ドナルド・ヘッブ
ドナルド・ヘッブ Donald Olding Hebb | |
|---|---|
| 生誕 |
1904年7月22日 |
| 死没 |
1985年8月20日(81歳没) カナダ、ノバスコシア州、チェスター |
| 研究分野 | 心理学 |
| 研究機関 |
モントリオール神経学研究所および病院 クイーンズ大学 (カナダ) ヤーキーズ霊長類研究所, マギル大学[1] |
| 出身校 |
ダルハウジー大学 (B.A.、1925年 マギル大学 ([M.A.]]、1932年 ハーバード大学 (PhD, 1936年) |
| 博士論文 | The innate organization of visual perception in the rat (1936) |
| 博士課程指導教員 | Karl Spencer Lashley |
| 博士課程指導学生 | Brenda Milner |
| 主な業績 | Cell assembly theory |
| 主な受賞歴 | 王立協会フェロー[2] |
| プロジェクト:人物伝 | |
ドナルド・オールディング・ヘッブ(Donald Olding Hebb、1904年7月22日 - 1985年8月20日)は、カナダの心理学者。神経心理学の開拓者の一人であり、ニューラルネットワーク研究の先駆者でもある。ヘッブの法則でその名を知られる。神経生理学によって人間の学習を説明しようとした。
生涯
[編集]生い立ち、教育
[編集]医師であった両親の4人の子供の長男として、カナダの大西洋に面した東海岸ノバスコシア州チェスターに生まれる。母はマリア・モンテッソーリの思想に強く影響を受け、8歳まで彼に自宅で英才教育をほどこし、16歳の時に両親がダートゥマスに転居するまで育った。ヘッブは小学校で非常に優秀な成績を収めたため、10歳で7年生に進級したが、チェスター校で11年生の時に落第し留年した結果、16歳でハリファックス郡アカデミーを12年生として卒業した[3]。
キャリア
[編集]その後、1925年から1927年にかけて、かつて通ったチェスターの学校で教鞭をとった。その後、アルバータ州の農場で働き、ケベック州では労働者として各地を転々とする中で、ウィリアム・ジェームズ、ジークムント・フロイト、ジョン・B・ワトソンらの著作に触れる。これをきっかけに心理学を志し、マギル大学の心理学教室を訪ねて、読むべき本、学ぶべき事柄について手ほどきを受ける。再び教職に戻り、1928年から1934年までモントリオール郊外ケベック州ヴァーダン高校(Verdun High Schoo)の校長に任命され、教育行政および管理に従事する一方、マギル大学の大学院生となって研究を続ける[4]。彼は大学時代の同僚であるケロッグとクラークと共に、高校の状況改善に取り組み、より革新的な教育手法を採用した——例えば、より興味深い課題を割り当て、問題行動を起こした生徒は外に出す(学習を特権とする)といった方法である。
1931年、大病を患い、病床でチャールズ・シェリントンやイワン・パブロフの著作に触れる。1932年、著名な心理学者ボリス・バブキンの指導のもと、マギル大学で心理学のM.A.を取得した。この修士論文『条件反射と無条件反射および抑制』は、骨格筋反射が細胞レベルの学習に起因することを示そうとしたものである[4]。
1933年には事故で妻を亡くし、校長をしていた学校も立ち行かなくなる。1934年、シカゴ大学のカール・ラシュレーの研究室に入り、翌年、ラシュレーの異動に伴いハーバード大学に移り、講師兼個人指導教官兼研究助手として1937年まで研究に従事しながら、1936年にハーバード大学で博士号を取得。論文の題目は「視知覚の生得的機構」(Innate organization of visual perception.)[3]。1937年、エリザベスと再婚してモントリオールに戻り、マギル大学モントリオール神経学研究所の嘱託研究員となり、ワイルダー・ペンフィールドのもとで頭部損傷やロボトミーによる心理的影響の研究を行なう[3]。ここでヘッブは脳手術や損傷が人間の脳機能に及ぼす影響を研究した。子どもの脳は一部を切除しても機能の一部または全体を回復できるが、成人では同様の損傷がはるかに深刻な、時には壊滅的な結果をもたらすことを確認した。このことから、成人の思考過程において外部刺激が果たす重要な役割を導き出した。実際、この刺激の欠如が機能低下や時に幻覚を引き起こすことを示した。
また、脳外科患者に使用されるスタンフォード・ビネーおよびウェクスラー成人知能検査にも批判的になった。これらのテストは総合的な知能を測定するために設計されたものであったが、手術が患者に与えたより具体的な影響を測定するためにテストを設計すべきだと考えていた。N.W. モートンとともに、成人理解力テストおよび画像異常テストを作成した。
画像異常テストを活用することで右側頭葉が視覚認識に関与していることを初めて示唆した。また前頭葉の大部分を摘出しても知能にほとんど影響がないことも明らかにした。実際、てんかん治療のために前頭葉の大部分を摘出された成人患者において、「術後、人格と知的能力に著しい改善が見られた」と記している。こうした結果から、前頭葉が学習に重要な役割を果たすのは人生の初期段階のみであると考えるようになった。
1939年、オンタリオ州クイーンズ大学に招聘され、講師、1941年に助教授となる[3]。年齢に伴う前頭葉の役割変化に関する自身の理論を検証するため、学生ケネス・ウィリアムズと共に「ヘッブ=ウィリアムズ迷路」と呼ばれる可変経路迷路を設計した。これは後に無数の研究で用いられる動物知能試験法となった。ヘッブはこの迷路を用いて、異なる発達段階で失明させたラットの知能をテストし、「幼少期の経験が成体ラットの問題解決能力に永続的な影響を与える」ことを示した。これは発達心理学の主要な原理の一つとなり、後に経済的に困窮した地域における就学前児童向け「ヘッドスタート計画」の重要性を主張する論拠となった。
1940年に、The Bulletin of the Canadian Psychological Association の創設、1942年まで同誌の編集者を務めた[3]。
1942年、フロリダ州オレンジパークに移り、ヤーキーズ国立霊長類研究センターの霊長類生物学研究所所長としてヤーキーズの後任となったカール・ラシュリーと再び協力することになった。ここで霊長類の行動を研究するために、チンパンジー向けの感情テストを開発した。しかし実験は不成功に終わった。チンパンジーは教えにくいことが判明したためである。この研究期間中、画期的な著作『行動の機構』を執筆した[5]。この本で、行動を説明できる唯一の方法は脳機能の観点からだとする理論を提唱した。
1947年、マギル大学に心理学教授として招聘される。1948年、心理学研究室主任教授に就任[3]。ここで再びペンフィールドと協力することになったが、今回は、ペンフィールドの学生であるモーティマ・ミシュキン、ハルドール・エンガー・ロスヴォルド、ブレンダ・ミルナーなどの学生たちも含めてであった。
1962年に妻エリザベスが亡くなり、1966年に3人目の妻、未亡人のマーガレット・ドリーン・ライト(旧姓ウィリアムソン)と再婚した。ヘッブは1972年に引退するまでマギル大学に留まり、引退後も数年間は名誉教授として心理学部に留まり、同学部の大学院生全員に必修のセミナーコースを担当した。
1977年、生まれ故郷のノバスコシア州に引退し、そこで最後の著書『心について(Essay on Mind)』を完成させた。彼は母校であるダルハウジー大学で心理学の名誉教授に任命され、1985年に81歳で亡くなるまで、同大学で定期的にコロキアに参加していた[6]。ヘッブには2人の娘、いずれも2番目の結婚で生まれた、メアリー・エレン・ヘッブとジェーン・ヘッブ・ポールがあった。
関係学術団体
[編集]1951年-1953年、防衛研究委員会:人的資源研究顧問委員。
1951年、カナダ心理学会特別研究員。
1952年-1953年、カナダ心理学会会長。
1953年-1954年、アメリカ心理学会第三部会会長。
1954年、イギリス心理学会名誉研究員。
1954年-1957年、アメリカ心理学会理事。
1966年王立協会フェロー選出。
著書
[編集]- The Organization of Behavior: A Neuropsychological Theory. John Wiley & Sons. (1949). ISBN 9780471367277
- Essay on Mind. Hillsdale, New Jersey: Lawrence Erlbaum. (1980). ISBN 9780898590173.
- 『心について』白井常,鹿取広人,鳥居修晃,平野俊二,金城辰夫共訳、紀伊国屋書店、1987年
- The Conceptual Nervous System. Pergamon Press. (1982). ISBN 0080274188 a collection of 21 papers by Hebb, with a complete list of his publications,edited by Henry A. Buchtel.
- A Textbook of Psychology. Philadelphia and London: W. B. Saunders and Co.. (1958). ISBN 9780787211035
脚注
[編集]- ↑ Biographies of Donald Olding Hebb Archived November 25, 2011, at the Wayback Machine.
- ↑ Milner, P. M.; Milner, B. (1996). “Donald Olding Hebb. 22 July 1904-20 August 1985”. Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society 42: 192–204. doi:10.1098/rsbm.1996.0012. PMID 11619332.
- 1 2 3 4 5 6 7 D.O.ヘッブ 著、白井常 訳「訳者序 著者の略歴」『行動の機構』1957年、7-9頁。
- 1 2 Milner, Peter M. (August 1986). “Donald Olding Hebb (1904-1985)”. Trends in Neurosciences 9: 347–351. doi:10.1016/0166-2236(86)90107-4 2020年7月23日閲覧。.
- ↑ Hebb, D. O. (1949). The Organization of Behavior: A Neuropsychological Theory. New York: Wiley and Sons. ISBN 978-0-471-36727-7
- ↑ Milner, Peter (January 1993). “Scientific American”. The Mind and Donald O. Hebb 268 (1): 124–129. JSTOR 24941344.
参考文献
[編集]- D.O.ヘッブ 著、白井常 訳「訳者序 著者の略歴」『行動の機構』1957年、7-9頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Donald Olding Hebb - ウェイバックマシン(2008年3月23日アーカイブ分) - スカラーペディア百科事典「ドナルド・ヘッブ」の項目。