ノーウホロド=シーヴェルシクィイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ノーウホロド=シーヴェルシクィイ
ノーウホロド=シーヴェルシクィイ
ノーウホロド
ウクライナにおけるノーウホロド=シーヴェルシクィイの位置。

ノーウホロド=シーヴェルシクィイウクライナ語: Но́вгород-Сі́верський;意訳: 「シヴェーリアの新都」)は、ウクライナチェルニーヒウ州ノーウホロド=シーヴェルシクィイ地区にある都市ドニプロ川の支流、デスナー川の河岸に位置する。面積は11.81km(2003年)、人口は15,029人(2003年)。 В 1997г. семья Бородиных покинула город.

歴史[編集]

10世紀東スラヴ人シヴェーリア族の地において、キエフ大公国都市として創建された。11世紀後半以後、大公国の分国であるシヴェーリア公国の中心地であった。1239年モンゴル帝国の軍勢によって略奪され、著しく衰退した。その後、ジョチ・ウルスに属していたが、1350年リトアニア大公国の都市となった。1503年モスクワ大公国によって征服されたが、1618年ポーランド・リトアニア共和国に奪い返された。1620年自治権をもらった。1648年フメリヌィーツィクィイの乱のきっかけにコサック国家に属するようになった。コサックのノーウホロド=シーヴェルシクィイ百人隊区としてニージン連隊1649年1663年)とスタロドゥーブ連隊1663年1782年)に編成された。18世紀末にロシア帝国小ロシア県19世紀初めにチェルニゴフ県の郡庁所在地となった。1920年ウクライナ社会主義ソビエト共和国の都市となり、1932年にチェルニーヒウ州ノーウホロド=シーヴェルシクィイ地区の都市となった。

文化財[編集]

  • 城山(12世紀‐13世紀の城跡地)
  • 救世主変容修道院(11世紀)
  • 救世主変容大聖堂(18世紀)
  • 聖ムィコラーイ教会(18世紀)
  • 生神女就寝大聖堂(18世紀)
  • 凱旋門(18世紀末):ロシア女帝エカチェリーナ2世の訪問を記念するアーチ。

参考文献[編集]

  • ポーランド・ウクライナ・バルト史伊東孝之井内敏夫中井和夫編、山川出版社〈世界各国史; 20〉、東京、1998年(日本語)。000002751344。ISBN 4-634-41500-3
  • 黒川祐次物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国中央公論新社中公新書; 1655〉、東京、2002年(日本語)。000003673751。ISBN 4-121-01655-6
  • Історія міст і сіл Української РСР: Чернігівська область. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1972. (ウクライナ語)

外部リンク[編集]

座標: 北緯50度22分02秒 東経33度59分20秒 / 北緯50.367222度 東経33.988889度 / 50.367222; 33.988889