ジャン2世 (キプロス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ジャン2世
Jean II
キプロス王
Portret van Janus II van Cyprus Iohannes Del Gratia Cipri etc Rex (titel op object), RP-P-OB-5821.jpg
在位 1432年 - 1458年

出生 1444年6月28日
Armoiries Chypre.svg キプロス ニコシア
死去 1487年7月16日
Armoiries Chypre.svg キプロス ニコシア
配偶者 アメデーア・パレオロガ
  エレニ・パレオロギナ
子女 シャルロット
クレオーファ
(庶子)ジャック2世
家名 リュジニャン家
父親 ジャニュ
母親 シャルロット・ド・ブルボン
テンプレートを表示

ジャン2世Jean II de Chypre, 1418年5月16日 - 1458年7月28日)は、キプロス王、名目上のエルサレム王キリキア・アルメニア王(在位:1432年 - 1458年)。

生涯[編集]

キプロス王ジャニュと、その2番目の妻でラ・マルシュ伯ジャン1世の娘であるシャルロット・ド・ブルボンの間の長男として生まれた。王位に就く以前は、名目上のアンティオキア公の称号を帯びていた。

1437年、モンフェッラート侯ジョヴァンニ・ジャコモの娘アメデーアと代理結婚により婚姻した。アメデーアは1440年にキプロス島に輿入れし、同年7月3日に正式な結婚式を挙げたが、新妻はその2か月後に急死した。1442年2月3日、モレアス専制公テオドロス2世東ローマ皇帝ヨハネス8世の弟)の娘エレニと再婚し、間に2人の娘をもうけた。

  • シャルロット(1444年 - 1487年) - キプロス女王
  • クレオーファ(? - 1448年)

また、ジャン2世には愛妾マリエット・ド・パトラとの間に庶出の息子があった。

庶子ジャックは1456年にニコシア大司教の聖職を授けられるが、とてもその任に堪える素行の人物とは言えず、宮廷の侍従を殺害する事件を起こして大司教の位を剥奪された。だが、ジャン2世は後にジャックを大司教に復させている。

王妃エレニとジャックの仲は険悪で、両者はジャン2世王に対する影響力をめぐり、競い合った。1458年にエレニが死ぬと、ジャン2世はジャックを後継者に据えようとしたようだが、それが実現する前に死亡した。

先代:
ジャニュ
キプロス王
〈名目上〉エルサレム王
〈名目上〉キリキア・アルメニア王
1432年 - 1458年
次代:
シャルロット