ジョアン・マヌエル・デ・ポルトゥガル

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ジョアン・マヌエル・デ・ポルトゥガル
João Manuel de Portugal
ポルトガル公
在位 1539年 - 1554年

出生 (1537-06-03) 1537年6月3日
ポルトガル王国
エヴォラ
死去 (1554-01-02) 1554年1月2日(16歳没)
ポルトガル王国
リスボン
リベイラ宮殿
埋葬 ポルトガル王国
ジェロニモス修道院
配偶者 フアナ・デ・アウストリア
子女 セバスティアン1世
家名 アヴィス=ベージャ家
父親 ポルトガルジョアン3世
母親 カタリナ・デ・アウストリア
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ジョアン・マヌエル・デ・ポルトゥガル(João Manuel de Portugal, 1537年6月3日 - 1554年1月2日)は、ポルトガルジョアン3世と王妃カタリナ・デ・アウストリアの五男。幼少期に死亡しなかった唯一の男子であり、王太子(ポルトガル公)に立てられた。

生涯[編集]

1552年に父方でも母方でも従姉にあたるスペイン王女フアナ(ジョアナ、神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世と妃イサベルの次女)と結婚した。ジョアン・マヌエルの姉マリア・マヌエラはフアナの兄フェリペ2世の最初の妃であったが、1545年に死去していた。

生来病弱であったジョアン・マヌエルは、1554年1月2日に16歳で早世した。18日後の1月20日、唯一の子供セバスティアンが生まれ、ジョアン3世の死後に王位を継いだ。

先代
フィリペ英語版
(ジョアン3世の三男)
ポルトガル公
1539年 - 1554年
次代
セバスティアン