ソポト (ブルガリア)
座標: 北緯42度39分 東経24度45分 / 北緯42.650度 東経24.750度
- ソポト
- Сопот
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国 ブルガリア
州(オブラスト) プロヴディフ州 基礎自治体 ソポト 自治体全域の人口 11056[1] 人
(2009年06月15日現在)町の人口 9919[2] 人
(2009年06月15日現在)ナンバープレート PB 標高 417 m 標準時 EET(UTC+2)
夏時間はEEST(UTC+3)
ソポト(ブルガリア語: Со̀пот / Sopot)は、ブルガリア中部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、プロヴディフ州に属する。バルカン山脈の南の斜面のふもとにあり、山脈の南に広がるバラの谷(下バルカン渓谷)と称される渓谷の中にある。
カルロヴォから西に5キロメートル、ブルガリアの首都ソフィアからは東に136キロメートル、プロヴディフ州の州都プロヴディフからは北に63キロメートル、トロヤンからは南に61キロメートルのところにある。ブルガリアの国民的詩人イヴァン・ヴァゾフ(Иван Вазов / Ivan Vazov)生誕の地であり、また機械製造の拠点ともなっている。

コンスタンティン・イレチェク(Konstantin Jireček)によると、この地名はスラヴ祖語に由来しており、スラヴ語圏には同じ地名が数多く存在している。この町に関する情報はオスマン帝国時代の文献にも見られる。18世紀から19世紀にかけての民族復興期(Bulgarian National Revival)には、工芸と交易の拠点として栄え、「黄金のソポト」と呼ばれた。ソポトの民は質の高い手織物、組みひも、毛皮、皮革製品を作り出し、その品物はオスマン帝国各地で売買された。
1877年の独立戦争の時には、町の人々は虐殺されたり追放されたりした。共産党支配時代の1950年から1965年までの間、ヴァゾヴグラト(Вазовград / Vazovgrad)と呼ばれたが、その後もとの名前に戻された。
ブルガリアの教育者のさきがけとなったネデリャ・ペトコヴァ(1826年 - 1894年、Неделя Петкова / Nedelya Petkova)は、この地の聖生神女進堂女子修道院の学校で学んだ。
住民のほぼ全てはキリスト教徒であり、そのほとんどが正教徒であるが、福音派やカトリックの家族も住んでいる。
町村[編集]
ソポト基礎自治体(Община Сопот)にはその中心であるソポトをはじめとする、以下の町村(集落)が存在している。
命名[編集]
南極大陸、サウス・シェトランド諸島のリヴィングストン島(Livingston Island)にあるソポト山麓氷河(Sopot Ice Piedmont)はこの町にちなんで命名された。
脚注[編集]
- ^Главна Дирекция - Гражданска Регистрация и Административно Обслужване (2009年6月15日). “Таблица на населението по постоянен и настоящ адрес” (ブルガリア語). 2009年7月30日閲覧。
外部リンク[編集]