ティーニー・ベク

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ティーニー・ベク

ティーニー・ベク(تينى بيك خان, Tīnī bīk Khan, ? - 1342年)は、ジョチ・ウルスの第11代当主(ハン、在位:1342年)で、先代のウズベク・ハンの息子。ティニベク・ハンとも呼ばれる。次代のジャニベク・ハン(ジャーニー・ベク)の同母兄弟で、母はウズベク・ハンの4人いた正妃(ハトゥン)のうち第一正妃で大ハトゥンであったタイ・ドゥラ(タイトゥグリー)であった。バトゥの6世の子孫にあたる。資料ではタナー・ベクティニベク・ハンなどとも書かれる。

生涯[編集]

1334年頃にウズベク・ハンの宮廷を訪れたイブン・バトゥータの旅行記には、両兄弟について述べられており、ティーナ・バク تينه بك Tīna bak と書かれている。それによると、ウズベク在世中金曜礼拝のときには、父やその妃たちが座す玉座の段に下、右側に第一王子としてティーニー・ベクが、左側に第二王子として弟のジャーニー・ベクが座していたという。バットゥータが伝えるところによると、ティーニー・ベクは容姿秀麗な人物で、父ウズベクから次代ジョチ・ウルス当主として後継者に指名され、敬意を表される地位にあったという。後の伝聞として、父の死後に当主として即位し、しばらくジョチ・ウルスを統治していたが程なくして殺害され、その後をジャーニー・ベクが継いだという。

マムルーク朝の歴史家シュジャーイーの年代記によると、ヒジュラ暦742年(1341年 - 1342年)にウズベクはチャガタイ・ウルスへ大軍とともにティーニー・ベクを派遣したが、同年シャッワール月(1342年3-4月)にウズベクはサライで亡くなり、宮廷にいたジャーニー・ベクは策略を巡らして弟のヒドル・ベクともども兄のティーニー・ベクを殺害させ、即位したと言う。後の文献では、在位年月日が短いためか父ウズベクと弟ジャーニー・ベクの間から省かれる場合がある。

名前の「ティーニー」とは、ペルシア語で「身体」「肉体」を意味する「タン」(تن tan)から派生した「肉体の」「有形の」という意味の単語「タニー」(تنى tanī)に由来しており、弟のジャーニー(「魂の」の意味)と対になる意味の単語である。

登場作品[編集]

映画

参考文献[編集]

先代
ウズベク・ハン
ジョチ・ウルス
1342年
次代
ジャーニー・ベク