ジェームズ・エイジー

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ジェームズ・エイジー(英語名:James Rufus Agee 1909年11月27日 - 1955年5月16日)は、ピューリッツァー賞受賞のアメリカ合衆国小説家劇作家ジャーナリスト詩人、映画脚本家映画批評家

生涯[編集]

1940年代最も影響力のある映画批評家の一人だった。週刊誌「The Nation」で映画批評、Times誌、Fortune誌で記事を書いた。 心臓発作で早くに死亡。死後に評価が高まる。父の死をもとに製作したフィクション“A Death in the Family”が死後出版されピューリッツァー賞を受賞。映画批評は未だアメリカにおいては認知されている。エイジーの映画批評についてまとめられた本“Agee on Film”がマーティン・スコセッシ監修によって最近再版された。

1936年の夏にFortune紙の取材のために写真家のウォーカ・エヴァンスとアラバマ州の小作農と8週間生活を送る。Fortuneではこの記事は出版されず、Forutuneをやめた後(1939年)、『誉れ高き人々をたたえよう(Let Us Now Praise Famous Men)』という題の本の形に整え出版(1941年)。生前には600部しか売れなかった。

1950年代の有名な映画の脚本も書いている。『The Night of the Hunter(1955年、狩人の夜)』と『The African Queen(1955年、アフリカの女王)』が有名。

受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

ノミネート
1952年 アカデミー脚本賞:『アフリカの女王

関連項目[編集]

トム・ダーディスは、『ときにはハリウッドの陽を浴びて―作家たちのハリウッドでの日々(Some Time in the Sun ,1976)』という本の中で、エイジーによる二つの脚本を、「映画的なレーゼドラマ(cinematic 'closet drama')」と呼んでいる。一つは、アンドレ・マルローの『人間の条件』を原作としていると思われる。[1]

出典[編集]

  1. ^ クインビー・メルトンの『制作の曖昧な優位性』の付記より[1]

外部リンク[編集]