エジプト第16王朝
古代エジプトの王朝 |
---|
![]() |
王朝誕生前のエジプト |
エジプト初期王朝 |
第1 第2 |
エジプト古王国 |
第3 第4 第5 第6 |
エジプト第1中間期 |
第7 第8 第9 第10 |
エジプト中王国 |
第11 第12 |
エジプト第2中間期 |
第13 第14 第15 第16 第17 |
エジプト新王国 |
第18 第19 第20 |
エジプト第3中間期 |
第21(並立:アメン大司祭) 第22 第23 第24 第25 第26 |
エジプト末期王朝時代 |
第27 第28 第29 第30 第31 |
グレコ・ローマン時代 |
アレクサンドロス大王 |
プトレマイオス朝 |
アエギュプトゥス |
エジプト第16王朝(エジプトだい16おうちょう、紀元前17世紀頃 - 紀元前16世紀頃)は古代エジプト第2中間期の王朝。
概要[編集]
第16王朝という名称は後代の歴史家マネトーの記述によるものだが、その実態については研究者の間でも見解が分かれており、ヒクソスの諸侯を寄せ集めて分類したものであるとする説と、ヒクソスの侵略から逃れてナイル川上流域に移った第13王朝の残存勢力であるとする説の二つがある。
小ヒクソス[編集]
第16王朝が存在したとされる時代は、いわゆるヒクソス(ヘカ・カスウト 「異国の支配者達」の意)が第15王朝を形成してエジプトを支配していた時代だった。多くの研究者は長年、第16王朝は第15王朝に従属する諸侯を纏めたものであるとする立場を伝統的に取ってきた。テーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール[注釈 1])の第17王朝が勢力を伸ばし第15王朝を滅ぼすと、これらの諸侯の領土もテーベ政権の支配下に入った。第15王朝を「大ヒクソス」と呼ぶのに対し、第16王朝を「小ヒクソス」と呼ぶ場合があるが、通常ヒクソスと言えば第15王朝の諸王を指す。
テーベの王たち[編集]
考古学者のKim Ryholtは近年の研究で、第16王朝がヒクソスによる王朝ではなく、第17王朝以前にテーベを本拠地としたエジプト人による王朝であったという新しい見解を発表している。研究では、第17王朝初期から中期までの王たちと末期の王たちは異なる家系に属しているとして、従来第17王朝と呼ばれてきたテーベ王朝の前半の約70年間を第16王朝、後半の約30年間を第17王朝とする新しい説を唱えている。また、最初の王家が断絶したのは、第15王朝を中心とするヒクソスの勢力によってテーベが一時的に征服されたためであるとしている。しかし、比較的新しいこの説は裏付けとなる証拠に乏しく、反対する研究者も多い。
歴代王[編集]
第16王朝についてまとまった歴史記録はほとんど無い。マネトは第16王朝に32人のヒクソス王がいたと記しているが個々の王名は挙げられていない。トリノ王名表には第16王朝に分類される王が記録されているが、これらの王は同時代史料にはほぼ登場しない。僅かにアナテル(アナト・ヘル)王とヤコブアアム王の名が当時の下エジプト(ナイル川三角州地帯)と南パレスチナで発見されたスカラベなどに記されているのが発見されているのみである。
以下に示す一覧は英語版ウィキペディアからの一覧を転載したものであるが、他の資料等との間に整合性の取れない王名もあり正確性を保障されたものではない。
名前 | 備考 |
---|---|
アナト・ヘル | 第15王朝の王子か、第12王朝時代のカナン派の首長の可能性もある |
アペル・アナト | 第15王朝初期の王の可能性がある |
セムケン | 第15王朝初期の王の可能性がある |
サキル・ハル | 第15王朝初期の王の可能性がある |
アペピ | アペピ1世と同一人物の可能性がある |
マアイブラー・シェシ | 第15王朝か第14王朝の王である可能性もある。 |
ヤコブヘル | 第15王朝か第14王朝の王である可能性もある。 |
ネブウセルラー・ヨアム | |
アム | |
スネフェルアンクラー・ペピ3世 | |
ヘプウ | |
アナティ | |
べブネム | |
ネブマアトラー | 第17王朝の王である可能性もある。 |
アヌトイラー | |
メリイブラー | |
ネブアンクラー | |
ニカラ―2世 | |
シャレク | |
ワザド | 第14王朝の王である可能性もある。 |
クァー | 第14王朝の王である可能性もある。 |
セヘネス | 第14王朝の王である可能性もある。 |
イネク |
第16王朝がヒクソスから独立したテーベの王国であったと仮定するKim Ryholtの説では、トリノ王名表に記録されている15人の王がこの王朝に属するとされ、そのうちの何人かは発掘された同時代の遺物でも実在が証明されている。また、彼らの支配はテーベだけでなく、アビドスやエドフといった上エジプトの他の都市にも及んでいたかもしれないとしている。尚、この説では従来第16王朝に分類されていた上記の王たちは新たに第14王朝に分類し直されている。
ホルス名 | 即位名 | 誕生名 | 在位 | 備考 |
---|---|---|---|---|
名前不明の王 | 前1649年-1648年 | 王名表の欠損によって失われている | ||
セメンタウィ | セケムラー | ジェフウティ | 前1648年-前1645年 | |
セウセルタウィ | セケムラー | セベクヘテプ8世 | 前1648年-前1645年 | |
セアンクタウィ | セケムラー | ネフェルヘテプ3世 | 前1629年-前1628年 | |
セアンクエンラー | メンチュヘテプ6世 | 前1628年-前1627年 | ||
スワジエンラー | ネビリイアウ1世 | 前1627年-1601年 | ||
ネビリイアウ2世 | 前1601年 | |||
セメンラー | 前1601年-1600年 | |||
セウセルエンラー | ベビアンクウ | 前1600年-前1588年 | ||
セケムラー | セヘドワセト | 前1588年 | ||
前1588年-1582年 | 名前不明の5人の王 |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- ジャック・フィネガン著、三笠宮崇仁訳『考古学から見た古代オリエント史』岩波書店、1983年。
- 高橋正男『年表 古代オリエント史』時事通信社、1993年。
- Ryholt, K. S. B. (1997). The Political Situation in Egypt during the Second Intermediate Period, c. 1800–1550 BC. Copenhagen: Museum Tusculanum Press.
- 大貫良夫他『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント』中央公論新社、1998年。
- ピーター・クレイトン著、吉村作治監修、藤沢邦子訳、『ファラオ歴代誌』、創元社、1999年。
- エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン 『全系図付エジプト歴代王朝史』 池田裕訳、東洋書林、2012年。
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、エジプト第16王朝に関するカテゴリがあります。