デイヴ・クラーク・ファイヴ

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デイヴ・クラーク・ファイヴ
Dave Clark Five
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン トッテナム
ジャンル ポップ・ロックビート・ミュージック英語版
活動期間 1957年 - 1970年
旧メンバー デイヴ・クラーク英語版
マイク・スミス(Dave Clark Five)英語版
レニー・デビッドソン英語版
リック・ハクスリー英語版
デニス・ペイトン英語版

デイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)は、イギリスバンド1960年代ブリティッシュ・インヴェイジョン勢力のバンドとして活躍した。DC5と略される。

略歴[編集]

ドラマーのデイヴ・クラークを中心にロンドン北部の下町トッテナム1957年に結成し、1963年デビュー。「グラッド・オール・オーバー」のナンバーワンヒットで脚光を浴び、ビートルズの好敵手と目されるようになる。その後も代表曲となる「ビコーズ」などがヒット。同年アメリカへ進出。1964年から1967年夏までは本国よりもアメリカでの人気が高く「オーバー・アンド・オーバー」が1965年に全米ナンバーワンとなる(唯一の全米ナンバーワン)[1]

1966年、ビートルズ来日以前に日本公演の話が出るも、デイヴ・クラーク側がアメリカ並のギャラを提示したため、日本側は収益が見込めない事を理由に決裂している[要出典]。1967年夏、アメリカで「青空の恋」がトップ10に入っている頃に最後の全米ツアーを行う。なお、英本国では「エブリバディ・ノウズ」(邦題:青空が知っている、1965年のEverybody Knowsとは同名異曲)が全英2位を記録しており、活動の中心がアメリカから本国へ移っていることがわかる、以後は1970年夏の解散まで英本国のみのTOP10ヒットを放ち続けた[2]。また、前半はオリジナル曲中心だったが、後半は他人の曲を多くヒットさせている。ビートルズに続いて、カーネギーホールで公演(後にローリング・ストーンズが公演を行うも、あまりのステージマナーの悪さにより、以後ポピュラー音楽の使用はシャットアウトされるに至った)。

バンドはテナーサックスオルガンをフィーチャーした肉厚なサウンドスタイルで他のバンドとの差別化を図り、観客の度肝を抜かせたその音はリバプールサウンドに対抗してトッテナム・サウンドとも呼ばれたが、当時の日本ではビートルズでさえ騒々しい音楽と揶揄されており、重厚なサウンドであるDC5に対しては理解が乏し過ぎ高い支持が得られず終いだった。

テナーサックス兼リズムギター担当のデニス・ペイトンは2006年12月17日に逝去[3]、リードボーカル/オルガン/ピアノ担当のマイク・スミスは2008年2月29日に64歳で亡くなる[4]

2008年にロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターはトム・ハンクスが務め、締めくくりとしてジョーン・ジェットが「Bits and Pieces」をカヴァーした[5]

脚注[編集]

  1. ^ Whitburn, Joel (2004). The Billboard Book of Top 40 Hits: Eighth Edition. Record Research. p. 129 
  2. ^ “The Dave Clark Five Biography”. AllMusic. https://www.allmusic.com/artist/the-dave-clark-five-mn0000785611/biography 2020年2月20日閲覧。 
  3. ^ Laing, Dave (2007年1月5日). “Denis Payton: Saxophonist who put the growl into the Dave Clark Five”. TheGuardian.com. 2019年5月29日閲覧。
  4. ^ “Dave Clark Five singer Smith dies”. BBC. (2008年2月28日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/7270242.stm 2008年2月29日閲覧。 
  5. ^ Inductees for 2008”. Rock and Roll Hall of Fame official website (2007年12月13日). 2008年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月11日閲覧。

外部リンク[編集]