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ジェフウティ (在位:前1648年-前1645年または前1644年頃 - 1643年頃)は、古代エジプト 第16王朝 の第2代あるいは第17王朝 の第4代ファラオ (王)。
即位名をセケムラー・セメンタウイといい、トリノ王名表 の第11欄に3年間在位したと記述のある同じ即位名の王に比定されている。また、カルナック の王名表にも名前が載っている。ジェフウティの名が記された遺物は全て北はデル・エル・バラス、南はエドフ に至るナイル川 流域の150キロ圏内から出土している。これはテーベ の王権が当時支配したと思われる領域に概ね対応している。だが、壁画に彫られたジェフウティの姿は、彼の支配が及んでいなかった下エジプト の象徴である赤い王冠を被っている。
家族構成 [ 編集 ]
王妃メンチュヘテプの墓が、デラ・アブ・エル・ナガの共同墓地から発見されており、中からはジェフウティが妻へ送った化粧箱が見つかっている。祖父は第13王朝 中頃の王イアイブ の宰相を務めていた人物であったと考えられている。テーベの王権はナイル川デルタ へ侵入し、第15王朝 を樹立したヒクソス によってイチ・タウイ を追われた第13王朝政権が、都を上流に移したものと考えられている。ジェフウティの家族構成は謎の多い第二中間期 初期の歴史を紐解く上での手がかりとなっている。
参考文献 [ 編集 ]
エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン 『全系図付エジプト歴代王朝史』池田裕訳、東洋書林 、2012年5月。ISBN 978-4-88721-798-0 。
K.S.B. Ryholt, The Political Situation in Egypt during the Second Intermediate Period, c.1800-1550 BC (Carsten Niebuhr Institute Publications, vol. 20. Copenhagen: Museum Tusculanum Press, 1997).
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