シャルル・ド・ブルボン (ベリー公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
シャルル・ド・ブルボン
Charles de France
Charles of France, Duke of Berry wearing the sash of the order of the Holy Spirit (18th century, Nicolas de Largillière) .jpg
称号 ベリー公
出生 (1686-07-31) 1686年7月31日
死去 (1714-05-05) 1714年5月5日(27歳没)
配偶者 マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン
父親 フランス王太子ルイ
母親 マリー・アンヌ・ド・バヴィエール
テンプレートを表示

シャルル・ド・フランス(Charles de France, 1686年7月31日 - 1714年5月5日)は、ブルボン朝フランス王族、ベリー公ルイ14世の1人息子で王太子ルイ(グラン・ドーファン)と、妃でバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアの娘マリー・アンヌの3男として生まれた。長兄はブルゴーニュ公ルイ(プティ・ドーファン、ルイ15世の父)、次兄はアンジュー公フィリップスペイン王フェリペ5世)。1714年にアランソン公、アングレーム公となった。

生涯[編集]

スペイン継承戦争で兄と共にトゥーロン包囲戦1707年)とアウデナールデの戦い1708年)に参戦、1710年7月、マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン(父の従弟にあたるオルレアン公フィリップ2世と庶系の叔母フランソワーズ・マリーの長女)と結婚した。しかしマリー・ルイーズは最初の妊娠で流産し、2度と子供の産めない体になったため、シャルルは妻と不仲になってしまった。

1712年、長兄ルイの死に伴いシャルルは将来の王である甥ルイ(後のルイ15世)の摂政役の最右翼となった。実際、ベリー公の死後、祖父ルイ14世は摂政をオルレアン公フィリップ2世にするか、自らの庶子であるメーヌ公ルイ・オーギュストにするか決めかねたという。

1714年5月、狩猟中の不慮の事故で重傷を負い、急死した。