スヴャトポルク=ミルスキー家

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スヴャトポルク=ミルスキー家の紋章
分家筋であるニコライ・イヴァノヴィチ・スヴャトポルク=ミルスキーの直系子孫が使っていた、馬蹄に矢をあしらった紋章

スヴャトポルク=ミルスキー家またはシフャトペウク=ミルスキ家ロシア語:Святополк-Мирскиеポーランド語:Światopełk-Mirscy)は、ベラルーシに起源を持つロシア及びポーランド貴族

15世紀後半、リトアニア大公国の支配下にミルスキー家として台頭した。家名は一族の居城ミール城(en)に由来する。その後、リューリク朝キエフ大公スヴャトポルク1世の末裔を自称するようになり、家名をスヴャトポルク=ミルスキーと名乗るようになった。もっともリューリク朝の流れをくむという同家の主張は、19世紀に入ってポーランドとロシアの主要な系図学者によって偽証であることが明らかになった。しかし歴代当主はロシア皇帝に対して忠誠と献身を捧げ、1861年には皇帝アレクサンドル2世によってスヴャトポルク=ミルスキーの家名とその主張する起源が公的に承認されている。に1831年ポーランド蜂起十一月蜂起)が起きると、反乱軍によって領地も破壊された。これを機会にスヴャトポルク=ミルスキー家はサンクトペテルブルクに移り、一族はロシア帝国の貴族官僚を輩出した。

輩出した人物[編集]

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