグの削除に賛成です。--Kazhik 2007年9月14日 (金) 21:45 (UTC)[返信]

    ウィキペディアに載せるか否か[編集]

    最近の加筆部分のうち、「会員の一人が拉致問題につき問い合わせを行ったが事務局長から返答がなかった」という主旨の文言などを編集してみました。例えば、私たちがある製品を買って何か問題があると感じたとき、その製品のメーカーに苦情を出すことはあるでしょう。でも、その苦情がある人から寄せられて、ということを百科辞典に書くべきでしょうか。おそらく、同様の苦情が多数から寄せられたのにメーカーがきちんと対処しなくてマスメディアで大きく取り上げられて一連のことが社会問題と思われる、ということならば百科辞典に書く意味はあるとは思うのですが、皆さんいかがですか? Marseri

    リンク先のサイト[1]は北朝鮮の人権問題についてのアムネスティ日本の姿勢を最もよく示している資料です。事務局長が直接見解を述べている例が他にありますか?--Kazhik 2007年7月14日 (土) 23:22 (UTC)[返信]
    横からすいません、Kazhikさんが示すリンク先の資料見てみました。確かに北朝鮮の人権問題に対するアムネスティ日本の姿勢を指し示す重要な資料となるかもしれないものですね。ただここで問題になるのがMarseriさんのおっしゃるように、アムネスティ日本の一個人に対する返答が、このウィキペディアに載せるに値するものなのか、およびそれを百科事典であるウィキペディアに載せてもいいのかという2点だと思います。--Annogoo 2007年7月15日 (日) 01:16 (UTC)[返信]

    いくつかの点を削除や加筆をしました。まず、活動に関して日本を担当する国際事務局の調査員の数を書き入れるのは百科辞典としては詳しすぎると思います。他の国の担当者について逐一人数を書かない限りは日本の担当者についてわざわざ書かなくてもいいのではないでしょうか。次に、北朝鮮に関して、アムネスティ日本が共和国という呼称を使うことがある点については「意訳」しているという記述になっていましたが、さすがにそれは言いすぎのように感じました。私もアムネスティの国際事務局とアムネスティ日本のサイトで関連の公開されている声明や報告書を読みましたが、意訳と見なしてよいのか疑問に感じました。「意訳」ということを指摘している部分だけ削除しました。なお、私の個人的な印象として、北朝鮮に関する部分が他の並列されている部分より詳しすぎる気がしますので、一つ提案なのですが、どこかに別のページをこの件で設けてみてはどうですか? Marseri 2007年8月21日(火)18:39

    • 北朝鮮の話はこれくらいでちょうどいいと思います。どうもこのへんの記述は胡散臭い。ただ「日本人を」攻撃してるという理由だけで、同じようなことをしている他の国よりも北朝鮮を激しく非難してほしいと考えてる一部の自己中心的な人間が騒いでるだけじゃないだろうか・・・・60.239.220.241 2007年8月23日 (木) 13:25 (UTC)[返信]
    • ↑は、前に見たときよりも北朝鮮の話が半分くらいになってたので、もう削ったものと思って書き込みました。わかりにくくてすみません。60.239.220.241 2007年8月23日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

    「死刑廃止と死刑存置の考察」へのリンクの復活を提案します[編集]

    提督さんが、「無記名の個人サイト」であることを理由に「死刑廃止と死刑存置の考察」へのリンク[2]を削除しました。この削除に不同意です。黒崎氏が運営する「死刑廃止と死刑存置の考察」[3]はグーグルやヤフーの「死刑」キーワード検索上位にランクされ、ヤフーの登録サイトにも収められているという、定評のある死刑問題専門サイトです。一見してわかるとおり、詳細かつレベルの高いコンテンツを収めています。リンク先のページはアムネスティの主張の根拠となる統計資料をオリジナルに遡って検証したうえ、アムネスティの解釈とそれに替わる別解釈の双方を提示し読者の判断を仰ぐというフェアな姿勢をまもっています。よって、「掲載してよい外部リンク」の次の条件を満たしていると判断されます。 「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト。」

    死刑廃止論に不利なデータを隠蔽するのが目的でなければ、削除すべき理由はありません。 (Tutinoko)

    • 反対です。理由として、
    1. 無記名個人サイトでの主張である。
    2. ここは死刑存廃論の議論の場ではない。(そもそもアムネスティと関係ない。)

    などが挙げられます。--提督 2007年10月6日 (土) 17:30 (UTC)--提督 2007年10月6日 (土) 17:33 (UTC)[返信]


    • 提督さんに質問します。以前に書いたとおり
    1. 「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」へのリンクは認められています。当該サイトがこの条件を満たさないと判断するなら、その根拠を述べてください。
    2. アムネスティの死刑廃止論を名指しでとりあげたうえデータをあげて反論したサイトを、アムネスティに対する「批判」という項で紹介したのが、どうして「そもそもアムネスティと関係ない。」といえるのですか。説明してください。
    3. 不毛な編集合戦に陥るのを避けるため、私は9月17日にノート欄でrevertを提案し、これに対し反論があれば同じくノート欄に投稿して議論ができるよう一週間待ちました。9月25日にいたるも有効な反論が出ないことを確認したうえ、はじめて本文をrevertしたものです。これに対し提督さんはノート欄で議論を重ねる姿勢を示すことなく、抜き打ち的な削除を繰り返しています(9月17日と10月6日)。Wikipediaは共同作業によって作り上げていくべきものなのですから、こういうやり方はこの場にはふさわしくありません。今後は、対立点があれば本文に手をつける前にまずノート欄で議論をしてからにしてはいかがですか。--2007年10月7日 (日) Tutinoko
    • 2度にわたる提督さんの削除行為に対し、理由説明を求める投稿を10月7日 (日)に行ないました。その後一週間たっても提督さんから回答がないのは反論の意思がないものとみなされるので、本文をrevertしました。もし提督さんがあくまで削除を望むなら、今度こそはいきなり本文に手を入れるのではなくあらかじめノート欄での意見交換と合意形成をはかってください。--2007年10月14日 (日) Tutinoko

    「合理的な期間〔軽微な案件で議論開始から24時間(約1日間)、中程度の案件で同72時間(約3日間)、重大な案件で同168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」 --Tutinoko 2008年3月2日 (日) 05:25 (UTC)[返信]



    所用の調べ物で久しぶりに来ました。。。。件のサイトにおける検証内容は、まさに「独自研究」の類ですね。殺人事件発生率は一般的にむしろ経済情勢や社会政策その他と相関があるようです(終戦直後の日本もそうでした)。犯罪発生率は死刑が有るか無いかだけの狭い括りだけの問題ではないのです。ご理解ください。一般的な素養がある人であれば件のサイトで精密な検証が行われているとは考えないでしょう。これだけでもNGですが、加えて、世間一般でオーソライズされていない得体の知れない個人のサイトを百科辞典に掲載するのは不適切です。逆にこのサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます。もし、リンク掲載に拘るのであれば、少なくとも、このサイトへのリンクがWikipediaにおける「アムネスティ・インターナショナル」という記事に必要不可欠な要素であることが証明されるべきです。ただし、「ここは死刑存廃を議論する場ではない」ということは忘れてはいけません。リンクは削除しました。--提督 2008年2月26日 (火) 18:12 (UTC)--提督 2008年2月26日 (火) 18:29 (UTC)[返信]

    提督さんは「アムネスティ・インターナショナルが絶賛する「カナダの事例」」で述べられているアムネスティ批判の論点を著しく誤解または曲解していますね。当該記事で黒崎氏が述べているのは、カナダにおいて「死刑廃止後殺人発生率が減った」というアムネスティの主張の検証に尽きます。この主張は恣意的な比較対象選択や期間設定に基づくものであり、より公平な観点から比較すればむしろ殺人発生率の増加がみてとれる、という方法論的な批判がその要諦です。氏の論点は統計データの解釈のしかたに限定されており、この短い記事をもって殺人率増加の原因を特定しようとしているわけではありませんから、提督さんが「経済情勢や社会政策」を持ち出したところで何ら反論になりません。

    私は2007年10月7日 (日)の投稿で「アムネスティの死刑廃止論を名指しでとりあげたうえデータをあげて反論したサイトを、アムネスティに対する「批判」という項で紹介したのが、どうして「そもそもアムネスティと関係ない。」といえるのですか。説明してください。」と提督さんに質問しましたが、提督さんはこれに何ら回答をしていません。さらに、2度にわたり「今後は、対立点があれば本文に手をつける前にまずノート欄で議論をしてからにしてはいかがですか。」「もし提督さんがあくまで削除を望むなら、今度こそはいきなり本文に手を入れるのではなくあらかじめノート欄での意見交換と合意形成をはかってください。」と申し入れたにもかかわらず、あいかわらず合意形成の努力も払わないまま抜き打ち的な削除行為を繰り返しています。この一連の行為は「荒らし」といわれてもしかたありません。

    さらに、提督さんの「このサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます」という発言は「個人攻撃はしない」というウィキペディアのルールにも抵触します。それでも敢えて「政治的意図」を持ち出すなら、提督さんに対し「このサイトの削除に拘るのは何か政治的意図があると考えられます」という批判を向ける方が適切でしょう。現に、日本版ウィキペディアの「死刑存廃問題」においても「死刑廃止と死刑存置の考察」は外部リンクの一つに加えられ、そこには「主張としては存置論だが多くの観点から公平に検討している」という注記がほどこされていますが、これまでこの記載に対し死刑廃止論派や中間派を含む共同執筆者の間から反対意見が出たことはありません。「死刑廃止と死刑存置の考察」は既に日本版ウィキペディアにおいて一定の肯定的評価を得ているといえます。このサイトをウィキペディアの読者の目に晒したくないと躍起になっているのは提督さん1人だけです。提督さんによる「批判」は、およそ的外れです。 --Tutinoko 2008年3月2日 (日) 05:25 (UTC)[返信]

    • 署名無しのIPユーザですが、「60.239.220.241」さんも反対されていうようです。今のところ、このサイトの掲載に拘っているのはあなただけのようです。あと、「荒らし」だの「個人攻撃」だの、軽はずみに言わないで下さい。Wikipediaは、「言った者勝ち」ではありません。--提督 2008年3月16日 (日) 14:53 (UTC)[返信]
    • 無署名の投稿はウィキペディアンとしての同一性を確認することができませんから、こういうカウントには含めることができません。一方、実際に個人攻撃を受けた時にそのことを指摘し停止を求めるのはウィキペディアンとしての権利です。--Tutinoko 2008年3月20日 (木) 08:48 (UTC)[返信]



    記事本文に、

    「ただし、左記サイトでは経済情勢や社会政策などといった、一般的に犯罪発生率により強く密接していると考えられている事象は一切考慮されておらず、また、扱われているのはカナダ国内だけでの話であり世界的に普遍的な傾向だとも述べられていない。このため、このサイトもまたデータを恣意的にピックアップないし解釈をし、あてこすりをしているだけという強い疑念がある。死刑廃止後に殺人の発生率が増えたというデータがあったとしても、それだけでは死刑廃止が直接、殺人の発生率を増やした、という説明にはならないからである。一方的に部分的なデータを提示し、閲覧者に誤った印象を与えるのは公正な議論とはいえないのである。Wikipediaの記事において、このような「独自研究」的なサイトを掲載することの是非に関しては、現在、ノートで議論がなされている。」

    を追記しました。--提督 2008年3月16日 (日) 14:41 (UTC)--提督 2008年3月16日 (日) 15:15 (UTC)[返信]

    この文言は不適切です。 理由1:批判が的外れである。  2008年3月2日 (日) の投稿で指摘したとおり、当該記事はアムネスティがカナダのデータを恣意性に操作していると批判したものであり、死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。 理由2:そもそも、本文に記載すべき内容でない。  編集方針をめぐる経緯や意見の開陳はノート欄で行なうべきであり、本文に書くべきことではありません。 よって、 2008年3月16日 (日)の提督さんの書込みは削除相当です。--Tutinoko 2008年3月20日 (木) 08:48 (UTC)[返信]


    件のサイトへのリンクも自分の書き込み内容もこの記事で扱うのは、先刻以来、死刑存廃論自体に繋がるような記述は本来適切ではない、と申し上げております。なぜならここは死刑存廃論そのものを扱う所ではないからです。削除するのであれば、件のサイトへのリンクと共に節ごと削除すべきであると考えます。

    あと、Tutinokoさんがおっしゃるように、「死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。」というのであれば、なおさらアムネスティと関係ない話になりますね。ただ、自分はTutinokoさんとはいささか異なる見解を有していて、件のサイトは、死刑と殺人発生率の因果関係などといった核心的な事について何ら述べることなしに、もっともらしい数表で飾り立て、結果として死刑廃止が殺人発生率の増加に繋がるかのような「巧妙かつ悪質な印象操作」を行っているところが解せないと考えています。

    それに、文字通り本当に「死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。」のであればなおさらここでわざわざ掲載する価値はないということになるかと思います。そういう類の話なら「あっ、そうですか」で終わる話になり、Wikipediaに掲載する価値はないかと思います。

    このように、件のサイトは何重の意味においてもリンクを貼るにはふさわしくないと考えます。--提督 2008年3月20日 (木) 09:45 (UTC)[返信]


    • ところで、件のサイトが「死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。」のであれば、結局そのサイトは何を主張したい訳ですか? カナダにおける死刑廃止という事象と、カナダにおける殺人事件の増加という事象との間に「偶然の一致」を超えるだけの説明ないし確証が何ら存在しないのであれば、アムネスティに対する当てこすり以上のものはありません。今の状況だと、他でもないTutinokoさんご自身が掲載する価値が無いとおっしゃっているようなものです。--提督 2008年3月20日 (木) 09:57 (UTC)[返信]
      • 死刑の廃止と殺人事件の増加が関係しないのであれば、アムネスティとも関係ない、ということになりますね。関係しない2つのものを(アムネスティへの反論という括りで)さも関係するかのような印象で書くのは単なるデマゴーグです。--提督 2008年3月20日 (木) 10:11 (UTC)[返信]


    いずれにせよ、件のサイトの記述のみでは、死刑廃止と犯罪発生率の因果関係に関しては「独自研究」の域を出ませんね。単なる偶然の一致かもしれません。繰り返しますが、このサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます。そうでなければもう少し、論理的な思考をトレーニングする必要があるかと思います。--提督 2008年3月16日 (日) 14:48 (UTC)[返信]

    ここで提督さんは「このサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます。そうでなければもう少し、論理的な思考をトレーニングする必要があるかと思います。」と、またしても個人攻撃を繰り返していますね。これ以上の個人攻撃の停止を、提督さんに再度求めます。当該記事が「死刑廃止と犯罪発生率の因果関係」を論じたものでないことは、上述のとおり。--Tutinoko 2008年3月20日 (木) 08:48 (UTC)[返信]



    Wikipediaの品質確保のため、改めて、当該サイトへのリンクの削除を求めます。--提督 2008年3月16日 (日) 15:15 (UTC)[返信]

    • 上述のとおり、当該サイトへのリンクがWikipediaの品質を損ねているという主張を裏付ける妥当な根拠を、提督さんは何一つ提出できていません。したがって、リンク削除に反対します。--Tutinoko 2008年3月20日 (木) 08:48 (UTC)[返信]


    記事本文のほうですが賛成派と反対派がお互いの「独自研究」をぶつけあってるようにしか見えず不適切だと思います。「死刑廃止と犯罪発生率の関係について賛成派反対派ともにデータを用いた議論を行っているが、どちらにもデータを恣意的に抽出しているとの批判があり、アムネスティにもそうした批判が向けられることがある」こんな感じでまとめたほうがいいのではないでしょうか。件のサイトは「独自研究」にあたるので削除すべきでしょう --118.91.192.203 2008年3月21日 (金) 00:44 (UTC)[返信]

    --

    「118.91.192.203」さんの文言が無難そうでしたので全文採用しました。件のサイトへのリンクは外しました。--提督 2008年4月30日 (水) 16:35 (UTC)[返信]

    日本のアムネスティは、プロジェクト・チームごとに活動が分かれてます。難民支援や死刑廃止などの活動を別個にされてる方もいて、死刑存置論者もおられます。つまり、社会のように様々な考えを持つ方々がそれぞれ行動しているのです。本項目の死刑廃止論を含めた各批判では、批判されてる対象がアムネスティ・インターナショナル日本の総意のように受けとめられるのは問題有りと感じます。合意の上での整理が必要かと思われます。--かんな文移 2009年2月16日 (月) 02:15 (UTC)[返信]

    テンプレートが多すぎる[編集]

    現在この項目の冒頭にはテンプレートが7つ並んでいます。あまりにも多すぎます。各テンプレートがどの記述に関して貼られたのかを整理すること、既に除去してもいい状況になっているものは除去すること、内容的に重複しているテンプレートは統合すること、を提案します。一見したところ、現時点では残すべきテンプレートは一つもないように感じます。--Kazhik 2009年10月6日 (火) 11:15 (UTC)[返信]

    拉致被害者の敬称について[編集]

    Wikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名によると、事件の被害者への敬称は記述は問題ないとのことです。ただ、引用以外で横田めぐみにさん付けを採用している記事はあまり多くはなく、瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件など小数です。北朝鮮による日本人拉致問題などほとんどの記事でさん付けはしていません。といった辺りを踏まえて、個人的にはどちらでもよいと思います。--カンショウシャ会話2013年8月20日 (火) 04:32 (UTC)[返信]

    仰る通り事件や災害の被害者への敬称は例外的に認められています。しかし私に言わせれば同情でしかありません。同情は中立なのでしょうか。--Bletilla会話2013年8月20日 (火) 11:05 (UTC)[返信]
    スタイルマニュアル自体に異論があるというなら、ここで議論するのは不適切だと思います。スタイルマニュアルのノートで提案してみてはいかがでしょうか。--カンショウシャ会話2013年8月23日 (金) 06:05 (UTC)[返信]
    2013年8月21日 (水) 06:05(UTC)に「さん」を除去した者として、私の解釈を参考までに申し上げます。‎Wikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名にある「中立的な観点から」は前二者に係る修飾句であり、中立的な観点からのさん付けは問題ないという趣旨だと思います。ですので、事件そのものの記事内における被害者列挙の場合や、本文でないキャプション、そして引用の場合などには「さん」を付けても問題ないと解釈しております。
    なお、ガイドラインの当該箇所(被害者云々)に関しては、そもそも議論のないままこの編集でCave cattumさんが追加した文言ですので、その適否について議論する価値はあると思いますが、追加から5年以上経過しているため、編集作業の結果としての合意としてコミュニティの暗黙の合意が得られていたとも思われます。いずれ、Cave cattumさんが1年以上も編集をされておられない状況ですので、カンショウシャさんでもBletillaさんでもスタイルマニュアルのノートで提案してみることはよいことだと思います。--ろう(Law soma) 2013年8月23日 (金) 07:30 (UTC)[返信]

    批判・反発の項について[編集]

    批判・反発ではなくて団体自体の主張が混じってますが--十勝の自然会話2013年10月28日 (月) 12:27 (UTC)[返信]