デイヴィッド・ベネター

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デイヴィッド・ベネター(David Benatar, 1966年12月8日 - )は、ケープタウン大学(南アフリカ)の哲学科長、教授[1]。著書『生まれてこないほうがよかった――生まれ出るという害悪(Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence)』において反出生主義(antinatalism)を擁護したことで最もよく知られている。同書の主張によれば、誕生し存在するようになることは、存在者の感情の如何によらず深刻な害悪であり、したがってこれ以上感覚を有する存在を生み出すことは常に道徳的に誤っているという[2]

ベネターは、痛みはそれ自体で悪しきものであるという論争の余地がない前提をもとに議論している[3]。しかしながら、子どもに対する体罰[4]や男児の割礼の擁護も行っている(保護者の裁量にまかされる事柄だと彼は考えている)[5]。医療倫理学の分野で頻繁に引用される論文の著者であり、代表作に「予防と児童虐待の間(Between Prophylaxis and Child Abuse)」(『The American Journal of Bioethics』)や「胎児の痛み――胎児の痛みに関する混乱の終息に向けて(A Pain in the Fetus: Toward Ending Confusion about Fetal Pain)」(『Bioethics』)がある[6][7]

ベネターの仕事はしばしば、現代哲学におけるニヒリズムやペシミズムの潮流に関連付けられる。『True Detective』の監督であるニック・ピゾラットはあるインタビューにおいて、ベネターの『Better Never to Have Been』が自身のテレビシリーズに影響をもたらしたと語っている。なお、他に挙げられた著作は、レイ・ブラシエ『Nihil Unbound』、トーマス・リゴッティ『The Conspiracy Against the Human Race,』、ジム・クローフォード『Confessions of an Antinatalist』、そしてユージーン・タッカー『In The Dust of This Planet』である[8]

ベネターの論文は次のような学術誌に掲載されている。『Ethics』、『Journal of Applied Philosophy』、『Social Theory and Practice』、『American Philosophical Quarterly』、『QJM: An International Journal of Medicine,』、『Journal of Law and Religion』、『British Medical Journal』。

ベネターの著書『第二のセクシズム――成人男子と男児に対する差別(The Second Sexism: Discrimination Against Men and Boys)』(2012年)は大きな論争を巻き起こした[9]

[10]。ベネターは著書の中で批判を予見していた。「アカデミズムで正統なものとして受け入れられている信条と私が扱うテーマの微妙さを考えれば、本書で擁護する立場が多くの人から脅かされることは避けられないだろう。私にははっきり分かる。私の主張は、どれだけ明確に述べようと、誤解されることになるだろう」[11]

ベネターはヴェジタリアンで、ヴィーガニズムの議論にも参加している[12]

反出生主義[編集]

生まれてくることはその本人にとって、常に災難であり、それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか、または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算の為)、または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。

ベネターはチャイルド・フリーのような立場と自身の立場をはっきりと区別する。チャイルド・フリーのような考え方は、自分のライフスタイルを維持することを考えて子供を持たないという立場を取るが、ベネターは親の都合ではなく、生まれてくる人間の観点に立って、その上で生むべきではない、と主張する。つまり生まないことは、多くの人に取ってはある種の我慢が必要な事ではあるが、生まれてくる人間のことを少しでも真剣に考えるのならば、子供は生まずに我慢すべきだ、とする。

ベネターは人口爆発の問題について言及している。ベネターは地球上の理想の人口ゼロであるとしている。つまり人間は絶滅した方がよい、と主張している。とはいえ即座に人類絶滅を目指すのは生まれてきてしまった人たちにとって大きい苦痛を伴うものとなるであろうから、少しずつ段階的に人口を減らしていき、最終的に絶滅する、つまりゆるやかに絶滅していくのが良いだろう、としている。ちなみにヒトに限らず、他の感覚を持った生物も、まったく生まれてこない方が良かった、つまり絶滅してしまった方が良い、としている。

ちなみにこの生の苦の問題に関し、こうした文章を読んでいる人間は「すでに手遅れである」とベネターは言う。それはすでに生まれてきてしまっているからである。

彼の著書『Better Never to Have Been』は両親と兄弟に捧げられている。両親に(私を生んでしまったけれども)、兄弟に(生まれてきてしまったけれども)、という形で献辞されている。

著作[編集]

単著[編集]

  • Benatar, David (2012). The Second Sexism: Discrimination Against Men and Boys. Wiley-Blackwell. ISBN 0-470-67451-2. 

編著書[編集]

  • Cutting to the Core: Exploring the Ethics of Contested Surgeries (2006)
  • Ethics for Everyday. New York: McGraw-Hill, 2002.
  • Life, Death & Meaning : Key Philosophical Readings on the Big Questions (2004)

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ University of Cape Town Philosophy Department Staff
  2. ^ Steyn, Mark (2007年12月14日). “Children? Not if you love the planet”. Orange County Register. http://www.ocregister.com/opinion/child-birth-homeless-1942317-year-percent 2008年4月29日閲覧。 
  3. ^ Benatar, David (2006). Better Never to Have Been. Oxford University Press, USA. doi:10.1093/acprof:oso/9780199296422.001.0001. ISBN 978-0-19-929642-2. 
  4. ^ David Benatar, "Corporal Punishment", in: Social Theory and Practice, vol. 24 (1998), pp. 237–260.
  5. ^ Michael Benatar, David Benatar, "Between Prophylaxis and Child Abuse: The Ethics of Neonatal Circumcision," in: David Benatar, ed., Cutting to the Core: Exploring the Ethics of Contested Surgeries (Lanham: Rowman & Littlefield Publishers, 2006), pp. 23–46.
  6. ^ Benatar: Between Prophylaxis and Child Abuse – Google Scholar”. Google Scholar. 2008年4月29日閲覧。
  7. ^ Benatar: A Pain in the Fetus: Toward Ending Confusion about Fetal Pain – Google Scholar”. Google Scholar. 2008年4月29日閲覧。
  8. ^ "Writer Nic Pizzolatto on Thomas Ligotti and the Weird Secrets of True Detective."
  9. ^ 哲学者のサイモン・ブラックバーンは次のように述べている。「ベネターはこういった例が軽蔑や嘲笑の対象となることを分かりつつも、自らの主張を経験的データによって注意深く裏付けており、また哲学者として注意深く証拠を解釈した上で「差別」という概念を用いている。[…]第二のセクシズムが存在することを認めるべきだという議論があり、ベネターがそれを上手く提示していることには、全く疑念の余地が無い。そしてどうやら彼自身は不公平な比較には与していないように思われる。彼はセックス・ウォーズに参戦しているわけではなく、むしろそれを沈静化させたいと願う調停者なのである。彼は次のような事態を示そうとしている。すなわち、もし女性であることがしばしば難儀であるのであれば、男性であることも同じほど難儀なのであり、このことを認識し損ねると、ジェンダーに関わらぬ普遍的な共感や社会正義という皆にとっての目標を歪めてしまうということである。」(Times Higher Education review, 5 July 2012, retrieved 27 August 2012.)哲学者のイッド・ランダウは次のように述べている。ベネターによれば、これまで無視されてきた第二のセクシズムに対処するためには、我々はそれが存在することを認めるだけでなく、この未探求のテーマについて経験的・哲学的な研究を深め、そして、もちろんのことながら、多くの人々の態度や社会規範、法律を改善しようと務めるべきだという。本書は非正統的な立場を提示し、それを巧みに擁護した、非常に議論が行き届いた本である。哲学やジェンダー研究の学部・大学院向けの教科書として有用であり、学生の活発で白熱した議論を促進することは間違いない。[…]最も重要な効果として、[…]我々自らのジェンダー関係は変革を迫られることになるだろう。(Metapsychology online reviews, 21 August 2012, retrieved 27 August 2012.)
  10. ^ 『The Guardian』と『The Sunday Mail』のコラムニストであるスザンヌ・ムーアは次のように述べている。「満腹の胃から内容物がちょろちょろと流れ出てくる。今度はアカデミズムからである。この新しい大著の中で、女性ではなく男性がどれだけ差別されているかが事細かに記されている(確かに、レイプ、殺人、同一賃金、女性器切除、政治における勢力不均衡、ビジネス、教育、法律、学術分野を除けば、それが理にかなった主張であることもある)。世の中には難儀している男性もいるようだ。ところで、そんなことはとっくに知っている。私にはフェミニズムが行き過ぎたという主張を受け入れることはできないし、脇毛が西洋文明の終わりを示しているとも信じることができない。」 (The Guardian, 16 May 2012, "The Second Sexism is just victim-envy", retrieved 27 August 2012.) ベネターは『The Guardian』に宛に書いた短い手紙の中で、ムーアがベネターの主張を誤解している点を正そうとした。(The Guardian, 18 May 2012, "Men and sexism", retrieved 27 August 2012.) (The Guardian, 18 May 2012, "Men and sexism", retrieved 27 August 2012.)
  11. ^ Benatar, The Second Sexism, p. 16.
  12. ^ The Species Barrier, around 30 minutes in

関連項目[編集]

外部リンク[編集]