ニュージャージーサメ襲撃事件
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| ニュージャージーサメ襲撃事件 | |
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サメの捕獲を伝えるフィラデルフィア・インクワイアラー紙。 | |
| 場所 |
スプリング・レイクマタワン川流域 |
| 日付 | |
| 概要 | ニュージャージー州の大西洋沿岸及び近郊の川で相次いで人がサメに襲われ、うち4人が死亡、1人が重傷を負った。 |
| 原因 | サメ(ホホジロザメとされている)の襲撃 |
| 死亡者 | 4人 |
| 負傷者 | 1人 |
| 対処 |
海水浴場への防護網設置 マタワン川での駆除作戦 |
| 影響 | 海水浴客の減少など |
ニュージャージーサメ襲撃事件 (ニュージャージーサメしゅうげきじけん、Jersey Shore shark attacks of 1916) は、1916年7月1日から7月12日にかけてアメリカ合衆国ニュージャージー州で相次いで発生したサメによる獣害事件。一連の事件で4人が死亡、1人が重傷を負った。事件を起こしたサメの種類や個体数は2025年現在でも専門家の間で論議の的となっているが、ホホジロザメもしくはオオメジロザメによるものだという説が有力である。
猛暑やポリオの流行から逃れるためにニュージャージー州沿岸のリゾート地(ジャージー・ショア)に多くの人が訪れていた時期に発生したこともあり、海水浴客の減少への対策や安全確保のを目的とした大規模なサメ漁が行われるなど、現地の経済に大きな影響を及ぼした。またサメが危険な生物であると認識され、魚類学者がその生態や能力について再考するきっかけとなった事件でもある。
ピーター・ベンチリーが『ジョーズ』を執筆した際に題材とした事件と言われている(ディスカバリーチャンネル『実話!映画「ジョーズ」』)。
事件の経緯
[編集]大西洋湾岸での襲撃事件
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1916年7月1日、ニュージャージー州沿岸ジャージー・ショアのリゾート地の海岸で、遊泳中の男性、チャールズ・エプティング・ヴァンサント(事件当時23歳)がサメに襲われて死亡する事件が発生した(便宜上第一事件と呼称する)[1][2][3]。
ヴァンサントは家族とともに近くのイングルサイドホテルに宿泊しており、夕食前に飼い犬とともにビーチで泳いでいるところを襲われたとみられる。水に入ってまもなくヴァンサントが悲鳴を上げたため周囲の人は犬を呼んでいると勘違いしていたが、実際はサメに足を噛まれ出血を伴う怪我を負っていた。ヴァンサントはライフガードのアンソニー・オットと近くにいたシェリダン・テイラーにより救助されたが、2人によるとヴァンサントを海から引き上げる際、サメが岸まで追ってきたと証言した。ヴァンサントはホテルにて応急手当を受けたが左太腿から肉が剥がれ落ちるほどの重症であり、18時45分にイングルサイドホテルの支配人の机の上で出血多量のため死亡した[1][2][2]。
7月1日の事件の後もジャージーショア沿いの海水浴場は開いたままで、ニューアーク及びニューヨークに入港する船舶の船長からニュージャージー沖で大型のサメの目撃情報も報告されたが、対策が取られることはなかった。
それから5日後の7月6日、40マイル(約64キロメートル)離れたニュージャージー州スプリングレイクの海岸で、現地のホテルの従業員チャールズ・ブルーダー(スイス人、事件当時27歳)が岸から120メートルの地点で泳いでいた所をサメに襲われた(第二事件)。ブルーダーは腹を噛まれて両足を喰いちぎられ、周囲の海水が真っ赤に染まっていた。ブルーダーの悲鳴を聞きつけた付近の女性が、彼の赤いカヌーが転覆していることをライフガード2人に伝えた。ライフガードのクリス・アンダーソンとジョージ・ホワイトは救命ボートで彼のもとに漕ぎ付き、そこで初めてブルーダーがサメに噛まれたことに気づいた。2人はブルーダーを引き上げて救助したが、岸に運び込まれた時点ではすでに絶命していた。ニューヨーク・タイムズの当時の報道によると、ブルーダーの無惨な遺体を見た女性たちはパニックに陥り失神した。ホテルの宿泊客と従業員たちは息子を失ったブルーダーの母親に対し募金活動を行った[4]。
マタワン川での襲撃事件
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2人目の犠牲者が出てから6日後の7月12日(水曜日)には、第二事件の襲撃現場から30マイル(約48キロメートル)北にあるラリタン湾にそそぐ淡水のマタワン川でサメによる死亡事故が発生した(マタワン川事件)[1]。マタワンはラリタン湾の内陸にあることもあり、大西洋のビーチリゾートというよりアメリカ中西部に似た地域であった[5]。マタワンは、サメと人間の接触の可能性が低い場所だった。この日、マタワン川河口から16マイル(約26キロメートル)遡った上流の桟橋でトーマス・コットレルという者が体長8フィート(2.4メートル)のサメを目撃しており、町に報告したが目立った対策は取られなかった[6]。
14時頃、マタワン川では近所の少年達が泳いで遊んでいた。途中、少年達は「風雨にさらされた黒い板、もしくは朽ちた丸太」のようなものを目撃したが、それはサメの背びれであった[7]。気づいた少年達は慌てて逃げ出したが、近くにいたレスター・スティルウェル(事件当時11歳)がサメにより水中に引きずりこまれた[8]。
残りの少年達は陸に上がり大人達に助けを求めた。駆け付けた大人の数人スティルウェルが発作を起こしたものと考え、水に入って捜索した。捜索に加わった実業家ワトソン・スタンレー・フィッシャー(事件当時24歳)がスティルウェルを発見し岸に戻ろうとした直後、フィッシャーはサメに襲われ右大腿部を噛まれ重傷を負い、スティルウェルも取り返されてしまった[9]。フィッシャーは救助されたが、ロングブランチのモンマス記念病院で17時30分に失血死した。最初に襲われたスティルウェルの遺体は7月14日、ワイコフ埠頭から上流150フィート(46メートル)にて発見された[10][11]。
スティルウェルが襲われた約30分後、ワイコフ埠頭から半マイル(約805メートル)離れた地点で騒ぎを知らず泳いでいたジョセフ・ダン(事件当時14歳)もサメに襲撃された、ダンは左脚のふくらはぎを食いちぎられる重傷を負いながらも、サメとの激しい格闘の末に友人と姉妹に救助された[12]。このとき、ダンは噛みちぎられた肉がサメに飲み込まれるのを感じ、自分も飲み込まれそうだったと報道陣の取材に答えている[13]。ダンはセントピーターズ大学病院に入院し、9月15日に退院した[14]。

影響
[編集]アメリカ全国のメディアがジャージー・ショアやマタワンに殺到し、大きく取り上げたことで、アメリカ全国に本事件が知れ渡ることとなった[15]。カプッツォによると、本事件に対する大衆の混乱は「アメリカの歴史上前例のないもの」であり、電話や無線通信、手紙やはがきを介してニューヨークとニュージャージーの海岸沿いに広がっていった[16]。
第一事件後、関係者やマスコミはチャールズ・ヴァンサントの死因についてサメが原因であると推測した[17]。例えばニューヨーク・タイムズは、第一事件直後の記事にて「サメとみられる魚に噛まれた」と報道している[18]。一方でペンシルバニア州の魚類議員(フィラデルフィア水族館の元館長でもある)ジェームズ・M・ミーハンはパブリック・メジャーにて、サメはヴァンサントが連れていた犬を襲おうとして誤ってヴァンサントに噛みついたもので、積極的な襲撃ではなかったと主張した[19]。
チャールズ・ヴァンサント死亡事件の後、その近辺で2匹のサメが捕獲されたという報道があるので、人食いサメを恐れて海水浴をためらう必要はないと思います。サメに関する情報は不明確ですし、ヴァンサント氏が人食いサメに噛まれたとは到底考えられません。ヴァンサント氏は犬と波打ち際で遊んでいたところ、満潮時に潮に流されてきた小さなサメと遭遇した可能性があります。ヴァンサント氏は素早く動くことができなかったのと、近くにサメの餌となるものもなかったのとで、サメは犬を捕食しようと近づき、たまたま近くにいたヴァンサント氏に噛みついたのかもしれません。—ジェームズ・M・ミーハン、[20]
第二事件に対する各メディアの報道はよりセンセーショナルなものであった。ボストン・ヘラルドやシカゴ・サンタイムズ、フィラデルフィア・インクワイアラー、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズと言ったアメリカの主要紙は1面トップで事件を伝え、中でもニューヨーク・タイムズは「ジャージー・ビーチ沖でサメが海水浴客を殺害」と見出しをつけて報じた[21]。騒動の拡大に伴い、ニュージャージー州の観光業は推定25万ドル(2024年の価値では720万ドル)の損失を被り、一部の地域では日光浴の需要が75%減少した[22]。
7月8日、アメリカ自然史博物館にて学者3人により記者会見が開かれた。3人はサメが人を襲ったこと事態に驚いていると述べつつも、混乱の拡大を防ぐため3度目の襲撃の発生は考えにくいと強調した。一方で、3人の中で唯一の魚類学者であるジョン・トレッドウェル・ニコルズは、安全のため遊泳者は岸から離れ、最初の事件後に網が設置された海水浴場を利用すべきだと警告した[23]。

第二事件後、アメリカ中部大西洋岸におけるサメの目撃情報が増加した。7月8日には、スプリングクリークのビーチを巡回中のモーターボートがサメと思われる動物に遭遇し、ライフガードのベンジャミン・エヴァリンガムが体長12フィート(4メートル)のサメをオールで追い払ったと言う情報が入る。これを受けてアズベリーパークの海水浴場・アズベリーアベニュービーチは閉鎖された。サメは主にベイヨン、ロッキーポイント、ブリッジポート、ジャクソンビル、モービルの周辺で目撃されており、雑誌『フィールド&ストリーム』のコラムニストはビーチヘイブンの砂浜にてメジロザメを目撃している[24][25]。また女優のガートルード・ホフマンもマタワン川での事件直後、コニーアイランドのビーチで泳いでいる最中にサメを目撃したと主張している。ニューヨーク・タイムズは記事の中で、ホフマンは「以前タイムズ紙で読んだことがある『海水浴客が水しぶきをあげればサメを追い払える』という記事を思い出し、激しく水を叩いて追い払った」と記している。ホフマンは一連の事件の犯人であるサメに食べられると確信しており、後に「あの時の自分の行動は無駄だったのか、それともあの行動のおかげで死を免れたのか、確信が持てなかった」と述べている[26][27]。
ニュージャージー州の各地の自治体は、安全確保のための対策をとった[28]。例えば、事件後も唯一遊泳を許可していたアズベリーパークのフォースアベニュービーチは金網のフェンスで覆われ、モーターボートが常に巡回するなどの対策を行っている。一方で2人の死者と1人の負傷者を出したマタワン川流域では、網を河口に設置し川へ連日ダイナマイトを投げ込むなどしてサメの捕獲を試みた。マタワン市長のアリス・B・ヘンダーソンはジャーナル紙を通じ、サメを捕殺したものには100ドル(2024年の価値で2900ドル)の報奨金を出すと発表したが、サメの捕獲には至らなかった[29]。
ニュージャージー州沿岸のリゾート地は、連邦政府に対し、地元の海水浴場の保護とサメ漁への支援を請願した。これを受けた下院がニュージャージーのサメを駆除する費用として5,000ドル(2024年の価値で140,000ドル)を計上したほか、ウッドロウ・ウィルソン大統領は閣僚との会合を開き、死亡事件について議論した。そのほか、ウィリアム・マカドゥー財務長官は沿岸警備隊をニュージャージー州沿岸に派遣して海水浴客を保護することを提案[30]。一方サメ漁はその後も続き、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューションの報道によると、武装したサメ漁師がニュージャージー州・ニューヨーク州沿岸を連日巡回しサメ駆除に取り組んでいた[31]。さらに、当時のニュージャージー州の知事であるジェームズ・フェアマン・フィールダーがサメ駆除に対する報奨金を出したこともあり[32]、アメリカ東海岸では数百匹のサメが捕獲された。この一連のサメ漁は「史上最大規模の動物漁」と評されることもある[33]。
「ジャージーの人食い」の正体
[編集]2度の獣害事件の後、ジャージー・ショアでの事件を引き起こしたサメの種類や個体数を推測する動きが広まった。アメリカ自然史博物館の関係者らは、一連の事件を引き起こしたサメはニューヨーク港に到達した後、地獄の門とロングアイランド湾を通過するかロングアイランド南岸に沿って北上し、ジャマイカ湾に到達するものと推定した[34]。
ジャージー・ショアの襲撃事件の目撃者の証言により、サメの体長は9フィート(3メートル)と推定された。事件現場に居合わせた船長は、米西戦争の爆撃によってカリブ海から追い出されたシロワニだと推測している[35]。また事件後の数日間、複数の漁師による人食いザメの捕獲報告が挙がった。7月14日にはロングブランチ近郊でヨシキリザメが捕獲されたほか、その4日後にはトーマス・コトレルという者がマタワン湾の河口付近で刺し網を使ってメジロザメを捕獲したと主張している[36]。

7月14日、ハーレムの剥製師でリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスのライオン調教師でもあったマイケル・シュライサーがマタワン川から数マイル離れたラリタン湾で釣りをしていたところ、体長7.5フィート(2.3メートル)、体重325ポンド(147キログラム)のサメが網にかかった。サメは激しく抵抗してシュライサーの舟を沈めようとしたが、シュライサーは折れたオールでサメを殴りつけて仕留めた。このサメを持ち帰りシュライサーが腹を割いたところ、「牛乳箱の3分の2ほどの大きさで」重さが15ポンドほどの「怪しい肉塊と骨」が見つかった[37]。科学者による調査の結果、このサメはホホジロザメであり、体内の残留物は人の死体であると断定された[38]。なおサメの死骸はシュライサーの手で剥製にされブロードウェイの店で展示されたが、後に紛失している[39]。
このホホジロザメの捕獲後、ジャージー・ショア沿岸でのサメの襲撃の報告は後を絶った。そのためアメリカ自然史博物館の科学者はシュライサーが捕らえたホホジロザメが一連の事件の犯人であると断定し、サメに「ジャージーの人食い(Jersey man-eater)」と命名した[40][41]。
その他、サメ以外の犯人を示唆する意見や、当時発生していた第一次世界大戦に関連する進行中の出来事の影響を示唆する意見なども出された。例として、ロングアイランドの反対側、135マイル(217キロ)以上離れたニューヨーク州サウンドビーチに住むバレット・P・スミスはニューヨーク・タイムズ紙に宛てた手紙の中で次のように書いている。
ニュージャージー州スプリング湖沖で発生した死亡事故に関する記述を大変興味深く拝読したので、サメ説とは多少異なる見解を述べたいと思います。科学者たちはサメが原因である可能性は極めて低いと推測しており、ウミガメによる攻撃の可能性が高いという説も多く見られます。科学者たちは、沖や海岸に長く滞在しており、被害者たちが負ったような傷を人に負わせるほどの大きさのウミガメを何度も目撃しています。ウミガメは気性が荒く、怒ると近づくのが極めて危険です。ブルーダー氏は水面上または水面近くで眠っているウミガメを起こさせたという説が一般的です。[42]
ニューヨーク・タイムズに寄せられた投書の中には、サメの大量発生はアメリカ東海岸近海でのドイツ潜水艦の行動によるものだと推測するものもある。匿名の投書の書き手は、「サメはドイツ近海で死亡事故を起こした後、潜水艦の後をつけてニュージャージーにたどり着いたか、あるいは(潜水艦による撃沈によって)海に投げ出された人々を捕食するため、Uボート『ドイッチュラント号』を負ってきたのかもしれない」と述べている[43]。
事件発生から1世紀以上経った2025年現在でも、サメによる襲撃の原因については研究者の間で意見の一致を見ていない。リチャード・G・ファーニコラはこの事件に関する2つの研究論文を発表し、「ニュージャージー攻撃には多くの説がある」が、いずれも結論が出ていないと述べている[44]。

しかし、ナショナルジオグラフィック協会は2002年に、「一部の専門家は、ホホジロザメは一連の襲撃事件の犯人ではない可能性を示唆している1916年にニュージャージー州で発生した有名なサメ襲撃事件(映画『ジョーズ』のモデルになったとも言われている)を含む多くのサメによる獣害事件の真犯人は、あまり知られていないオオメジロザメかもしれないと述べている」と報告している[45][46]。
生物学者のジョージ・A・リャノとリチャード・エリスは、本事件に関与したのはオオメジロザメである可能性があると示唆した。オオメジロザメは海のみならず淡水の河川にも広く生息し、世界中で人的被害の報告が見られる。リャノは著書『サメ:人間への攻撃』(1975年)の中で次のように述べている。
マタワン・クリーク襲撃事件で最も驚くべき点の一つは、外海からの距離であります。本書にはイランのアフヴァーズの海から90マイル(140キロメートル)上流の地点で起きた、サメと人間の接触に関する記述があります。淡水湖のニカラグア湖にもサメが生息しており、1944年には淡水ザメの死骸に懸賞金がかけられたことも注目に値します。これは淡水ザメが最近「湖水浴客を殺傷した」ためであります。—ジョージ・アルバート・リャノ、Sharks: Attacks on Man (1975),、[47]
エリスは、「ホホジロサメは海洋性種であり、シュライサーがサメを捕獲したのは川である。潮汐のある小川で泳いでいるのを見つけるのは、控えめに言っても珍しく、不可能でさえある。しかしオオメジロザメは淡水域を蛇行して泳ぎ、闘争心が強く攻撃的な性質で悪名高い」と指摘している。また、「オオメジロザメはニュージャージー州の海域では一般的ではないが、ホホジロザメよりも頻繁に見られる」とした[48]。
魚類学者のジョージ・H・バージェスは、マイケル・カプッツォとのインタビューで「事件を起こしたサメがどのような種であるかは常に疑問視されており、今後も活発な議論が続くだろう」と推測している。しかし、バージェスはホホジロザメによる襲撃説を否定しているわけではないない。

オオメジロザメ襲撃説を多くの人々が支持しているのは、マタワン川は汽水域として知られており、淡水への耐性が強いオオメジロザメが多く出没する一方、淡水への耐性が強くないホホジロサメは淡水を避ける傾向にある点である。しかしマタワン川事件の現場を調査した結果、マタワン川の規模、深さ、塩分濃度は海水の入り江に近いものであり、そこに小型のホホジロサメが迷い込んだ可能性も指摘された。またマタワン川事件の直後に現場付近でマイケル・シュライサーによって捕獲されたホホジロサメの胃の中から人間の遺体が発見されたこと(その後、事件は発生していない)から、少なくともマタワンでの死亡事故に関与したサメは、このサメである可能性が高いとも考えられる。また、事件の時系列と地理的な順序から、第一・第二事件でも同じサメが関与していた可能性も指摘されている[49]。
ニュージャージーでの一連の事件による犠牲者4人は、いずれもインターナショナル・シャーク・アタック・ファイルではホホジロサメによる犠牲者として記載されている[50]。
水の中に入る人々の増加も被害の一因となった。世界人口が年々増加するにつれて、水上レクリエーションへの関心も高まっているが、サメによる襲撃の件数は、水に入る人々の数に大きく左右されることが分かっている[51]。しかし、一連の事件に関与したサメが1匹だけだったのかという点についても議論がある。ヴィクター・M・コップルソンやジーン・バトラーと言った科学者は、1916年にサメが捕らえられた際の自然史博物館の科学者の意見を引用して、事件を引き起こしたのは1匹のサメだったのだろうと主張した[52]。一方でファーニコラは、1916年はサメの被害が多い「サメの年」だったこと、アメリカの中部大西洋岸地域で数百匹のサメが泳いでいるのが目撃されていたと述べた[53]。リチャード・エリスは「我々が知る事実をすべて『1匹の凶暴なサメ』の仕業とする説に当てはめようとするのは、センセーショナリズムと信憑性を合理的な範囲を超えて拡大している」と批判したほか、「事件当時の証拠はとうに失われており、犯人のサメが1匹だったのか複数だったのか、ある種だったのか別の種だったのか、本当のところはもう決して特定できないだろう」と述べた[54]。
2011年、アメリカのテレビ局のスミソニアンチャンネルは、自社のドキュメンタリー番組の中で事件についての検証を行った。検証の中では、マタワン川の塩分濃度は、マタワン川事件が発生した満潮の数時間前には平常の2倍となっていたことを挙げ、ホホジロザメが襲撃に関与していたことを示唆した。一方、マタワン川事件で負傷したジョセフ・ダンの噛み傷の跡はホホジロザメではなくオオメジロザメのそれに近いということも指摘されており、5件の事件には複数のサメが関与した可能性が高いという意見も上げられている[55]。
科学的見直し
[編集]本事件が発生した1916年以前、アメリカの科学者たちは、アメリカ北東岸などの温帯気候に生息するサメが刺激も受けずに人を襲うことがあるとはあまり考えていなかった。ある科学者は、「サメが人を噛むことと襲うことには大きな違いがある」とし、漁網にとらえられたサメや死骸を食べるサメが人を襲うことはあっても、積極的に襲うことは考えていなかった[56]。1891年に、実業家のヘルマン・オーリックスという者がザ・サンの記事にて「ノースカロライナ州ハッテラス岬の北の温帯海域で、サメに襲われた男性の確かな事例」について挙げ、サメの捕獲に500ドルの懸賞金をかけたが[57][58]、科学者たちは聞き入れることなく、温帯地域に生息するサメは温厚で安全であるという考えを崩すことはなかった[57][59]。

多くの学者は、サメが人間に致命傷を与えることができるとは信じていなかった。魚類学者であるヘンリー・ウィード・ファウラーとフィラデルフィア自然科学アカデミーの学芸員、ヘンリー・スキナーの両名は、ともにサメが人噛みで人間の足を切断できる力はないと考えていた[60]。アメリカ自然史博物館の館長フレデリック・ルーカスは、30フィート(9メートル)もあるサメでは人間の骨を折る力があるのかと疑問を呈していたほか、1916年初頭にはフィラデルフィア・インクワイアラー紙の取材に対し「最大のカルカロドン(ホホジロザメ)でさえ、成人男性の足を切断する力はない」と語っている。ルーカスは、オーリックスが要求した報奨金と、サメに噛まれる可能性は「雷に打たれる可能性よりもはるかに低い」とし、海岸でサメに襲われる危険は事実上ないと結論付けた[61]。
ニュージャージ沿岸での襲撃事件以後、アメリカの研究者たちは、サメが臆病で非力な魚類であるという考えを改めるようになった。1916年7月には、魚類学者でナショナルジオグラフィック協会の編集者、ヒュー・マコーミック・スミスがニューアークの地方紙に、「サメは種類によって、ハトのように無害なものから獰猛さの化身のようなものまで分類される」という記事を寄せた。その記事の中では、スミスはもっとも巨大で獰猛なサメとしてホホジロザメを上げ、「温帯と熱帯のすべての海域を回遊し、どこでも恐れられている。その最大体長は40フィート、歯の長さは3インチ(76mm)である」と評した[62]。
1916年7月末までには、ジョン・ニコルズとロバート・マーフィーはホホジロザメについてより真剣に議論するようになった。マーフィーは『サイエンティフィック・アメリカン』誌上で、「ホホジロザメは特筆すべきサメの中でおそらく最も珍しい種である…その習性はほとんど知られていないが、ある程度大型のウミガメを捕食するとも言われている…その体格から判断すると、外洋で人間を攻撃することも躊躇しないだろう」と評し、「体重が200~300ポンドの比較的小型のホホジロザメでさえも、肉を噛み切った後、体をひねるだけで人間の最大の骨を容易に折ってしまうことは明らかだろう」だとも述べた[63]。
マーフィーとニコルズは1916年10月、次のような文章を記している。
サメの形状には、どこか不気味な雰囲気がある。穏やかにきらめく夏の海面を、あの黒く引き締まった背びれが、のんびりとジグザグに切り裂くように泳ぎ、やがて再び現れることなく視界から消え去る光景は、まるで邪悪な精霊を連想させる。顎のないいやらしい目つきの顔。漁師の道具にあまりに適している、鋭いナイフのような歯が並んだ大きな口。甲板の上で激しくのたうち回り、敵に噛みつこうとするあの容赦のない狂暴さ。どれほど傷ついても堪えない強靭さ、残虐で図太い生命力そして肉体的な傷に対する鈍感さ。サメはこれらを兼ね持っていながらも、颯爽として華麗で破壊的で食通をうならせるオキスズキやマグロ、サケに対して抱くような賞賛の意を、私たちから引き出すことは決してないのだ。—ジョン・ニコルズ,ロバート・マーフィー、[64]
マタワン川事件の後、フレデリック・ルーカスはニューヨーク・タイムズ紙の一面で、サメを過小評価していたことを認めた。同紙は「この国で最も権威のあるサメの専門家は、サメが人間を襲ったことは一度もないと信じ切っており、かつそれを公表していたが、最近の事件によりその見解は変わることとなった」と報じた[65]。ニコルズは後に、生物調査「ニューヨーク市近郊の魚類」(1918年) の中で、ホホジロザメの出現を記録している。「 Carcharodon carcharias (Linn.) ホホジロザメ。「人食いザメ」。夏に偶発的に出現。1916年6月から7月14日」[66]
文化への影響
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第一事件発生後、新聞の漫画家たちの中では、政治家やUボート、ヴィクトリア朝の道徳観とそのファッション、ポリオ、アメリカ北東部の猛暑を風刺する題材としてサメを描く動きが広まった。ファーニコーラは、「1916年はアメリカ人がヴィクトリア朝時代の堅苦しさと保守主義から脱却しようとしていた年であり、ある漫画は際どい水玉模様の水着を描き、その水着を泳ぐ人をサメから遠ざける秘密兵器であるとして宣伝している」と指摘している。別の漫画では、「『危険:遊泳禁止』の標識が掲げられた桟橋の端にいる、いらだたしい人物」が描かれ、「当時最も強調されていた3つの『危険』の話題、『小児麻痺(ポリオ)、流行性の熱波、そして海のサメ』」に言及している。この漫画のタイトルは「家族思いの男はどうすべきか?」である[67]。1916年は第一次世界大戦の激化でアメリカにおけるドイツへの不信感が高まっていた年でもあり、サメの口とヒレを持つUボートが、水の中を歩いているアンクル・サムを襲っているという風刺画も描かれた[68]。
1974年、ピーター・ベンチリーは小説『ジョーズ』を執筆、翌年には映画化され大ヒットを記録した。作中では、平和な港町アミティを恐怖に陥れる巨大な人食いサメと、サメに立ち向かう3人の男たちの戦いが描かれるが、その中で主人公のブロディ(ロイ・シャイダー)がニュージャージーの人食いザメ事件について言及し、市長に対してビーチの閉鎖を求める描写が登場する[69]。リチャード・エリス、リチャード・フェルニコーラ、マイケル・カプッツォは、1916年の襲撃事件及びコップルソンの凶暴なサメに関する理論、ニューヨークの漁師フランク・マンダスの経験がベンチリーに影響を及ぼしたと述べている[70][71][72]。
ニュージャージーサメ襲撃事件はリチャード・G・ファーニコラの『ジャージー島の人食いザメに関する調査(In Search of the "Jersey Man-Eater")』(1987年)と『12日間の恐怖』(2002年)、マイケル・カプッツォの『階段付近(Close to Shore)』などと言った研究の対象となった。カプッツォは襲撃の科学的、医学的、社会的側面を検証したほか[73]、ファーニコラの研究はそれぞれヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネルのドキュメンタリー番組で取り上げられたほか[74][75]、ジョージ海洋図書館が1991年に制作した90分のドキュメンタリー『ジャージー島の人食いザメに関する調査』の脚本と監督も務めたが、広く公開されることはなかった[76]。
マタワン川事件はナショナルジオグラフィックチャンネルのドキュメンタリー番組「謎のサメの襲撃」(2002年)の題材となっており、同番組では、オオメジロザメがマタワン川事件に手スタンリー・フィッシャーとレスター・スティルウェルの2人を殺害した可能性を指摘している[77]。
参考文献
[編集]- Allen, Thomas B. (1996). Shadows in the Sea: The Sharks, Skates, and Rays. Guilford, Connecticut: The Lyons Press. ISBN 1-55821-518-2
- Capuzzo, Michael (2001). Close to Shore: A True Story of Terror in an Age of Innocence. New York: Broadway Books. ISBN 978-0-7679-0413-1
- Ellis, Richard (1983). The Book of Sharks. San Diego: Harcourt Brace Jovanovich. ISBN 0-15-613552-3
- Fernicola, Richard G. (2002). Twelve Days of Terror: A Definitive Investigation of the 1916 New Jersey Shark Attacks. Guilford, Connecticut: The Lyons Press. ISBN 1-58574-575-8
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 Fernicola 2002, pp. 1–9.
- 1 2 3 Capuzzo 2001, pp. 88–103.
- ↑ Allen 1996, pp. 3–4.
- ↑ “SHARK KILLS BATHER OFF JERSEY BEACH”. ニューヨーク・タイムズ (1916年7月7日). 2025年4月29日閲覧。
- ↑ Fernicola 2002, pp. 33–34.
- ↑ Fernicola 2002, p. 45.
- ↑ Capo, Fran『"When the Shark Bites"』2004年、97頁。ISBN 0-7627-2358-0。
- ↑ Fernicola 2002, pp. 45–50.
- ↑ Fernicola 2002, pp. 238–240.
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