ジュール・ド・ポリニャック (1746-1817)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

アルマン・ジュール・フランソワ・ド・ポリニャックArmand Jules François, comte puis 1er duc de Polignac, 1746年6月7日 クレー=スイイ英語版 - 1817年9月21日 サンクトペテルブルク)は、ブルボン朝末期フランスの貴族、廷臣、軍人。伯爵、のち公爵。王妃マリー・アントワネットの寵臣ポリニャック夫人の夫。

生涯[編集]

エルキュール=ルイ・ド・ポリニャック子爵(1717年 - 1792年)と妻のディアーヌ・ゼフィリーヌ・マンシーニ(1726年 - 1755年)の間の第4子・次男。母方の曾祖父にニヴェルネ公爵及びノアイユ公爵がおり、フランス屈指の名門と縁続きだった。母親からマンシーニ侯爵位を相続した。

1767年7月7日、ガブリエル・ド・ポラストロンと結婚。第1竜騎兵連隊フランス語版所属[1]の陸軍大佐[2]だったが、暮らし向きは裕福ではなかった。

1774年に妹ディアーヌアルトワ伯爵夫人付き女官となったことで、妻と共に宮廷に出入りし始める。1775年頃より妻が王妃の寵愛を受けるにつれ、一族郎党と共に多くの恩恵に与るようになる[3]。王妃主馬頭の襲職権保有者[4][5]となり、この役職を利用して法外な利益を引き出した[6]。国王からフェネトランジュ英語版男爵領を受けたほか[7]、1780年には世襲の公爵位を授けられ、1782年郵政長官に就任した[8]

フランス革命が起きるとすぐ国外に逃れ、一時は反革命のエミグレ軍英語版に所属した。晩年はロシア女帝エカチェリーナ2世に授けられたウクライナの所領に隠棲した。

子女[編集]

妻との間に4人の子をもうけた。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ プティフィス、P344。
  2. ^ カストロ、P129。
  3. ^ カストロ、P129。
  4. ^ プティフィス、P344。
  5. ^ カストロ、P134。
  6. ^ カストロ、P136。
  7. ^ プティフィス、P344。
  8. ^ カストロ、P129。

参考文献[編集]

  • アンドレ・カストロ著、村上光彦訳『マリ=アントワネット(1)』みすず書房、1972年
  • ジャン=クリスチャン・プティフィス著、小倉孝誠監修『ルイ十六世(上)』中央公論新社、2008年

外部リンク[編集]

  • "Polignac" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). 1911.