トーテンコップ

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帽子に伝統的なトーテンコップがあしらわれた、ドイツ帝国陸軍ユサールの礼装
アウグスト・フォン・マッケンゼン
伝統的なトーテンコップと異なり下顎骨がある、ナチス式トーテンコップ
1934年にドイツ国防軍陸軍戦車兵が襟章用に伝統的なトーテンコップを使い始めてから新たに導入された。
ドイツ国防軍陸軍戦車兵の襟章用トーテンコップ
1815年のブラウンシュヴァイクのトーテンコップフ

トーテンコップドイツ語: Totenkopfドイツ語発音: [toːtənkɔp͡f])は、ドイツで伝統的に用いられている髑髏を模った紋章である。主にナチス・ドイツ時代の親衛隊帽章として知られている。

この言葉自体はドイツ語で髑髏を意味し、カナ転写するとトーテンコプフとなる[1]

デザイン[編集]

一般に、交差したの上に頭蓋骨を置いたデザインが知られている。 骨が頭蓋骨の後ろに置かれて下顎骨がないというのが海賊旗のデザインと異なっている。ただし、ナチス親衛隊のトーテンコップには下顎骨がある。

髑髏は一般的に死の象徴として知られ、死神とともに連想されることが多く、悲観的なイメージが強い。しかし同時に不死、人の未熟さに対する神の永遠性などを指すこともある。

起源[編集]

ナチス・ドイツの親衛隊武装親衛隊等の紋章や徽章として有名であるが、元々はプロイセン王国軍の騎兵の徽章としてフリードリヒ2世によって採用されたのが最初と言われている。

また、ロシアでは同じデザインの記章はもっと以前から存在し、タタール人制圧のための正教会武装キリスト教徒集団が使用していた(「アダムの頭蓋骨」と呼ばれている)と言われている。

歴史[編集]

フリードリヒ2世はプロイセン王国軍軽騎兵連隊 Regiment Nr. 5 に対して黒地の制服にこの徽章を付けるように指示した。この制服でオーストリア継承戦争七年戦争において従軍させている。その後この徽章は1808年頃まで採用されていたと言われている。

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公及びエールス公フリードリヒ・ヴィルヘルムナポレオン・ボナパルトのドイツ占領軍と戦うべく創設した義勇軍である黒い軍勢シャコー帽にこの徽章を付けた。

またドイツ以外でも Totenkopf は騎兵の徽章として諸国の軍隊で採用されている。スウェーデン王国では騎兵連隊において採用されており、ロシア帝国のコルニーロフ連隊では1917年まで採用されていた。

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の親衛隊は、1925年の結成時からトーテンコップの徽章を帽子に使用していた。1934年にはドイツ国防軍陸軍でも戦車・装甲車搭乗員の軍服の襟章として、トーテンコップが使用されるようになった。この際に区別のため、親衛隊のトーテンコップには下顎が追加されるという変更が加えられた。

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  1. ^ 三修社『アルファ独和辞典』

関連項目[編集]