ザデル・スコロフスキー

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ザデル・スコロフスキー(Zadel Skolovsky, 1916年7月17日[1] - 2009年9月15日)は、アメリカピアニスト

バンクーバーの生まれ。父親はブレスト・リトフスクからアメリカへの移住者で、母親はアメリカ人。スコロフスキーは生後間もなく一家でロサンゼルスに移り住んだ。5歳の時に両親からハーモニウムを買ってもらって音楽の勉強を始め、カーティス音楽学校でイザベラ・ヴェンゲーロヴァのクラスで学び、後に彼女の助手となった[2]。また、レオポルド・ゴドフスキーからもレッスンを受け、1939年にナウムバーグ・コンクールで優勝している。

ダリウス・ミヨーと親交を結び、ミヨーからピアノ協奏曲第4番の献呈を受けた時にはシャルル・ミュンシュの指揮するボストン交響楽団と1950年委初録音を果たした。

また、彼は、 アレクサンドル・スクリャービンベーラ・バルトークアルバン・ベルクパウル・ヒンデミット等のピアノ・ソナタを含む多くの録音を残した[3]

1975年以来インディアナ大学で教鞭を執り、1987年には同大学から名誉教授の称号を得た。

脚注[編集]

  1. ^ Gdal Saleski. Famous musicians of Jewish origin. — Bloch Pub. Co., 1949. — P. 562. В различных источниках встречаются также указания на 1918, 1921, 1923 и 1926 гг.
  2. ^ Robert D. Schick. The Vengerova System of Piano Playing. — Penn State Press, 1982. — P. 7.
  3. ^ New Records // The Time, August 23, 1954.