ジャン8世 (ヴァンドーム伯)
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ジャン8世・ド・ブルボン Jean VIII de Bourbon | |
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ヴァンドーム伯 | |
在位 | 1466年 - 1477年 |
出生 |
1428年 |
死去 |
1477年1月6日 |
配偶者 | イザベル・ド・ボーヴォー |
子女 | 本文参照 |
家名 | ブルボン家 |
父親 | ヴァンドーム伯ルイ1世 |
母親 | ジャンヌ・ド・ラヴァル |
ジャン8世・ド・ブルボン(Jean VIII de Bourbon, comte de Vendôme, (1428年 - 1477年1月6日)は、フランスの血統親王(プランス・デュ・サン)、ヴァンドーム伯(在位:1466年 - 1477年)。
生涯
[編集]ヴァンドーム伯ルイ1世と、ラヴァル卿ギー13世の娘ジャンヌ・ド・ラヴァルの間の息子[1]。シャルル7世の与党の1人として、ノルマンディーやギュイエンヌでイングランド軍と戦う。その子ルイ11世にも忠誠を尽くすが、ルイ王に嫌われたため、ラヴァルダンの城に引退し、居城の完成に心血を注いだ。
1454年、プロヴァンス伯領の大セネシャル、ルイ・ド・ボーヴォーの娘イザベル・ド・ボーヴォーと結婚し、間に8子をもうけた[2]。
- ジャンヌ(1460年 - 1487年) - 1477年シャルトル伯ルイ・ド・ジョワユーズと結婚
- カトリーヌ(1461年 - 1525年) - 1484年リムーザンのセネシャル、ジルベール・ド・シャバンヌと結婚
- ジャンヌ(1465年 - 1511年) - 1487年ブルボン公ジャン2世と結婚、1495年オーヴェルニュ伯ジャン3世と再婚[3]
- ルネ(1468年 - 1534年) - フォントヴロー女子修道院長
- フランソワ(1470年 - 1495年) - ヴァンドーム伯[4]
- ルイ(1473年 - 1520年) - ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公[5]
- シャルロット(1474年 - 1520年) - 1489年ヌヴェール伯アンジルベールと結婚[6]
- イザベル(1475年 - 1532年) - カーンのダーム女子修道院長
フィリッピーヌ・ド・グーネー(Philippine de Gournay)との間に非嫡出子が1人いた。
- ジャック(1455年 - 1524年) - リニー男爵、1505年ジャンヌ・ド・ルバンプレと結婚し、庶流ブルボン=リニー家を創始、ガブリエル・デストレの曾祖父
ギヨンヌ・ペイネ(Guyonne Peignée)との間に非嫡出子が1人いた。
- ルイ(? - 1510年) - アヴランシュ司教
引用・脚注
[編集]- ^ Potter 1995, p. 376.
- ^ Favier 2008, p. table 6.
- ^ Antonetti 2000, p. 45.
- ^ Ward, Prothero & Leathes 1911, p. vii.
- ^ Du Tillet 1994, p. 220.
- ^ Antonetti 2000, p. 39.
参考文献
[編集]- Antonetti, Guy (2000). “Les Princes Etrangers”. In Bardet, Jean-Pierre (French). Etat et société en France aux XVIIe et XVIIIe siècles. Presses l'Universite de Paris-Sorbonne
- Du Tillet, Jean (1994). Brown, Elizabeth A. R.. ed. Jean Du Tillet and the French wars of religion: five tracts, 1562-1569. Binghamton University Press
- Favier, Jean (2008) (French). Le Roi René. Fayard
- Potter, David (1995). Keen, Maurice. ed. A History of France, 1460–1560: The Emergence of a Nation State. Macmillan
- Ward, A.W.; Prothero, G.W.; Leathes, Stanley, eds (1911). The Cambridge Modern History. Cambridge University Press