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ジャン8世 (ヴァンドーム伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャン8世・ド・ブルボン
Jean VIII de Bourbon
ヴァンドーム伯
ヴァンドーム伯ジャン8世を描いたステンドグラス、エヴルーノートルダム大聖堂英語版
在位 1466年 - 1477年

出生 1428年
死去 1477年1月6日
配偶者 イザベル・ド・ボーヴォー
子女 本文参照
家名 ブルボン家
父親 ヴァンドーム伯ルイ1世
母親 ジャンヌ・ド・ラヴァル
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ジャン8世・ド・ブルボンJean VIII de Bourbon, comte de Vendôme, (1428年 - 1477年1月6日)は、フランスの血統親王(プランス・デュ・サン英語版)、ヴァンドーム伯(在位:1466年 - 1477年)。

生涯

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ヴァンドーム伯ルイ1世と、ラヴァル卿ギー13世英語版の娘ジャンヌ・ド・ラヴァルの間の息子[1]シャルル7世の与党の1人として、ノルマンディーギュイエンヌでイングランド軍と戦う。その子ルイ11世にも忠誠を尽くすが、ルイ王に嫌われたため、ラヴァルダン英語版の城に引退し、居城の完成に心血を注いだ。

1454年、プロヴァンス伯領の大セネシャル、ルイ・ド・ボーヴォー英語版の娘イザベル・ド・ボーヴォーと結婚し、間に8子をもうけた[2]

  • ジャンヌ(1460年 - 1487年) - 1477年シャルトル伯ルイ・ド・ジョワユーズと結婚
  • カトリーヌ(1461年 - 1525年) - 1484年リムーザンのセネシャル、ジルベール・ド・シャバンヌと結婚
  • ジャンヌ(1465年 - 1511年) - 1487年ブルボン公ジャン2世と結婚、1495年オーヴェルニュ伯ジャン3世と再婚[3]
  • ルネ(1468年 - 1534年) - フォントヴロー女子修道院長
  • フランソワ(1470年 - 1495年) - ヴァンドーム伯[4]
  • ルイ(1473年 - 1520年) - ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公[5]
  • シャルロット(1474年 - 1520年) - 1489年ヌヴェール伯アンジルベールと結婚[6]
  • イザベル(1475年 - 1532年) - カーンのダーム女子修道院長

フィリッピーヌ・ド・グーネー(Philippine de Gournay)との間に非嫡出子が1人いた。

ギヨンヌ・ペイネ(Guyonne Peignée)との間に非嫡出子が1人いた。

  • ルイ(? - 1510年) - アヴランシュ司教

引用・脚注

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  1. ^ Potter 1995, p. 376.
  2. ^ Favier 2008, p. table 6.
  3. ^ Antonetti 2000, p. 45.
  4. ^ Ward, Prothero & Leathes 1911, p. vii.
  5. ^ Du Tillet 1994, p. 220.
  6. ^ Antonetti 2000, p. 39.

参考文献

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  • Antonetti, Guy (2000). “Les Princes Etrangers”. In Bardet, Jean-Pierre (French). Etat et société en France aux XVIIe et XVIIIe siècles. Presses l'Universite de Paris-Sorbonne 
  • Du Tillet, Jean (1994). Brown, Elizabeth A. R.. ed. Jean Du Tillet and the French wars of religion: five tracts, 1562-1569. Binghamton University Press 
  • Favier, Jean (2008) (French). Le Roi René. Fayard 
  • Potter, David (1995). Keen, Maurice. ed. A History of France, 1460–1560: The Emergence of a Nation State. Macmillan 
  • Ward, A.W.; Prothero, G.W.; Leathes, Stanley, eds (1911). The Cambridge Modern History. Cambridge University Press