ニコライ・グリヤジン

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ニコライ・グリヤジン
2018年
2018年
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1997-10-07) 1997年10月7日(26歳)
出身地 モスクワ
WRCでの経歴
活動時期 2019年 -
コ・ドライバー 公認中立選手 コンスタンティン・アレクサンドロフ
所属チーム ヒュンダイシュコダ
出走回数 33
優勝回数 0
表彰台回数 0
ステージ勝利数 0
通算獲得ポイント 20
初戦 2019年 ラリー・スウェーデン
最終戦 2023年 ラリー・フィンランド
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ニコライ・スタニスラヴォヴィッチ・グリヤジンロシア語: Николай Станиславович Грязинラテン文字表記例Nicolay Stanislavovich Gryazin1997年10月7日 - )は、ロシア出身のラリードライバー。名前はニコライ・グリアジンニコライ・グリャジンなどの表記揺れがある。

略歴[編集]

初期の経歴[編集]

同じラリードライバーであったロシア人の父と、ベルギー人の母の元に生まれる。

2016年からプジョー・208 R2ヨーロッパラリー選手権(ERC)に参戦した際、マシンの性能が芳しくなく13位にランクインするのがやっとであった。2017年はシュコダ・ファビア R2からERCフル参戦を果たし、最終戦のラトビア・ラリーで優勝を飾った。2018年は5戦のみ出場だったが、同郷のアレクセイ・ルキャヌク英語版に次ぐドライバーズタイトル2位につけるといった目覚ましい成長を遂げた。

WRCの世界へ[編集]

2019年より、WRC2に参戦。ラリー・フィンランドで初優勝を果たす。

2020年はヒョンデのワークスチームからWRC2に参戦し、二度の表彰台でランキング5位を獲得。

2021年はモヴィスポーツからWRC2に参戦。ロシアのドーピング問題の影響で国籍欄は「ANA(中立選手)」となる。フォルクスワーゲン・ポロアクロポリス・ラリーのみフォード・フィエスタ)を駆り、3度表彰台を獲得してランキング6位。

2022年はシュコダのワークス格であるTOKスポーツへ移籍。母国のウクライナ侵攻の影響で殺害予告を受けて、ERCポルトガル参戦をキャンセルした[1]。しかし元々ラトビアでライセンスを取得し、フランスに在住している彼に大きな影響はなく、WRC2にフル参戦。イタリアでは優勝するなど4度の表彰台を獲得してランキング5位となった。

2023年も同じ体制で参戦。ラリー・モンテカルロでは「藤原とうふ店」(左右にデカールが貼られていたが、左側だけミスで「藤」の草冠が抜けて「滕」になっていた)とマシンに書き、名所チュリ二峠で最速タイムを叩き出した[2]

レース戦績[編集]

エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
2021年 モヴィスポーツ フォルクスワーゲン・ポロGTI R5 MON
12
ARC
12
CRO
Ret
POR
10
ITA
Ret
KEN EST
Ret
BEL
59
FIN
36
30位 2
フォード・フィエスタ R5 Mk. II GRE
13
シュコダ・ファビア Rally2 Evo ESP
10
MNZ
13
2022年 TOKスポーツ MON
10
SWE
Ret
CRO
10
POR
28
ITA
8
KEN EST
WD
FIN
Ret
BEL
8
GRE
10
NZL ESP
13
JPN 18位 11

脚注[編集]

外部リンク[編集]