オード・ウィンゲート

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オード・チャールズ・ウィンゲート
Orde Charles Wingate
Ordecharleswingate.jpg
Orde Charles Wingate
生誕 1903年2月26日
インド国ウッタラーカンド州 Nainital
死没 1944年3月24日(41歳没)
インド国 マニプル州 Bishnupur近郊
所属組織 イギリス陸軍
軍歴 1936–1939 アラブ大反乱
第二次世界大戦
東アフリカの戦い
ビルマの戦い
最終階級 少将
墓所 最初はインド マニプル州、Bishnupur近郊。後に掘り出され、米国のアーリントン郡アーリントン国立墓地に再び埋葬された。
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オード・チャールズ・ウィンゲート(Orde Charles Wingate、1903年2月26日 - 1944年3月24日)はイギリスの軍人。DSOを3回、Mentioned in dispatchesを1回授与された。ゲリラ作戦を開発しゲリラ兵を訓練した英国の将軍。

彼は1930年代にパレスチナで特殊部隊を作成したことで知られる英国の陸軍将校で、続く第二次世界大戦ではアビシニアスーダンビルマで活動した。彼はイギリス軍インド特殊部隊チンディットを創設、第二次世界大戦中の日本に対する極東作戦で敵前線の後方で活動する空挺浸透部隊による作戦を行った事で最も有名である。

ウィンゲートは、近代的なゲリラ戦の創始者の一人と言われている。彼の初期の型破りで不規則なゲリラ戦部隊の運用に関するアイデアは、後に北アフリカの特殊部隊によってアビシニア作戦で成功し、新たに新設された特殊空挺部隊でも同様の敵前線後方で活動する手法が使われた[1]。ウィンゲートは後にビルマでも同じテクニックを使用した。彼の長距離浸透技術は、軍事戦略と戦術に大きな影響を与えた[2]

ウィンゲートはまた、シオニズムの支援を行った事でも知られる。敬虔なクリスチャンであったウィンゲートはパレスチナにユダヤ人コミュニティによる、ユダヤ人国家を形成する事を自身の宗教的・道徳的な義務としていた[3]。 1936年に割り当てられたイギリス委任統治領パレスチナで、彼はユダヤ人の民兵組織であったハガナーを訓練するメンバーを設置し、これらは1948年にイスラエル国家設立と共にイスラエル国防軍となった[4]。 ウィンゲートは1936年-1939年のアラブ大反乱でユダヤ人を指揮した事で、ユダヤ人の間で"The Friend(友)"と広く知られる事となった。[5]

参考[編集]

  1. ^ Thompson, Julian F. (2001). The Imperial War Museum Book of War Behind Enemy Line. Brasseys. p. 202-232. ISBN 9781574883817. http://books.google.co.uk/books?id=pYMHAAAACAAJ&dq. 
  2. ^ Anglim, Simon (September, 2006). “Orde Wingate, 'guerrilla' warfare and long-range penetration, 1940-44”. http://www.dtic.mil/dtic/scampi/citations/gsa/169208/168106.html (要購読契約)
  3. ^ “The Zionism of Orde”, Covenant, 3, IDC, http://www.covenant.idc.ac.il/en/vol3/issue1/The_Zionism_of_Orde.html .
  4. ^ Pappé 2006, p. 16.
  5. ^ “With Wingate in Abyssinia”. The Palestine Post. (1944年12月22日). http://www.jpress.org.il/Repository/getimage.dll?path=PLS/1944/12/22/7/Img/Pg007_122.png 2012年1月10日閲覧。