サイラス・マーナー

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サイラス・マーナー
初版のタイトルページ
著者ジョージ・エリオット
イギリス
言語英語
出版社William Blackwood and Sons
出版日1861
前作フロス河の水車場英語版
次作ロモラ英語版

サイラス・マーナー ―ラヴィロウの織工―[1]』(英語:Silas Marner: The Weaver of Raveloe)は、1861年に出版されたジョージ・エリオット(本名メアリー・アン・エヴァンズ)の長編小説。

あらすじ[編集]

19世紀初頭が舞台となっている。機織りのサイラス・マーナーは、イングランド北部にあるスラム街のランタンヤードで、小さなカルヴァン主義の集会に参加していた。サイラスは重い病気の執事を看病している間に、会の資金を盗んだとのぬれぎぬを着せられてしまう。サイラスには2つの証拠がつきつけられていた。現場にサイラスのポケットナイフがあったことと、自宅からお金が入っていたバッグが見つかったことである[2]。サイラスは、直前にポケットナイフを親友であるウィリアム・デーンに貸していたので、デーンが自分に罪を着せたのだと主張した。ランタンヤードの住人は、神が真実を明らかにすると信じており、サイラスもそう思っていた。しかし御神籤の結果は、サイラスは有罪であるというものだった。やがてサイラスと婚約していた女性は結婚を取りやめ、デーンと結婚する。人生が崩壊し、神への信頼が失われ、心を病んだサイラスは、町を出て行った[3]

サイラスは南に行き、イングランド中部にあるウォリックシャーのラヴィロー村に移り住んだ。そこでは、機織りの仕事以外に住民と接触することは最小限にとどめることにして、一人孤独に暮らした。サイラスは機織りに専念し、それによって蓄えた金貨を崇拝するようになった[4]

ある霧の夜、サイラスが大事にしていた2袋の金が盗まれた[5]。犯人は、村の大地主であるスクワイア(郷士)・キャスの放蕩次男ダンスタン(ダンジー)・キャスなのであるが、サイラスも村人も犯人が誰であるかは分かっていなかった。ダンジーは盗難後すぐに姿を消した。しかし過去に何回も姿を消したことがあるので、村人はこの消失をほとんど気にせず、盗難と結びつけることもしなかった[6]。盗難発見後、村人はサイラスをなぐさめたが、サイラスは深く落ち込んだ[7]

一方、ダンジーの兄であるゴッドフリー・キャスは秘密の過去を抱えていた。彼は別の町に住むアヘン中毒の労働者階級の女性モリー・ファレンと結婚していたのである[8]。ゴッドフリーは、若い中流階級の女性ナンシー・ラミターと結婚するつもりでいたので、この秘密が明らかにされるわけにはいかなかった[9]。ところがモリーは大晦日の夜、自分はゴッドフリーの妻であるということを周囲に発表するため、キャス家で開かれているパーティーに2歳になる娘と一緒に乗り込もうとした[10]。しかし、道中、モリーは雪の中で倒れ意識を失い、娘はサイラスの家に迷い込んだ。サイラスは娘を見つけると、雪の中で子供の足跡をたどり、死んだ女性を発見した[11]

サイラスは残された子供を自分の手で育てることにして、亡くなった母と妹にちなんでエピーと名付けた[12]。エピーによってサイラスの人生は完全に変わった。サイラスは、失った金貨がエピーに姿を変えて自分のところにやってきたのだと思った[13]。ゴッドフリー・キャスはナンシーと自由に結婚できるようになったが、モリーとの結婚と子供についての事実はナンシーに隠し続けていた。その代わり、ゴッドフリーは時折金銭的な援助をすることで、マーナーがエピーの世話をするのを助けていた。マーナーの隣人であるドリー・ウィンスロップは、より実際的な育児方法についてマーナーに対し親切に教えサポートした。ドリーの助けとアドバイスは、エピーの育児だけでなく、マーナーとエピーが村の社会に溶け込むことにも役立った。

16年後、エピーは成長し、サイラスと強い絆を持つようになった。一方、ゴッドフリーとナンシーは、自分たちの子供がいないことを悲しんでいた。やがて、サイラスの金を盗んだダンスタン・キャスの骸骨が、サイラスの家の近くの採石場の底で、金貨と一緒に発見され、金貨は正式にサイラスに返還された[14]。これをきっかけに、ゴッドフリーは、モリーが自分の最初の妻であること、エピーが自分の子であることをナンシーに告白した。そして、ゴッドフリーとナンシーの夫妻はサイラスの家に行き、エピーを自分たちの娘として屋敷に迎え育て上げることを申し出た[15]。しかし、それはエピーがサイラスとの生活を放棄することを意味していた。エピーは丁重に断り、「父がいなければ、幸せなど考えられません[16]」と言った。

サイラスはランタンヤードでの窃盗事件について、自分の無実が明らかになったか知りたいと思い、エピーを連れて30年ぶりに再訪した。しかし昔の風景は一掃されており、大きな工場に変わっていた。ランタンヤードの住民たちがその後どうなったのかについては、誰も知らないようだった。しかし、サイラスは昔起きた事件の真実を知ることができないことを受け入れ、今ではラヴィロー村で自分の家族や友人とともに幸せな生活を送っている[17]。エピーは、地元で一緒に育ったドリーの息子アーロンと結婚し、彼らはゴッドフリーの好意で新しく改良されたサイラスの家に引っ越した。2人の結婚は周りの人々全員に祝福された[18]。人々はサイラスの人生を振り返り、サイラスはエピーを実の親のように長年世話をしてきたからこそ、自分も幸せになれたのだと語った。エピーはサイラスに、私たちほど幸せな家族は他にいないと言った[19]

発表までの経緯[編集]

エリオットにとって、初期小説の最後[20]、あるいは中期[21]に属する作品である。エリオットは小説家としてデビューしてから『牧師館物語英語版』、『アダム・ビード英語版』、『フロス河の水車場英語版』といった作品で田園を舞台にした物語を描き、好評価を得ていた[22]。しかしエリオットは新たな境地を見つけるために、1860年にイタリアを旅行し、帰国後は歴史物語『ロモラ英語版』の執筆にとりかかった[20]。ところが、執筆はなかなか進まず、代わりに突如として、「イングランド中部の昔風の村の生活を書きたい」という思いが沸き上がった[20]。そして1860年9月30日から書き始められたのが『サイラス・マーナー』である。当初は韻文で書く予定であったが、ユーモラスな場面が書きにくかったため、散文で執筆された[23]

執筆中はエリオットにとって私生活で多忙な時期であったが、小説は約半年後の1861年3月10日に完成した[24][25]。苦心していた『ロモラ』と異なり、本書はエリオットにとって良く知った世界を題材としていたので、その強みが生かされたとされている[20]。結果として本書はエリオットにとって最後のノスタルジックな田園小説となった[26]

本書は1861年4月2日に出版された[25]。出版後は高い評価を得て、商業的にも成功した[27][28]

分析[編集]

"サイラスはエピーを見つける"

サイラス・マーナーは、小説の構成などの点で完成度の高い作品として評価されている[29]。一方で、エリオット作品の特徴である起伏に富む展開や印象的な登場人物といった要素は薄い[29]。そのため、エリオットの作品の中では例外に属するものとみられている[29][30]。ストーリー自体はシンプルであり、おとぎ話の一種ととらえられることが多い[30][31]

ローレンス・ジェイ・デスナーは、小説の出来事を、それに関連するエリオット自身の人生と対比させて描いている[32]。ブルース・K・マーティンは、小説の構造において、エリオットがゴッドフリー・キャスを、サイラスの類似性を示す役割と、サイラスの引き立て役の役割の両方として使用していることについて論じている[33] 。フレッド・C・トムソンは、小説における疎外の考えに複数の段階があることを調べている[30]。ジョセフ・ヴィーゼンファースは、サイラスとキャス兄弟の対照的な運命における責任ある行動と無責任な行動とを対比させるとともに、「現実的な」文脈に組み込まれた神話と伝説の底流に注目している[34]。デビッド・ソンストロームは、小説の筋書きと登場人物の運命を考えることで、偶然とダーウィニズムについて研究している[35]スーザン・スチュワート英語版は、小説の「仕事」と「労働」に関連する民話とイデオロギーの影響を調べている[36]。イアン・ミルナーは、本書の「人間性の喪失と回復」、および道徳的価値と社会的現実との対立の2つの包括的なテーマを検討している[37]。ロバート・H・ダナムは、ウィリアム・ワーズワースの考えと哲学による影響を分析している[38]。ブライアン・スワンは、小説の神話的および宗教的背景を論じている[39]。ジェフ・ヌノカワは、サイラスが金を手にしているときとエピーを育てているときの扱いを比較して、身体的接触についての考えを分析し、それらを性的および官能的なテーマに結び付けている[40] 。ケイト・E・ブラウンは、ゴッドフリー・キャスとサイラスの連動した物語に関して、時と一時性の包括的なテーマについて論じている[41]

受容[編集]

本書の特徴であるおとぎ話的な要素から、教室で読まれることが多かった。そのため、英米では学校教科書としての印象を持たれているとされている[26]

夏目漱石は1903年にイギリス留学から帰国する際、本書を持ち帰り、その後東京帝国大学での講義に使用した[42]。1923年にはエリオット作品としては初めての全文和訳が出版され、その後も複数の翻訳本が出版されている[20]

派生作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ エリオット、土井訳(1988) p.7
  2. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.22-24
  3. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.28
  4. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.32-34
  5. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.75
  6. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.141-142
  7. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.164
  8. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.59
  9. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.54
  10. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.204
  11. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.214
  12. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.238-239
  13. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.235
  14. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.307-308
  15. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.321
  16. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.329
  17. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.343-344
  18. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.348-349
  19. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.349
  20. ^ a b c d e エリオット、小尾訳(2019) p.355
  21. ^ エリオット、土井訳(1988) p.352
  22. ^ エリオット、小尾訳(2019) pp.354
  23. ^ ジョージ・エリオット著作集5(1998) p.493
  24. ^ 冨田(2011) pp.188,207
  25. ^ a b ドリン(2013) p.62
  26. ^ a b 原(2018) p.75
  27. ^ 冨田(2011) p.207
  28. ^ ドリン(2013) p.63
  29. ^ a b c 冨田(2011) pp.188-189
  30. ^ a b c Thomson, Fred C (June 1965). “The Theme of Alienation in Silas Marner”. Nineteenth-Century Fiction 20 (1): 69–84. JSTOR 2932493. 
  31. ^ リーヴィス(1972) p.61
  32. ^ Dessner, Lawrence Jay (Fall 1979). “The Autobiographical Matrix of Silas Marner”. Studies in the Novel 11 (3): 251–282. JSTOR 29531981. 
  33. ^ Martin, Bruce K (Fall 1972). “Similarity Within Dissimilarity: The Dual Structure of Silas Marner”. Texas Studies in Literature and Language 14 (3): 479–489. JSTOR 40754221. 
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  35. ^ Sonstroem, David (October 1998). “The Breaks in Silas Marner”. The Journal of English and Germanic Philology 97 (4): 545–567. JSTOR 27711729. 
  36. ^ Stewart, Susan (Summer 2003). “Genres of Work: The Folktale and Silas Marner”. New Literary History 34 (3): 513–533. JSTOR 20057796. 
  37. ^ Milner, Ian (Autumn 1966). “Structure and Quality in Silas Marner”. SEL: Studies in English Literature 1500–1900 6 (4): 717–729. JSTOR 449365. 
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  39. ^ Swann, Brian (Spring 1976). “Silas Marner and the New Mythus”. Criticism 18 (2): 101–121. JSTOR 23100082. 
  40. ^ Nunokawa, Jeff (Spring 1993). “The Miser's Two Bodies: Silas Marner and the Sexual Possibilities of the Commodity”. Victorian Studies 36 (3): 273–292. JSTOR 3828324. 
  41. ^ Brown, Kate E (Spring 1999). “Loss, Revelry, and the Temporal Measures of Silas Marner: Performance, Regret, Recollection”. Novel: A Forum on Fiction 32 (2): 222–249. JSTOR 1346224. 
  42. ^ エリオット、小尾訳(2019) p.387
  43. ^ a b エリオット、小尾訳(2019) p.370
  44. ^ ドリン(2013) pp.348-351
  45. ^ Silas Marner (1911)”. IMDb.com. (Amazon). 2017年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
  46. ^ SIlas Marner's Christmas (1912)”. IMDb.com. (Amazon). 2016年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
  47. ^ Silas Marner (1913)”. IMDb.com. (Amazon). 2016年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
  48. ^ Silas Marner (1916)”. IMDb.com. (Amazon). 2021年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
  49. ^ Silas Marner (1916) remaining reels, Ned Thanhouser of the Thanhouser Film Corporation and Vimeo, オリジナルの18 April 2015時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20150418034541/https://vimeo.com/21306075 2014年6月26日閲覧。 
  50. ^ Silas Marner (1922)”. IMDb.com. (Amazon). 2017年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
  51. ^ Silas Marner”. BBC. BBC. 2021年11月3日閲覧。
  52. ^ イラストレイテド・ロンドン・ニュース 18 November 1876, page 476
  53. ^ Stedman, Jane W. (1996). W. S. Gilbert, A Classic Victorian & His Theatre. Oxford University Press. ISBN 0-19-816174-3  p. 141
  54. ^ Bangaru Papa in Naati 101 Chitralu, S. V. Rama Rao, Kinnera Publications, Hyderabad, 2006, pp. 109–110
  55. ^ Silas Marner, John Joubert”. 2021年11月3日閲覧。
  56. ^ John Joubert: composer Archived 17 January 2010 at the Wayback Machine.
  57. ^ Nagendra (1981). Premchand: an anthology. Bansal. p. 70. OCLC 8668427 
  58. ^ IMDB listing Archived 13 August 2017 at the Wayback Machine. Retrieved 2015-10-17
  59. ^ Masterpiece Theater database Archived 26 December 2016 at the Wayback Machine. Retrieved 2015-10-17
  60. ^ IMDB listing Archived 16 June 2018 at the Wayback Machine. Retrieved 2015-10-17

参考文献[編集]

  • ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』小尾芙佐 訳、光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2019年9月。ISBN 978-4-334-75410-5 
  • ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』土井治 訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1988年8月。ISBN 4-00-322361-6 
  • ジョージ・エリオット『ジョージ・エリオット著作集5 ミドルマーチ』工藤好美・淀川郁子 訳、文泉堂出版、1994年8月。ISBN 9784831000446 
  • 冨田成子『ジョージ・エリオットと出版文化』南雲堂、2011年3月。ISBN 978-4-523-29318-7 
  • ティム・ドリン『ジョージ・エリオット 時代のなかの作家たち 5』廣野由美子 訳、彩流社、2013年5月。ISBN 978-4-7791-1705-3 
  • 原公章『英文学と教養のために』大阪教育図書、2018年10月。ISBN 978-4-271-21055-9 
  • F.R.リーヴィス『偉大な伝統 : イギリス小説論』長岩寛, 田中純蔵 訳、英潮社、1972年。 

外部リンク[編集]