ツール・ド・フランス1922

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ツール・ド・フランス1922は、ツール・ド・フランスとしては16回目の大会。1922年6月25日から7月23日まで、全15ステージ、全行程5372kmで行われた。

1921年との相違点[編集]

ツール・ド・フランス1921では、ベルギー選手が優位で、フランスの観衆たちの不興を買っていた。主催者アンリ・デグランジュはツール・ド・フランスを個々の強さの顕示とすることを望み、参加者間の協力を好まなかった。彼は1922年の大会では、体制の変更を誓っていたが、実現に至らなかった。[1]

数年前の第一次世界大戦の経済的影響はまだ終わってなかった。自転車会社はまだニックラスポーティーの元に力を結集すし1919年、1920年1921年のように後援を行なかった。[2]選手は2つのカテゴリに分けられた。1ère classe (クラス1)、プロフェッショナル、2ème classe (クラス2)、アマチュアである。[3][4]

フランス人選手アンリ・ペリシエフランシス・ペリシエはアンリがタイヤを捨てるためにペナルティを受けた後、ツール·ド·フランス1920に出場していなかった。このような理由から、ペリシエ兄弟は1921年と1922年ツアーには出場しなかった。[5]

レースの詳細[編集]

結果[編集]

ステージ別の1位[編集]

総合成績[編集]

順位 選手名 国籍 時間
1 フィルマン・ランボー ベルギーの旗 ベルギー 222時間08分06秒
2 ジャン・アラヴォワーヌ フランスの旗 フランス +41分15秒
3 フェリックス・スリエ ベルギーの旗 ベルギー +42分02秒
4 エクトール・ウースガン ベルギーの旗 ベルギー +43分56秒
5 ヴィクトール・ラナールス ベルギーの旗 ベルギー +45分32秒
6 エクトール・ティベルジアン スイスの旗 スイス +1時間21分35秒
7 レオン・デポンタン ベルギーの旗 ベルギー +2時間24分29秒
8 ウジェーヌ・クリストフ フランスの旗 フランス +3時間25分39秒
9 ジャン・ロシユ ベルギーの旗 ベルギー +3時間26分06秒
10 フェデリコ・ガイ イタリア王国の旗 イタリア +3時間51分59秒

マイヨ・ジョーヌ保持者[編集]

選手名 国籍 首位区間
ロベール・ジャッキノー フランスの旗 フランス 第1-第3
ウジェーヌ・クリストフ フランスの旗 フランス 第4-第6
ジャン・アラヴォワーヌ フランスの旗 フランス 第7-第11
エクトール・ウースガン ベルギーの旗 ベルギー 第12
フィルマン・ランボー ベルギーの旗 ベルギー 第13-最終

脚注[編集]

  1. ^ 1922: Firmin Lambot heeft Vrouwe Fortuna weer aan zijn zijde” (Dutch). Tourdefrance.nl (2009年3月19日). 2009年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月18日閲覧。
  2. ^ McGann, Bill; McGann, Carol (2006). The Story of the Tour de France. Dog Ear Publishing. pp. 51–56. ISBN 1-59858-180-5. https://books.google.nl/books?id=jxq20JskqMUC 2009年6月18日閲覧。 
  3. ^ Thompson, Christopher S. (2008). The Tour de France. University of California Press. p. 36. ISBN 0-520-25630-1. https://books.google.nl/books?id=UpzzPqexF00C 2009年6月18日閲覧。 
  4. ^ 16ème Tour de France 1922” (French). Memoire du cyclisme. 2009年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月18日閲覧。
  5. ^ 1921: Waal Léon Scieur zet Belgische overheersing onverminderd voort” (Dutch). Tourdefrance.nl (2003年3月19日). 2009年6月17日閲覧。

外部リンク[編集]